8 経済・労働・雇用

介護保険と日本経済


大守 隆
(経済企画庁調査局内国調査第一課長)


  2000年の4月から公的介護保険が導入されることになり、 厚生省と地方自治体で準備が進められている。 目前に近づいてきた高齢社会への制度的準備として大きな役割が期待され、 導入に対する国民の原則的な支持は高いものの、 その導入に当たっては様々な問題点が残されている。 本稿では、 まず第1章で経済学の立場から見た介護サービス特性について医療サービスとの比較を念頭におきつつ検討し、 市場を通じた供給になじむものであることを述べる。 第2章では一般論としての公的な介護保険が日本経済に与える諸影響について検討する。 第3章で特に保険としてのリスクプール効果を通じて貯蓄過剰状態にある我が国経済に与える影響を詳しく論じる。 第4章では、 こうした望ましいマクロ経済効果を引き出すための運営方法について政策提言も含めて論じることとする。 なお、 公的介護保険の制度自体については、 ここでは特段の解説は行わない。 解説書は巷にあふれており、 厚生省のホームページなどでも容易に情報が得られるからである。 なお、 本稿のかなりの部分は、 大守・田坂・宇野・一瀬 「介護の経済学」 (1998) での諸考察を基礎としているので、 詳細に興味をお持ちの読者は参照されたい。

第1章 介護サービスの特性

(1) 低い情報の非対称性
  介護サービス、 特に在宅サービスの大半は、 医療と異なり情報の非対称性が小さい。 介護においても医療と同様に専門的な技能は大いに役立つが、 医療との差は、 介護の場合にはそのサービスの質や必要性をサービスの受け手自身やその家族が判断することができる場合が多いことである。 また、 消費に反復性があるので気に入られなければ購入先を他に変更することもできる。 対人サービスであるので、 相性の問題もある。 選択の自由がないと堅苦しい状況に陥りかねない。 さらに、 介護サービスと一口にいっても、 その実態は需要者のおかれた環境によって様々である。 身体介護をとってもその内容は千差万別であるし、 家事補助も食事、 掃除、 買い物、 話相手など時と場合に応じた臨機応変な対応が求められる。

(2) 規模の利益はそう大きくない
  医療の場合には、 規模の小さな医院などでは高価な検査機器を保有しても稼働率が低く効率が悪いため、 小規模の医療機関は地域に密着するなどサービスの差別化を図る必要が生じる。 大病院では規模の経済を生かしてハイテク化を進めたり難病の専門家を揃えることができる。 これに対し介護サービスでは、規模の経済は必ずしも大きくない。 サービスへの信頼性という面ではブランドをもった大企業が有利である可能性はあるが、 事業所ベースで考えれば規模の利益は大きくない。 在宅介護のための事業所などはあまり規模が大きくなると交通の問題が深刻化するので、 むしろ規模の不利益が存在する。 有料老人ホームが一時金を徴収したり介護保障を行う場合には事業主体の信用力が必要になるが、 これはすぐ後に議論するように制度の影響を反映した制約であって、 必ずしも介護サービスそのものの性質ではない。

(3) 労働集約的である
  介護サービスは基本的に労働集約的である。 在宅サービスに関しては起業に際して必要となる初期投資はそれほど大きなものではない。 近年 「貸し渋り」 として大きな問題になったように、 資本市場は必ずしもうまく機能しないことがある。 有望なプロジェクトでも借り手の信用力が十分でないと資金調達が行いにくいからである。 こうしたことが参入障壁になり得るが、 在宅介護サービスの場合には初期投資がそれほど大きくないのでこうした問題は比較的少ない。 施設サービスについては、 ある程度の初期投資が必要であるが、 他の産業に比べてそれほど大きなものではない。
  労働との関係でもう一つ重要なことは、 在宅であれ施設であれ介護サービスの供給は変則的な労働条件を必要とすることである。 切迫した介護需要が生じるのは通常の勤務時間帯よりも、 夜や朝であることが多い。 こうした需要側の状況に応じてフレキシブルに対応していことが上手なのは民間企業である。 公的保育園が延長保育需要に対して十分な対応ができないでいることに表れているように公的機関は柔軟な稼働体制をとりにくい。

(4) 市場競争になじむ分野
  以上のような特徴は介護サービスが市場メカニズムを通じて供給されるべきものであることを強く示唆している。 ここで市場メカニズムという言葉は自由放任の下での完全競争市場という意味ではなく、 より広い意味で用いている。 営利を目的とした民間企業が自由に参入し、 選択の自由が確保されている中で競争を通じて効率が上昇していくような状態である。 このような意味で市場メカニズムをとらえれば、 これを活用することと介護サービスの利用を公的に支援することとは、 十分に両立可能である。

  市場メカニズムを導入することの大きな利点は効率の改善である。 地方自治経営学会などによれば、 介護サービスのコストはサービスの質の差などを勘案しても公的機関は民間企業に比べ総じて見れば割高であるとの結果となっている。 その理由としては、 稼働率の低さやマネジメントの軽視などが考えられるが、 より根本的な背景としては公的機関は競争から隔離されているので効率化への誘因に乏しいことが挙げられる。

(5) 市場の失敗への対策
  但し、 市場メカニズムにも失敗の可能性があることを忘れてはならない。 このため、 サービスの質の確保、 地域差などに基づくクリームスキミング (供給者が都合の良い相手のみサービスを行うこと) の防止、 判断や意思表示の能力の低下した消費者の利益の保護、 施設に支払う一時金の保全など、 介護サービスの需要者には経済的弱者への配慮、 などが重要である。 紙幅の関係から詳細は論じられないが、 こうした点については規制の強化も含めた適切な対応が必要である。

第2章 介護改革のマクロ経済効果

  公的介護保険の導入がマクロ経済に及ぼす影響のルートとしては以下のようなものが考えられる。

(1) リスク・プール効果
  公的介護保険ができることによって、 老後に要介護状態になることに伴う経済的リスクが社会的にプールされる。 個人個人で要介護状態に伴う出費に備えて貯蓄をする場合に比べ、 社会的に備える場合の方が準備に必要な金額は少なくて済む。 マクロ経済の立場からみると過剰な貯蓄が少なくなり、 消費性向が上がり、 総需要が喚起される。

(2) 労働解放効果
  公的介護保険が順調に機能すれば、 家族による在宅介護のかなりの部分が保険を利用したサービスに移行する可能性がある。 いわゆる介護の社会化である。 これまでの家庭内介護が社会的な介護により代替されるので、 介護退職が減少し、 女性の労働力率が上昇する。 労働供給の増加は日本経済の生産能力を増加させる。 すなわち、 介護サービスが産業として集約的に行われるようになると、 介護サービスの労働生産性が上昇し、 介護以外の産業への労働供給が増加し、 生産と雇用が増加し、 税収の増加も見込める。 介護退職の減少は女性の長期勤続を可能にし、 女性労働の質の向上にもつながる。

(3) 需要誘発効果・生産誘発効果
  公的介護保険の導入は介護サービス需要を顕在化させる可能性がある。 福祉に対する需要も、 その他の需要 (例えば公共事業) と同じよう需要喚起効果がある。 公的な支出であれ私的な支出であれ福祉への支出が増えれば、 雇用機会が増え、 人々の所得増をもたらす。 その所得の一部が消費や住宅建設に用いられるので経済活動全体を活性化することになる。 このように、 ある支出が他の産業に次々に波及していくことは他の支出でも同じであるが、 その全体的な大きさは支出の種類によって少しずつ異なる。 公共事業は鉄鋼やセメントなどの資材を使う割合が高く、 こうした資材の生産過程では輸入品をかなり用いるので誘発される需要のうち輸入に回る部分が比較的大きい。 一方、 福祉サービスは労働集約的であるので、 直接人々の所得増加につながる部分が大きい。 また介護関連の施設の建設需要の増加は公共事業の追加と類似の需要効果を持つことになる。

第3章 リスクプールを通じる効果

  公的介護保険が順調に機能した場合の効果、 いわば公的介護保険の潜在的な可能性について検討する。 特に、 公的介護保険が、 介護関連の経済的リスクをプールする機能を持つという観点から、 マクロ経済効果を考察する。

(1) 意図せざる遺産の減少
  貯蓄目的に関する各種調査によれば、 「老後目的」 が極めて重要な貯蓄動機である一方、 「遺産目的」 を重視する人は意外に少ない。 ところが現実には高齢者世帯の4分の3が金融資産を取り崩さずに生活し、 老後目的の貯蓄の大半が結果的には 「意図せざる遺産」 になっている。 何故、 こうした状況が起きているのであろうか。

  年金や医療保険がそれなりに整備された結果、 長生きや一時的病気に伴う経済的不安はかなり軽減されてきた。 残る最大の不安は長期間要介護状態になることである。 高齢で要介護になることに伴う生涯の自己負担は現行制度の下では一人平均で約180万円 (95年価格、 以下同じ) と推計されるが、 人によってはずっと多額になる。 介護保険が実施されれば狭義の自己負担は一人平均通算60万円程度に減少する。 もちろん、 一方で保険料負担が生じるし、 企業や財政の負担が家計に転嫁されことも考えられる。 しかしここで重要なのは、 介護保険の導入によって個人間の負担のバラツキが大幅に平準化されることである。 例えば、 現行制度の下で5年間老人病院に入院すれば600万円程度の自己負担が必要となる。 在宅の場合には家族に深刻な負担を強いる可能性がある。 このため、 多くの人々がこうした事態に備えかなりの金額を貯えている。 しかし結果的にはそうした準備を使うことになる人は少ない。 長期間要介護になる人の割合はそう多くないからである。 「意図せざる遺産」 の背景にはこのような事情がある。

  公的介護保険がまともに機能すれば、 5年間入院の場合でも、 保険料負担やその他の負担の転嫁を最大限考慮に入れても個人の負担は400万円で足りる。 社会的なコストの総額が変わらなくても、 個人負担の上限が減少するので要介護状態に備えた貯蓄目標額を引き下げることができる。 こうして浮いた資金の一部が、 現在の生活を充実させることに充てられる。 現役世代は毎年の貯蓄積み上げ額を減らして、 高齢者は手持ちの貯蓄を取り崩して、 それぞれ消費を増加させる。 このような要因によるマクロ経済の押し上げ効果を介護保険法を前提に関連情報を組み合わせて推計してみよう。

  こうしたマクロ経済効果の推計には家計から企業や財政に負担がどの程度転嫁されるかという点に何らかの想定をおく必要がある。 家計の負担が企業や財政に転嫁されれば、 家計の消費は活性化する反面、 企業や財政の収支は悪化し、 設備投資や財政支出が抑制される可能性があるからである。 さらに、 家計がそうした他の部門の収支を自分の経済行動にどのように織り込んでいるか、 という点についても想定をおく必要がある。 企業や財政への転嫁が大きくても、 家計が将来の賃金抑制や増税を予想し、 そのための準備として貯蓄を増やす場合には、 こうした転嫁がなかったのと同じような状況になるからである。 ここではリスクがプ−ルされる効果だけに注目したいので、 財政の負担増は増税の形で、 また企業の保険料負担は賃金抑制や物価上昇などの形で、 それぞれ全て家計に転嫁されるというやや極端な想定を置いて試算を行ってみよう。 これはそれが正しそうな仮定であるからというわけではなく、 こうした仮定のもとでも公的介護保険のマクロ経済効果がかなりのものであることを明らかにすることに意味があるからである。

(2) GDPの1.3%
  結論から述べると、 実質GDPが1.3%押し上げられるとの結果になった。 また増税や賃金抑制も含めた家計の負担増は内需拡大に伴う所得増によって十分に賄えるとの結果になった。 すなわち、 家計にとっては所得の純増になる。 企業や財政も負担増は前述の仮定によって全て家計に転嫁している一方、 景気拡大によって売り上げや税収が増加するので収支は改善する。

以下試算の根拠を簡単に紹介しよう。
  介護費用に関するリスクが分散される効果の量的な大きさは、 (1)要介護状態に伴う自己負担の分散がどの程度大きいか (したがって事前的な不確実性=バラツキがどの程度大きいか)、 (2)人々がどの程度リスク回避的で用心深く準備をするか、 (3)親族などの私的集団などが介護リスクのプールとしてどの程度機能しているか、 といった要因に依存する。 しかし残念なことに、 いずれも直接に推計することは困難である。 この点を順にみてみよう。

  まず、 (1)の要介護期間の個人差である。 全ての人が死を迎える前に同じだけの期間要介護状況になるとすれば、 必要額の予測も容易で保険の効用があまりなくなる。 そこで個人間でどの程度のバラツキ (分散) があるかが問題であるが実はこの点についての基礎データが怪しいのである。 詳細は別の論文に譲らざるを得ないが、 相互に矛盾する2つの情報がある。 人口動態統計の特別調査結果をみるとかなりの人が死の比較的直前まで普通の生活をしていたことが読み取れる。 例えば62%の人が死の3ヶ月前には通常の生活をしていた。 こうした構造といくつかの仮定をおけば 「ある特定時点で、 寝たきりの高齢者のうち3年以上寝たきりである者の比率は何%か」 を計算することができる。 その具体的な方法は若干の数学が必要になるのでここでは省略するが、 「多くの人が死の直前まで元気であるような社会では寝たきり者がいたとしても長期間寝たきりである人は少ない」 という命題は直観的にも明らかであろう。 こうして求められた長期寝たきり比率の推計値は比較的小さい。 ところが同じ厚生省の国民生活基礎調査は在宅について 「在宅の寝たきり者の半数は3年以上の寝たきり」 という結果を得ており、 両者は大きく食い違う。 2つの調査は 「寝たきり」 についての定義もほとんど同じであり理解に苦しむ結果となっている。 このような基礎的な事柄に関しては一層の実態究明が期待される。

  次に、 (2)のリスク回避度についてである。 これに関しては直接的な推計例は少ない。 その一つの理由は、 リスク回避度と、 異時点間の消費の代替性、 とを区別して計測することが容易でないことである。 すなわち、 リスク回避行動は通常、 消費者が期待効用を最大化するという形で定式化される。 所得や財貨サービスの消費量が多くても限界効用が逓減していれば、 そのありがたみは薄れる。 従って限界効用が急速に逓減していくような効用関数を想定しておけば、 効用の期待値を最大化する行動は、 不運な場合に重きをおいた慎重な行動になる。 こうした効用関数が動学的に最適化されると考えると、 限界効用の逓減度合いは別の意味を持つ。 ある期の消費を1単位我慢する代わりに別の期の消費を何単位増やしたらいいか、 という概念と密接な関連を持ってしまう。 本来この2つの概念は別の概念であるが、 これを切り離して計測する手法が十分に発達していないのである。

  (3)の家族などのリスク・プール機能に関しては、 その機能は少子化・核家族化に伴って低下していると見られるものの関連調査は極めて少ない。

  このような困難な状況の中で、 以下のようにな前提で試算を行った。 まず、 要介護になった場合の自己負担額の低下に関しては、 特定の人がどの程度の自己負担が必要になるかは事前には分からないが、 平均値はわかっており、 これに一定倍率を乗じた金額が高齢になった時点 (65歳) で平均的に用意されている、 と考える。 各種調査から、 現行制度の下では一人平均通算180万円の介護関連自己負担が必要で、 その2倍強の386万円が介護リスクのために準備されていると推計された。 次に、 この倍率は人々の用心深さに対応するものなので、 現行制度の下でと、 介護保険下で不変であると想定する (現実には介護に伴う自己負担の分散が小さくなると生活費等の抑制で工面できる可能性が増すので、 この倍率は低下する可能性が大きいとみられるが、 ここではマクロ経済的効果を控えめに見積もるためにこの比率を一定とした)。 とすれば、 公的介護保険の下では通算自己負担が平均55万円に減少するので、 その2倍強の119万円が一人当たり準備額になる。

  貯蓄と消費に及ぼす効果については、 現役世代が介護資金を積み上げるペースが低下すること、 現役世代がこれまで積み上げてきた介護資金の一部を取り崩すこと、 高齢世代も過剰となった介護資金を平均余命に応じて取り崩すこと、 一方、 介護保険料の負担と、 企業の保険料負担の帰着分が家計の負担増になること、 現在自治体などから支給されている各種手当てや所得税控除などが打ち切られること、 を考慮すると、 家計部門の純余裕額の年額が9.4兆円と算出される。 これに消費性向0.873を掛けて消費増加額を算出する。 ただし、 消費が活性化する反面、 遺産額が減少するので、 資産効果の分だけ消費が抑制される効果を考慮しこれを控除した。 その大きさは消費関数に関する実証分析を参考にした。 ここで問題になるのは、 相続の発生前から、 将来の遺産が減少することを予想した子供の家計が消費を抑制する可能性である。 その効果は家計がどの程度将来のことまで想定するかに依存するが、 この点に関する実証的な手がかりがないので、 ここでは多目に考えて、 現存の高齢者の遺産減少に伴う負の資産効果がすべて先取りされて、 介護保険導入当初から現れると想定した。 以上のような前提の下に計算した結果家計消費は7.8兆円押し上げられるとの結果となった。 2000年時点の消費は95年価格で320兆円程度とみられるので、 これは家計消費が2.4%押し上げられることを意味する。

  消費が増加すれば、 ある程度の設備投資を誘発したり、 外需 (輸出−輸入) が減少することが考えられる。 こうした効果を盛り込むため、 マクロ計量モデルの減税の乗数表を利用してGDPに対する効果を求めることができる。 所得減税を行った場合、 消費が伸びることを通じてGDPが伸びるわけであるが、 6年間平均で、 消費が1%押し上げられるとGDPが0.527%押し上げられる、 という関係が得られている。 この関係を用いれば、 家計消費が2.4%押し上げられる場合には、 GDPが1.3%押し上げられることになる。 これだけGDPが増えれば、 雇用者所得も3.9兆円程度増加する。 介護保険料が企業負担分を含めても年2兆円弱、 財政負担の増分が年0.5兆円であるから、 両者が全部家計に転嫁されても、 まだ 「おつり」 があることになる。 それに加えて要介護状態になった場合の自己負担が小さい。
  以上、 公的介護保険が十分に機能することを前提とすれば、 実質GDPはリスク・プール効果によって1.3%押し上げられるとの結果になった。 この数値が大きいか小さいかは判断の問題であるが、 本試算では、 随所にマクロ効果に関して控えめな方向での前提が置かれていることから、 実際の効果はこれより大きい可能性が高いことに留意する必要がある。

第4章 介護報酬の設定が鍵

  このように公的介護保険は順調に機能すれば、 貯蓄過剰気味の日本経済を大きく下支えする効果を持ち得るが、 その運営の方法によっては、 十分に機能しない可能性がある。 いわゆる 「保険あって給付なし」、 という状態への懸念は残念ながら払拭されていない。 特に鍵となるのは介護報酬の設定である。

(1) 低い公定価格は民間の参入を阻害
  在宅サービスについては、 民間企業や生協などが、 これまでの公的または準公的 (社会福祉協会など) な供給主体に加えて参入できることとされているが、 介護報酬、 特に保険単価が上限という形で低く設定されると、 民間業者がこの市場に参入することができなくなる。 公的や準公的な機関がこうした単価でやっていけるのは、 コストが低いからではなく、 施設費や人件費などで別途補助金をもらい続けるからである。 こうなると、 こうした在来型の主体は十分な需要がある反面、 競争メカニズムにさらされないので、 生産性上昇への誘因が働かない。 一方経済全体でみると、 効率の良い民間企業の参入が阻まれているので、 かえってコストが高くつく。 また慢性的な供給不足が発生し、 サービスの給付を受けられるかどうかは結局は自治体の担当官の裁量などで決まることになりかねない。 こうなると現在の措置制度と実態はほとんど変わらない。 保険料の負担が増えただけ、 ということになりかねない。

(2) 高目の保険単価設定と自由価格の容認
  こうした状況を防止し、 公的介護保険を十全に機能させるためには保険上のサービス単価を十分高目に設定する一方、 自治体などから社会福祉協会など在来型の供給主体に流れている補助金を打ち切り、 これを介護保険の財源に回すことによって民間の潜在的な供給主体と間に真のイコール・フッテングを確立することが肝要である。 保険単価が仮に高すぎても、 保険給付は実際の価格の9割までというルールにしておけば、 民間企業が競争的に参入してくることによって、 価格競争が発生し、 適切なレベルまでサービス価格が低下していくので、 弊害は少ない。 厚生省の方針は保険単価より高い価格設定は認めないということのようであるが、 保険単価が民間企業の参入可能価格以下に設定された場合、 この方針の弊害は大きい。 民間企業のサービスの購入には保険が全く使えなくなるからである。 そもそも、 適切な価格水準は競争メカニズムの下で技術革新を伴いつつ変化していくものである。 当局の算定能力に限度があることをあらかじめ念頭において、 高すぎた場合、 低すぎた場合の弊害が少ないような制度運営を心がけるべきであろう。

(3) 国家の大計
  世界の先頭をきる形で超高齢社会に入っていく日本の大きな試みが、 期待された効果を上げ、 日本経済の再生に寄与し、 また諸外国にとってのお手本となっていくことを期待したいが、 そのためには、 介護保険下のサービスの需給メカニズムに対する冷静な洞察と適切な処方箋が必要である。 従来型の供給主体の既得権に配慮するあまり国家の大計を失ってはならない。


■大守 隆 (おおもり・たかし)
  昭和26年3月18日,横浜市生まれ、 東京大学工学部都市工学科卒業。 英国オックスフォ−ド大学経済学博士 (D. PHIL)。
  経済企画庁に入庁後、 OECD日本政府代表部 (在パリ) 一等書記官、 日本経済研究センタ−主任研究員 (短期経済予測担当)、 経済企画庁調整局国際経済第二課長、 同総合計画局計画官 (計量分析一般担当)、 大阪大学経済学部教授などを経て、 平成10年7月より経済企画庁調査局内国調査第一課長。
  著書に本文中の 「介護の経済学」 (1998年、 東洋経済新報社)、 日本経済読本 (共著) 他。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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