21世紀論について

市 川 宏 雄  氏   高 津 定 弘
(明治大学政治経済学部教授、(株)富士総合研究所客員主席研究員)   ((財)岐阜県産業経済研究センター副理事長)


高津  市川先生には今回の 『岐阜を考える100号』 をまとめるにあたり、 さまざまなアドバイスをいただきましてありがとうございました。 当初は 「団塊世代」 というものをメインに押し出す予定でしたが、 最終的には世代を超えた 「21世紀論」 的な色彩が強いものになりましたね。

市川  そうですね。 本のタイトルも 『岐阜を考える』 とはなっていますが、 さまざまな意味でボーダレスな時代ですから、 日本、 世界、 さらには人類の課題といった部分まで考えざるをえなくなったと感じています。

高津  私が永年携ってきた経済計画もしかりですが、 ビジョンをつくる際に、 自分の哲学を相手に訴えるだけの説明力がなくなったと言われています。 現代の多角化した社会状勢下で1人のプランナーなりビジョンメーカーが訴える力は、 非常に限定的なのです。 日本の人口1億3千万通りのビジョンを示すことは不可能にせよ、 一部の識者と呼ばれる層にだけ理解できるものではなく、 ごく普通の庶民が納得し、 自発的に行動するような魅力あるビジョンを示すことができるかどうか。 そこが問われている。 人々は、 新聞、 テレビ、 インターネットを通じて情報過多になっている。 その一方で、 政治家にせよ有識者にせよ、 ディシジョンメーカーやオピニオンリーダーが明確なビジョンを示すことを回避しているのではないでしょうか。

市川  今までのパラダイムや仕組、 制度が破たんしてしまっている。 一般の人にしてみれば、 破たんしているのならばどうするのだという危機感があると思うんです。 人によって個人差はありますが、 漠然とした不安感や恐怖感がある。 それに対し、 「不安はあるけれどこうすれば解決しますよ」 とか、 「不安だと思っていることは、 実は不安ではありませんよ」 と示していくことが大事だと思うのです。

高津  危機感というか信頼感の問題かも知れませんね。 見下ろすような言い方ではなく、 21世紀を生きる基本はこういうものだと示せるかどうかだと思うのですよ。

市川  1億3千万の個別の人が思っていることは身近なことなのです。 「よりどころ」 のようなものかも知れません。
   最近は下火になっているようですが、 民間のカルチャーセンターが流行しましたね。 それには理由があって、 カルチャーセンターには金額によって様々なランキングがあるんですよ。 集まるグループが違うのです。 価格のやや高いカルチャーセンターにはそれなりの収入を得た人が集まり、 そこにコミュニティが発生するわけです。 そのなかに何か 「よりどころ」 「存在感」 「安心感」 を求めるのですね。 それは少なくとも既存の行政では対応できない。 そういうところにビジョンメーカーは何も応えていないのですね。 かつてのビジョンメーカーにはそこまで要求されていなかったでしょう。
  今や 「国家や個人が豊かに」 という目標が達成されてしまったために、 何かそれに変わるようなものがないと、 おそらく居場所がないのではないでしょうか。 人間の生きる意味とか手応えとかね。

高津  人間個人の生き方や自然との関わり方が問題にされるようになると思いますが、 極端な話、 生きていく必要がないのではないだろうかということで自殺につながることも考えられますね。 20世紀の繁栄のもとで欠落してしまった個人や人間という視点を取り戻すというか。

市川  よりどころを何らかのバーチャルな、 あるいは既存のコミュニティに求めるという考え方もありますが、 人によってはそれを技術革新に求めたりするわけです。 中高齢者層にもマニアックな方は多いですしね。

高津  難しいですね。

市川  国土開発の面でいえば、 ものをつくれば解決するという時代は確実に終わっています。

高津  にも関わらず、 道路を何キロ、 住宅を何万戸という話のみが先行してしまう傾向は確かにありますね。

市川  かつて私は途上国援助の仕事に携ったことがあります。 その時に思ったのは、 「人をみて勝手に不幸だと思うな」 ということです。 途上国を先進国が助けてやる。 裸の人に服を着せてやろうという発想自体が大間違いで、 向こうは着せてくれるのならもらおうということになるかもしれませんが、 彼らは服を着なくても生きていけるのかもしれないし、 着ない方がよいのかもしれない。 それなのに一方的な価値観を押し付けてきたのが途上国援助という見方もできるのではないでしょうか。

高津  現在、 日本では失業が多いと言われていますが、 飢えているわけではないから、 本当の大量失業時代ではないかも知れない。 見方が変われば打つ政策も変わるでしょう。

市川  私がカナダにいた15年ぐらい前は、 失業率が10%近かったのです。 職はあるのですが、 自分に合ったものがなければ働くのはやめておこうという人が多く、 失業率が高かったのです。 日本の場合はもっと切実だとは思うのですが、 いたずらに数字だけ見て不幸かどうかといえば、 働かないことが幸せだと思う人がいるかもしれない。 そういう見方が必要ですね。 国土開発を含めた地域格差は数字で表されますが、 数字がそこで終わっているんですよね。  

高津  かつては、 個人の幸せや安心とマクロの政策ターゲットとは一致していたというか、 ずれが少なかった。 今はもの凄くずれが大きくなってしまったということと、 ずれていることを公的部門の人間が自覚していないことに問題がある。 加えて民間部門の個人が、 世界中から最新の情報をメディアを通じて入手し、 自己判断をしているために、 そのずれがもの凄く大きくなってしまった。 それをビジョンメーカーなりプランナーが調整するにはかなりの力量が必要となるでしょう。

市川  豊かな時代において確固たるビジョンを示すには、 哲学が必要です。
  江戸時代の生活を考えると、 パーフェクトな循環型社会であり、 ある種豊かだったわけですよね。 「徳川」 という大きい枠があったから統治上は固まっていましたが、 実際は、 人間は様々に生きていたわけです。 価値観があったのだと思います。

高津  その時代と比べて、 今は天文学的に情報量過多じゃないですか。

市川  外からの情報がね。

高津  ある意味で成熟しきっている。

市川  江戸から明治へ価値観の転換がなされたときには 「黒船」 という外圧があったからです。 今はそういった緊急性、 必要性が口で言うほど実感されないですね。 そうしたきっかけのようなものがなくて人間は変われるのか。
  また、 別の考え方をすれば、 ドイツ人は素晴らしい哲学を持っているが日本人は持っていないといっても、 哲学の種類が違うかもしれない。 「あいまいさ」 を美徳とするような日本文化の中で育ってきた日本人ですから、 ある意味で 「いい加減さ」 もひとつの哲学かもしれないですよね。 だからといって全くエクスキューズがないわけではありませんけれど。

高津  政財界や学界を見渡しても、 次代を開くようなリーダーがいませんね。 昭和45、 46年ぐらいまでの高度成長期には、 国民も貧しく知識も少なかったので、 それなりに日本の政府は信頼されていたと思いますが、 今は教育水準も高く豊かになりましたから、 プランニングが難しくなった。
  多角化していますので、 それぞれ勝手におやり下さいということではなく、 ひとりの人間が自分の考えを提示することによって、 多角化された集団の個々が自発的にある方向に動き、 結果として価値観が形成されるような世の中になるのでしょうか。

市川  概念的には理解できるのですが、 実例が世界にあるんでしょうか。

高津  分かりません。

市川  もしかするとないかもしれませんね。

高津   「どうすればいいのか」 ではなく 「どうしたいか」 というはっきりとしたスタンス、 方向を提示する時代なんです。 それを論争する時代になっていると思うのですが。 情報過多で高学歴になった人々は新しい方向を欲しているんですよ。 それが何かは自分たちでは分からない。 しかしそれに近いものをきちんと説明できれば、 彼らは賢いから自分なりに動き出すでしょう。 そのメカニズムが生まれていない。 「平和ぼけ」 してしまったのでしょうか。

市川  日本の住宅の特徴は木造建築で、 壊れやすく建てやすいということです。 日本国家も似たところがありまして、 壊れては建て直してきた。 ところが戦後55年、 本当ならばそろそろ壊れて建て直している頃なのですが、 今回は壊れないので悩んでいるのですね。 ある意味で一度壊れればよいと思いますが、 そすることなく自立するというのか、 自ら改革し、 自ら律していくことが可能かどうか。 そういう危機感すらあまり人々は持っていないようですね。

高津  それは持っていませんよ。

市川   「物質主義に侵された人間性」 というテーマがあるような気がします。 「人間らしさ」 「優しさ」 のようなものを大事する社会が終わり、 生命軽視の風潮が蔓延していますね。

高津  そうすると個人の問題になってきますね。

市川  個人でも積み上げていけば社会になりますから。

高津  自律的に変えられるのでしょうか。

市川  とにかく意識のあるものが警鐘を鳴らしつづけないと、 いずれ大変なしっぺ返しが来ると思いますね。 その意味で21世紀を明るいものにするかどうかは我々一人一人にかかっているのではないでしょうか。

高津  そうですね。 本日はありがとうございました。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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