5 医療

クローン技術の現状と社会


最相葉月
(ノンフィクションライター)


◆高等動物のクローン
  ドリーは二十世紀末の私たちに何を投げかけたのか。 97年2月27日発売の英科学誌 『ネイチャー』 で衝撃的なデビューをして二年半、 いまやすっかりアイドル的存在となった世界初の体細胞クローン羊ドリー。 99年3月24日に3頭の仔羊の出産を伝えたテレビニュースでは、 久しぶりのテレビ取材に興奮したのか、 愛くるしい目で視聴者にその元気な姿をアピールしていた。
  私たちはすでにドリーという存在を受け入れてしまったのだ。 クローン技術、 すなわち、 成体の細胞をドナーとし、 それをレシピエントである核抜き未受精卵に移植し、 特殊な条件で培養をした後、 仮腹羊に移植することによって、 すでに何度も細胞分裂を繰り返した大人の細胞が、 新しい卵の力を得て全能性を取り戻す。 こうした技術が生んだドリーは、 その存在の意味を正確に受け止められる間もなく、 事態は急展開を見せている。
  多くの科学者たちがため息まじりに語るように、 ドリー誕生は確かに発生工学のブレークスルーといえた。 それはたんに成体の体細胞が全能性を持つことを証明しただけではない。 大きく分けて医薬品生産と臓器移植という二つの医療領域に画期的な展開を与えた。 それは、 たとえば、 今年4月から5月初旬にロイターが伝えた次の二つのニュースをみれば具体的になるだろう。
  (1)<米ジェロン社、 英ロスリン・バイオメド社を買収、 ロスリン研究所と共同研究契約を締結> (1999年5月4日)
  (2)<ジェンザイム・トランスジェニック社、 米ルイジアナ州立大学、 タフツ大学と共同で世界初の遺伝子組み換えクローン山羊の開発に成功。 乳中にアンチトロンビンの発現を確認する> (1999年4月26日)
  いずれも、 ドリー産出の本来の目的だったこと、 すなわち遺伝子操作を加えたトランスジェニック動物による動物工場が本格的に始動したことを示すものだ。
  (1)のジェロン社とは98年11月、 ウィスコンシン州立大学のグループと、 ヒトES幹細胞の分離と培養に世界で初めて成功したアメリカのベンチャー企業である (ES細胞については後述)。 一方、 ロスリン・バイオメド社は、 ドリーを産出したロスリン研究所がクローン技術を用いた異種移植用臓器や、 血液や尿などに人間に有用なタンパク質を生産すべく、 人間の遺伝子を導入されたモデル動物の技術開発を行うために設立されたベンチャー企業だ。 この買収によって、 ロスリン・バイオメド社はジェロン・バイオメド社として生まれ代わり、 実質的にジェロン社のイギリスの子会社となった。
  ジェロン社はロスリン研究所に対して6年以上にわたって1250万ポンドの研究費を供与するとしており、 臓器、 組織の修復を目的とした細胞レベルの移植医療を目指す。 具体的には、 パーキンソン病患者に移植する脳神経細胞や糖尿病治療に用いるインスリン生産細胞、 骨粗鬆症治療のための骨細胞などを対象としている。
  また、 (2)のジェンザイム・トランスジェニックス社は、 動物に遺伝子導入することによってヒトに有用な物質を乳中に発現させる研究を行うベンチャー企業である。 今回誕生した遺伝子組み換えクローン山羊は3頭で、 ヒト・アンチトロンビン (AT) の遺伝子を持ち、 さらに乳中にその蛋白を発現していることが証明されたわけだ。 ヒトATは血液凝固に関与する蛋白で、 すでに海外での組み換えATの臨床試験は最終段階に入っている。 当社は住友金属との合弁会社、 住友ジェンザイムを設立しており、 近い将来日本にも動物工場由来の医薬品がもたらされるだろう。
  日本では医療領域への取り組みは欧米に比べて出遅れた観があるが、 99年4月より農水省で 「21世紀グリーンフロンティア計画」 と称する予算総額14億8100万円のプロジェクトが開始されている。 これは、 農水省と各大学等研究機関、 民間企業が共同で推進する事業で、 約5億のイネゲノム研究ほか、 約3億がトランスジェニック動物、 約5億8800万円がクローン研究に費やされる。 このクローン研究の大きな焦点となっているのが、 98年7月に近畿大学の角田幸雄教授が産出した世界初の成牛体細胞クローン牛 「のと」 「かが」 以来、 全国各地で誕生しているクローン牛の死亡流産等の問題点解明に向けての研究だ。
  実は98年9月、 ロスリン研究所副所長のハリー・グリフィンは次のような発言をしている。 「ドリーの技術、 つまり成体の体細胞由来の核をドナーとして個体を産出するクローン技術はまだまだ未解明の問題点が多いため、 優良な肉質の家畜や医薬品・移植用臓器をつくる動物を増殖させるためには通常の交配を行う」 というのだ。 おいしい霜降り牛肉を何頭でも増産できると期待していた全国の家畜試験場の前提にあったのは、 「クローン技術は遺伝子構造の同じ個体を増殖するコピー技術だ」 という思いこみであった。 産業界の期待も 「100%コピー」 だった。 しかし、 蓋を開けてみれば、 流産死産、 出生後死亡の多発、 細胞の培養段階ですでに染色体異常が起きることもあるといった報告である。 そんな細胞から生まれた個体を種畜に利用することはできない。 また、 細胞は自然に生まれた場合でも10の7乗個の突然変異が入るといわれるが、 そのような細胞をドナーとして核移植を行った場合、 さらに突然変異が増えたら何が起こるかは誰にもわからない。 農水省畜産試験場の研究者は、 クローンについては何もわかっていないに等しいと慎重である。
  畜産試験場は全国各県に対して流産死産したクローン牛のサンプルを提供するよう要請しているが、 ここで大きな問題が山積していた。 ドナー牛やドナー細胞、 レシピエント牛や仮腹牛や細胞を保存し、 科学的な実験系を示せる研究機関はほとんどないに等しかったのだ。 科学的思考に乏しい日本のクローン牛研究の現状が露呈したのが、 99年3月に発覚した試験研究用受精卵クローン牛の市場流通の問題だった。 日本の家畜クローン作成は、 科学技術会議の諮問第14号に基づき、 情報公開のもとに推進するとされている。 だが、 答申後に農水省は省内でクローン研究の規制について独自の審議会を設けることなく一斉にクローン作成に乗り出した。 しかし、 動物福祉の議論を積み上げたイギリスなどのように動物実験の規制のない杜撰な研究体制は、 結果的に国民に対する背信行為を招いた。
  ドリーの誕生から 『ネイチャー』 誌の発表まで8ヶ月もブランクがあったのは、 ロスリン研究所がマスコミ対策と社会の反応に対して十全な対策をとるためだったといわれる。 日本が今後、 畜産のみならず動物工場を利用する医療領域で遺伝子操作やクローン技術などの未知の技術に取り組むならなおさら、 研究体制と動物実験の規制整備、 パブリックアクセプタンス (社会的認知) への配慮、 そして報道機関の監視能力の向上が望まれるだろう。 科学技術が信頼を築くには時間がかかるが、 失うのは一瞬だ。

◆クローン人間の禁止とその論理
  アメリカのある大手書店のホームページで 「クローン」 というキーワードで検索してみると、 52冊の本が登場する。 「クローン人間」 となると37冊だ。 そのうちの29冊がドリー誕生後に記されている。 研究当事者が執筆しているものもあるが、 クローンといえばすぐにクローン人間と短絡的に結びつける論調は依然として多い。
  現段階で、 核移植を行ったクローン胚が正常に発生するのは1−2パーセント程度、 しかも、 移植には未受精卵が数百個必要だという状況を考えるだけでも、 相当な技術的問題が控えていることは確かである。 しかも、 クローン動物の流産死亡率の高さや染色体の異常を考えれば、 とても現実的とはいえない。 しかし、 ドリーが元気に子供を産み続けているという稀な事態が目の前にある限り、 今後近い将来クローン人間が誕生する可能性は誰も否定できないだろう。
  そして、 こうした期待と不安が入り混じった奇妙な好奇心は往々にして科学者自身によってもたらされる。 それは、 自分のクローンをつくると宣言したアメリカの産婦人科医や、 98年12月に世界中を駆けめぐった、 韓国の慶煕大学医療院研究チームによるクローン胚の作成実験である。 ドリー誕生発表後にロスリン研究所は世界中のヒステリックなまでの抗議や批判、 あるいは賞賛の嵐に直面した。 結果的にはそうした議論があったことで問題をより広範な人々が認識できたことは事実であり、 それが日本に最も欠けていた点でもある。
  では、 各国はクローン技術の人間への応用に対してどう対処したのか。 ドリー誕生後、 最も早い対応を見せたのはアメリカだった。 クリントン大統領はクローン研究に対する連邦予算の助成を禁じ、 90日以内にクローン問題についての報告書を提出するよう国家生命倫理諮問委員会 (NBAC) に諮問した。 結果97年6月に答申がまとめられ、 安全性の点からヒト・クローン研究は5年間のモラトリアムを行うという結論に達した。 その間に技術評価と社会的倫理的問題について報告書をまとめること、 動物のクローン研究については研究施設の倫理委員会の審査を受けること、 情報公開を徹底することなどを定めた。
  アメリカの暫定措置が苦肉の策に映るのは、 モラトリアムの根拠を安全性に置いているところである。 もちろん前述したように、 動物クローンでこれだけの未解明点がある状態でクローン人間を生み出すことは大きな危険が伴うことだ。 しかし、 安全性が解決されたなら認めてもいいかという問題は決して避けては通れない。 自己決定権、 生殖の自由を認める国である以上、 生まれてくるクローン人間の立場に立つ反論を持ってしてもなお、 禁止は個人の自由の侵害になる可能性があるのだ。 アメリカが現在陥っているのが、 こうした基本的人権と倫理の板挟みというジレンマだった。 NBACのオルタ・チャロ委員は、 「アメリカは結論を出せない最後の国になるだろう。 多元主義を守るだろう」 と語っている。
  倫理的議論に踏み込むことができなかったアメリカに比べ、 態度が最も明確なのはフランスだった。 男女の性を重視するお国柄がよく現れているという専門家の指摘もあり、 結論としてはクローン人間に言及した法規定はないが、 生殖技術を利用できるのは生殖年齢にある男女のカップルだとする 「生命倫理法」 (94年制定) においてすでに禁止されているとみなしている。 その根底にあるのは、 人間の本質は遺伝的要因がすべてを規定するものではないが、 肉体や容貌の一回性・唯一性は男女の生殖によって生まれる遺伝的不確実性によるものであり、 それが操作する側の思いのままになるのは人間の尊厳をおびやかすものだとする考え方である。
  また、 イギリスは90年11月に公布された 「人の受精および胚研究に関する法律」 (HFE法) において定められた禁止事項に含まれることを人類遺伝学諮問機関 (HGAC) が確認している。 98年には行政権を持ち、 保健大臣に立法を勧告できる法定行政機関 「人の受精と胚研究認可期間 (HFEA)」 が人類遺伝学諮問機関 (HGAC) と共同で有識者や関係団体に意見調査を行った。
  国際的な規制の動きとしては、 欧州評議会が97年1月に 「人権および生物医学に関する条約」 に研究目的で人のクローン胚をつくることを禁止する条項を設け、 40カ国中13カ国が調印した。 その後翌年1月に提出された追加議定書には、 遺伝的に同一な人間をつくりだすすべてのクローン技術を禁止する条項が設けられ、 19カ国が調印した。
  世界保健機関 (WHO) は97年5月にクローン技術の人間への応用を禁止する 「クローン技術に関する決議」 を採択。 ユネスコ (UNESCO) も97年11月の総会で 「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」 を採択し、 人間の尊厳をおびやかすとしてクローン技術の人間への応用を禁止すべきだとした。
  また、 97年6月のデンバー・サミットでは、 仏シラク大統領の提案でクローン技術の人間への応用を禁止する方向への国内的措置、 国際協力を行うことを宣言に盛り込んだ。
  このように、 クローン技術の人間への応用を禁止し、 動物の研究は動物福祉の配慮のもと推進するというのが欧米の基本的な流れだ。 日本の場合は首相の諮問機関である科学技術会議が 「ライフサイエンスに関する研究開発基本計画」 (97年8月) でヒトクローン研究には政府の研究助成を行わないことを決め、 その下部委員会である生命倫理委員会のクローン小委員会で、 法規制かガイドラインかを含めた審議を行った。
  99年7月28日にクローン小委員会とヒト胚研究小委員会との合同委員会が開かれた結果、 クローン人間を生み出す行為を罰則付きで禁止する法案を中心に、 生殖技術規制全体の中で禁止を位置づける意見と、 ガイドラインによる規制を支持する意見を併記し、 生命倫理委員会に報告、 新たな議論の段階へと進むことになった。 98年7月に文部省所轄の大学や研究機関においてヒトクローン研究を禁止すると発表した文部省の学術審議会の指針は、 最終的には科学技術会議の結論との調整が行われる予定である。
  文部省の指針は3年ごとの見直しを予定している。 それは、 まだ社会的・倫理的議論が尽くされているとはいえず、 研究を行うには社会的影響が大きすぎること、 安全性からも問題が多々あることから、 今は実験動物の何代もの検定を通じて改めて判断されるべきだというものだ。 だが、 指針自体が言及しているように、 ここには確固たる論理的根拠があるとはいいがたい。 家族観や生命観の揺らぎ、 人間性を侵害しかねないこと、 また生物界の原則に反する、 不自然だという禁止論拠は、 安全性がクリアされ、 社会状況が変化すれば変化する可能性があるからだ。 モラトリアムが社会的な議論を呼ぶための猶予期間となるのか、 各審議会の傍聴を続けている筆者としては心許ない。 人間への応用に注目が集まりすぎ、 クローン牛流出問題で見られたように、 クローン動物作成への細やかな議論が行われていないことも問題である。 医療領域への有効性が重視されているだけに、 国民に科学不信が生まれないためにも真摯な対処が望まれている。

◆ES細胞の新展開
  冒頭のニュース(1)で言及したジェロン社が得たヒトES細胞 (胚性幹細胞、 Embryonic StemCells) とは、 発生初期の受精卵 (胚盤胞期) にできる内部細胞塊から得られる細胞で、 未分化のまま無制限に増殖できると共に、 さまざまな組織に分化する能力 (多能性) をもつ細胞である。 81年にマウスで樹立され、 そのままでは個体に発生することはないが、 正常な発生途上にある胚と混ぜると、 キメラと呼ばれる個体になるものだ。
  このES細胞に遺伝子導入を行い、 そのうち遺伝子が正しく組み込まれた細胞だけを使用してできたキメラ個体を交配することによって、 トランスジェニック動物をつくることが可能となる。 特定の遺伝子を破壊してその機能を調べるノックアウトマウスや、 病気の原因となる遺伝子を組み込んで人間の病気のモデルとなるマウスをつくるなど、 非常に有用な実験動物を作ることができるとして評価されている。
  これまではトランスジェニック動物をつくるためには多くの受精卵が必要であり、 遺伝子の導入効率も低く、 実際に育ててみなければ遺伝子が導入されたかどうかを確認できないという非効率的なものだった。 しかし、 ES細胞によって目的とする遺伝子を持つ動物ができた場合、 それをクローン技術で増殖させることができればメリットは非常に大きい。 実用的な生殖能力を持つ安定したトランスジェニック動物を得るまでの時間が短縮できるからである。 このようにES細胞は医薬品生産はもちろん、 ブタの免疫拒絶に関わる遺伝子をノックアウトすることによって異種移植の臓器として利用されることが考えられるなど、 応用可能性は非常に高い。
  だが、 96年イギリスの 「生物倫理に関するナッツフィールド協議会」 が異種移植に関する報告書に記しているように、 そもそも異種移植を行う意味や遺伝子操作をした動物を利用する意味、 未知の感染症や動物福祉の視点、 法制定や経費、 社会の受け止め方など、 議論すべき多くの問題点は残されている。

◆ヒトES細胞の可能性と倫理
  各国の規制はどうなっているだろうか。 アメリカNIH (国立衛生研究所) は99年1月に、 ES細胞にかぎり助成が可能であるとの見解を発表した。 米国健康福祉省 (DHHS) は既存の法律を使って、 ヒトES細胞を使用する研究への連邦政府の資金を提供できるとする結論を下し、 ガイドラインの整備を行っている。 受精卵の取り扱いについては政治的な問題にまで発展しているアメリカは、 ヒト胚を使用する研究に連邦予算を助成しないと連邦法で定めているが、 それが容認の方向に向いているのは、 すでに樹立されたヒトES細胞はすでに胚ではないとみなしたからである。 最近では胚(embryo) をとり、 幹細胞(stem cell) と表現をしている。
  ヨーロッパはドイツを除き、 フランス、 イギリスはおおむね、 ヒトの胚のうちES細胞については医学的メリットが大きいことからこれを認める方向で動いている。 日本は、 科学技術会議の下部組織のヒト胚研究小委員会を設置し、 99年5月11日にその第3回目が開催されたという状況である。
  マウスの研究によって明らかになっているのは、 血液、 血管内皮、 神経、 筋肉、 心筋をはじめとする多くの細胞種が試験管内でつくることができ、 その細胞を個体に戻して、 もう一度体の一部として機能させることが可能だということだ。 まだ特定の方向へと誘導する技術は確立していないが、 たとえば、 骨髄移植などの細胞補充療法は当面のES細胞研究のテーマとなるとされている。 現在ではまだ腎臓や肝臓などの特定の臓器を創出する技術は確立されていないが、 人工臓器の構成成分として利用できる可能性はあるだろう。 まさに夢の細胞のように見えるが、 実際には未解明なことばかりなのは事実だ。
  実は、 筆者がジェロン社のヒトES細胞樹立のニュースを聞いたのは、 98年11月、 日本が初めて議長国となって行われた国際生命倫理サミットの期間中だった。 欧米、 南米、 アジア、 ロシアなど46カ国の科学者、 哲学者、 社会学者、 宗教・医療関係者らを集めて行われたサミットは、 数年後をめどに生命倫理に関する国際的組織をつくり、 倫理基準の基本案づくりを行うことを目標に定め開催されていた。 ここで行われた活発な議題がまさに、 「ヒトの胚や胎児細胞から移植用の組織や臓器をつくることは認められるのか」 だった。 その翌日に、 まさにそのニュースがもたらせようとは誰が想像しただろうか。 それほどに現在のバイオ技術は、 いつどこかで何が起こっても不思議ではないのだ。
  だが、 ES細胞が孕む問題はサミットでの議論そのものだった。 そもそもES細胞を採取できる受精卵や中絶胎児をどのように入手するのか、 それ以前にそれらを利用することが認められるのか、 研究目的でつくりだしてもいいのか、 等だ。 欧米とは異なり、 こうした議論をまったく行っていなかった日本では、 今ようやくヒト胚とは何かという根源的な問いに向き合ったといえるだろう。 受精卵の利用について規定しているのは日本産婦人科学会の会告 (平成10年改正) だけである。 そこにヒト胚の研究は生殖医学の基礎研究と不妊症治療の進歩に貢献する目的の研究に限り、 14日を超えたヒト胚は研究を禁止するとあるが、 ヒトES細胞を想定したものではない。 事実、 科学技術会議ヒト胚研究小委員会は開催当初から議論が紛糾し、 過去三回の委員会は 「そもそもヒト胚とは何を指すのか」 について堂々巡りの状態である。 これは実は非常に重要なことで、 医学者、 生物学者、 法学者、 社会学者、 科学史家、 報道関係者など異分野のメンバーで構成される委員会の行方は、 そのまま日本の医療の未来を左右することとなるだろう。
  クローン羊ドリーの巻き起こした旋風はいまや、 私たちの生活にまで影響を及ぼそうとしている。 情報は時々刻々と変化し、 その情報の評価をする間もなく、 新しい技術が現れるという状況である。 21世紀はバイオの世紀ともいわれる。 情報公開が国や研究当事者のエクスキューズにならぬよう、 受け取る側の責任として、 国民はその情報判断力を身につけなければならない。

―― 参考文献 ――
  最相葉月 「クローンの世紀 第1回−第6回」 『SAPIO』 小学館1999年9月23日−12月9日号
最相葉月 「遺伝子10の謎に迫る−食べて平気なの、 クローン牛って?」 『諸君』 文藝春秋1999年5月号
米本昌平 『クローン羊の衝撃』 岩波ブックレットNO441 岩波書店
クローン技術研究会 『クローン技術 加速する研究・加速するビジネス』 日本経済新聞社 (1998) 島次郎 「ES細胞」 『からだの科学』 99年5月号
  『日経バイオテク』 98年10月−99年2月
科学技術会議ヒト胚研究小委員会配布資料


■最相 葉月 (さいしょう・はづき)
  1963年生まれ。 神戸市出身。 ノンフィクションライター。 関西学院大学法学部法律学科卒業。 教育やスポーツ、 科学などで取材執筆を行い、 雑誌新聞等で活動中。 主な著作に 『絶対音感』 (第四回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞) がある。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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