10 エンターテインメント・スポーツ・レジャー

21世紀の余暇活動への一提言


山内 悠
( (財)ロングステイ財団評議員 )


日本人の余暇についての歴史と展望
  まず、 日本人の余暇について、 その歴史と、 今後の展望を考えてみたい。
  従来は、 余暇というと文字通り余った時間という意味だった。 なにに対して余ったのかといえば、 もちろん労働、 仕事に対してである。 つまり、 余暇は労働時間の余りもの、 労働があって初めて余暇があると思われていた。 働くことこそが価値ある行為であって、 余暇は、 その大切な労働を円滑に再生産する手段とみなされていたのである。
  だから、 余暇というと、 一日家でゴロ寝をしてからだを休めたり、 あるいは観光地へ行って酒を飲んでバカ騒ぎをしたり、 せいぜい何時間かスポーツをしたりして元気をいれ直し、 また翌日から一所懸命に働くためのものとしか思われていなかった。
  しかし、 最近はこれが逆になって来ている。 難しく言えば手段的余暇から人間的、 文化的欲求としての余暇、 生存的価値としての余暇へと認識が変化してきたということになろう。 余暇自体が自己目的的なものになってきたと言ってもよい。 言い換えれば、 生きがいというか、 自己のアイデンティティを確かめる場は仕事や会社だけでなく、 むしろ、 自分が、 トータルに、 自分らしく社会の全体とかかわる場は余暇であるという認識が次第に一般化してきているのである。
  そうなると、 余暇の過ごし方もいままでのような休息とか、 気晴らしとか、 娯楽という要素だけでなく、 学習、 修練という要素も入ってくる。 そして、 その範囲は趣味、 スポーツだけにとどまらず、 芸術、 文化、 あるいはボランティア活動などの社会的活動とか、 さらには精神的、 宗教的な活動も含まれるようになってくる。 言ってみれば、 釈迦の悟りも、 彼の余暇活動のなかから生まれたものということになる。
  さて、 生きがいという言葉がある。 なかなか意味をつかみにくい言葉であるが、 筆者は、 自分の能力の可能性の開発によって、 自己実現感、 自己達成感を持つということだろうと思っている。 筆者の経験からみても、 何十年も前からあこがれていたヒマラヤの雪を自分の足で踏んだ時の、 自己充実感、 自己達成感はなにものにも換え難いものであった。
  ところが、 大脳生理学等の専門家によれば、 人間は、 普通その持つ能力の10分の1も使わないまま死んで行くもので、 もし能力の5分の1が発揮できたらその人は天才と呼ばれるに値するものなのだという。 そのような潜在能力が開発されれば、 われわれはどれほど自己実現感を持つことができることだろう。
  それでは、 その潜在能力は、 どうすればより良く開発できるのかというと、 再び学説に従えば、 第一に、 その開発は自発的行動によらねばならないのである。 すなわち、 自由な時間に行われなければならない。 第二には、 その開発には、 ある程度の時間がかかるとされる。 開発のための自由時間のボリュームがある程度大きくなければならないというのである。 あくせく仕事に忙殺されていて、 しかもその仕事のなかに自由裁量による改良、 創造の部分が乏しかったり、 自分の好まない仕事であったりしたら、 とても能力は開発されないというのは、 われわれの体験からも、 納得しやすい。
  このような研究の結果、 あらたな能力を開発させ、 すぐれた考えを醸成させる時期としては、 長期休暇などによる相当長い自由時間が最も適しているという結論が導かれることになった。 しかし、 余暇の使い方に慣れていないと、 せっかくの余暇を持て余すということになりかねない。 やっと長期休暇を持てたサラリーマンが、 休暇中にすることがなく、 ちょこちょこ会社に顔を出したり、 定年で退職した人がなにをして毎日を過ごしてよいかわからず、 精神不安定状態に陥ってしまったという話を、 しばしば耳にする。 したがって、 われわれは、 もっと創造的な、 楽しい余暇の過ごし方を学ばねばならないのである。
  ところが、 残念ながら日本の学校教育は、 小学校はいい中学へ行くため、 中学ではいい高校へ進学するため、 高校はいい大学、 大学はいい就職のための準備というわけで、 ほとんどすべては職業準備教育である。 そのため、 余暇の充実に関係の深い音楽、 美術、 体育などは軽視されている。 だが、 音楽や体育などは小さいうちに身につけておかなければ一生苦手になるものなのだ。 そのツケが中年以後になって回ってきて、 せっかくの余暇もゴロ寝でテレビやパチンコなどに消費され、 音楽やスポーツも、 多少ゴルフができてカラオケが歌えれば上々というありさまになってしまう。 ボキャ貧ならぬ余暇貧である。
  このように言うと、 かならず反論する人がいて、 「日本人は仕事をしすぎるというけれども、 外国人だって、 エリートは猛烈な仕事人間で、 残業もするし徹夜もする。 自宅へ仕事を持って帰ることもふつうだ」 ということをおっしゃる。 たしかにそういう面はあるが、 外国人の大部分は、 実は集中的に働いた後、 全く仕事と絶縁する長期休暇をとっていることを見落としてはならない。
  このような余暇についての新しい認識は、 まだ日本の企業経営や学校教育の面にはそれほど反映されてはいないが、 時間に余裕のある高齢者の増加、 労働時間の短縮、 労働のフレキシビリティの漸増 (自由業の増加、 一部企業によるリフレッシュ休暇やボランティア休暇の採用、 終身雇用制の崩れなど)、 海外経験者の増加、 主婦の意識の変化などにつれて、 次第に有力な声になりつつある。
  さて、 次に、 余暇というものを文明史的に考えて見よう。 いま世界が大きく変わりつつあることはだれの目にも明らかである。 東西冷戦体制が終結して、 世界に平和の時代が来るかと思ったら、 とたんに新しい対立が発生した。 南北対立、 あるいは南南対立や北北対立が各地に起こっている。 いままで人工的に異質のものを囲い込んだり分断したりしていた国境を超えて、 それぞれに民族文化の独自性を追求しようという運動が過激化して、 各地で血みどろの民族紛争や宗教紛争が続発し、 それにつけ込んで、 先進国でもナチズムのような偏狭な国家主義の再発が恐れられているのである。 そして、 それらの難題を克服するための新しい秩序、 新しい世界観が求められているのだが、 これは以前の二つの強大国の対立のなかで作られていた世界秩序、 大国中心主義的論理とは違ったものにならざるを得ないという考えが大きな流れになってきた。 そして、 この現在の混乱のもとは、 いわば近代西欧文明にあるのではないか、 だから、 それを克服しなければ新しい形の世界秩序も基本的には見えて来ないのではないかという考えも世界的に広がりつつある。 たとえば禁欲と、 労働の神聖さを主張するプロテスタンティズムは、 まだ世界の社会観の主流ではあるが、 それもここでゆっくりと見直そうという考え方がてできているのである。
  日本でも、 江戸時代を再評価しようという考えが出はじめている。 たとえば、 日本の社会のなかで、 特に企業経営を中心に、 あらゆる組織に根を張っている経済性、 合理性、 効率性、 機能性を過度に重視する思想、 これは明治以後に、 それまで一部に存在した日本的な勤勉・倹約思想と西欧的な合理主義とが合体してでき上がったものであろうが、 日本の庶民は、 昔は、 実はそれほど勤勉ではなかった。 宵越しの金は持とうとしなかった人がたくさんいたのである。 それでも江戸の庶民文化は、 当時の西欧に比べて決して劣るものではなかった。
  明治以後それが変わった。 変わって日本人の生活はほんとによくなったのだろうか。
  考えればギリシャの昔から文明は余暇時間の産物であった。 周知の通りギリシャ語で余暇時間のことをスコーレというが、 これがスクールとかスカラーという言葉の語源になった。 古代ギリシャの人にとって、 余暇は生涯にわたって学問やスポーツや芸術活動をして、 精神と肉体とを向上させる時間であり、 そこからあの絢爛たる文明が生まれたのである。 アリストテレスによれば、 軍事大国スパルタは、 戦争に関しては理想的なシステムを構築していたが、 平和を迎えた時の、 余暇時間の過ごし方を知らなかったために、 平和になるやいなや滅亡の方向をたどらざるを得なかったという。 経済大国日本の将来はどうだろうか。 経済国家から文化国家へ変身しなければ、 その前途は暗いというべきであろう。 しかし、 文化国家に変身できるかどうかについては、 実は余暇の重要性を認識できるか否かが大きくかかわっているといっても過言ではない。  経済的、 社会的に比較的安定していて、 識字率も進学率もきわめて高い日本には、 新しい文明を創造するための一翼を担うという大きな地球的使命が求められる。 そのためには、 認識を変えることが必要である。 バートランド・ラッセルがすでに1932年に次のようなことを言っている。 「ある所に、 社会に必要なだけのピンを作っている人々がいた。 ある時、 頭のいい人が、 いままでの2倍の速度でピンを作る方法を発明した。 その時、 一番いい選択は、 ピンを作る人々の労働時間を半分にして、 いままでと同じだけのピンを作り、 創造された余暇をみんなで楽しむことであった。 ところが、 そうはしないで、 これまでと同じ時間働いて2倍のピンを作ることを始めた。 その結果、 彼等は、 すばらしい幸福をみんなで手にいれる機会を放棄してしまったのだ」 と。 そして、 その結果さまざまな経済摩擦や、 社会的な対立を生むことになったのである。 これが果たして賢い生き方なのか。 ちょっと立ち止まって考える時期であろう。

新しい形の余暇活動とロングステイ
  さて、 ここで、 筆者が現在関係しているロングステイ財団という公益法人、 最近の言葉で言えばNPO組織が推進している 「ロングステイ」 という活動について、 少し説明を申し上げたい。 なぜなら、 このロングステイということが、 今後の日本人の余暇を考えるに当たっての、 ひとつのヒントになると思うからである。
  実は、 このロングステイという言葉は、 まだ多くの人にとって耳新しいものだと思う。 それは当然で、 実はロングステイ財団が1992年に出来た時に、 筆者を含め、 財団設立に関係したものが考えて作った新造語だからである。 そして、 その意味は、 ひとことで言うならば、 一種の海外旅行ではあるけれども、 いままでの今日はロンドン、 明日はパリというようなあわただしい旅行ではなくて、 海外の一定の土地に比較的長期に滞在して、 そこの生活を体験してみる、 地元の人と文化交流をする、 そういうスタイルの海外生活を指している。  ただし、 それだけでは漠然とし過ぎるし、 おもわぬ誤解を招くおそれもあるので、 もうすこし細かく説明をしてみると、
  1. ロングステイは、 あくまでも海外旅行のひとつの形態である。 旅行である以上、 帰国が前提となっている。 したがって、 移住、 永住とは基本的に違う。
  海外旅行には、 いわゆるパッケージ旅行と、 自由個人旅行とがあり、 また、 一か所の滞在期間が短く、 名所旧跡の観光やショッピングなとを中心とする周遊型旅行と、 一か所に比較的長く滞在する滞在型とがあるが、 ロングステイは原則的に自由個人旅行であり、 かつ長期滞在型である。
  2. ロングステイは、 あくまでも自由時間、 余暇を楽しむものである。 自分の余暇を、 ゆたかに過ごすため、 自由意思で、 目的地や、 期間や、 現地でどういう暮らしをするかといったことを決めてでかけるもので、 仕事のための滞在や、 正規の留学は含まない。 したがって、 現地での生活資金の源泉は日本にある。  
  3. ロングステイは、 さきほど述べたように、 旅行ではあるが、 目的地に長期に滞在して生活体験をするというところに、 従来型の海外旅行との大きな違いがある。
  そうすると、 では、 どれぐらいの期間の滞在からロングステイなのかという質問がでてくると思うが、 それについては、 これからの説明でおわかりになると思うが、 13日までの滞在はロングステイではないけれども、 14日以上の滞在ならロングステイであるというように、 機械的に定義するのではなく、 海外での生活スタイルの問題であろうと思う。
  4. いままでの説明からもおわかりのように、 生活体験をすることが基本であるから、 滞在拠点も、 ホテルではなく、 自炊設備のついた施設を利用するということになる。
  以上要するに、 いままでの海外旅行が、 外国という非日常的な場所で、 観光、 外食、 ホテル住まいなど非日常的な生活をするのに対して、 ロングステイは外国という非日常的な場所にいながら、 旅行者ではなく生活者として、 日常的な生活をすることで、 言い換えれば、 従来型の海外旅行が、 単に違う世界を見に行くことであったのに対して、 ロングステイは違う世界を生きるということだというふうに言えるのではないかと思う。
  さて、 このようなロングステイという活動が、 なぜか最近急に関心を持たれるようになってきている。 例のピーターメイルのプロバンスものが大当たりして以来、 ロングステイに関係する本の出版が目立つようになったし、 新聞や、 雑誌、 テレビ、 ラジオどのマスメディアにも、 よく取り上げられるようになった。 そして、 関心の度合が高い層は、 年齢的にみると子育てのいそがしさから解放された40歳代前後から上の女性と、 定年が見えて来た50歳代と、 定年を迎えた60歳代以上の世代で、 全体的には男性より女性の関心が高い。
  それでは、 どうしてこれほどロングステイが関心を呼ぶようになってきたのかといえば、 いろいろ理由はあろうが、 そこで日本人の余暇の変化と大いに関連がでてくる。 いわばロングステイは今後の日本人の余暇活動の方向を先取りするものと思われるのである。
  もうひとつ、 ロングステイを後押しする要因は日本人の国際化である。 海外旅行者は年に1,700万人に達するが、 そこまで海外旅行が一般的になって、 何度となく海外へ出掛けた方がふえると、 もう、 慌ただしく名所旧跡を見て回ったり、 買い物を目的とするような団体旅行は卒業してしまい、 もっと個性的な海外旅行をしたいと思うようになってくるのである。 仕事や留学で海外生活を経験したり、 身内に海外滞在中の人がいるようなケースも、 もう普通になっている。
  そして、 そういう人が、 多少ともまとまった余暇ができたら、 自分の経験をベースに、 もっと自由な、 自分らしい、 旅行案内に載っていないオリジナルな旅をしたいと思うようになる。 これが、 ロングステイへ関心が高まる大きな理由となっている。
  たとえば、 あわただしいパッケージ旅行では気が付かないことなのだが、 しばらく腰を落ち着けると、 海外と日本とでは、 生活のリズムというか、 時計の針の進み具合がずいぶん違うという話しをよく聞く。
  日本の生活は、 なかなか余裕が感じられない。 たとえば余暇生活だが、 外国の人は、 そんなに裕福でなくても、 週末自宅にいて庭の手入れをしたり、 庭に鳥やリスなんかが来るのを眺めたりするのが一番の休養になるという。 ところが、 日本に住んでいると、 休みの日に自分の家にいることが休養にならない。 家も狭いし庭なんてありはしない。 窓を開ければ隣の家がぐっと迫ってくるし、 鳥といえばカラスだけという始末で、 しかたがないから出かければ道は大混雑だしレジャー施設とか美術館、 レストランなんかも混んでいて待たされる。 無意味な時間ばかりかかって、 しかも値段は高いわ、 サービスは悪いわだから、 日本のリゾート地へ行ってもゆっくり滞在なんてする気になれない。 いままでのようなこま切れの余暇であれば、 そんな過ごしかたしかできなかったが、 これからは違ってくる。
  海外の多くの地域と日本では、 日常生活費もずいぶん違う。 一時に比べ、 日本円は米ドルに対してはかなり安くなってはいるが、 それでも海外各地とくらべて見ると、 食料品だとか、 交通費だとか、 あるいはゴルフのプレイ代や、 美術館やら劇場の入場料などというレジャー費は日本は圧倒的に高い。 日本では高額紙幣があっという間になくなるが、 海外では、 財布の中のお金がなかなか減らない。 だから、 ロングステイをすることによって、 安い値段で、 ゆったりとマイペースで海外を味わうということに人気が集まるわけである。 世界各地の美しい自然、 壮大な歴史的建造物、 貴重なものがいっぱいの美術館や博物館、 珍しい芸能や工芸の現場、 おいしいたべものやお酒、 安い費用でゆったりとプレーできるゴルフ場、 日本にいては滅多に観賞できないオペラや演劇などを、 パッケージ旅行のようにあわただしい気分ではなく、 時間をかけて堪能できるというのはたいへん楽しいものである。
  しかし、 それだけではない。 繰り返しになるが、 ロングステイの一番の楽しさは、 生活体験をすること、 現地の社会に肌で触れられることにある。 パッケージ旅行だと結局は日本語のガイド付きの観光バスに乗って、 ホテルに泊まって、 レストランで飯食う相手も日本人ばかり、 要するに、 外国にいても日本人社会から一歩も出ていない。 仕事で外国にいる人も、 交際の相手は同胞が大半で、 外国人とのつきあいは仕事上やむを得ない範囲に限られがちである。 それでは、 個人的な相互理解の関係にまでは達しない場合が多い。 結果として、 海外に長く住んでいても海外のことをわからない人、 わかろうとしない人ばかりということになる。
  先日も、 結構海外経験が長いのに、 「日本は経済大国、 技術大国になったんだし、 文化的にも先進国の仲間なのだから、 海外へ行っても、 その土地の風俗習慣や生活態度に自分を合わせる必要はない」 などと言っている人に出会った。 おそるべき厚顔無恥、 傲岸不遜である。 そんな考えの人が海外に出掛けて行ったら、 本人の評判が悪くなるだけではなく、 日本人全体の顔に泥を塗ることおびただしい。
  そうではなく、 積極的に未経験の社会のなかに入って行って人間的なかかわりを持つこと、 そして、 そこから、 新しいなにかを得ることから、 自己発見が行われることが多いのである。 場所が変われば人も変わる。 国籍も人種も、 考えかたも日常生活の仕方も違う人の中へ入り込んで、 そこで得た経験をもとにもう一度自分を見直し、 新しい人間観を持つ。 自己を発見する。 すなわち自己の創造である。 その時は気がつかなかったとしても、 あとから考えるとそれがロングステイの究極の楽しみ、 喜びになるのである。 そして、 このような実感と、 意識が、 結局は草の根的な国際親善というか、 海外に日本の理解者をふやし、 国内に国際的視野を持つ国際人をふやすことにつながる。 ロングステイはひとつの文化運動であるといわれるゆえんである。
  特に、 最近は世紀末であり、 まさにいろいろな意味で時代の転換期といわれているが、 そういう時代だからロングステイに関心が集まっているのではないかと思う。 いままでの日本の社会には、 つねに右肩上がりというか、 働けば働くほど未来が開けるという確信のようなものがあったのに、 それがこわれてしまった。 まじめに働いていても、 会社がつぶれたりリストラを食らったりする時代である。 あしたがわからない、 将来の展望が得られないという、 一種の閉塞感を皆が感じている。 そして、 いままでの経済成長至上主義を改め、 21世紀は脱経済万能主義の世紀にしよう、 そのかわり心のゆとりとか、 安らぎとかを重視する生活へ転換しようということになって、 そのためにはどうしたらいいか、 個人も社会も、 それぞれの立場でその答えを模索しているように思う。 そのヒントを探すためにも、 一度日本を離れて生活感、 価値観の違う海外で生活してみることが参考になる。 日本より一人当たりのGNP は低くても、 もっとみんながゆったりした楽な生活をしている国はたくさんあるわけで、 ロングステイすることによって、 どうしたらそんな暮らしができるかを見付けることができる。 ロングステイの意義はそういうところにもあると思う。
  ここで、 ロングステイによる生活体験がどのように自己の再発見につながるかということについて、 筆者の友人A氏の実例を紹介したい。 彼は退職者なのだが、 結婚した子供家族とどうもうまくいっていなかった。 たまたま海外へ行ってしばらく暮らさないかと誘われ、 夫婦で出掛けたが、 海外生活というものはなかなか自分たちの考え通りにならない。 エアコンがこわれた、 水道が漏れてるといって電話しても、 業者はあした行きますと言うが、 まず来ない。 そこでいらいらして怒れば、 事態はよけい悪くなるばかりである。 それに、 外国人の老夫婦が、 子供夫婦とはサバサバと割り切って付き合っているのを見る機会もある。 そこでA氏夫妻は、 「あヽ、 自分たちはいままで子供に干渉しすぎていたなあ」 とか、 「どうも、 これぐらいのことは言わなくてもわかってくれると勝手に思いこんでいたなあ」 とか、 自分側の態度にも問題があったことに気が付いたのだった。 そして帰国してからも子離れした自立的な生活が持てるようになったということである。 これは、 まさに高齢者の自己発見の旅、 自立の旅であり、 ロングステイがすばらしい学習になったわけで、 こういう姿こそ新しい余暇活動の例ではないかと思うのである。


■山内 悠 (やまうち・ゆう)
  1932年東京生まれ。 慶応義塾大学経済学部卒。 住友信託銀行に入社し、 主に調査業務を担当、 専門は高齢者問題。 その後、 財団法人ロングステイ財団の常務理事を経て現在評議員。 著書に 「はじめての海外ロングステイ」 (明日香出版社・1997年) など。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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