5 医療

新しい作法の確立を


米本昌平
(三菱化学生命科学研究所・科学技術文明研究部長)


1. 計画なき医療政策の成功?
  医療技術の規制政策の国際比較研究を行ってきた者からすると、 日本の医療に対する内外の評価が極端に違うことによく出くわす。 次のようなことがあった。
   92年の米大統領選で勝利を収めたクリントン大統領は、 医療保険改革に着手した。 アメリカは先進国の中では例外的に、 国民全体をカバーする医療保険をもっていない。 高齢者や低所得者に対してはメデイケアとメデイケイドという公的保険があるにはあるが、 医療費支払いの過半は民間保険に委ねられている。 このような保険構造の中で、 医師は当然のこととして全経費を民間医療保険会社に請求してきた。 その結果、 医療費総額は際限なく増大し、 近年はGDP12%を軽く超えるまでになっている。 そこで医療費抑制の目的で、 ヒラリー・クリントン夫人を代表に改革委員会が設置された。 この試みは失敗に終ったが、 医師側が医療費削減問題でテーブルについただけでも成功とみるべき、 アメリカはそういう段階なのである。
   この時、 アメリカはまずカナダの医療保険を参考にしようとしたが、 さらによい例が日本にあることに気づき、 日本の医療政策を再調査することになった。 日本は、 GDP6%台の医療費で世界最長の長寿国を実現させている。 これは外から見れば医療政策の大成功例である。 とくに、 長寿国第2位のアイスランドは人口27万人、 第3位のノルウエーは300万人台でしかない。 1億2000万人の集団が丸ごと最長寿国を実現させているのであり、 これは奇跡に近い。 アメリカの研究者は、 このような成功は強力なリーダーシップの下で基本戦略が練られたはずと考えて来日した。 しかし日本人の口をついて出たのはことごとく、 いかに日本の医療はダメかという言葉ばかりであった。
  途方に暮れるこの研究者に、 私はこう説明した。 日本が最長寿国を実現できたのは、 確かに国民皆保険と、 加えてその食生活や安全な社会のおかげである。 国民皆保険は最終的に1961年に完成した。 医療費は厚生省保険局が定める点数に従って医療者側に支払われるが、 戦後の貧しかった時代の精神が医療費支払構造には塗り込められており、 薬剤や機械など財物への支払いは認められるが、 カウンセリングなどソフトなサービスの支払にはほとんど回っていない。 よく2時間待って2分診療と言われるが、 これはまさしく社会主義社会の消費形態である。 しかしこれによってこそ、 所得に関係なく基本的な医療は受けられるようになったのである。 結局、 矛盾は患者に押し付けられてはいるが、 それでも医師や看護職がそこそこに優秀なために医療政策の無理は吸収されてしまい、 全体としてこれだけ安上がり医療費で最長寿国が実現できているのだと……。
  現時点だけをみれば実は、 日本の医療は成功し過ぎていると言ってよい。 人口構成上も今が労働人口比率がいちばん高く、 最も活力がある時期なのである。 確かに今後、 老人の人口比率は急速に上がり、 これにともなって医療費も増大し、 治療よりは福祉や介護の需要比率が大きくなってはいく。 だから医療費給付のあり方も変えなくてはいけない。 しかしそれは、 必ずしも将来を悲観視することにはつながらない。 日本社会がフロントランナーとして、 人類史上初めて新しい文明段階に向かうのであり、 それはチャレンジとして受け止めるべきことなのだ。
  そのためにはわれわれは、 より正確な自画像を描き直す必要がある。 われわれはしばしば海外ではこうだからと、 日本は諸外国よりは遅れており、 それゆえ海外に範があるかのような議論をする。 しかしわれわれの眼前に広がっているのは、 人類が経験したことのない文明段階なのであり、 その中でもとくに新しい健康観とこれにみあった作法の確立が必要な時期に達している。 そしてそれは、 医療技術の使用と社会の側の価値観との調整という問題の形になって現われてくる。 この種の問題に対して、 日本社会は対応が実に下手である。 だがその大きな理由に、 日本の医師が属する強制参加の身分組織がないことにあることはほとんど指摘されることはない。 日本の場合でいえばちょうど弁護士会のように、 医師は全員強制的に医療職能としての自治組織に属すべきであり、 他面でこの組織が、 職業倫理が守られることを保証する機関となるべきなのである。

2. ヒトゲノム計画と遺伝子治療
  89年に、 人間の全DNAを解読しようとするヒトゲノム計画が開始された。 この計画をめぐっては、 その科学的意義や予算配分などで激論が戦わされたが、 そもそも人間のDNAすべてを解読しようと構想すること自体、 これ以前であれば社会的に強い抵抗にあったはずである。 多くの人はDNAは生命の設計図だと信じており、 それはDNAを解読することは人間性そのものをのぞき込むことと同じだと、 分子生物学の成果から類推してきたからである。 しかし80年代を通していくつかの遺伝病の原因遺伝子の研究が進んだことで、 人間のDNA研究が人格そのものの研究ではなく、 病気の解明という医学的なものという印象に置き換えられていった。
  一方、 このアメリカ政府主導の研究計画とは独立に、 ベンチャー企業がヒトゲノムの全解読を行い特許をとろうとする計画が明らかになったため、 人間のDNA自体を特許の対象にされるのを防ぐために、 ヒトゲノム計画の目標時期は大幅に前倒しになった。 2005年に完了という当初の計画ですら危ぶまれていたのに、 2003年に全解読が終わることになり、 さらに2001年中には暫定ドラフトを明らかにすることになっている。
  このようにヒトゲノムの解読が進むと、 さまざまな社会的倫理的問題を考えておかなくてはならない。 たとえば遺伝子検査を行うことで、 発病する前に特定の遺伝病になる可能性があるかないかの診断が可能になった。 今後、 糖尿病や心臓病などごく一般的な病気のうちのあるタイプのものは、 このような遺伝子診断が可能になるはずであり、 われわれの病気に対する考え方そのものを変える必要がでてきている。 病気の予防という面では有力な手段であるが、 これによる社会的差別が大規模で生じる恐れがあり、 プライバシーの保護がいっそう重要になってくる。
  ヒトゲノム計画とほぼ同時に、 遺伝病を遺伝子レベルで効果的に治療しようとする遺伝子治療実験も始まった。 最初は、 特殊な遺伝病に対する治療の試みとして出発したが、 その後、 癌やエイズに関して分子レベルでの研究が進んだため、 遺伝子治療もこれらの病気を対象とするものが急増した。 しかし今日までに、 大量の研究費を投入してきている割には、 治療効果が確認されているのはほんの数例しかない。 このためアメリカのNIH (国立衛生研究所) は、 遺伝子治療について見直し作業を行い、 95年末にその報告書を発表した。 この報告は、 遺伝子治療の可能性は非常に大きいことは認めながらも、 これまではあまりに実用化へ直結させて研究を進めすぎたきらいがあり、 当面は基礎研究により資金を投入すべきで、 マスコミもこの技術を課題に取り扱いすぎたと反省したのである。

3. 発生工学の時代
  こうして90年代中期になると、 それまでゲノム研究に大量の研究資金が投入されながら、 一時的に行き止まりのような空気が広まった。 こんな中、 次の突破口として世界の研究者とベンチャー企業の注目を集め始めたのが発生工学である。 97年春のクローン羊ドリーの誕生と、 これに続いて高等哺乳類の発生工学の技術の可能性が急速に拡大した。 これにともなってその倫理問題について、 われわれは早急に態度決定をすることを迫られている。 この問題は本来、 78年に体外受精が世界で初めて成功して以来、 現在では広範囲に行われている生殖技術の規制というより広い視野の下で議論され、 社会的な合意形成がなされなくてはならない課題である。 そしてそのためには、 研究の現場で現在進行していることが社会に向かって正確に伝えられなくてはならない。

4. フロンテイアとしての脳
  アメリカ議会は、 ヒトゲノム計画を決定した同じ時期に 「脳の10年」 決議をもあわせて行い、 90年代には残された巨大フロンテイアとして脳研究に力を入れることをも決めている。 だがヒトゲノム研究と比べると、 必ずしも体系的な大規模プログラムを立てたわけではなく、 それまでの脳関連研究の強化でこれに対応してきている。 これに対して日本の科学技術会議は97年に、 「脳に関する研究開発についての長期的な考え方」 をまとめ、 脳研究に集中的に資金を投入することを決めている。 これまで個別に行われてきた、 脳神経の基礎研究、 医学的研究、 認知・行動研究までもが統合され、 改めてまとまった研究費が投入されてきている。 このような研究政策をとれば、 当然そこから出てくる研究成果は認識の新たな地平をもたらすことになり、 これをどう解釈するかもまた重要課題となってくる。 一昔前ならただちに批判が起ったかも知れない領域であり、 社会の側も、 世界観や人間観に直接関わるこのような研究に対して切実な関心を持つべきなのである。


■米本 昌平 (よねもと・しょうへい)
  1946年生まれ。 1972年京都大学理学部・生物科学専攻卒業。 1976年三菱化成生命科学研究所 (1994年三菱化学生命科学研究所に社名変更) ・社会生命科学研究室入所。 1989年同室長。 1998年東京大学先端科学技術研究センター客員教授兼務。 1999年三菱化学生命科学研究所・科学技術文明研究部長、 現在に至る。 主著に 『バイオエシックス』 (講談社現代新書)、 『先端医療革命』 (中公新書)、 『遺伝管理社会』 (弘文堂、 1989年度毎日出版文化賞受賞) などがある。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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