7 政治

21世紀に向けた日本政治の課題


飯尾 潤
(政策研究大学院大学助教授)


  21世紀の姿を見通すという課題に、政治学が答えることは難しい。政治は社会の姿を、望ましい形に変えていく営みという側面をもっており、「どうなるのか」という問題は「どうしたいのか」という問題と密接不可分であり、「客観的な道筋」を想定することが難しいからである。だからといって、「どうしたいのか」という問題に一挙に移っても解答は出てこない。抽象的に「どうしたいのか」問うことも、ある意味では千年の課題と一月の課題を混同することにもつながり、とらえどころがなくなってしまうからである。むしろ、われわれは「いま何が問題になっているのか」を問うことで、それを解決する方向性を模索するところから、将来の姿を探るべきであろう。
  世界的に見て、現在最大の問題は、成功を収めてきた「近代政治システム」のほころびが目に付くようになり、何らかの形で修復したり次のシステムを構築する必要がでてきたことである。
  近代の政治システムの根幹をなすのは、主権国家である。このシステムは、すべての政治的問題を国家という機構で集中的に処理しようとするシステムである。そこにおいて国家の枠を超える問題は、すべて国家間関係という意味での国際関係として処理され、国家を超える主体は設定されない。また国家内の問題は、国家による最終決定を前提として階層化して処理される(地方政府は、国家の下位に位置づけられており、国家と対等の政府ではない)。国内では公的部門と私的部門が分割され、私的部門は政治的問題に関して公的部門に対抗することを許されない反面、その範囲内で自治を認められ、行動の自由が保障される仕組みとなっている。こうした仕組みを支えるのが法治主義による法律という形式を通しての規律維持であり、憲法を含む国家レベルの法律が公的部門の行動基準となるとともに、私的部門の行動の範囲を定める。「主権」の具体的な意味は、こうした仕組みを通じての「国家」の例外を認めない優越的地位の維持にある。
  ところがこのシステムが想定しないような事態が頻発し、システム自体が変化してきている。たとえば「ボーダーレス・エコノミー」と呼ばれる現象は、まさに主権国家システムが国の内外を厳格に区別してきた国境(ボーダー) を相対化することによって、このシステムに挑戦している。これをもって「主権国家の崩壊」であると呼ぶのは早とちりであるが、そこまではいかないにしても主権国家体系が揺らいでいることは確かである。また国内において地方分権の動きがでているのは、何でも国家(中央政府) にお伺いを立ててから政策を立てるようなことでは、住民に満足してもらえないという地方における現実がある。そのうえ、企業が経済活動を国家の枠からはみ出す形で展開するのと同じように、様々な組織・団体が従来なら国家の政策によって解決されてきたような問題の処理に当たるようになった。きめ細かなサービスによって国の政策基準を上回るような福祉サービスを提供するNGOが話題になるのは、事態の一端を示すものにすぎない。要するに主権国家体系における、主権の「絶対性」が崩れてきたわけであって、いわば主権国家の「融解」が起こっているということができよう。
  これに関連することであるが、国民国家的統合のフィクション性が露わになるということも同時進行している。国民(nation) は、国家(state) の存在が被治者の同意に基づくことを社会契約論的に正当化するためのフィクション(想像の共同体) であるが、近世から近代にかけてヨーロッパ各国では、言語・歴史・文化・貨幣・度量衡・教育制度などの統一を通して、その実体化につとめ成功を収めた。その結果近代の国家は国民国家として安定を示すことになったのであるが、旧植民地諸国の多くのように国民形成に無理があったり、あるいはソ連のように他民族を統治する帝国型の国家が弱体化したときなどに、国民と国家との結びつきが弱まり、一挙に国家が崩壊する事例も多い。また生活水準の向上とともに、人々の意識が多様化して、国民意識が弛緩するのは先進各国の傾向である。従来は、こうした国民国家弱体化の方向を、やや暴力的に押しとどめようとして一定の成功を収めてきたのものが、先に述べたような主権国家の融解と平行して、国民国家的な統合も弱まっており、政治に関わる共同体の単位に動揺が生じている。
  また民主政治は、現代において圧倒的に支持される政体であるが、自治と統治との本質的矛盾を背景とする「民主主義の終わりなき発展」を目指す論理構造があるために、達成感が低下すると、民主的異議申し立てが噴出するという内在的矛盾を抱えている。そこで先進諸国においても、新たな民主主義的展開を求める声に触発されて、現政権に対する信任が低下するばかりではなく、現存政治制度への信頼感が失われるという危機が定期的に発生する。その中でも政権が政策運営に成功していないと見られる(政権の業績が不十分である) ときには、政権あるいは政治制度の正統性基盤が大きく揺らぐことになる。現在多くの国で行き詰まり感が見られるのも、こうした論理構造を背景にしている。特に民主政治と福祉国家が手を携えて発展すると、成熟期においては、「物取り民主主義」によって国家が無限のサービス提供を求められる事態となり、財政破綻をはじめとする国家の運営危機を招来する現象が広く見られる。こうした様相は、石油危機後の欧米各国に見られたばかりではなく、現在の日本においても深刻な形を取って実現している。
  こうした問題群に照らして、現在の日本政治の問題を考えると、結局のところ二重の課題を抱えていることがわかる。すなわち主権国家システムで解決できる問題であるのに、政治構造としての欠陥から対応ができていない課題と、それを超えて政治システムの新たな動きを作り出して、融解しつつある主権国家を補っていくという課題である。
  この問題は、典型的には、新たな政策課題に対応するために、システム転換を図ろうにも、改革主体が不在であるという形で現れる。例えば、地域のアメニティーを高めるための地方分権という課題があったとしても、地方分権自体は、自然に進行するのではなく、むしろ強力な権力によって、たとえば中央省庁の抵抗を押さえ、中央−地方の関係を再編成するという契機が不可欠である。その意味で、国家としての体裁を整えることなしに、円滑に次のシステムへと移行して行くのは難しいといえよう。つまり改革の方向としては、主権国家システム融解に備えなければならないが、改革の開始は、強力な国家システムがなければできないのである。
  そこで民主政治と意思決定システムの確立という問題が焦点となる。すなわち戦後日本においては、国家と社会の関係が融合的であることも手伝って、意思決定主体としての国家が確立しないという現象がみられた。「省庁連邦国」としての日本というイメージは、この本来的に最高意思決定主体である内閣(憲法上は国会だというが、議院内閣制において、国会の多数派の司令塔である内閣が、その国会の意思決定において決定的な役割を果たすのは当然である) が、大臣順送り人事なども手伝って、省庁による根回し済み案件の追認機関に矮小化されているところを示している。
  こうした状況においては、官僚が国の方向性を示す一方で政治家は細かな政策執行(「箇所付け」への関心) に関わることで満足をするという形で政官関係が倒錯し、「有権者が、政治家を選び、その政治家の代表(大臣) が、官僚を指揮して政策を推進してゆく」という民主政治の原則が崩れてしまう。それを支えるのは自由主義原理と民主主義原理の混同である。つまり三権分立という自由主義原理が、民主主義原理とは緊張関係にあることが忘れられ、戦前において民主勢力の封じ込めの原理である行政権の立法権からの独立(「超然内閣」) を、戦後の議院内閣制にも引き継ぐことによって、選挙によらず民主的基盤のない官僚が、三権分立をたてに行政権を独占する(大臣は官僚の代弁者であるとされてしまう) ことが起こったのである。また国民(people)の方でも、民主政治の主体となる「市民」としての気概を欠くことが多く、受動的に国家サービスを受け取ることで満足し、一方的な要求主体となる(御用聞き政治と物取り民主主義) 国民が再生産され続けた。この国全体のことを考える有力な権力主体がないという状況を反映して、外交・軍事のようなまさに国益が問われる分野においては、日本国家は独自の主体であることを諦め(あるいは諦めさせられ)、覇権国アメリカに、その判断をゆだねる半国家として推移した。ところが、こうした状況では、変革期の意志決定ができないため、内政・外交ともに閉塞感が漂っているのが、世紀末の日本の現状なのである。
  そのうえ、先に述べた主権国家融解による新システムの模索過程が日本においても起こりつつある。この現象は多様な側面があるが、ここでは中央省庁に代表されてきた国家外の主体が政策立案に関わり、また企業やNPOが様々な公共サービスを提供するようになった側面と、国内において中央政府と地方政府との関係が複雑になり始めた側面に目を付けてみた。政治が取り扱う領域はいかにも広く、不確実性も多いが、現在の問題から出発すれば、こうした問題を手がかりにすれば、少なくとも21世紀前半の政治状況は、ぼんやりとではあっても見通せるはずである。


■飯尾 潤(いいお・じゅん)
  政策研究大学院大学助教授。 1962年神戸市生まれ。 東京大学法学部卒業。 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、 博士 (法学)。 埼玉大学大学院政策科学研究科助教授を経て、 1997年10月に新設の政策研究大学院大学に配置換え。 専攻は政治学・現代日本政治論、 政策研究。 著書 『民営化の政治過程』 (東京大学出版会)。 主な共著に 『戦後日本の宰相たち』 (中央公論社) など。 主要論文 「政治的官僚と行政的政治家:現代日本の政官融合体制」 (日本政治学会編 『現代日本政官関係の形成過程』 岩波書店)、 「政策科学と行政改革」 (宮川公男編 『政策科学の新展開』 東洋経済新報社) など。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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