8 経済・労働・雇用

少子・高齢化のインパクトをどう考えるか


小塩隆士
(東京学芸大学教育学部助教授)


□ 少子・高齢化と日本経済
  21世紀に向けての日本経済を見通す上で、 最も重視しなればならないのは少子・高齢化という人口動態の変化であろう。 合計特殊出生率は1998年には1.38まで低下したが、 国立社会保障・人口問題研究所の予測 (中位推計) によれば2050年になっても1.61までしか回復しない。 そのため、 全人口に占める65歳以上の人口比率も、 1995年の14.6%から2025年には27.4%、 2050年には32.3%へと大幅に上昇すると予想されている。
  現在の日本の経済システムは、 企業経営のあり方から雇用慣行、 あるいは政府の経済政策や制度に至るまで、 こうした人口動態の変化を想定したものにはなっていない。 むしろそれらは順調な人口増加や中程度以上の経済成長を前提としており、 またその前提の下では非常に効率的に機能する仕組みとなっている。 さらに最近では、 日本の経済システムを構成する様々なサブ・システムが互いに強化し合うという構造になっており、 だからこそシステム全体が頑強になっているという説明もしばしば耳にするようになっている。
  しかし、 少子・高齢化やそれに伴う低成長への移行は、 こうした日本の経済システムの見直しを必要とするものである。 その場合、 次の二つの点に留意する必要がある。
  第一は、 市場原理を通じて変革が自然に進む分野と、 政府の改革への取り組みに左右される分野とが併存することである。 例えば、 企業経営や雇用慣行は、 労働力の高齢化や低成長への移行に対応して徐々に変化していくであろう。 その一方で、 年金や医療など社会保障の仕組みは、 人口動態の変化を受けて改革を余儀なくされるものの、 政府が積極的に改革を進めなければ現行制度に引きずられがちとなる。 しかも、 こうした市場原理に基づく調整と政府による調整との間のずれが大きくなると、 人々の経済的利益が阻害されるという危険性もある。
  第二に、 経済システムの改革はどうしても利害対立を伴う。 社会に存在するどんな仕組みも、 経済的な合理性を持っている (そうでなければ、 存在していないはずである)。 そして、 既存の経済システムの中で暮らし、 そのメリットを受けてきた人達にとっては、 その改革は必ずしも歓迎すべきことではない。 その一方で、 既存の経済システムにとってアウトサイダーであった人達、 あるいはそれが存続すれば不利を被る人達にとっては、 その改革は歓迎すべきものとなる。 例えば、 将来世代の負担を軽減することを目指した年金制度改革は、 その形がどうであれ現在世代に対して追加的な負担を強いることになる。 制度改革はこうした利害対立の構図から逃れることはできないし、 その進捗ペースも利害対立の程度によって大きく左右される。
  以下では、 少子・高齢化の進行や低成長への移行の中で予想される変化や必要となる政策対応について、 幾つかの問題提起をしておこう。

□ 雇用慣行と労働市場の変化
  日本的雇用慣行は、 それなりに経済的合理性を持っている。 長期的に雇用を保証して勤続に応じて賃金を引き上げていくという仕組みは、 リスクをなるべく回避したい雇用者には歓迎されたし、 労働インセンティブを高める性格も持っていた。 また、 社内で職業訓練をほどこして人的資本を長期にわたって蓄積し、 生産性を高めようとする企業にとっても、 日本的な雇用慣行の仕組みは好都合であった。 日本的雇用慣行は、 日本企業の成長志向型の経営姿勢と極めて整合的な形で機能してきた。
  しかし、 その仕組みを時点ごとで見ると、 若年層から中高齢層への所得移転として機能している部分がある。 そのため、 労働力構成が高齢化し、 低成長への移行が進むと企業収益の圧迫要因となり、 持続されにくくなる。 その結果、 賃金決定が各人の生産性をいままで以上に反映したものになったり、 雇用も次第に流動化する。 実際、 その動きは徐々にではあるが現実のものとなっている。
  労働市場の調整メカニズムも、 それと平行して変化する。 これまでは長期的雇用関係を前提としていたために、 労働コストの調整は雇用者数ではなく労働時間を中心に行われてきた。 しかし、 今後は、 雇用者数の調整が全面的に展開される可能性もある。 その場合、 一企業だけでは雇用保障の役割は担い切れず、 市場を通じた雇用保障の重要性が増すことになろう。 また、 これまで社内が中心であった職業訓練や熟練形成も、 ますます汎用性・一般性を持ったものに変化するはずである。
  一方、 これまでの雇用システムの中では十分に完備されなかった、 高齢者の労働市場を整備する必要がある。 日本的な雇用システムは特に大企業を中心として、 60歳定年を最終時点として完結しており、 高齢者の労働市場は未成熟なままになっている。 しかし、 公的年金の支給開始年齢の65歳への引き上げが目指されていることもあり、 このままでは60歳台前半層の雇用・所得をめぐる経済条件が非常に不安定になる。 60歳定年制や年功賃金制の見直し、 そして、 長い勤労生活の中で身につけてきた技能や知識を市場で正当に評価する仕組みの整備が望まれる。

□ 社会保障制度改革の必要性
  少子・高齢化の進展は、 社会保障制度の持続可能性にも疑問を投げかける。 年金・医療を中心とする日本の社会保障制度は、 問題を抱えながらも世界的に見ても遜色のない制度になっている。 ところが、 社会保障制度はもともと若年層から高齢層への所得移転として機能する側面を持っている。 しかし、 人口が順調に増加し、 所得水準もある程度以上のペースで上昇していけば、 その財源調達の構造が問題になることはあまりなかった。 しかし、 少子・高齢化が進行すると、 現行制度のままだと若い世代ほど負担が高まるという傾向が明確になり、 人々の制度に対する信頼感そのものが揺らぐ危険性が生まれてくる。 これは、 しばしば懸念される社会保障財政の危機と同様に深刻な問題である。
  年金や医療など社会保障制度の仕組みをどのように改革するかは、 世代間の所得再分配をどの程度許容するかという価値判断に大きく依存する。 公的年金制度の場合について言えば、 老後における最低限度の所得保障はこれまで同様、 政府が責任を持って行うものの、 それを上回る部分は自己責任に委ねて保険原理に基づいた仕組みに変更するという考え方もあり得る。 しかし、 現在の制度改革の議論は現行の給付と負担を部分的に縮小し、 公的年金の守備範囲を縮小するという形で進んでいる。 年金と比べて改革の議論が遅れている医療の場合も、 改革のポイントは世代間の公平をどこまで追求し、 政府の関わりをどこまで求めるかという点にある。
  一方、 社会保障制度改革については、 それが産業構造やマクロ経済にどのような影響を及ぼすかという点についての検討も必要である。 なかでも、 間もなく導入される公的介護保険は、 高齢化の進展と相まって民間の介護サービス産業に対する需要を飛躍的に高める可能性がある。 これは、 日本の就業構造や産業構造にも大きなインパクトを与え、 日本経済のマクロ的パフォーマンスにも無視できない影響を及ぼすことになろう。 社会保障は経済成長と対立する概念ではけっしてなく、 互いに密接に関連し合う性格を持っている。

□ 財政システムの再検討
  平成不況の下で財政状況は急速に悪化しているが、 長期的な財政戦略のあり方についても再検討の必要性が高まっている。 上述のように、 少子・高齢化の進展は、 公的サービスの負担や給付の面で世代毎の違いが顕著になるという特徴を持っている。 デフレ・スパイラル回避のためには当分積極的な財政政策が必要となろうが、 将来世代に一方的に負担を先送りするような政策はやはり避けるべきであろう。 政府は、 社会保障制度改革やマクロ経済予測と整合的な形で、 長期的な財政運営の戦略を練る必要がある。
  財政システムの改革は国レベルで完結されるものではなく、 地方財政のあり方についても見直しが求められる。 現行制度のような国の地方の間の財源調整の仕組みは、 地方自治体間の財政力を調整し、 公的サービス供給を平準化するという点で重要な機能を果している。 しかし、 その一方で各自治体レベルで行政の効率化へのインセンティブが働きにくい仕組みになっており、 低成長への移行の下では地方財政のフレキシビリティーが一方的に低下するという危険性がある。 しかも、 公的介護保険の制度に見られるように、 社会保障サービスの担い手としての自治体の役割は今後飛躍的に高まるはずである。 そのため、 自治体の財源調達や財源調整のあり方についても、 抜本的な制度改革が必要になるだろう。

□ 求められる制度の頑健性
  少子・高齢化や低成長への移行は、 今後数十年において日本経済が避けることのできない変化である。 しかも、 その変化には不確実性が伴う。 例えば、 経済の成長能力を長期的に規定する労働供給の見通しについても、 出生率がどのように変化するか、 女性や高齢者の労働力率がどの程度高まるかという予想で大きく異なってくる。 経済システムにはもともと、 こうした不確実性に対してはある程度の処理能力が備わっている。 しかし、 家計や企業の経済行動を拘束する性格を持たざるを得ない制度のあり方を議論する場合は、 将来に対する予想が少しぐらい外れても大きく動揺しないような、 頑健な仕組みを構築するという姿勢が望まれる。 制度の持続可能性に関する不確実性や危惧が高まると、 人々の経済行動そのものが萎縮する危険性もあるからである。


■小塩 隆士 (おしお・たかし)
  1960年生まれ。 1983年東京大学教養学部教養学科卒、 同年経済企画庁入庁。 1989年イェール大学大学院経済学修士号取得。 1991年JPモルガン (東京) 入社。 1994年立命館大学経済学部助教授。 1999年東京学芸大学教育学部助教授に就任、 現在に至る。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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