5 医療

健康観の変貌


長谷川敏彦
(国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長)


1 常識は危険だ
国立社会保障・人口問題研究所の推計 (日本の将来推計人口−平成9年1月推計、 中位推計) によれば、 日本の高齢化率は2015年には25.2% (4人に1人が老人)、 2025年には27.4%、 2050年には32.3% (3人に1人が老人) に達し、 超高齢社会を迎えることになる。 これは、 '60年代には先進諸国のなかで最も短命であった日本が、 '80年代半ばにはそれらを追い抜き世界一の最長寿国となったことによるものである。 特に女性はそれ以降2位との差が拡大しつつある。 日本人の平均寿命は人類の寿命の限界・理想の寿命として研究対象や目標設定に用いられることも多い (図1、 図2、 図3、 図4)。 

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  わが国は、 明治維新を境に富国強兵政策により 「軍事大国」 を目指した。 昭和敗戦を機にすべてを失い、 「経済大国」 を目指しその結果 「健康大国」 を達成した。 これは、 医療の発達という側面よりもむしろ経済環境の好転、 教育の発達によるところが大きいと私はみている。 そして、 平成に入ってからは 「高齢大国」 に向かっており、 そういった意味では、 「近代三度目の舵取り」 を始めようとしている段階にあるといえよう (図5、 表1)。

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表1 日本近代三度目の舵取り
第一回目 第二回目 第三回目
年代 1868-1900頃 1945-1955頃 1980-2010頃
目標 軍事大国 経済大国 高齢大国
ゲーム 土地とりゲーム 金とりゲーム 年とりゲーム
事件 明治維新 昭和敗戦 平成転換
状況 外からの脅威 全ての破壊 静かな社会変動
方向 外国に合わせて
国を作る
仕事に合わせて
人を作る
人に合わせて
社会をつくる

  超高齢社会の到来は、 ある意味で当然の帰結であった。 日本が何のために伝統文化を犠牲にして西洋文化を採り入れ、 環境をも犠牲にしてきたのか。 それはあえて誤解を恐れずにいえば、 超高齢社会を迎えるためであった。 超高齢社会とは、 人々が犠牲を払ってまで手に入れることを欲した 「素晴らしい」 社会なのである。 私が厚生省老人保健課に勤務していた時代、 デンマークの福祉大臣の訪問を受けた時の言葉を今なお鮮明に思い出す。 「日本は大変ですね。 どうするのですか。 日本が失敗したらそこから学びますよ。 日本が成功したらそこから学びますよ。」 と。 欧米、 アジア、 途上国の水先案内人としての名誉ある地位を占める日本は、 究極の素晴らしい社会にせねばならないのだ。
  超高齢社会に加えて、 日本の出生率は、 近年、 低下の一途をたどっており、 2007年から人口が減少に転じ、 2050年には1億人を切ると推計されている。 いわゆる 「少子化」 である。 つまり、 日本は 「超高齢少子社会」 を迎えることになり、 これは人類がいまだかつて経験したことがないものである。 それが 「素晴らしい」 ものであるかどうかは分からない。 しかし、 今までの 「常識」 で判断する限り、  ――  それはかつて人々が求めてやまなかった結果であるにしても  ――  持続困難な社会が到来するようにみえる。 そうしたときにトップバッターである日本はどうするのか。 成功は失敗のもとともいえ、 今までの華々しい成功も暗闇に包まれる危険性を帯びている。 常識的な今までどおりの考え方で社会システムをつくったならばとても持つまい。 苦しい時代がくるだろう。 そこで私はあえて 「常識は危険だ!」 と申し上げたい。 「常識的な考え方」 を変革することが、 来るべき 「超高齢少子社会」 を乗り切る秘訣であると考える。

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2  「早死を防ぐ」 から 「生活の質を高める」 への目的転換
  今日までの医療の目標は 「死からの救済」 である。 いかに 「死なない」 ようにするかが課題であった。 そのために数十年にわたって 「新公衆衛生運動」 が世界的に推進されてきた。 これは定量的な目標を掲げ、 健康増進を目指す国民的運動である。 分析疫学や行動科学を基に、 個人の生活習慣や環境における疾病原因をなくそうと試みたのである。 米国のHealthy PeopleやヨーロッパのHealthy Cityと呼ばれる健康政策などがそれにあたる。 日本においても1980年からの10年間、 第1次、 2次の国民健康づくり運動が展開されてきた。 それはあるべき寿命よりも 「早死」 すること防ぐことための歴史だったといえるかもしれない。
    現在の日本人の現在の平均寿命が人類の寿命の限界、 理想の寿命として研究や目標に用いられていることから、 その目標がほぼ達成されたとみてよい。 次なるターゲットは 「生活の質 (Quality of Life) を高める」 ことである (表2)。 人はいつかは死ぬ。 ならば、 それまでの過程をいかに充実したものとして、 「成熟した死」 を迎えるかが大事になってくるのである。 国民一人ひとりが 「生まれ」 「育ち」 「学び」 「巣立ち」 「働き」 「熟し」 「稔る」 という各段階を経るが、 そのひとつひとつをきちんと終えて次の段階に進んでいくことができるようサポートしていくのが保健医療システムの役割となっていくだろう。 (図7)

表2 目的の転換
項目 医療モデル 生活(QOL)モデル
目的 疾病の治癒・救命 生活の質(QOL)の向上
目標 健康 自立
主たるターゲット 疾患(生理的正常の維持) 障害(日常生活動作能ADLの維持)
主たる場所 病院(施設) 社会(生活)
チーム 医療従事者(命令) 異業種(協力)

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  かつて、 医療は 「集団」 としてものをみる傾向があった。 それは公衆衛生において顕著であり、 子どもをつかまえてワクチンを打つという発想もそこから来ている。 これからの厚生行政は、 「集団」 ではなく 「個人」 を想定し、 「いかに死を迎えるか」 を考えることになる。 それに対し個人も、 厚生省をはじめとする 「官」 ではなく自らが計画をしていく責任と可能性が出てきた。 本人が本人の資源を使って本人が計画するというわけである。 ライフシナリオを最終的には個人の責任でデザインしていくということである。
  価値観の多様化に伴い、 健康に関しても一人ひとりがさまざまな価値観を持つようになってきた。 そういう意味では、 個人が価値観を選択し、 そのための資源を選んで自らの望む健康を手に入れるというのは極めて利にかなっている。 ただ、 現実的には個人には十分な資源がないことが多いことから、 政府 (規制や再配分を通し、 また、 財源・法律・制度という資源によりさまざまな健康関連主体を調整することができる) 企業 (製品という資源を健康に役立つように製造・販売することによって生活に直接影響を及ぼす)、 メディア (情報を大量に伝達することによって不特定多数に影響を及ぼすことができる)、 非営利ネットワーク (ボランティアからなるネットワークにより健康に関連した情報を交換し、 共同で個人を支援する)、 小集団 (家族、 地域、 職域、 学校のように対話や学習を可能にする)、 保険者 (医療費を支払うことによって医療供給者へ影響を及ぼす)、 保健医療業界 (予防や診療のサービス等資源を提供できる専門家からなる) 等々、 資源を持つグループが個人を支えるという構造をつくっていかなくてはならない。 主役である個人がいても、 それを支える舞台とか資源がなければ画餅となってしまう。
  具体的には、 企業の考え方を変えない限り栄養バランスに優れた健康に良い食品はできないだろう。 メディアの影響についていえば、 有名タレントの一言が著名な専門家の言葉よりもある意味で有効であり、 「健康に良い」 と報道された食品を求めて消費者がスーパーマーケットに殺到する光景も珍しくはない。 子育てや老人介護ネットワークは、 個人にとって保険証や厚生省の出先機関よりも有効であることも多い。

3 ウィンドウ・オブ・オポチュニティ
      ―人生における4つのステージ―
  健康に対する価値観が多様化し、 個人が思い通りの健康を手に入れるとはいっても、 その際に必要となる資源には限りがある。 特定の人がエゴイスティックに資源を独り占めしても困るのでそのための方策を考えなくてはならない。
  社会的観点からすれば資源はできる限り効率的に使った方が良い。 そのためにジェネレーション及びウィンドウ・オブ・オポチュニティという考え方を採り入れたい。
  ウィンドウ・オブ・オポチュニティとは 「機会の窓」 と直訳できるが、 人生のステージのどの段階に介入すれば健康になるために最も効果的かというものであり、 4つある。 1番目は、 「三つ子の魂百まで」 とことわざにあるとおり、 子どもの時である。 2番目は最も生活態度が乱れる思春期である。 この時期は最も重要であるが反抗期であることから難しい面もある。 3番目は子どもができた時である。 母親が子どもの体を通して健康観を学ぶ。 4番目はミドルエイジで、 自分の老後をどうするか悩んでいる時期である。 こうしたタイミングを勘案し組み合わせて社会的にみても有効なものとすべきである。
  この4回のチャンスに有効なチャネルというものもある。 子どもであれば学校、 家庭、 思春期ではテレビに出てくる同世代の人たち、 子育ての段階ではメディアとネットワーク、 ミドルエイジでは職場などの影響が最も大きいと考えられる。
  こうした人生における効果的なステージとチャネルの組み合わせて限りある資源を投入することが大事なのである。

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4 福祉を核とするまちづくり
  既存資源を持つグループが個人をサポートすべきことは先述したが、 社会福祉法人とまちづくりという観点で考えてみたい。
  これまでのまちづくりは生産や集客を目的とした産業インフラや観光アトラクションに重点が置かれてきたが、 最近は持続的発展を目指し環境を重視する傾向が出てきた。 私は21世紀のまちづくりとは、 一歩進んで福祉を核とするまちづくり、 人を支える場としてのまちづくりであると考える。 死は人生の総決算である。 満足した死、 成功した死を迎えるには生という段階において満足し、 成功せねばならない。 自己の努力もさることながら、 家族とともにまちの支援が必要となってくる。 近年の高齢化、 家族機能の低下により、 その役割はさらに大きなものとなろう。 高齢化が進むほど何らかのハンディを背負って生きていく人が増える。 障害はもはや特定の少数者の問題ではなく、 風邪や近眼と同レベルのごくありふれたものとなる。 視覚障害者と晴眼者がともにまっすぐ歩けるような信号・空間があらかじめまちに埋め込まれている 「マルチモーダルな発想」 や 「ユニバーサルデザイン」 等により、 高齢者と若者、 男と女、 職と住、 生産と消費、 障害者と健常者の融合がなされなければならない。
  社会構造や家族形態の変化に配慮した新しいサービスの提供、 暮らしやすいまちづくり、 福祉工学や福祉からみた環境工学等、 学際的アプローチによる総合的なサービスが望まれるが、 社会福祉法人が各種関連福祉サービスの総合的提供主体となることが望まれている。 ニーズの多様化により、 経営感覚が求められるであろう。 その際の事業分野の一例をあげたい。
新たな社会福祉法人の事業分野
(1)地域開発計画への参加
   地域開発の策定段階から法人の持つノウハウを提供。 当該地域における福祉サービスの適切な量や提供方法を含め積極的に参画。
(2)ネットワーク型事業展開
   まちなかの小規模施設、 グループホーム、 シニア住宅を適切に配置し、 それらをネットワークでつなぐことが 「個」 を中心とした自立援助につながる。 社会福祉法人はその核となる。
(3)新たなサービス分野の開拓
   規制緩和と市場原理の導入により新規分野を開拓。
提供するサービスプログラムの基本方針
(1)地域の公共に資するものであること。
(2)地域住民が望むものであること。
(3)アジアなど他の地域・諸外国に向けてその情報や専門性が認知され受け入れられること。
(4)事業収支が合い、 民業圧迫とならないこと。

5 最後に
  健康政策は、 最良の研究結果に基づいていなくてはならない。 健康改善の方法は科学的根拠に裏付けられなければならないのである。 それは国際的潮流でもあり、 論文に対する批判的な論評、 技術評価の成果が蓄積されつつある。 国や県レベルにおいても様々な疾病対策 (癌克服十ヵ年総合戦略、 感染症対策など) や人生の各ステージに対応した健康対策 (エンジェルプラン、 老人保健事業など) が打たれているが、 実務的なプロジェクトを統合し方向づけるような総合的な枠組みが必要である。 計画−執行−評価 (Plan−Do−See) のマネジメントサイクルを確立するためにも情報の系統的な収集・分析という作業が重要にもなってくる。 本小論が新時代の総合的な医療戦略計画策定の一助になれば幸いである。


■ 長谷川 敏彦 (はせがわ・としひこ)
  国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長。 1948年三重県生まれ。 大阪大学医学部医学進学課程卒業。 ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程修了。 ウィスコンシン州ミルウォーキー市聖ヨセフ病院外科レジデント勤務、 ハーバード大学公衆衛生大学院研究員、 同大学院予防医学レジデント勤務、 厚生省大臣官房老人保健部老人保健課課長補佐、 国際協力事業団医療協力部医療協力課課長、 厚生省九州地方医務局次長などを経て、 1995年より現職。 著書に 『健康変革の世界的潮流と日本 「医療供給体制」 の今後−介護保険創設と医療法改正をめぐって』 (病院56(1)、 1997)、 『世界を飲み込む健康変革の人類史的潮流』 (公衆衛生62(1)、 1998) などがある。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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