7 政治

「民主」と「自由」
 ――二つの原理の再編成


川出良枝
(東京都立大学法学部助教授)


1  「自由」 か、 「民主」 か
  1998年の参議院選挙の直前に、 橋本龍太郎前首相夫人が気の利いたコメントを残したと言われている。 「自由党に民主なし、 民主党に自由なし」 というのがそれである。 言外に、 夫が総裁を務める自由民主党は 「自由」 と 「民主」 の両方を備えたバランスの良い政党だという自負がこめられているのであろう。 朝日新聞の 「素粒子」 欄はこれを受けて、 自由民主党には 「自由」 も 「民主」 もないのではないかと揶揄していた。
  これらの発言をみて、 なるほどと思った。 だが、 それは個々の政党に対するそれぞれの指摘に納得がいく、 という意味でではない。 「自由 (主義)」 と 「民主 (主義)」 とが必ずしも常に一致するものではないという認識が、 20世紀末の日本人に、 一応は共有されていることが分かったという意味で、 なるほどと思ったのである。
  もっとも、 この短いやりとりの中から、 「自由」 や 「民主」 という語で表される意味内容が、 随分と曖昧模糊としているということも、 同時に分かってしまう。 実際、 ここで言われたことを、 実際の政党の政策方針や党運営と関係づけて議論しようとすると、 たちまち混乱する。 言葉遊びに近い寸評に、 目くじらを立てるのは野暮であるから、 簡単に整理すれば、 少なくとも首相夫人が言わんとしたことは、 旧社会党・市民運動出身議員のいる民主党は社会民主主義的政党で、 自由党は弱者切り捨て、 自由競争至上主義の政党だという程度のことであろう。
  もちろん、 自由主義とは何か、 民主主義とは何か、 といった原理的な問題に、 唯一絶対の定義が可能だと言うつもりはない。 自由主義にも民主主義にも歴史的にみて様々なヴァージョンがあり、 比較的厳密な言葉の使い方を心がける者なら、 何らかの限定なしには決して使わない言葉である。 そういった用心深さの一つの例に、 「自由民主主義 (リベラル・デモクラシー)」 という概念がある。
  この語は、 いわゆる 「西側」 の、 とりわけアメリカをモデルとする政治制度を指す用語として、 頻繁に使われてきた。 というのも、 自由民主主義という観念は、 社会主義と議会制との融和を図ろうとしたヨーロッパの 「社会民主主義」 や、 かつてのソ連・東欧型共産主義国家の主張した 「人民民主主義」 とは一線を画す民主主義なのだ、 という意味を秘めているからである。 要するに、 リベラル・デモクラシーは、 リベラル (自由主義的) な原理と結びついた独特な形態の民主主義であり、 自由主義と民主主義という二つの考え方が合体したものである。 さらに言うなら、 この二つの考え方の混ぜ合わせ方の絶妙さにこそ、 リベラル・デモクラシーの強みがある。
  しかしながら、 自由民主主義という言い方は、 アメリカで好まれるほどには、 日本の論壇で耳にすることは多くない。 自由民主党という政党名も、 日本民主党と (旧) 自由党の保守合同によって成立したという便宜的事情で成立したとみる方が妥当であろう。 そもそも、 日本の戦後においては、 「民主」 ないしは 「民主政治」 が最高の価値を表す言葉であり、 いわば万能のスローガンであった。 戦後の一連の改革は、 「民主化」 の一語で総括され、 アメリカと共同歩調をとろうという保守の一勢力から、 共産主義や社会主義を信奉する者にいたるまで、 「民主」 という表象を競って奪い合ったものである。
  このような事情を端的に示すものとして、 1948年から1949年にかけて文部省が発行した中学・高校向けの社会科教科書 『民主主義』 がある。 この教科書によると、 民主主義は、 「決して単なる政治上の制度ではなく」、 人間生活万般に関わる 「一つの精神」 だということになる。 その中身は、 「人間を尊重する精神」 「自己と同様に他人の自由を重んずる気持ち」 「好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度」 である。 単なる議会制や政党制が制度として整うだけでは不十分であり、 「ほんとうの民主主義」 は、 「人々の心の中」 で作られる、 というのである。
  制度より精神をあまりにも強調しすぎるという問題はあるにせよ、 この叙述が戦後の新体制の依拠するいくつかの原理を、 アトランダムに列挙したと捉えるなら、 その限りでは的確な文章であるとも言える。 しかしながら、 それが 「民主主義」 の語で総括されるとき、 多少の疑問を抱かざるを得ない。 ここで使われる 「民主主義」 は、 果たして本当に民主主義の名に値するものを指し示しているのであろうか。
  繰り返しになるが、 民主主義の正しい定義など、 どこにも存在しない。 存在しない以上、 この教科書が定義するものが 「民主主義」 ではないと決めつけることはできない。 せいぜい控えめに言って、 西洋政治思想史という政治学の一分野で勉強を続けている者にとっては、 違和感のある言葉の使い方であると指摘できる程度のことである。 その違和感がどこに由来するかと言われれば、 答えは単純である。 ここで言われる 「民主主義」 は、 「自由主義」 のことを言ってるにすぎないのではないか。 「人間を尊重」 し、 「自己と同様に他人の自由を重んずる」 のが、 なぜ 「自由主義」 ではなく、 ことさらに 「民主主義」 だと言われなければならないのか、 という素朴な疑問が沸くのである。 (「好意と友愛と責任感」 に至っては、 政治思想史家はお手上げである)。
  このことを明らかにするためにも、 「自由主義」 と 「民主主義」 の間で、 一度概念の交通整理をする必要がある。 実際、 自由主義と民主主義とは、 かなり異なった 「出自」 をもつ思想なのである。

2  「民主」 の原理とは
  民主主義、 ないし民主政治・民主制と訳されるdemocracyの歴史は古い。 何しろ、 語源からして古代のギリシア語である。 アテナイを典型として、 古代ギリシアのポリスで実際に行われていた政治の仕組みが、 デモクラティアと呼ばれていたのである。 それは、 良く知られているように、 市民の資格をもつ成人男子が一堂に会し、 直接に政治的意志決定を行うという直接参加の政治であった。 それどころか、 官職についても輪番制で臨むという、 アマチュアリズムの徹底ぶりであった。 この古代型の民主制においては、 まず第一に、 政治という公のことがらに積極的に参加することが誇るべき行為とみなされ、 第二に、 政治参加は平等でなければならないと考えられたということが、 きわめて重要である。 というのも、 政治への参加と平等という、 この二つの条件こそが、 古代のデモクラシーと近代デモクラシーとをつなぐ輪なのである。
  純粋直接参加型の民主制は、 国家の規模が拡大するにつれ、 およそ実現不可能な夢物語として議論の片隅に追いやられる。 だが、 そこに意外な救世主が現れ、 民主制は新たな装いの下に近代ヨーロッパで復活を遂げる。 その救世主とは、 中世に誕生し、 主としてイギリスで発展を遂げた議会制に他ならない。 議会制がなぜエポック・メイキングであったかといえば、 それは、 「代表」 という観念を見事に制度化しているからに他ならない。 全員が一堂に会さずとも、 代表を選出し、 その代表が政治的意思決定を行うのであれば、 それも (間接的にではあれ) 政治に参加していると言えるのではないか。 個々の政策を自ら決めるのではなく、 そういった政策を立案し、 実行する優れた政治的リーダーを選出するという形で政治に参加する。 そうすることで、 国家の規模の問題を解決できるのではないか。 このような発想の転換が行われ、 後に代表制 (議会制) 民主主義と呼ばれる指導者選出型の新しい民主政治の原型が誕生したのである。
  だが、 代表者を通した間接的な参加、 という条件だけでは、 十分にデモクラティックであるとは言えない。 代表制それ自体は、 民主制というよりはむしろ優等者支配を実現するポテンシャルを秘めたものである。 個々人の政治的判断力には優劣があると考える者にとって、 十分な判断力のないものにまで選挙権・被選挙権を与えるのは愚かしいと考えられたのである。 こうした考えを退け、 成年男女の普通選挙制度が多くの国で実現したのは20世紀になってからである。 ここにデモクラシーの第二の条件である 「平等」 の理念が、 遅ればせながら政治の表舞台に復帰する。
  このように、 デモクラシーとは、 政治共同体の意思決定を、 共同体の成員全員の平等な参加によって行おうとする制度であり、 そのような平等な政治参加に意義を見いだそうとする思想だと言える。 ここで政治共同体という、 もってまわった表現を使うのは、 政治統合の単位が、 時代と地域によって、 随分異なるからである。 実際、 それは、 古代ギリシアにおいてはポリス (都市国家) であり、 近代においては、 国民国家である。 規模が国民国家にまで広がるとなかなか現実味がないが、 民主主義とは、 自分がその成員であるところの組織の運営に対し、 メンバー全員が当事者として臨まなければならないという、 そのような考えだと言ってよい。

3  「自由」 の原理とは
  別の見方をするなら、 そもそも既存の民主主義にとって、 画定した範囲、 すなわち 「国境」 をもつ何らかの政治共同体があらかじめ存在していることが、 重要になってくる。 何らかの政治共同体なくしては、 そもそもデモクラシーは成り立ち得ないのである。 実はこのことが、 民主主義を自由主義と異質なものにする。 というのも、 自由主義は、 本質的には、 常に普遍的であることを志向するからである。 (自由主義は、 自ら主張するほど、 「普遍的」 ではないという意見もあるが、 その問題はここでは取り上げない)。 自由主義は、 いついかなる時代や地域においても通用する、 人類に普遍的であるとみなされる共通のルールを問題とする。 こうした共通ルールを、 いわばミニマムな最低限ルールとしてリスト・アップするのが自由主義の出発点であった。 時代的にみるなら、 16世紀から17世紀の西ヨーロッパで成立した考えである。
  こういったルールの具体的な中身は、 憲法上では、 いわゆる自由権と呼ばれるものである。 生命や身体や私的所有の安全の保障、 および思想・信条や表現の自由とされるものがそれである。 こういった諸権利は、 およそ人間であれば、 どんな国家体制・社会慣習下でも絶対に保障されるというのが、 自由主義が第一に掲げる強い要求であった。
  このような自由主義の考え方は、 国家との関係でいかなる意味をもったのか。 実は、 この問題はかなり入り組んでいる。 ヨーロッパでは、 国家への集権化がまず先に進み、 それに対する警戒の念から 「国家からの自由」 という観念が生まれた。 しかし、 私人間の紛争をより良く調停するために、 一元的で合理的な法律を制定し、 法律に実効性を付与する強制力 (警察や官僚組織) を制度として確立する能力をもっていたのは、 当の近代国家に他ならない。 そのため、 自由を唱える者は、 二律背反を抱えることになる。 国家によって自由や安全を保障されながら、 当の国家から自由を侵害される危険に備えなければならない、 という二律背反をである。
  この二律背反は、 20世紀になると、 二つのタイプの自由主義を生み出すことになる。 一方では、 国家によって市民の自由や安全を確保しようという論理が一段と展開し、 国家による積極的な施策によって国民の生活レベルの向上を図ろうという、 福祉国家型の自由主義が成立する。 これに対し、 国家からの自由を重視する思想の流れは、 福祉国家型の自由主義は、 本来の自由主義の精神とは反するものだと主張する。 こうした主張の背後には、 人と人との間に自然に生まれる秩序の中にこそ、 安定したリベラルな原則が息づいているのであって、 国家は潜在的にはそれを攪乱する危険因子であるという考えがある。
   「人と人との間」 というのを 「社会」 と言い換えるなら、 「国家」 より 「社会」 を重視するタイプの自由主義は突き詰めれば、 脱ー国家の思想ともなる。 そこまで極端に行かずとも、 今日、 いわゆる 「小さな国家」 論を説く者は、 自由主義のもつ脱国家的な側面を受け継いでいるわけである。

4  「自由」 と 「民主」
  さて、 今までは、 コントラストをつけるため、 あえて、 「自由」 と 「民主」 を切り離して説明してきたが、 では両者にはなにも共通するものがないのか。 もちろん、 そんなことはない。 とりあえずは国家との共存を選択せざるを得なかった初期の自由主義者にとって、 自由主義と共存可能な政府とは、 まさに、 市民によってコントロールされる政府であった。 政府とは、 個人の権利をより良く保障する存在であり、 その限りにおいて、 個人は政府の命令に服す。 政府がそのような存在であり続けるためには、 絶えず市民がその行動をチェックしていかなければならない。 チェックの方法として有効な制度は何か、 というところまで議論が深まったとき、 「自由」 の原理は 「民主」 の原理に急速に接近する。 代表や選挙や政党といった 「民主」 の側が発展させてきた装置は、 「自由」 の側にとっても、 有効であった。 個々人が選出し、 また、 意に添わなければ落選させることのできる 「代表」 が政府を構成するという仕組みこそ、 リベラルな国家にふさわしいと考えられたのである。 ここに、 「自由」 と 「民主」 の幸福な結婚としての自由民主主義体制が成立した。
  だが、 同じように代表民主制を是としながらも、 「民主」 と 「自由」 の間では、 この制度に対する温度差がある。 「民主」 にとっては、 政治に参加するということは、 それ自体が目的となるような最高の価値である。 他方、 「自由」 にとってそれは、 あくまでも手段である。 民主主義は、 市民が国に対して当事者であることを求めるが、 自由主義にとって、 市民は、 金 (税金) も出すが口 (選挙) も出す、 政府という名の権力の信託機関の顧客のようなものである。 極端な自由主義者は、 自分たちが求めるような、 個人の自由が確実に保障されるシステムが確立してさえいれば、 政治に参加する・しないは、 それこそ個々人の勝手であるとみなすであろう。 それどころか、 このシステムの下で不満を抱えている者にも平等な投票権が付与されることに脅威を覚えるかもしれない。 逆に、 もしも、 「民主」 の原理をきわめて形式的に解釈する民主主義者がいれば、 多数決ないしは全員一致で個人の自由や権利を蹂躙する法律を制定することも可能であると言い張るかもしれない。
  こうした 「民主」 なき 「自由」 や、 「自由」 なき 「民主」 というヴィジョンを実行に移した体制も過去にはあったが、 大半は失敗に終わっている。 いまさら、 「自由」 と 「民主」 の離婚を望む者がいるとは考えづらい。 だが、 「自由」 と 「民主」 という系列の異なる二つの原理が、 放っておいても自然に調和すると考えるのは、 それはそれであまりにもナイーブであることは確かである。

5 あらためて、 「自由」 か、 「民主」 か
  戦後の日本が、 「民主」 を万能のスローガンとしてきたということは、 「自由」 と 「民主」 の二つの原理のそれぞれの理解に、 微妙な影を落としてきた。
  分かりやすいのは、 「自由」 の方であろう。 自由主義ないしはリベラリズムという語は、 日本では、 長期にわたって名のりづらい名称であった。 それは、 ある場合には、 復古的ではないが反共の色彩の濃いある種の保守派の思想を差し示す語であった。 また、 ある場合には、 集団主義的傾向の強い日本の伝統的価値観とは相容れない、 近代西洋の生み出したエゴイズムの美名とも受け取られてきた。 自由主義に肩入れする者たちがこういった状況でより多くの人々の共感と賛同を得ようとするなら、 「民主」 というより安全な庇の下に、 自らの居場所を確保せざるを得なかった。
  だが、 こういった事情は、 90年代以降、 遅ればせながら日本でも新保守主義 (ないしは、 リバタリアニズム) と呼ばれる思想が台頭したことにより、 大きく変化した。 今では、 反官僚・反規制・反中央集権・自己責任・自由競争・民間ネットワークといった、 (脱国家型の) 自由主義の主張が、 国民の間でリアリティをもって受け入れられるようになった。 市場や情報ネットワークの 「国際化」 の進展が、 この脱国家的傾向に拍車をかける。 国家に縛られず、 また国家を頼らず、 創意工夫をもって地球規模の競争社会を生き抜く強い個人が、 未来の人物像として好意的に描かれる。 自由党を筆頭に、 この種の利害関心を支持層として取り込もうという政党も登場した。 「自由」 の側に属する考え方を信じる者が、 かつてないほど鼻息が荒く、 元気が良いことは否めない。
  では、 「民主」 の方はどうか。 一見すると、 スローガンとしての民主政治という言葉が華やかに論じられているので、 民主主義の原理は安泰であるかのようである。 だが、 それは内実を伴っているのだろうか。 拡大解釈された観念は、 いつのまにか空洞化するものである。 先にあげた教科書にもみられるように、 民主政治として議論されるものの多くが自由主義的な観念であるとき、 民主主義の原理は、 脇に押しやられるとまで言わなくとも、 かぎりなく曖昧になってしまう。 「民主」 がスローガンとなるという状況は、 むしろ、 「自由」 以上に 「民主」 にとって、 不幸なものであったのかもしれない。
  とりわけ問題となるのは、 民主政治と言われながらも、 日本の有権者に、 政治に対する当事者意識が薄いということであろう。 政府を支持する側も、 批判する側も、 政府の行動が、 議会を媒介にし、 究極的には有権者一人一人の意思に由来するという意識が欠落しがちである。 与党を支持し続ける者は、 いくばくかの不満をもちつつも、 「お上」 に任せておけば良いという形での全権委任の感覚から抜け出せない。 野党支持者の間には、 実行可能な具体的な代案を出すこともなく、 ただ国家権力のやることだから、 一応は批判しておいた方が安全だ、 という傍観者的な姿勢が、 どうしても目につくのである。
  もちろん、 このことは、 有権者の意識の問題だけに帰することはできない。 本来主役となるべき議会の政策立案能力が十分ではない、 議員のリクルートの回路がきわめていびつである、 国政レベルでの政治リーダーの選出に対して国民が関与する度合いが低い、 政権交代の可能な政党システムがなかなか定着しない等々、 制度的な問題が大きいことは、 近年様々に論じられるようになってきた。
  そのような中で一部では、 直接民主主義的な制度の拡大や、 それと連動する大胆な地方分権の推進など、 既存の議会制民主主義のより抜本的な体制変革を求める声すら聞こえる。 もはや、 国民国家を単位とした議会制民主主義では、 デモクラシーの本質である政治参加という理念を実現することはできないというのがその考えの骨子である。 ここまでラディカルな改革に突き進むべきかどうかはともかくとして、 少なくとも、 中央・地方を問わず、 議会の制度改革や議員の資質向上のための地道な努力が、 日本政治の語の正確な意味での 「民主化」 に即効性のある方策となり得るということは、 強調するに値する。
  次の世紀に向けて、 自由主義は、 脱国家的傾向をますます強めていくであろう。 そのとき、 「民主」 の原理は今まで自らの基盤としてきた 「国家」 という単位そのものの動揺に直面し、 危機の度合いを深めざるを得ない。 この世界大の構造変化はただでさえ民主主義を支える精神的・制度的基盤のぜい弱な日本にとっては、 いわば泣き面に蜂のような打撃を与えかねないものである。 21世紀に自由民主主義がなおも魅力のある政治体制であり続けるかどうかは、 もっぱら 「民主」 の側の刷新の努力にかかってくるのではないか。


■川出 良枝 (かわで・よしえ)
  1959年生まれ。 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 東京大学大学院法学政治学研究科修了・博士 (法学)。 パリ第七大学留学。 放送大学助教授を経て1997年より現職。
  主な著書として、 『貴族の徳、 商業の精神   モンテスキューと専制批判の系譜』 (渋沢・クローデル賞受賞)、 『近代国家と近代革命の政治思想』 (共著) ほか。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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