7 政治

実効ある安全保証体制とは何か


佐道明広
(政策研究大学院大学助教授)


《はじめに》
  最近、 日本の安全保障に関する議論がさかんに行われるようになった。 それは、 1994年の北朝鮮をめぐる朝鮮半島危機や中国のミサイル発射訓練による台湾海峡危機、 1995年秋の沖縄における大変不幸な出来事に端を発した日米安保問い直し、 さらに日米共同宣言と新ガイドラインの策定といった、 日本の内外にわたって生じた出来事に起因している。 特に昨98年は春にインド・パキスタンの核実験が行われてアジア地域が潜在的に抱える地域不安定性を顕在化させ、 夏には北朝鮮がテポドン1号と思われるミサイルの発射実験を行い、 日本の安全保障自体に対する脅威感を国民の間に巻き起こした。
  現在、 新ガイドラインにともなう法律案が国会を通過し、 その一方で、 これまでまともに議論されなかった偵察衛星購入が検討され、 TMDという地域ミサイル防衛構想についての研究も決まった。 つい十年ほど前まで、 安全保障について正面から議論することがなかなか出来にくい雰囲気であったことから考えると、 現在のように議論が行われること自体、 大変結構なことである。
  新ガイドライン策定を再度軍事国家体制に進む一里塚ととらえ、 現在の動きに批判的な意見もある。 しかし、 現在行われている議論の内容をよく見てみると、 21世紀における日本の安全保障体制を構築するためには重要な課題が末だ残されていることに気づく。 それは、 安全保障の根幹となる防衛力について、 真に突き詰めた議論がなされていないという点である。 小論は、 この点について問題を指摘するためのささやかな試みである。
  さて、 本論に入る前に、 安全保障と防衛力という問題について若干述べておきたい。
  安全保障とは、 本来総合的な概念である。 したがって経済安全保障や食糧安全保障、エネルギー安全保障という言葉が時として聞かれるように、 外交やあらゆる方策によって国家の安全と平和を維持することである。 それに対してここで筆者が言う防衛力とは、 直接あるいは間接侵略に対抗するための力、 すなわち軍事力のことである。 どのような方策で国の安全を維持するか、 その際、 軍事力にはどの程度の重要性を持たせるかは、 それぞれの国の国情によって様々である。 しかし、 軍事力とはその国の安全を確保するための最終手段であり、 それを抜きにして安全保障を考えている国は、 まずないと言ってよい。 日本にも最終的防衛手段としての自衛隊があり、 すでに40年以上の歴史を有し、 装備も最新鋭のものを備えていると言われる。
  問題は、 どの国でも、 軍隊を持つ以上、 どのようにそれを使うか、 自国にとって最良の軍備・軍隊とは何かが検討されているが、 自衛隊は、 その不幸な誕生の仕方から、 どのように使うか、 どのような姿が日本にとって最良かということについての議論が、 なおざりにされてきたということである。 シビリアン・コントロールということがよく言われるが、 日本の場合それは、 「いかに自衛隊を使わないか」 というためのコントロールであった。 いかなる組織も、 それが求められている役割を果たせなければ意味がない。 自衛隊は、 莫大な国費を使い、 国民の安全に責任をもつ組織である。 それが、 日本の防衛という点から見て、 果たして有効な存在であるかと言えば、 残念ながら、 多くの問題を抱えていると言わざるを得ないのである。 そこで小論は、 まず自衛隊が抱える問題を歴史的視点で検討し、 どうすれば有効な防衛体制が築けるか、 そのためには何を考えておくべきかについて述べてみたい。

《防衛力整備の歴史》
  よく知られているように、 自衛隊は朝鮮戦争勃発によって、 当時日本に駐留していた米軍が朝鮮に出兵したため、 その穴を埋めるために誕生した。 以来40数年、 生みの親である吉田首相から 「日陰者」 と言われた陸海空自衛隊は、 24万人の人員と5兆円近い予算を有する巨大な組織に成長した。 その歴史は決して単純なものではないが、 自衛隊が抱える問題も、 その歴史の中に根を持っている。 小論ではそのすべてに触れる余裕はないが、 特に重要な有事法制問題シビリアンコントロールの問題自衛隊という組織自体の問題について順に述べてみたい。
  まず、 有事法制の問題である。 これはジャーナリズムでも取り上げることが多く、 有事法制は是か非かという形で、 意見がはっきり分かれる傾向がある。 そもそも有事法制問題とは何か。 簡単に言えば、 有事の際、 自衛隊が防衛行動を行いやすくするための法整備をするということである。 有事法制ができると、 大幅に私権が制限される、 また戦前の国防国家体制に逆戻りするというのが、 反対論の主たる論点である。 しかし、 有事法制がきちんとなされていないと、 厳密に現行法に従えば、出動した自衛隊は道路交通法によって信号で停止したり、 陣地を作ろうと思っても、 地権者と売買契約交渉から始めねばならない。 緊急事態にとても対応できないのが現状の法制なのである。 有事法制が整備されなければ、 自衛隊はうまく活動できず、 手足を縛られたまま戦うようなことになる。 少なくとも欧米では、 日本のような有事法制をめぐる議論はないと言ってよいであろう。
  では、 なぜこの問題がここまで紛糾しているのか。 それは、 戦争放棄・戦力不保持を謳う現行憲法のもとで、 自衛隊がなし崩し的に設立・拡大されてきたために他ならない。 当初、 政府は、 自衛隊を憲法でいうところの戦力にはあたらない、 従って軍隊ではないと、 長く説明してきた。 その名残は自衛隊の装備や編制の名称にも見られ、 歩兵でなく普通科、 砲兵でなく特科と言い換えるなど、 軍隊的な色合いをなるべく薄めるべく努力がなされてきた。 それは、 戦後の平和主義の中で、 軍事的な問題を述べるだけで右翼というレッテルを貼られ、 政治家は票を失う可能性があったからである。 驚くべきことに、 1953年の世論調査では、 「平和のため、 悪い国をやっつけるため」 にはしかたがないという条件付戦争肯定が七割を超えていたのに、 十五年後の1967年には七割以上の人が戦争絶対否定となっている。 そのような風潮の中で、 政治家は軍事問題に関わるのを極力避けてきたのである。
  この問題は、 来栖弘臣統幕議長が、 現行法制では有事の際、 超法規的に行動せざるを得ないと発言し、 当時の金丸信防衛庁長官から解任された事件 (1978年) から急速にクローズアップされた。 しかしその後、 81年に有事法制研究に関する中間報告が出たりしたが、 法制化を巡ってまだまだ政治の歩みは慎重で、 遅々として進んでいない。
  さて、 来栖事件はシビリアンコントロールという、 もう一つ別の問題を孕んでいる。 戦前軍部の独走により戦争に至ったという経験から、 自衛隊ではアメリカ型のシビリアンコントロールが導入され、 軍はきわめて厳しく政治の統制下に置かれることとなった。 来栖統幕議長の発言は、 防衛庁幹部の許可もなく連続して行われたため、 シビリアンコントロールの名のもと解任となったわけだが、 手続きその他来栖議長に全くの非なしとはしないが、 本来政治が行うべきことが長年にわたってなされなかったための発言とみたほうがよいのではないか。 先に述べたような平和主義的環境の中で、 政治家が軍事に関する問題を先送りにしてきたため、 当事者たる自衛隊の方から声を挙げたということである。
  いずれにしても、 現在日本で行われているシビリアンコントロールというのは、 内局という防衛庁の官僚組織が自衛隊を統制下におくということに他ならない。 すなわち軍事に関しては専門家ではない内局の官僚が、 主に予算や官僚制の組織論的観点から自衛隊をコントロールしている状態なのである。 本来シビリアンコントロールとは、 軍事行動の開始・終了にあたって、 最高司令官たる政治家が決定を下し、 その決定に基づいて軍事専門家が行動するというものである。 では政治家はというと日本の場合、 来栖事件以来、 統幕議長の首を切ることがシビリアンコントロールのように思っているのではないかと、 つい疑ってしまうのは筆者だけであろうか。
  シビリアンコントロールについてもう一つ述べておきたいのは、 有事の際の行動計画の問題である。 1965年、 社会党の岡田議員によって、 自衛隊が 「三矢研究」 という有事計画を検討していることが国会で明らかにされ、 その内容を知らなかった佐藤総理が、 シビリアンコントロールに反するとして一時憤慨するということがあった。 しかし自衛隊とはそもそも有事に対応するための組織であるから、 有事にどう行動するかを研究することは、 しごく当然のことであろう。 幸い、 最近は自衛隊が有事研究をするからと言って批判されるようなことは少なくなったが、 それにしても当たり前のことができるようになるのに、 ずいぶんと時間がかかったものである。
  さて、 次は自衛隊という組織自体の問題である。 それは、 陸海空三自衛隊の統合的運用が非常に難しいということである。 実は、 陸海空三自衛隊がそれぞれ別個の創設ストーリーを持つということから考えると、 それもあながち不思議なことではない。 陸上自衛隊は朝鮮戦争の勃発にともない、 米国のイニシアチブによって誕生した。 旧軍関係者は創設に関与した者もいるが、 基本的には旧軍の影響力は極力排除されて成立した (警察予備隊)。 海上自衛隊は、 旧帝国海軍関係者が、 海軍復活という強い希望のもとに奔走し、 最初は海上保安庁の一組織として誕生した (海上警備隊)。 そして警察予備隊と海上警備隊が合体して保安庁が成立する。 誕生の経緯も、 組織の原理も、 組織を動かす人の考え方も異なる二つの組織がただ合体しただけのものであった。 これにさらに航空自衛隊を創設し、 それをあわせて現在の自衛隊が出来あがった。 各国とも、 三軍の有機的統合は悩みのタネではあるが、 日本の自衛隊の場合、 誕生のいきさつからして各自衛隊が独自に行動する傾向に陥りやすく、 しかも国家的な防衛戦略が明確にされることなく組織の拡大だけが進み、 さらに政治の防衛政策を軽視する傾向は、 それを助長することはあっても、 決して是正する方向には働かなかったということであろう。
  そこで次に、 これまで述べたことを踏まえて、 現在の防衛体制上の問題点について述べてみたい。

《日本の防衛体制上の問題点とは》
統合指揮権の問題
  戦うための組織として自衛隊が抱えている重要な問題の一つは、 有事に誰が指揮をとるか明確でないことである。 自衛隊法によれば、 侵略などの緊急事態のとき、 内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命じ、 防衛庁長官が各自衛隊に命令を下すことになっている。 しかし、 文官である防衛庁長官が直接軍事組織を指揮できるとは考えられない。 たとえば米国では、 最高指揮官たる大統領の決断を受けて、 国防長官が命令を下し、 制服組のトップである統合参謀本部議長が実際に軍を指揮できるような仕組みになっている。 日本の場合、 米国の統合参謀本部議長にあたる存在として、 統合幕僚会議議長 (以下、 統幕議長) がいるが、 これは長官をあくまで補佐する役割であって、 指揮権はない。 それどころか、 現状では陸海空三自衛隊間の調整役すら困難である。 統幕議長の役割は、 あくまで統合幕僚会議のまとめ役でしかないのである。 現行の法制下では、 おそらく内局防衛局と各自衛隊の幕僚監部が作成した命令書に防衛庁長官が許可を与え、 それがたとえば陸上自衛隊であれば直接、 各方面隊を指揮する方面総監に命令として出されることになる。 すなわち、 文官である防衛庁長官が、 実戦部隊の長である方面総監を直接指揮することになってしまうのである。 現実の緊急事態において、 そのようなことが可能とはとても思えない。 現在、 統幕議長の権限等の見直しが進められ、 改善の方向にはあるが、 これもその他の問題と同じく、 なかなかうまく進んでいるとは言い難い状況である。
  それでは、 統幕議長が三自衛隊の指揮権を持てばよいのかというと、 ことはそう単純ではない。 たとえば、 現在陸自は5個方面軍、 海自は6個警備区、 空自は4個方面隊と、 日本全体をどのように守備するかの基本となる地域区分すら一致していない。 地域担当部隊は現在改変が検討され、 地域区分も三自衛隊で統一したほうが望ましいけれども、 各自衛隊それそれの特性や戦力に応じて地域区分等が決められている面もあり、 統一は一朝一夕にはいかないようである。 問題は、 地域区分すら異なるわけであるから、 それらが有機的に活動するには、 統合軍的な運用が必要であるにもかかわらず、 総合的に指揮する統合本部は存在しないのである。 現状では、 各自衛隊がバラバラに行動することになりかねない。 実際、 各自衛隊の行動の基礎となる防衛行動に関する計画すら、 相互に調整が行われているとは思えないのである。
  各国の軍は、 全体的な防衛戦略の下、 事前に防衛計画を策定し、 それに基づいて軍事力を整備していく。 しかし、 陸海空三自衛隊の装備状況を見ると、 相互の調整はあるにしても、 三軍が独自に防衛計画を立て、 整備計画を実施しているように思える。 確かに、 「国防の基本方針」 から始まり、 「防衛計画の大綱」 といった文書があり、 それは日本の防衛方針を述べてはいるが、 いずれも現在の国際情勢に見合った防衛力を整備するという、 抽象度の高い文言に終始しており、 具体的にどのような脅威が想定され、 それに対してどのように対処するのかといったことについては曖昧なままである。 そこで各自衛隊が独自に防衛計画を立案するということになる。
  以上のような防衛計画上の問題は、 日本の防衛を考えるとき最も重要な要素となる日米協力のありかたについても課題を残している。
日米協力の問題
  東アジアの状況を考えると、 米軍のプレゼンスはきわめて重要で、 その米軍に協力することは日本の安全保障上も望ましいことである。 しかし、 日米同盟関係といっても、 国際関係は絶対不変のものではない。 体系的な防衛力整備には時間がかかるものである。 そして現在の状況を見ていると、 日本がきちんとした防衛構想を持っていないために、 日米協力の側面のみが強調され、 なし崩し的に米軍の補完的組織化が行われているのではないかと思われる。
  たとえば、 米軍との協力体制が進んでいる海上自衛隊の場合、 その装備内容を見てみると、 長大な海岸線を警備・防衛するのに必要な小艦艇より、 米第七艦隊を補助するために、 対潜、 対空能力を中心に部隊が構成されている。 あたかも米海軍の一部のようだ、 と言ったら言いすぎだろうか。
  ただし、 繰り返しになるが、 日米防衛協力は現時点では大変重要で、 ガイドラインの法制化が終了しても、 それで十分とは言えない。 78年に旧ガイドラインが策定されて約20年、 しておくべきことを何もしておかなかったツケが今回ってきているのであって、 ガイドライン法制化およびそれに伴う種々の日米協力は進めていってしかるべきである。 筆者がここで述べているのは、 日本の防衛構想の中において米国に頼る割合がいつの間にか高まり、 自衛隊は何をするのか、 米軍に依存した補助軍的存在として活動することになるのか、 ということである。
  たとえば、 昭和52年の前大綱では 「限定的かつ小規模な侵略については、 原則として独力で排除することとし、 ……独力での排除が困難な場合にも、 あらゆる方法による強じんな抵抗を継続し、 米国からの協力をまってこれを排除する」 (下線引用者) となっていたのが、 新大綱では下線部にあたる表現が削られ、 「米国との適切な協力の下、 防衛力の総合的・有機的な運用を図ることによって、 極力早期にこれを撃退することとする」 となっているように、 米軍に頼ることが前面に出てきている。 一国のみで防衛が出来ないのが現状であるから、 米国の協力を仰ぐのは妥当な戦略であるが、 先に述べたように、 国際関係は絶対不変ではなく、 防衛体制整備には時間がかかるということを考えた場合、 まるで自衛隊が米軍の一部、 構成要素的存在になっていくとしたら、 それは如何なものか。 むしろ、 ガイドライン法制化問題を契機として、 米軍への協力と日本の安全保障体制の関係そのものを一度検討してみるべきではなかろうか。
  さて、 では次に、 日本の防衛戦略を考えるとき、 どのような点を考慮すべきかについてみてみよう。

《効果的な防衛体制構築のための課題とは》
21世紀の脅威の再検討
  早急に専門家 (自衛隊・防衛庁関係者、 防衛・軍事問題に詳しい有識者) を中心とした政府直属の研究会を設置し、 21世紀に想定される脅威と軍事力のあり方について検討する必要がある。 そして上記研究会の検討経過については可能な限り公開し、 結論はなるべく早く法案化し、 国会審議にかけて実行することが望ましい。
  筆者は21世紀初頭において、 日本に対する大規模武力侵攻は可能性がかなり低く、 逆にテロ (それにはミサイル攻撃、 BC兵器による攻撃、 情報通信撹乱などさまざまな形態がある) の可能性は否定できないと考えている。 日本のような高度にネットワーク化された情報化社会においては、 たとえ小規模なテロであっても、 それに対する抵抗力は低く、 被害はかなりのものになる恐れがある。
ダメージ・コントロール力の強化
  重要なのは、 日本の場合、 拒否力だけでなく、 ダメージコントロールである。 そのためには、 予備自衛官制度をもっと活用すべきである。 現在の 「即応予備自衛官制度」 はその意味で評価できるが、 まだ不充分である。 実際、 現役実戦配備している自衛官が多くはないのだから、 「即応予備自衛官制度」 まで視野に入れて、 危機管理体制を再検討すべきである。 その意味では、 人数的にもまだ少ないし、 危急の場合に実戦部隊に配備して実戦参加を期待する者、 後方にあって実戦部隊を支えるとともに市民の避難・誘導・護衛、 緊急物資の配給などライフラインの確保にあたる者を確保し訓練しておくべきである。 普段は市民として活動しているそれら予備自衛官が、 市民とも協力して各種危機の際における避難訓練等を実施していけば (たとえば地震や台風などの災害に対する避難訓練等も含む)、 市民の間にも自衛隊との一体感が生じる契機となってこよう。 日本がテロなどに対する脆弱性が非常に高いことを考えると、 なるべく早く実施していくことが必要と考えられるし、 それをなすのは政治の断固とした意思であろう。
効果的な資源配置の問題
  これまで述べてきたように、 現在の日本には明確な防衛戦略がみられないため、 各自衛隊が独自に防衛計画を立て、 それぞれバラバラに配備計画を立案・実施する結果になっている。 陸海空それぞれ最新鋭の武器を装備しているが、 その内容にまで踏み込んでみると、 はたしてそれらはすべて必要なのだろうか、 また装備のバランスはこれでよいのかという疑問が浮かんでならない。 いたずらに最新鋭の装備を求めて、 無駄かつ非効率な装備購入が行われているように思えるのである。
  たとえば、 日本のような狭い国土に、 移動が不自由な重戦車が (陸上自衛隊の主力戦車・90式は重さ50トン、 北海道か富士の平原以外に活動場所はないのではないか) はたしてどの程度必要なのか。 TMDを考慮したらイージス艦は必要だとしても、 米海軍のミニチュアのような構成は必要なのか、 沿岸警備等も考慮した警備艦も重視すべきではないのか。 PKOや在外邦人の保護等の業務に対応するために航空輸送能力を増やした方がよいのではないか、 等々問題点がいくつもあがってくる。 想定される21世紀の脅威に対抗するため、 優先順位をつけて配備を進めるべきである。

《結び》
   「大きな政府」 か 「小さな政府」 かという議論がある。 政府の役割をいったいどの程度まで考えるかということだが、 どんな議論においても政府の役割として省けないのが、 国内における治安維持、 対外関係における安全保障ということである。 つまり、 安全保障とは国の役割の根幹をなすものであり、 もっとも基本的な仕事なのである。 そして防衛力というのは安全保障の中核である。 政治家たるもの安全保障について考えておくのは常識であって、 防衛問題になるべく触れないというのは、 戦後日本に特殊な状況であったといってよいであろう。
  よく言われることであるが、 戦後日本は日米安保の傘のもと、 安全を脅かされることなく経済活動に専念できた。 国内の平和主義だけでなく、 軍事にそれほど考慮を払わずとも生きていけたという幸運な環境が、 現在の日本の防衛体制を作った一つの要因である。 仮想敵はソ連であり、 米国の戦略の一環となることで安全を確保するのが懸命な選択であった冷戦と言う時代の産物ということでもある。
  しかし、 冷戦は終了し、 日本をとりまく国際環境は大きく変化した。 そして、 残念ながら東アジアは世界でも最も不安定な地域のひとつである。 安全保障、 防衛は誰のためでもない、 国民のためのものである。 議論にタブーがなくなりつつある今こそ、 冷静に、 具体的に防衛問題を議論する時であると言えるだろう。


■佐道 明広 (さどう・あきひろ)
  1958年福岡県生まれ。 1986年東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了。 1989年同博士課程単位取得修了、 都市出版株式会社入社。 1992年外交フォーラム編集室次長 (副編集長) 兼書籍編集部次長。 1996年取締役常務、 外交フォーラム編集総務 (編集長代理) 兼出版部長。 1998年政策研究大学院大学助教授就任、 現在に至る。 著書、 論文に 『近代日本研究20 宮中・皇室と政治』 (共著、 1998年、 山川出版社)、 「戦後日本安全保障研究の諸問題――政軍関係の視点から」 (1995年、 都立大学法学会雑誌) などがある。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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