7 政治

市民・私民・公民
――「墜落論」から考える――


苅部 直
(東京大学大学院法学政治学研究科助教授)


   「日本は負け、 そして武士道は亡びたが、 堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。 生きよ堕ちよ、 その正当な手順の外に、 真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか」。   坂口安吾 「堕落論」 の著名な一節である。 太平洋戦争終結直後の一九四六 (昭和二一) 年、 雑誌 『新潮』 の四月号に発表されたこの文章は、 当時の日本社会に生きる人々の気分を画然と抉りだし、 鋭い考察を加えたものとして、 大きな反響を呼んだ。 史上未曾有の規模で戦われた総力戦が敗北をもって終わり、 国民生活のすみずみまでを統制し動員の対象とした強権的支配も崩壊した。 焼跡の街頭は、 復員軍人や買出しの行列、 浮浪児や売春婦であふれかえり、 戦時中とはうって変わった解放の気分がみなぎる。 それまでの 「義勇報国」 「一億火の玉」 といった文句に象徴される戦時の精神態度は一挙にして崩れさり、 人々の心理は虚脱状態、 さらには道徳性を一切取り払ったような欲望の赤裸々な噴出へと、 ひたすらに向かっていた。
  安吾は言う。 「戦争は終った。 特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、 [戦歿した 「英霊」 の] 未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。 人間は変りはしない。 ただ人間へ戻ってきたのだ。 人間は堕落する。 義士も聖女も堕落する。 それを防ぐことはできないし、 防ぐことによって人を救うことはできない」。 いつの世にも、 人の心身の根柢には、 こうした 「堕落」 へ向かう性向が黒々と横たわっている。 これに対抗すべく、 道徳の模範や支配機構を創出することを通じ、 秩序を打ち立て、 人と人とを平穏な共生状態につなぎとめようとする試みはみな、 たとえ戦時体制に見られたような強大な強制力を伴うものであっても、 結局は新たな 「堕落」 の出現を防ぎえない。   戦後社会の出発時にあって、 安吾が投げ出したのは、 このようにリアルな視点から、 政治という営みの本質を極限までつきつめた秩序観であった。 ここで、 おたがいをつなぐ一切の紐帯から切り離された赤裸の個人と、 その群れを一つの秩序に統合しようとする政治権力とは、 絶対的に断絶した関係にあり、 両者は永遠に対立し続けることになる。
  そして、 いわゆる戦後民主主義の思想は、 安吾が描いたのと同じ世相を目前にしながら、 むしろその混沌状態を克服する秩序を日本社会に生み出そうとする営みから出発した。 「堕落論」 とほぼ同時に世に出た、 「超国家主義の論理と心理」 (『世界』 五月号) の執筆者である丸山眞男、 そして 「近代的人間類型の創出」 (『大学新聞』 四月十一日号) の大塚久雄が、 周知のようにその代表者である (1) 。 前者は近代日本の国家・社会に浸みとおっていた精神病理を巧みに剔抉して 「国民精神の真の変革」 を提唱し、 後者は 「わが国民衆」 が内面の自律のエートスに根ざした個人に変わらなければ、 日本社会の民主化と経済再建は支えられないと説いた。 ここで二人がともに目ざしたのは、 まず、 イエ・ムラの共同体における一体感のうちに埋没する日本人の精神状態と、 愛郷心・愛国心を媒介としてそれを権威への随順に導いてきた国家・社会のあり方とを打破して、 自分自身の理性に照らしながら物事を判断し行動する自由な個人を生み出すことであった。
  だが他面、 それは同時に、 みずからが国民国家の活動を担う 「国民」 の一員であるという自覚を、 自律する個人を出発点とした新たな形で確立することを意味していた。 丸山はこうした志向を、 すでに戦時中の論文 「福澤に於ける秩序と人間」 (一九四三年) において、 福澤諭吉の思想に関する評言の形で明らかにしている。 「これまで政治的秩序に対して単なる受動的服従以上のことを知らなかった国民大衆に対し、 国家構成員としての主体的能動的地位を自覚せしめ、 それによって、 国家的政治的なるものを外的環境から個人の内面的意識の裡にとり込むという巨大な任務」 (2) 。 丸山や大塚が説いているのは、 同じく従来の共同体秩序から離脱した個人であっても、 「堕落論」 における人間の姿とは大きく異なる。 安吾が、 一切の共同性に吸収しえない剥きだしの個人の独自性に視座をすえて語るのに対し、 丸山や大塚は、 他者と共存するための秩序を築き支えてゆく理性の力を、 初めから共通に内在させたものとして人間を捉えている。 従来の日本のナショナリズムは、 国家権力が一方的に押しつけるお上への忠誠心でしかなかったが、 それを、 個々人がみずからの 「内面的」 な選択意志に基づいて国民国家の秩序を支えるような、 自生的なものへと転換しなくてはならない。 彼らが説いた個人の解放と自律の思想は、 同時に、 ナショナリティの共有を前提として国家の政治に積極的に関わろうとする 「国民」 のモラルなのであった。
  丸山や大塚の発想が、 それ以後、 長らく日本の社会科学や政治評論の主な枠組をなし、 さらには終戦直後から六〇年安保運動に至る勤労者や学生の政治運動を支えたことは、 今さら言うまでもない。 戦後という時代を主導した 「戦後民主主義」 思想と呼ばれるゆえんである。 しかし、 終戦から五十年以上をへた現在で読み返した場合、 日本社会に生きる者にリアリティをもって迫るのは、 丸山・大塚の終戦直後の議論よりも、 むしろ安吾の 「堕落論」 の方ではないかと思われる。 いわゆる政治的無関心層の増大や、 理想論を語る知識人の権威の低下といったことを指してそう言うのではない。 今の日本社会のうちで、 人が抱く秩序イメージとして、 この自分が 「国民」 共同体の一員であり、 政府による権力運用は自分たち 「国民」 の意志によって支えられているという意識は、 各種の調査結果を見ても希薄である。 むしろ、 自分にとってもっとも意味が感じられるのは、 個人としての、 もしくはせいぜい家庭内の私生活であるという声が大勢を占める。 政治権力の活動は、 私生活に介入し脅かすとまではいかずとも、 よそよそしい外的なものと考えられ、 忌避すべきもの、 傍観すべきものと映っているのである。 こうした状態は、 無数の他者とのナショナルな紐帯を内面化して国家の活動を担おうとする 「国民」 の理想像よりも、 共通の秩序を支える制度の網から不断にこぼれ落ちてゆく、 安吾の言う 「人間」 の姿の方に、 どちらかといえば近い。
  この現象は、 巷間よく指摘されるように、 高度経済成長をへての 「豊かな社会」 の到来が、 政治参加の意欲を減退させ、 人々の関心を私生活における安定と享楽へと固定したことに、 多くは起因するだろう。 安吾が世を去った一九五五 (昭和三〇) 年頃にはすでに、 「[『堕落論』 などの文章で安吾が説いた] その理想は民主主義政治のもとで、 すでに大衆によって獲得され、 充足されてしまったのではないか」 と感じられていたと言う (3) 。 経済成長が社会に流通する財貨のパイを拡大してゆく中で、 戦後に成立したデモクラシーの政治制度は、 多様な勢力が交錯する生き生きとした公共活動の舞台というより、 社会に散在する個別の利益要求を吸いあげ、 調整する装置と見なされるようになった。 そして人々は、 拡大するパイの分け前にあずかる享受者として、 自己の利益の維持と拡大に汲々とする。 彼らが活動の領域とし、 また社会関係を一般的に理解するモデルとしても選ぶのは、 地域社会や国家の秩序ではなく、 市場における経済競争である。 身近な生活圏を越えた広い範囲にわたる問題の重要性を説く声や、 福祉事業や環境問題への対処のために相応の負担を覚悟せよといった議論は、 彼らの耳には入らない。 戦後の政治・社会に対する批判者がしばしば口にする、 政治の経済への従属、 市民ならぬ 「私民」 の登場である。
  しかし、 安吾が終戦直後の社会に見た欲望自然主義のさらなる展開、 「私民」 の擡頭という側面でのみ、 現在にまで至る戦後社会の歴史を語るのは、 もちろん適当ではない。 一九七〇年代初頭から、 まず自治体改革運動の形を取って盛んになり、 消費者運動や 「まちづくり」 への住民参加、 さらに、 環境問題や薬害問題をめぐる運動まで、 現在では全国でさまざまな形を取って展開している 「市民運動」 の隆盛にもまた、 他方で注目すべきであろう。 経済成長と都市化を通じて従来の地域秩序が変容し、 住環境や福祉や教育をめぐる新たな問題が噴出しはじめたのを背景にして、 人々が身近な生活における疑問から出発し、 みずから団体を組織して、 積極的に政治・行政の過程に参与してゆく。 この 「市民運動」 の語が多用され始めたのは、 そもそも六〇年安保運動の過程においてであった (4) 。 社会に生活するさまざまな職業の人々が、 政党や労組の大組織に動員されるのでなく、 みずから自発的に秩序を担おうとする姿は、 安保運動を導いた 「戦後民主主義」 の理想、 丸山や大塚が思い描いた 「国民」 のありうべき像に通じる。 七〇年代以降の市民運動の展開は、 こうした理想を、 国家全体をゆるがす非日常的な大衆運動においてでなく、 日常の個々の生活現場において、 小規模である反面、 より具体化された形で実現したものにほかならない。 それはまた、 都市型社会にバラバラに投げ出された個人が、 自己の利益しか顧みない 「私民」 となってしまうことをみずから拒否し、 他者と共同して生きがいを感じられるような、 新たな紐帯を自発的に創り出そうとする動きでもあろう。 ここで人々は、 地域自治組織やヴォランティア活動のネットワークに参加することを通じて、 たがいを公共活動に能動的に加わる 「市民」 として認知する、 ゆるやかなコミュニティを作りあげている。 その生き生きとした紐帯の中で人は、 都市型生活の中で孤立し断片化した自我が、 新しい充実したアイデンティティを獲得したと実感できる。
  では、 人々が 「私民」 としての状態から、 活動する 「市民」 の立場へと飛躍する風潮をおし拡め、 「市民」 の活動によってすべての社会領域を覆うのが、 これからの日本社会の秩序を考えるのに望ましい、 唯一の方向であろうか。 必ずしもそうとは言い切れない。 活発な住民運動が頑固な地域エゴイズムの担い手となったり、 自発的な運動団体が 「運動の論理」 に基づいて内部の少数意見を抑圧もしくは排除したりする可能性をまったく払拭するのは難しい。 また、 市民運動の隆盛は、 個人の利己主義にとどまる 「私民」 のありかたに比べれば、 確かに、 より広い公共の課題へと人の目を向けさせる意義を持つ。 しかし他面で、 それは参加意欲の対象を、 自分の住む地域や、 参加者がたがいを個人として確認できる小さな範囲に限定している。 家族・友人とともに過ごす身近な生活をもっとも大切にする志向が増し、 国家全体のために役に立とうという意欲は減退しているのが、 近年の日本人の意識に如実に見られる傾向である (5) 。 市民運動の盛行は、 こうした身近重視の意識動向に見あい、 またそれを促進している面をも持つのではあるまいか。 さらに、 参加者どうしの顔が見え、 活動の結果が手に取るように判るような範囲での活動へと 「政治参加」 のイメージを限定し、 代議制を視野から排除することで、 人々が一地方・一国の広い領域における政治にかかわるための想像力を、 むしろ貧弱にしているようにも思える。
  他方、 そもそも 「私民」 のエゴイズムの立場は 「市民」 の活動によって取って代わられるべきなのか、 それが果たして可能なのかという点も、 また疑問である。 思想史上、 産業社会の発展にともなって、 個々人の多様な自己利益追求活動と、 それが総体として生み出す市場の調整メカニズムが、 政治権力の作用とは別の次元で秩序を支える原理として、 十八世紀頃の西欧ではすでに無視しえないものになったことは、 よく知られている (6) 。 まして、 人間のすべての活動が商品として売買・消費される対象となる商品化の傾向が、 極限にまで進んだかに見える現代では、 利己的動機をまったく排除 (もしくは 「止揚」) した社会生活など実現不可能であろう。 さらに現在の日本社会では、 世間の 「空気」 が人々に同調を迫り、 個人の自己主張を抑圧する風潮がいまだ根強い。 とりわけ、 強固な企業組織が一国の経済活動の主役となり、 その内では強い共同体的な規制が個人を束縛している現状を無視することはできない。 ここではまだ、 個人が 「私民」 として自分一人の目的とするところを強く主張することも、 多大な意義を持つのである。 市場の威力が従来の社会の紐帯を断ち切りモラルの崩壊を招いたとして、 共同体の復権とその内での公共活動への参加を通じて道徳秩序の再建を目ざすといった類の議論は、 そのままでは今のところ日本社会には適用しがたいと言える (7) 。
  現代社会においては、 人と人との相互活動は高度に多様化している。 個人は家庭・地域・職場といったさまざまな活動領域を渡り歩き、 そのつど異なった原理で規律された関係の中に生きている。 それは別の面から言えば、 人がそれぞれの活動領域で行為するごとに、 対応する異なったペルソナ (仮面=役割=人格) を身につけることであろう。 個人は、 およそ他者とのかかわりの中では、 常に何らかのペルソナを演じながら生きているのであり、 どの仮面が 「あるべき人の姿」 であるかという議論は意味をなさない。 「私民」 と 「市民」 もまた、 人が他者との相互活動にかかわる際の、 関係の形式の違いに対応した別種のペルソナと考えるのが適当であろう。 両者の間の価値の優劣は一定したものではなく、 人は常に、 その場面に応じてどちらかを選択しながら、 他者と関係を取り結ぶ。 そして、 自分一人の利益に固執する 「私民」 の立場はもちろん、 自己実現をめざして顔の見える小さな範囲で活動する 「市民」 の立場もまた、 時にはそれを越える広い視野からするチェックを要することを、 すでに見た。 すると、 「私民」 と 「市民」 に加えて、 さらに第三の立場を想定することが必要となろう。 ここではそれを、 「公民」 と名づけたい。
   「私民」 「市民」 「公民」 の三つの視点は、 家族・友人関係を越える広い範囲の相互活動にかかわる際に身につけるペルソナとして、 たがいに競合し補完しあう位置にある。 どれか一つが常に優越して、 公共生活において本当に望まれる姿勢を示すのと言うのではない。 三つはそれぞれに質の違った秩序原理に沿って行動するものであり、 人は広範囲の他者群との関係に踏み出すそのつど、 どのペルソナを選んで行動するのかを、 自覚の程度の差はあれ、 選択することになる。 「私民」 と 「市民」 については、 先に見た通りである。 そして 「公民」 は、 人間の尊厳と権利をすべての個人に等しく認めようという原理への信頼を共有し、 社会にそれが実現されるべきだと考え行動する立場である (8) 。 そうした普遍的な原理に基づいて、 「私民」 たちがたがいに競い合う市場秩序が過大な不平等を生み出すのを規制しようと試みたり、 「市民」 の活動がグループの (そしてその内の多数派の) 排他的な利益主張に転化するのを規制するのが、 「公民」 の視点である。 もちろん実際上は、 「私民」 「市民」 の活動分野への介入は、 合法的な強制力を伴った形としては、 国家権力 (中央・地方政府の立法・行政・司法活動) によって行われることになろう (9) 。 「公民」 の視点は、 この国家権力が、 普遍的な原理を具体化したルールにのっとって行使されているかどうかを、 選挙や行政監察や司法参加などの制度を通じてチェックする役割を担う。 それは、 「市民」 が公共活動への参与を通じて生き生きとした自己実現を果たすのとは異なって、 国家機構の運動をみずから担うというのではなく、 それを外から制御する一種の点検者のモデルで考えられる。
  おそらく従来の政治参加に関するアカデミズムやジャーナリズムの論議は、 ここに言う枠組にあてはめれば、 「私民」 と 「市民」 の姿のみを念頭において、 一方では 「市民」 モデルで考えられた、 熱気に満ちた政治参加への覚醒を提唱し、 他方ではそのように目覚めない 「私民」 たちを政治的無関心層と貶視するのに終始していたと思われる。 政治参加についてのイメージが、 直接参加を通じての自己実現を果たす 「市民」 のモデルに限定されているがゆえに、 「市民」 による活動の及ばない領域における権力の運用は、 注目すべき魅力を欠くもの、 疎遠なものという印象を生み出してしまう。 いわゆる政治的無関心の社会現象の奥底にもまた、 こうした 「市民」 型の参加への漠然とした期待が裏切られているという意識があるのではなかろうか。 「市民」 として活動することが、 人が公共領域にかかわる唯一の方法だと考えることと、 政治への失望や無関心とは、 裏腹の関係にある。 両者の悪循環の根柢にあるのは、 つまりは公共活動のありかたに関する想像力の貧困である。
  それに対して、 この私民・市民・公民の三類型からなるモデルは、 一方では人間の営む社会活動として、 「私民」 の行動にも独自の意味を認め、 他方では直接参加型の“熱い”公共活動とは異なって、 政治権力に対して距離を保ちながらそれをチェックする 「公民」 の立場を切り出す。 もちろん現実に行動する時の人間の意識を見てみれば、 三つの視点が曖昧に混在しているのが常であろう。 たとえば 「市民運動」 の活動者が地域の要求を掲げて請願運動を行うという場合、 それはみずからの手で地域の声を集約し実行する 「市民」 としての面と、 政治権力が要求を無視するのに対し公平性の観点に基づいて抗議する 「公民」 としての面が、 ともに指摘できるだろう。 両者の違いは、 いかなる秩序原理で結ばれた関係を、 他者との間に築こうとしているかに関するものであって、 行動様式に画然と表れるとは限らない。 しかし、 先に述べたように、 その中に二つの立場の矛盾が孕まれていることも、 無視すべきでは決してない。 そのことを念頭に置いた場合、 三者がたがいに緊張関係にあり、 その中から選択を迫られていると鋭く自覚する態度が、 公共領域への参加に、 おそらく必要となる。 俳優が場面に応じてさまざまな役割を演じる演技の態度に近いものが、 ここでは求められる。 そうした意識作業に根を置くことによって、 人々の参加活動は、 より多様で豊かなものとして実感できるようになるのではないか。
  しかし問題は、 日本社会にすでに行動様式として定着している 「私民」 と 「市民」 としての活動はともかくとして、 「公民」 としての活動に向かうように人を動機づけるのは、 いかにすれば可能なのかという点である (10) 。 終戦直後の 「戦後民主主義」 の言説が暗々裡に前提としていたように、 「国民」 としての一体感に基盤を置くことは、 文化の多様化・国際化が進みつつある現在では、 もはやそれほど期待できない。 また、 何らかの民族的シンボルや歴史の物語や記念行事を共有することで、 「公民」 としての活動の意欲を支える方法も、 歴史教育や国旗・国歌をめぐる施策が、 容易に政治争点と化してしまう日本の現状では、 難しかろう。 そもそも、 統治者と被治者がともに普遍的なルールを共有しているという意識自体、 日本社会には伝統的に乏しいという指摘を考えれば、 権利の保障という課題意識に基づいて政治権力の運用をチェックする 「公民」 として、 日本人が本当に行動できるのかという疑問も生じよう (11) 。
  こうした難問への十全な解答は、 ここでは出せない。 安易な楽観論は禁物である。 視野を世界に広げた場合、 近年の市民運動やNGOの活動には 「人間の尊厳と平等な権利とを認め合った人間関係を創り、 また支えるという行動」 が幅広く見られるという指摘が、 あるいは日本社会でも今後、 本稿で言う 「公民」 にあたる活動様式が広まってゆく可能性を示唆しているかもしれない (12) 。 しかしここで手がかりとして取り上げたいのは、 再び坂口安吾の 「堕落論」 における議論である。 安吾は確かに、 「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。 人間だから堕ちるのであり、 生きているから堕ちるだけだ」 と、 「堕落」 の逃れられない必然性を説いた。 しかしその議論はこう続く。 「だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。 なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。 人間は可憐であり脆弱であり、 それ故愚かなものであるが、 堕ちぬくためには弱すぎる」。 人間は結局、 みずからの 「堕落」 にも耐え抜くことができず、 道徳や政治権力を創り出し、 安定を得ようとする。 だが安吾の議論は、 創出された秩序の下で、 人々が強大な 「お上」 の庇護につき従ったり、 反対に、 権力の運用にみずから積極的にかかわって自己実現の充実感を得たりするような方向へは向かわない。   「堕ちる道を堕ちきることによって、 自分自身を発見し、 救わなければならない。 政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」。 政治権力に対して、 それはあくまでも人間の 「堕落」 の極大化を食い止める必要から生じた装置にすぎないと見なす眼。 そのような距離を置いた観点から、 政治権力の運動がその必要とされる範囲を逸脱していないかどうか点検してゆく。 ここに示されているのは、 人間がみずからその 「堕落」 を見きわめた末に、 そうした意識が生じてくる一縷の可能性にほかならない。 そしてそれはまた、 「私民」 よりもむしろ 「公民」 に真に求められる、 政治に関するリアルな視線のありようを指し示しているのである。

(1) 「堕落論」 と 「超国家主義の論理と心理」 とを、 戦後日本の思想の原点に位置づける発想は、 永井陽之助 「政治的人間」 (一九六八年初出、 『柔構造社会と暴力』 [中央公論社、 一九七一年] 所収) に由来する。
(2) 近年の思想史研究では、 丸山や大塚の思想において 「国民」 意識の確立という課題が戦中・戦後を通じて連続していることに注目して、 戦時の総力戦体制を支えた 「国民」 動員のスローガンが、 「戦後民主主義」 に伏在するナショナリズムに形を変えて残存してしまったと批判する論者が数多い。 丸山や大塚の言説が、 戦時中でも現実の戦争動員を支持するものでは決してなかったにせよ、 「自生的」 なナショナリズムの養成を唱える点に限って見れば、 戦中も戦後初期も一貫しているのは一応事実であろう。 だが、 彼らがとりわけ戦後に、 「国民」 意識はナショナリティの自覚にとどまるものではなく、 同時に人類すべての個人を等しい権利主体として認める普遍主義に支えられなくてはならないと説いた点を見落としては、 (たとえそうした発想にうかがえる 「ヨーロッパ中心主義」 や 「国民国家的限界」 を批判する立場に立つにしても) その思想が同時代の政治・社会に対して持った意義の評価として、 バランスを失うことになる。 石田雄 「丸山眞男と市民社会」 (国民文化会議編 『転換期の焦点5・丸山眞男と市民社会』 [世織書房、 一九九七年] 所収) を参照。
(3) 小川徹 「坂口安吾・その性と変貌」 (一九六七年初出、 『堕落論の発展』 [三一書房、 一九六九年] 所収、 六頁)。 ただし 「堕落論」 の主張に厳密に即して言えば、 安吾が説いているのは、 「人はあらゆる自由を許されたとき、 自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう」 と、 自己の欲望を解き放った瞬間に、 自己の限界と不可解さにも直面してしまう人間の実存の両義的なあり方であり、 自己の利益を明瞭に把えその拡大を目指して行動する、 本稿に言う 「私民」 とは必ずしも重ならない面を持つ。
(4) 久野収 「市民主義の成立」 (一九六〇年初出、 『久野収集』 第二巻 [岩波書店、 一九九八年] 所収、 六五頁)。
(5) NHK放送文化研究所編 『現代日本人の意識構造』 (第四版、 日本放送出版協会、 一九九八年) 一一二、 二〇九頁。
(6) このことは、 周知のように西洋思想史における市民社会 (civil society) の概念の意味転換という大きな問題に関連するが、 本稿では叙述の混乱を避けるため、 そのことには触れない。 本稿で 「市民」 と言っているのは、 あくまでも戦後日本の市民運動が掲げた 「市民」 のイメージに基づいた概念である。
(7) 古谷旬 「日本の市民とアメリカの市民」 (今井弘道編 『「市民」 の時代   法と政治からの接近』 [北海道大学図書刊行会、 一九九八年] 所収) における指摘を参照。
(8) ここで 「公民」 と言っているのは、 漢字 「公」 の持つ公開性・共通性の意味に着目して造語したものであり、 教育基本法第八条における 「公民」 概念や、 『日本書紀』 に見える 「おほみたから」 (天皇の直属民) としての 「公民」 とは、 直接の関係はない。 「公」 「おほやけ」 の概念をめぐる思想史的問題については、 溝口雄三 『中国の公と私』 (研文出版、 一九九五年) を参照。
(9) 井上達夫 「自由の秩序」 (『岩波 新・哲学講義7:自由・権力・ユートピア』 [岩波書店、 一九九八年] 所収) における 「法治国家」 についての議論を参照。 本稿に言う 「私民」 「市民」 「公民」 の三類型は、 井上氏が掲げる市場・共同体・国家の、 それぞれ異なる秩序原理の競合というモデルから着想を得たものである。
(10) この困難は、 欧米の文化伝統の所産としての 「人権」 理念を、 人類の普遍的な規範として掲げて良いのかという疑いにはとどまらない。 そもそも、 森政稔 「現代日本市民社会論   その批判と構想」 (『ライブラリ相関社会科学5:現代日本のパブリック・フィロソフィ』 [新世社、 一九九八年] 所収) が指摘するように、 もし人権尊重の理想に立脚することを受け容れたとしても、 その前提をなしている、 自己と他者との立場が交換できるという主張を、 いかに根拠づけるのかという問題は、 依然として残ってしまうのである。
(11) 村上淳一 『<法>の歴史』 (東京大学出版会、 一九九七年) 第一章。
(12) 坂本義和 『相対化の時代』 (岩波新書、 一九九七年) 四三頁。


■苅部 直 (かるべ・ただし)
  1965年生まれ。 1994年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。 現、 同研究科助教授。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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