4 環境

環境倫理から教育環境へ


鬼頭修一
(東京農工大学農学部教授)


1. 環境倫理の現在
  一九八〇年代の終わりに、 「地球環境問題」 が国際的な枠組みの問題として大きく提起された。 それは、 東西の緊張緩和を背景にして、 特にソ連のシュナルワゼやゴルバチョフが、 一九八八年から主導的な役割を演じたことによって、 安全保障問題に代わり世界各国が国際的な協力により取り組む問題としての地球環境問題という枠組みが合意されていった。 もちろん、 先進各国がそれぞれの利害を背景としつつそれぞれの立場でその問題を抱え込んでいったことは事実だが、 一九九二年のリオ・デ・ジャネイロで開かれたいわゆる地球サミットに集約されていき、 現在大きく議論されているように、 地球温暖化と生物多様性の二つの問題に関する国際条約が締結されて、 その締結国の間で国際的な議論が繰り広げられている。
  その 「地球環境問題」 の時代に、 国際的には突如として立ちあらわれたのが 「環境倫理」 という問題であった。
  環境倫理学自体は、 特にアメリカなどアングロサクソンの諸国で中心的に展開されてきた。 一九六〇年代後半から一九七〇年代にかけて展開した最初に環境問題が大きな問題として認識された時代に、 アメリカの哲学者たちが、 人間以外の生物との関係を倫理的な関係の中でどう位置づけるのか、 また、 自然の価値をどのように定式化していくのかということを中心に、 哲学的な検討をはじめていた。 それは、 アメリカの社会科学が、 政権担当者のブレインとして実質的に政治に関わることも含めて、 現実の政治的な問題を扱うことが当然視される風土があるなかで、 さらに、 同じ時期に先端医療に対しての大規模な人文・社会科学的検討が始まり、 その結果、 生命倫理学を生み出している特異な状況を背景としていた。 もちろん、 一九六七年に、 中世技術史家のリン・ホワイト・ジュニアが、 現在の生態学的危機の歴史的根源としてキリスト教的な人間中心主義があると論じて、 キリスト教の問題や人間中心主義に対して大きな議論を呼び起こし、 一世を風靡し、 人間中心主義の脱却の哲学的な可能性に関して問題を提起していたことも重要な要因になった。 また、 さらに、 一九七〇年代の半ばからは、 いわゆるアカデミズムの外側で、 一九七二年のノルウェーの哲学者のアルネ・ネスの提起を受けて、 ディヴォールとセッションズによってアメリカの西海岸を中心として、 ディープ・エコロジー運動の旋風が巻き起こっており、 アカデミックな哲学の領域にも少なからず影響を及ぼしていた。
  そして、 一九七九年にアメリカで環境倫理の国際的な学術雑誌が創刊されているように、 一九八〇年代には、 環境倫理学という新しいディシプリンが少なくともアメリカでは成立したことになる。
  そのようなことを背景にして、 一九八〇年代の後半から始まった地球環境問題の枠組みのなかで、 環境倫理は大きく取り上げられ、 議論されていくことになる。 折しも、 「環境倫理学の歴史」 という副題が付いたロデリック・ナッシュの 『自然の権利』 が一九八九年に出版され、 その中で、 ナッシュが、 権利の 「自然の権利」 までの進化的な拡大を根拠にした倫理の拡張を提起していた。 その権利や倫理の拡大というテーゼは当時開催された国際会議の中でも、 環境倫理のテーゼとして使われていった。
  ナッシュのこの図式は、 人間中心主義の脱却を背景として展開してきた議論の集約点として、 一つの定式化を示していた。 また、 実際、 人間中心主義を脱却し、 人間非中心主義に依拠しようとする環境倫理学の流れは、 生命中心主義、 あるいは生態系中心主義と呼ばれ、 人間以外の生物の権利というテーゼを立てるにはさまざまな難しい問題があったものの、 環境倫理学の中でも重要な位置を占めるようになった。 例えば、 動物の権利の問題、 自然の価値の問題が環境倫理学の中でもっとも主要な問題として論じられていたが、 さらに加えて、 今世紀の前半に森林管理の実地から晩年に 「土地倫理 (land ethic)」 という、 「土地」 を全体論的に捉えて、 それに対する倫理の拡大を説いたアルド・レオポルドが、 再評価を受けて論じられるようになっていた。 また、 特にアカデミズムの外で大きく展開していったディープ・エコロジー運動のさまざまな潮流においては、 重点の置き方の差はあるとしても、 人間中心主義を批判し、 人間非中心主義の立場を取っていた。
〈注:もっとも、 ナッシュの図式はこの人間非中心主義に至る環境倫理思想の理論的枠組みとしてはよく出来ていたが、 将来世代への責任 (世代間倫理) など、 世代も含めたさまざまな利害関係を背景にした人間と人間の間の倫理的な問題に関しては十分にサポートされていないという問題点があり、 特に、 後述のように、 現代において、 人間と人間の間の倫理的な問題も含んだ正義という考え方をその中に位置づけることができないという問題がある。 ちなみに、 むしろ、 ディープ・エコロジーの方が、 そもそものネスの理論の中に、 人間と人間の間の問題をも含んでおり、 ソーシャル・エコロジーに通じる萌芽があり、 その点では、 現在の環境思想を捉える視点としては、 ナッシュの図式よりも、 ネスのディープ・エコロジー運動の視点の方が広く包含し、 現時点での妥当性は高いように思われる。〉
  地球環境問題の解決という大きな課題を考えたときに、 国家間の対立や文化の違いをどう乗り越えるかとい問題は重大な問題である。 文化相対主義とグローバリゼーションの問題はさまざまな形で論じられているが、 環境倫理の問題にも大きな影を落としている。 特に、 倫理的な問題のように、 文化の違いを大きく考慮せねばならない問題を考えたときに、 普遍的な環境倫理によって、 文化の壁を乗り越えようとするあり方は魅力的でさえある。 これまで述べてきたように、 アメリカ式の西洋的環境倫理が、 地球環境問題という枠組みの中で、 特に国際的な取引や合意形成の中で、 普遍性を主張していくことは、 ある意味で当然の道筋でさえある。
  しかし、 アメリカの環境倫理の普遍性を高らかにうたいあげることは、 理論的には有効だと思われたとしても、 現実の国際社会では、 結果的に受け入れられなかったように思われる。
  そのことの象徴が、 地球サミットにおいて大きな課題として出現した南北問題であった。 南北問題は、 「南」 と 「北」 のそれぞれの構成員のどれとどれが対立しているのかという社会的な視点を導入すると、 それほど簡単には理解できない。 「南」 の政府関係者が、 「北」 の人たちが、 今までさんざん環境に負荷を与えてきたのに、 そのことを無視して、 「南」 に対して、 発展によって環境に負荷を与えるなというのはおかしいという場合、 「南」 には、 発展によって利益を被る人たちの集団と、 発展による環境負荷によって公害という形で害を被る人たちの集団が別れてしまっていることが往々にしてあることを考えると、 その 「南」 の人たちの意見が妥当性を持つとは必ずしもいえない。 しかし、 その害を被る 「南」 の人たちは、 先進国の海外進出によっても、 大きな害を被ってきたことを考えると、 また、 往々にして、 いままでの伝統的な自然環境の管理のあり方が、 先進国主導の西洋的普遍性に基づく近代化によって否定され、 そのことが環境破壊の、 そして、 そのことに起因する被害の原因であったことを考えると、 やはり、 なおかつ、 「北」 の人たちが、 自分たちの考え方を普遍的なものであるとして押しつけることが問題をよりよく解決することにはならないことは事実であろう。
  また、 そのことをもっと端的に示したことに、 先住民の問題ということがある。
  先住民の思想に関しては、 特にディープ・エコロジー運動の人たちが、 自然と共生する思想として大きく取り上げて称揚してきた。 しかし、 現実の社会においては、 差別されただけでなく、 結局、 その称揚された思想を貫徹できるような形で、 その生活や文化、 生業というものが守られてきたわけではない。 先住民の思想は、 西洋的な枠組みの中の環境思想の中では評価されるものの、 その思想が実際に根づいているところにおいて、 真の意味で、 その文化を尊重する形で評価されたわけではないのである。 そのことが、 国際先住民年でもあった、 リオの地球サミットの時に大きな問題となり、 さらには、 リオ以降の大きな問題となっていったのである。
  そのこともきちんと射程に入れたところで、 環境倫理のあり方を考えていかなければならないのである。 つまり、 西洋的な環境倫理がア・プリオリに普遍性を持つということを前提にせずに、 それらを西洋的な文脈の中できちんと位置づけた上で考えたときに、 非西洋諸国も含めた地球的な環境問題を倫理的な観点から考えていく時に、 どのような環境倫理を立てることが出来るのか、 そもそも普遍的な環境倫理はありうるのかが問われるのである。

2. 新しい環境倫理のあり方をもとめて
  そのような、 地球規模での新しい枠組みの環境倫理のあり方を考えたときに、 西洋的な環境倫理の問題点を指摘することから出発するのが妥当であろう。
  西洋的な環境倫理のもっとも大きな問題点は、 人間の自然との関係における基本的な営みについてきちんと射程に入れていないことである。 このことは、 アメリカの環境倫理の視点が、 先住民の人たちの生活から出発するのではなく、 東部の既に都市化した人たちが既に失ったウィルダネス (原生自然) をアメリカのアメリカたるものとして愛国心の象徴として再構成していき、 それに依拠した思想を展開していったことと関係がある。
  いずれにせよ、 そのような文化的、 歴史的背景を鑑みたときに、 より深い視点からの環境倫理を構想したときに、 人間の基本的営みである生業 (subsistence) を基礎にして展開する他はないだろう。
  私は、 そのような観点から、 人間と自然との関係を、 社会的・経済的リンクと宗教的・文化的リンクの二つのリンク (つながり) によって分析して、 その上で環境倫理の理論を立てるあり方を提唱してきた。
  つまり、 人間の基本的営みである生業は、 それ自体を否定してしまうことは、 人間の生きることの意味をきちんと見つめたことにはならない。 人間非中心主義の立場では、 人間と自然との二分法に立っているために、 人間以外の生物を殺傷したり、 利用したりすることそのことも否定される傾向があるが、 問題は、 そのことが否定されるべきではない。 生業のあり方それ自体のあり方が問題とならなければならない。 生業を、 社会的・経済的リンクの側面からのみ捉えてそれを否定するのではなく、 その側面と不可分な形で宗教的・文化的リンクというリンクが存在し、 その二つのリンクのあり方を分析しつつ、 評価することが重要なのである。
  例えば、 人間と森林の関係を考えてみると、 森林の木をただ単に利用すべき側面からのみ、 「材」 としての利用の仕方からのみ考えるのは、 社会的・経済的リンクは存在しているが、 そのことは、 宗教的・文化的リンクを欠いている。 伝統的な社会においては、 森林は利用の対象であっただけでなく、 畏敬の対象であったり、 あるいは、 その社会の文化を維持するために重要な側面も持っており、 そのことが不可分であったのである。
  現在の森林に関する環境問題は、 私たちと森林との関係が、 社会的・経済的リンクだけの関係になり、 文化的・宗教的リンクを失うようになったからである。 そのことは、 森林の 「材」 が、 市場経済の中で、 そのものの宗教的・文化的価値とは無関係なところで、 効率性の中で捉えられてきたことと関係がある。 そのような関係は、 「南」 の人たちや先住民の人たちの森林の関係、 特に、 伝統的な森林管理における、 文化的・宗教的リンクの存在を、 「北」 の人たちが理解せず、 無神経な形でそれを踏みにじり、 「近代化」 という名の下に、 宗教的・文化的リンクを欠いた社会的・経済的リンクの側面からしか捉ええず、 結果的に、 野放図な森林破壊を許してしまったことと関係がある。
  熱帯林の破壊というグローバルな問題も、 実は、 ローカルなこのような問題と密接に関係している。 そして、 その時に、 欠いてきた宗教的・文化的リンクを、 そのローカルな社会における価値としてきちんと捉えなおすことが必要になる。
  西洋的な環境倫理を普遍的な形で押しつけるあり方では、 確かに森林の価値が保護すべき重要なものとして捉え、 そのことを根拠にして保護の政策をとることが出来るだろう。 しかし、 その視点では、 人間と森林との関係における、 「保護」 ということを通じた文化的リンクしか想定されていない。 その視点では、 人間と森林との関係には、 社会的・経済的なリンクがあることが想定されていない。 その視点では、 その森林がある地域の人たちが、 伝統的な形で森林を利用しているあり方を、 そのあり方を問わず最初から否定してしまっている。
  そのようなあり方は、 それぞれの地域で伝統的な形で利用してきたあり方を、 その内容を問うことなくすべて否定してしまい、 結果的に、 西洋とは違う文化の人たちの生活のあり方を否定してしまうのである。 そのように、 自然環境を保護することが、 結果的に社会的正義を侵してしまう場合が往々にしてある。 特に、 野生生物の保護区やナショナルパークにおいてそのようなことが起こることがある。
  とはいえ、 伝統社会がいつも環境保全的とは限らない。 むしろ、 たとえ環境保全的に見えても、 伝統社会では、 環境を保全するということが、 意識的になされているわけではない。 それゆえ、 近代化の波を被るときに、 簡単に環境収奪的なあり方に転げ落ちてしまう。 問題は簡単ではないのである。 伝統的なあり方を取り戻すことが絶対ではないのである。
  また、 伝統的なあり方を称揚し、 環境保全のためにそこに固執することは、 その地域の社会の人たちの生活のあり方を固定してしまう。 そもそも、 人間の 「生きる」 という営みは、 固定されていたわけではなく、 いつも動的な自然環境との関係の中で存在してきた。 問題は、 その動的なあり方のダイナミズムなのである。
  そのようなことを考えると、 多元主義的に、 それぞれの地域の伝統的なあり方をそのまま認め、 それを固定的に考えることは不適当ではないかと思われる。 地域の多元的な多様なあり方、 また時間的な多様な変化のあり方をそのまま認めるのではなく、 何らかの普遍的基準を立てて、 意識的な形で、 人間と自然との関係を再構築することが求められている。
  そのための普遍的基準に関しては、 もっと議論していかなければならなが、 私は、 とりあえずの基準として、 社会的・経済的リンクと宗教的・文化的リンクの二つのリンクの不可分性という基準を立てることを提唱する。
  かくして、 地域的な人間と自然との関係の多様性を認めつつ、 なおかつ、 そこにおける、 社会的・経済的リンクと宗教的・文化的リンクの不可分性ということを、 上位の普遍的原理として考えるような、 多元性と普遍性を調停するあり方が、 求められる環境倫理のあり方ではないかと思われる。
  二一世紀の課題として、 新しい環境倫理として、 この問題をもっと議論していく必要があるだろう。

3. 環境倫理と環境教育の課題
  このような新しい環境倫理のあり方を考えると、 環境教育で、 想定されるべき 「環境リテラシー」 に関して示唆されるべきことが多いと思われる。
  環境教育をどのような枠組みで考えるべきかは従来あまり議論されなかった。 環境教育学の領域では、 従来、 環境にかかわることをやっていれば、 やること自体が意味があるようにも思われ、 その理念についてきちんと議論がされてこなかった。 しかし、 環境倫理のあり方を踏まえたときに、 環境教育で押さえるべき問題は必然的に出てくるように思われる。
  環境教育の目的が、 環境問題を適切に認識し、 その解決に資するような人材を育成することにあるとするのであれば、 環境問題を適切に認識することとはどういうことなのか、 また、 環境問題を解決することはどういうことであるのかということが問題にならなければならない。
  今までここで論じられてきたことを敷衍すると、 人間と自然との関係性の根源的な問題のあり方を省みることなく、 自然とのふれあいを奨励し、 人間の営みと切り離して 「自然」 を 「守る」 ことを説くことだけでは、 環境教育のあり方としては大変不十分に思われる。
  そのことは、 地域でのローカルな場での環境意識と密接な関係があるだろう。 人間と自然との関係性の根源的な問題のあり方を見据えることによって始めて、 「環境」 という問題が、 どこかにあるが、 どこにでもないような 「地球環境」 という問題から、 「地球環境」 に最終的にはつながるような、 いま、 ここにある地域の 「環境」 における根源的な問題を見つめることになるのである。
  しかし、 そのことを見据えることによって、 どのような環境教育がありうるのであろうか。 いくつかの可能性を論じてみたい。
  社会的・経済的リンクと、 宗教的・文化的リンクの不可分性を原理として立てて、 地域の自然とのかかわりを考えたときに、 重要な営みとして考えられるのが、 「遊び」 という問題である。 私は、 人間と自然との関係性を考えたときに、 特に伝統社会における、 主たる生業ではなく、 経済的な点ではそれほどカウントされないとしても、 その地域の人たちの営みとして重要な意味を持っている、 マイナー・サブシステンスの深い意味を考える必要があると考えている。 マイナー・サブシステンスの例としては、 山での山菜取りやきのこ取り、 アユやサケなどの伝統漁、 水田での養魚や水鳥猟があげられるが、 いずれも、 経済的な観点からはカウントできるほどの営みでないにしても、 地域によって多様な形があり、 そして、 その地域の人によって熱意を持って伝えられている重要な営みである。 それは、 季節という自然の経巡る時間の中での営みであり、 生業以上に自然との関係性が深く、 直接的な関係があり、 何よりも重要なのは、 「遊び」 の感覚が濃厚に存在していることである。
  逆に言えば、 伝統社会における 「遊び」 はマイナー・サブシステンスと深い関係があり、 単なる、 文化的・宗教的リンクのみの関係性ではなく、 取って食うことに代表されるような、 経済的・社会的リンクの存在を見いだすことができ、 ここにおいても、 二つのリンクの不可分性が見て取ることが出来る。
  つまり、 地域での人間と自然との深いかかわりを取り戻し、 地域での人間と自然との関係性の深い根源的な問題を考えていく手だてとして、 過去において、 マイナー・サブシステンスの形で継承されてきた問題に現代的な光を与えることがあるのではないかと思われる。 そもそも、 伝統社会における人間と自然とのかかわりのあり方の伝承は、 こうしたマイナー・サブシステンスを通じて、 祖父や祖母から、 また、 地域の他の大人たち、 あるいは子供集団の上の層の人たちによって担われてきた。 そして、 近代、 特に日本においては高度成長期を経ることによって、 そうした伝承の媒体になっていた共同体社会が崩壊して、 そうした伝承が行なわれず、 地域での人間と自然との関係性に関する深いかかわりのあり方が、 伝えられなくなっている。 そのため、 子供たちも、 「自然」 というものが、 以前よりもよそよそしいものとして、 文化的・宗教的な価値があるとしても、 取って食うなどの経済的・社会的な行為を伴わないことによって、 深いかかわりの根源的なあり方を見つめることが不可能になってきている。
  その意味で、 そのような途絶えた伝承を、 特に環境教育という形で再構築していくことが求められている。
  その時に重要なのは、 環境教育と言っても、 学校教育に限定される狭い意味での環境教育に留まらず、 地域における社会教育的側面と大きく関連し、 また、 公の教育機関を越えて、 NGOの活動にかかわるようなことが重要になってきている。
  逆に言えば、 地域から離れてしまっている学校というものが、 こうした新たな環境教育の現場を通じて、 地域の社会教育的な装置と関連し、 また、 NGOという新たな枠組みの人間のみと関係を持っていくことによって、 「学校」 というものを組み換えていく可能性が開けてくる。
  その意味でも、 環境教育は、 決して、 地域の人間と自然との関係性の根源的な問題をから目をそらさないだけでなく、 それを見つめるための地域のさまざまな社会的装置を結びつけ、 学校教育のあり方を根源的に見直すことになる。
  環境教育は、 そういう意味において、 二一世紀の地域社会のあり方を通じて、 地球規模の問題を考えていくだけでなく、 人間と自然との関係性の根源的な問題を問いなおすことによって、 逆に、 地域社会のあり方、 そこでの人間と人間の共同性のあり方を問いなおし、 新たに構想していくことになる。
  そして、 環境倫理はそのような営みを、 根源的なところから支えていくことになる。
  そのようなことを真に可能にしていくかどうか、 そのことが二一世紀の未来のあり方を決定していくことになるのである。


■鬼頭 修一 (きとう・しゅういち)
  1951年愛知県名古屋市生まれ。 1974年東京大学薬学部薬学科卒業。 1977年同大学大学院薬学研究科製薬化学専門課程修士課程修了。 1978年同博士課程中退。 1981年同大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎論専門課程修士課程修了。 1984年同博士課程単位取得満期退学。 1987年山口大学教養部助教授。 1993年青森公立大学経営経済学部教授。 1997年東京農工大学農学部教授、 現在に至る。 著書に 『ローカルな思想を創る』 (共著、 農文協、 1998年)、 『自然保護を問いなおす』 (筑摩書房、 1996年)、 『環境の豊かさをもとめて――理念と運動』 (単編著 『講座 人間と環境』 第12巻、 昭和堂、 1999年) など。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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