4 環境

環境保全型農業と地域環境保全


熊澤喜久雄
(東京大学名誉教授、(財)肥料科学研究所理事長)


1. はじめに
  農業はもっとも環境と調和しながら発展しうる産業として評価される一方、 近代的農業の急速な発展すなわち化学化、 機械化、 装置化、 大型化などを追求した集約農業の発展は、 農業生産基盤である土壌の破壊や環境の汚染、 生物多様性の危機などをもたらしてきた。 それらを克服し持続可能な農業と農村を作り直そうとする努力が世界的に繰り広げられている。 我が国に於いても、 農林水産省は平成4年6月に 「新しい食料・農業・農村政策の方向」 を発表し、 「国土・環境保全機能を維持増進し、 生産性の向上を図りつつ環境への負荷の軽減に配慮した持続的な農業 (環境保全型農業) を確立・推進すること」 が必要であるとした。 その後設けられた食料・農業・農村基本問題調査会の平成10年9月における答申、 それを受けて平成10年12月に発表された農政改革大綱においても 「持続性の高い農業生産方式の導入の促進」 が図られ、 環境保全型農業に関しても、 その一層の推進が図られようとしている。
  本稿においては、 今後の環境保全型農業の推進上における問題点について考える。

2. 環境保全型農業の 「理念」
  全国農業協同組合中央会、 日本生活協同組合連合会を事務局として平成6年に設置された全国環境保全型農業推進会議は、 「人と自然にやさしい農業」 をめざし、 環境保全型農業推進憲章を制定した (平成9年2月28日)。 その基本理念について次のように述べられている。
   「農業は本来、 環境と調和して営まれる産業である。 また、 健康的で豊かな食生活の実現、 国土保全・美しい景観の形成など豊かな環境の維持形成は、 国民全体の願いである。
  我が国の農業は、 農業の持つ本来の機能を改めて見直し、 これらの願いを実現する上での基盤となる役割を果たさなければならない。
  この役割を果たすため、 環境に対する負荷を極力小さくし、 さらには、 環境に対する農業の公益的機能を高めるなど、 環境と調和した持続的農業すなわち 「環境保全型農業」 の全国的・全面的な展開を目指す。
  その展開に当たっては、 農業者の努力はもとより、 消費者や農産物の流通関係者等を含めた幅広い国民的な理解と支持を得るようにするとともに、 環境保全型農業に関連する資源のリサイクルの促進などの実現にも努めるべきである。
  今こそ、 「人と自然にやさしい農業」 を目指し、 健全で恵み豊かな環境を私たちの子孫に引き継いでいくため、 農業者のみならず、 消費者や流通関係者など国民一人一人が行動を起こす時である。」
  食料・農業・農村問題調査会答申はその第1部 食料・農業・農村施策の基本的考え方において次のように述べている。
   「農業は、 生物が太陽エネルギーや水・空気等の無機物を取り込んで自らを再生産する自然の循環過程の中で存在するものであり、 更にその再生産過程を促進する性質を持っている。 その生産の過程で、 農業生産活動は土・水・緑といった自然環境を構成する資源を形成・保全すると同時に、 こうした資源を持続的に循環利用することを可能にしている。
  今後、 国内の資源を有効に活用し、 持続的な循環に基づく社会を形成していくためには、 農業が内在的に有しているこのような自然循環機能を十分に発揮させていくことが求められている。」 (3の (4) 農業の自然循環機能の発揮)
  後者では、 自然環境、 自然循環などの言葉が使用されているが、 それらを念頭において環境保全型農業における 「環境保全」 について考えてみる必要がある。

3. 環境保全型農業における「環境」 と 「保全」
  1972年の国連人間環境会議のストックホルム宣言は環境と人間活動について次のように述べている。 「人は環境の創造者であると同時に、 環境の形成者である。 環境は人間の生存を支え、 かつ知的、 道徳的、 社会的、 精神的な成長の機会を与える物である。 地球上での人類の苦難に満ちた長い進化の過程で、 人は、 科学技術の加速度的な進歩により、 自らの環境を無数の方法と前例のない規模で変革する力を持つ段階に到達した。 自然の環境と人間が作り出した環境は、 共に人間の福祉、 基本的人権ひいては生存権そのものの享受にとって不可欠のものである」 (1972、 人間環境宣言)
  自然環境ー農業環境ー人間環境の相互関係の視点から考えると、 農業はその発展過程において自然環境の破壊者として行動してきたが、 同時に農業それ自体の維持のために、 農業環境の創出を目指して発展してきたことがわかる。 すなわち、 農業の特質に基づき破壊された自然を修復しつつ準自然環境ともいうべき、 農業環境を維持発展させてきた。 すなわち、 農業生態系も人間労働と資本、 資材の投入のもとに環境資源を開発、 利用することにより維持され発展してきた。 これは一方では人間環境の変革でもあり、 創出でもあった。
  環境保全型農業においては農業環境はもとより、 広く人間環境と自然環境の保全との関わりにおける農業を考えなければならない。

4. 農業による環境汚染と環境浄化
1) 農業による環境汚染
  現在の日本農業における環境負荷の現状は、 前記答申において 「農業生産活動は自然環境を構成する土や水といった資源を形成し、 保全する一方で、 環境に対して負荷を加えている面もある。 肥料や農薬の不適切な使用、 家畜ふん尿の不適切な処理によって、 農業用水の汚濁、 河川・湖沼の富栄養化、 地下水の汚染が生じている事例もみられる。」 と言われているように、 地下水の硝酸性窒素汚染、 農薬による生態影響等を中心に深刻化している。
  環境庁の発表によると、 平成9年度の地下水中の硝酸及び亜硝酸性窒素の濃度が環境基準値 (10mgL-1) を超えた事例は調査総数2,654点中の173点 (6.5%) に及び、 河川においても1613点中の3点 (0.2%) で環境基準値を超えていた。
  土壌消毒剤として広く使用されてきた臭化メチルはオゾン層破壊ガスとして、 2005年までには使用を廃止することが決められ、 また環境ホルモン的作用を持つのではないかと懸念されている農薬も多くあり、 さらに野生動植物・昆虫などを含めて生物多様性に対する農薬影響も一層深刻になっている。
  これらの農業による環境汚染は、 先進国共通の問題であり、 「労働生産性の向上のみを追求してきた集約農業の発展が農業による環境汚染をもたらした」 とされている。
  わが国においても集約農業の発展による耕種と畜産の分離、 堆厩肥の土壌還元の減少、 連作障害、 地力の減退、 大規模畜産経営の発展とそれに伴う厩肥の屋外貯蔵、 土壌分解処理、 豚糞尿の素掘り貯留、 農薬の多量施用などが問題となっており、 そのための対策が必要とされてきた。
  「土づくりと合理的作付け体系の欠如」、 あるいは 「耕作放棄による耕地面積の減少や耕作率の低下」 も農業環境を破壊しており、 農業の持続的発展の妨げになっている。
  答申は 「また、 家畜ふん尿や食品残さ等の有機性廃棄物は、 資源として再利用できると同時に、 その利用により農業の自然循環機能を高めることができる。 こうした有機物の資源化と循環利用は、 持続的な社会を作り上げる際に大きな役割を果たすものと期待されるため、 その促進を図る必要がある」 と述べている。
  しかし農業による環境保全機能と農業による環境浄化機能とは区別して考えられなければならない。

2) 農業による環境浄化
  農業はその生産過程において生産力を再生産しうる能力を持つ。 それを支えているのは農業生態系における物質の循環である。 この物質循環は同時に人間生態系の環境浄化としても役に立っている。
  人間生態系の物質循環の乱れによる環境負荷による河川・湖沼の富栄養化の原因として、 都市と農村の間の物質循環の乱れ、 農業と他産業との間の物質循環の乱れが挙げられるが、 前者としては、 下水・し尿汚泥と処理水、 生ごみ等生活廃棄物問題があり、 後者としては各種の食品産業廃棄物等の処理問題がある。 それらは本来、 有機質資材として、 肥料、 土壌改良資材あるいは堆肥などとして土壌に還元され循環的に農業利用されることにより浄化処理されていたものである。
  かっての農村の地力は都市と近いほど高く保たれていた。 それは都市よりし尿や生ごみが肥料として還元されていたからである。
  現在改めて、 廃棄され、 環境汚染原因ともなっていた多くの有機性廃棄物の自然循環的浄化と有効利用を考えなければならなくなっているが、 そのためには、 有機性廃棄物の循環的浄化を可能にする耕作地面積の確保と作物栽培の維持・拡大を図ること、 有機性廃棄物に含まれる恐れのある有害物質による土壌汚染や過剰投入による環境汚染を防止するための有機質肥料についての品質表示等のシステムの改善等も必要になってきた。
  耕地土壌はその栽培作物に応じての有機物受容容量があり、 それ以上のものは、 環境に無駄に排出され、 環境汚染源になる可能性がある。 また土壌排出物が環境汚染を引き起こすか否かは、 排出される物質の種類、 量、 状況による。

3) 水田農業の環境保全・浄化能
  日本における環境保全型農業の推進を図るためには、 水田の持つ機能、 あるいはアジアモンスーン地帯における水田農業の有する特殊性について明確にする必要がある。
  すなわち、 水田の高度利用による農産物生産は環境汚染負荷を生じないだけではなく、 耕地利用率の増大による、 農業内部での有機物循環利用容量の拡大を通じて、 人間環境の浄化に役に立つのである。
  水田は土壌保全、 土壌浸食・流亡防止、 貯水・地下水培養などの機能とともに、 棚田等の水田地帯特有の景観保全などにおいても評価されている。 水稲は連作可能な作物であり、 集約的耕作によっても、 水田地力の減退を起こさず、 潅漑水等として流入する水の水質浄化機能も持っている。 農業と環境との関連においては、 水稲作はマイナスの側面が最も少ない。 そのために、 水田を水稲栽培のみならず、 田畑輪換などを通じて各種畑作物の生産に広く利用することが期待されている。 具体的には、 (a)水田における飼料稲の生産による水利施設の合理的管理等の水田機能の維持。 (b)水田における飼料作物、 麦、 大豆の生産方法 (田畑輪換、 ブロックローテーション) (c) 水田放牧、 緑肥生産。 などが重要になってきている。
  一方では水田状態下では温室効果ガスである、 メタンの生成が問題になっているが、 過度の還元防止、 間断潅漑、 中干しなどの適切な耕作方法の採用により生成抑制が可能になっている。

5. 地域環境保全型農業の確立
  これからの農業が持続可能であるためには、 すなわち、 持続可能な農業として発展するためには、 (a) 経済的に実行可能であること、 (b) 環境保全的であること、 (c)社会的に受け入れられること、 (d) 自然資源を維持すること、 が必要とされる。
  ここで、 持続型農業と環境保全型農業とは概念的には分けて考える必要がある。 すなわち環境保全型農業であることは農業が持続可能なものとして、 永遠に発展するために、 備えるべき必須条件である。
  個別的な農業として、 具体的に展開されている環境保全型農業は、 地域的な気象、 地形、 土壌、 水等の自然資源の状況、 交通、 風土などの社会文化的条件などに応じて様々な形態を取っている。
  それらは、 環境保全型農業として要求されている一般、 共通的な性質を備えながら、 同時に持続可能な農業としての経済的、 環境保全的、 社会的適格性を持っているのである。
  個別的な環境保全型農業として、 どのような農業が展開されているかは、 具体的な多くの調査、 報告などの事例に見ることが出来る1〜5) 。
  そこには、 環境保全に係る農業に対する要請に答えながら、 経営的に持続可能な農業を求めての様々な努力と工夫があり、 生産者と消費者、 農協と生協、 地域行政と住民運動などの相互扶助的な運動の成果が生き生きと現れている。 逆に考えれば、 このような具体的な運動に支えられなければ、 共通理念を持った環境保全型農業は血と肉を備えた現実の持続型農業になり難いとも言える。
  これからの環境保全型農業は必然的に、 安全な食品・飲料水の確保、 生ごみ処理、 生物多様性の保全、 景観維持、 地域産業の発展等を考慮して地域住民の要求に沿って作成される地域環境保全計画と密接な関係を持って発展する必要がある。
  農林水産省では環境保全型農業技術をマニュアル化した指針を発表している6〜7) 。 また多くの自治体レベルにおいても適切な指針が発表されている。 そこには、 環境保全型農業において、 意識的に採用されうる技術の内容が最新の研究成果に乗っ取って記述してある。 具体的な現場の状況に応じて、 適宜、 これらの技術を組み合わせて実行することが望まれている。
  しかし、 従来の与えられた条件の下で、 最適のものとして提示されてきた標準的農業技術体系を組み直すのは簡単なことではない。 化学肥料や農薬による環境負荷の軽減に役立つ新技術の採用は、 肥料や農薬の過剰施用を正常に戻す段階までは、 経済的収益の減少を伴わず、 場合によってはその上昇をもたらしながら可能となる。 しかし、 堆厩肥の増投、 肥料の吸収効率の増加、 輪作の導入や、 総合防除法の積極的採用などは、 現段階では必要労働の増加、 価格的に不利な作物の作付け、 技術的不安定性などの問題を抱えており、 当然ある程度の経済的損失を生ずることになる。 この経済的損失が何らかの方法で相殺されなければ、 円滑な新技術体系への移行は出来ないのは当然である。
  環境保全型農業技術が一般化し、 普通の農業として営まれ、 「環境に優しい、 生産性の高い、 経営的にも健全な農業」 である持続型農業となるためには次のようなことも必要となろう。
  第1は景観の維持、 土壌保全、 水源の培養など、 農業の持つ様々な経済外的価値を経済内化して、 農業に還元することである。 これはEUの条件不利地帯の農業経営に対する補助金などはこれに相当する。
  第2は特定の環境保全型農業技術の採用に対しての補助金を用意することである。 これには様々な形態がある。 例えば湖沼・内海地域の水稲作での肥料の側条施肥に対する補助金、 必要とされる輪作作物栽培に対する補助金、 多くの産地直売にみられるような、 全量引き取り契約に基づいた妥当な価格での売買の保証などがある。 米国では土壌保全のための畑地の草地や湿地への還元に対して、 また英国では硝酸汚染地域の農家が施肥量の削減を含む推奨技術の採択に対して補助金を出している。
  第3は一部の先進国で採用されているような、 面積あたりの家畜使用頭数の制限のような法律的な強制により、 土地の浄化能を超えて排出される家畜排泄物による地域環境の汚染を防止することである。
  国民に安全・良質な食料を安定的に供給するのが、 農業に課せられた基本的責務であるが、 農業の役割はそれに止まらない。 国土保全・水資源培養のための農業、 景観保全、 ビオトープの保全のための農業・農村、 教育・文化的価値における 「農」、 など様々な視点からその存在意義を挙げることが出来る。

  このような農業を未来世代に引継ぎ、 持続的に発展させて行くためには、 環境倫理の確立を基礎に、 農産物貿易問題も含めての世界的規模での総合的な取り組みの一環としての農業政策の位置づけが必要とされている。
  また、 これらの政策は地域住民環境の改善と結合した総合的な地域環境保全政策の中の地域環境保全型農業として確立されなければならない。

―― 引用文献 ――

  1. 全国農業協同組合連合会編:平成4年度環境保全型農業実践事例報告書、 (1993)
  2. 農林水産省、 JA全中、 JA全農編:最新事例環境保全型農業、 家の光協会、 (1994)
  3. 全国農業協同組合連合会・全国農業協同組合中央会編:環境保全型農業の流通と販売 (平成6年度環境保全型農業推進指導事業) (1995)
  4. 同上:環境保全型農業と地域活性化 (平成7年度環境保全型農業推進指導事業) (1996)
  5. 同上:これからの環境保全型農業、 家の光協会 (1997)
  6. 環境保全型農業技術指針検討委員会編、 農林水産省農産園芸局農産課環境保全型農業対策室監修:概説・環境保全型農業技術、 家の光協会 (1997)
  7. 同上:作物別・環境保全型農業技術、 家の光協会 (1997)


■熊澤喜久雄 (くまざわ・きくお)
  1928年生まれ。 1952年東京大学農学部農芸化学科卒業。 1953年同大学同学部助手、 1963年助教授、 1971年教授を経て、 1989年東京農業大学教授、 東京大学名誉教授に就任。 1999年東京農業大学定年退職により、 客員教授。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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