10 エンターテインメント・スポーツ・レジャー

2つの週刊誌が「日本一」を呼号


篠田博之
(メディア批評誌『創』編集長)


  さる3月29日付の朝日新聞に掲載された二つの全面広告が一部で話題になった。 ひとつは 『週刊現代』 の創刊40周年記念広告なのだが、 「ついに日本一!」 の特大文字が躍っている。 そしてその何ページか後を開くと今度は 『週刊ポスト』 の30周年記念広告が載っており、 そこにはこう書かれているのである。 「総合週刊誌実売部数第1位を独走中!」。 ライバルである二つの週刊誌が互いに 「日本一」 を呼号し牽制しあっているのである。
  この20年ほど、 総合週刊誌のトップを走ってきたのは 『週刊ポスト』 だった。 一時 『週刊文春』 に抜かれたことはあったが、 最盛期には2位の 『週刊現代』 に倍近い差をつけての独走態勢を誇っていた。 ところが、 最近はじりじりと部数を下げ、 『週刊現代』 が肉薄する事態になっているのである。 『週刊現代』 にとってはトップの座を奪うのはまさに悲願。 40周年記念に、 それっとばかりダッシュをかけたのだった。 「日本一!」 の文字は新聞広告だけでなく車内吊りなど同誌の他の広告にも躍ったのだが、 『週刊ポスト』 関係者に言わせるとこうである。
   「いや、 向こうは敢えて刷り部数を1万部乗せて、 うちを抜いたとか言ってるだけで、 実売ではうちの方が上だ」
  両誌のトップ争いは熾烈さを増すばかりだが、 ただそれが話題になっているのは業界の一部のみ。 いまひとつ盛り上がりに欠けているのは、 総合週刊誌が総体として低落傾向を続けており、 そのなかでの争いでしかないからである。
  週刊誌はテレビのワイドショーと並んで大衆ジャーナリズムの代表的存在である。 オウム事件や、 昨年の和歌山カレー事件のような大事件があると総体として部数が上がり、 そうでないと低迷するというように、 世の中の動きに敏感に反応する。 そうやって常に上下動を繰り返しながら、 しかし総体としてじりじりと低落を続けているのである。 つまり、 そうした週刊誌そのものがいまやオジサン雑誌と評され、 読者の高齢化、 若者離れを起こしつつあるのである。

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『女性自身』 リニューアルの失敗
  大きな曲がり角を迎えているのは男性週刊誌だけではない。 この3月、 『女性自身』 の編集長交替が業界で驚きをもって迎えられた。 定期異動の時期でもない更迭ともいうべき突然の交替だったのだが、 小井貞夫前編集長が就任したのは昨年の8月。 つまりわずか半年で編集長の任を解かれてしまったのである。 それはあんまりではないか、 と担当役員が会社トップにかけあったらしいが、 非情の決定は覆されることはなかった。 理由は急激な部数減であった。
  10万部単位で部数が落ちたというその理由は、 明らかにリニューアルの失敗だった。 小井前編集長は、 就任直後から意欲的に誌面刷新に着手し、 まず表紙をシャレた白いデザインに変えた。 さらには芸能スキャンダル誌とでもいうべき現在の女性週刊誌のイメージを改めることを内外に公言したのであった。
  女性週刊誌の代表は 『女性自身』 『女性セブン』 『週刊女性』 の三誌だが、 文字がゴチャゴチャと入った表紙 (それを汚いと見る一部関係者の間では 「ゲロ雑誌」 などと称されてもいるのだが)、 記事のトップを飾る芸能スキャンダル、 占い・心霊写真といった怪しげな企画、 といった泥臭さを特徴としている。 やはりこの10年ほど部数のジリ貧化に直面しているのだが、 その理由が、 泥臭いイメージが若い女性に支持されなくなっているから、 とされている。 例えば 『Hanako』 のような体裁のシャレた雑誌に変身しないと先細りしてしまうと、 作り手の側も危機感を持ってはいるのである。
  そのリニューアルに最も果敢にチャレンジしてきたのは、 三誌のうちトップを走ってきた 『女性自身』 であった。 シャレた白い表紙への変身は、 今回が初めてではなく、 過去にも何度か試みては、 その都度失敗してきたのである。 特に今回の部数の落ち込みは相当なものだったようで、 『女性セブン』 に三誌中トップの座を奪われたのはもちろん、 一時は 『週刊女性』 にまで抜かれたともいう。
  雑誌のリニューアルというのは、 実はかなり難しい。 単行本と違って雑誌はひとたび固定読者を抱えると、 ひとつの生きもののように読者とともに成長・発展を遂げる。 女性週刊誌の泥臭いイメージも長年かかって作られたもので、 それを急に変えると、 新しい読者をつかむ前に古い読者が離れてしまうのである。
  若い読者を獲得するために誌面を変えるという小井前編集長の考えは、 決して誤りではなかった。 ただ商業雑誌の編集者は結果を出さなければ負け、 である。 一時的に部数が落ちるのは織り込みずみだったろうから、 本人としては半年で更迭されるのは無念の極みに違いない。 もう少し結論を出すのを待ってほしいと会社側に主張したはずである。 しかし、 不幸なことに一昨年来の出版不況の中で、 会社側にも経済的余裕がなかった。
  突然の編集長交替の後、 後任に就いたのは何と同誌の前担当役員・横田可也氏。 つまり同誌が黄金時代だった何代も前の元編集長をカムバックさせたのだった。 今回の人事がいかに唐突だったかを物語ってもいるのだが、 ともあれ表紙は再び元のゴチャゴチャにそっくり戻ってしまった。 この半年の試みが失敗だったと公言するような、 何ともわかりやすい変身劇だったのである。

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団塊の世代と週刊誌
   『週刊現代』 が40周年、 『週刊ポスト』 が30周年と先に書いた。 『週刊ポスト』 は総合週刊誌の中では後発誌で、 実は 『週刊新潮』 『週刊文春』 『女性自身』 など大半の週刊誌が大体創刊から40年くらいを迎えている。 その前には 『サンデー毎日』 や 『週刊朝日』 のように戦前以来の歴史を持つ新聞社系週刊誌があるのだが、 今日主流を占める出版社系週刊誌が次々と誕生したのは1950年代後半のことであった。
  出版社系週刊誌の草創期と言われるこの時期には、 総合週刊誌だけでなく、 『少年マガジン』 『少年サンデー』 というマンガ週刊誌も誕生している。 美智子皇后の結婚が国中の話題になったミッチーブームから東京オリンピックへと至るその時期は、 市民社会にテレビが普及していった時代でもある。 白黒テレビでプロレスを観戦し、 マンガ週刊誌を愛読するという少年時代を過ごしたのが、 いわゆる団塊の世代であった。
  この団塊の世代と週刊誌というメディアは切っても切れない因縁を持っている。 例えばマンガ雑誌は、 その後その世代が大人になった60年代末以降、 『ビッグコミック』 を始めとする青年コミック誌、 つまり大人向けのジャンルを確立していく。 80年代から90年代にかけて大人向けマンガの市場は急成長を遂げ、 いまやマンガは子供向けのメディアとは言えなくなった。 マンガをいまだに子供向けのものとイメージしているかどうかで世代が区切れるのだが、 ちょうどその区切れ目が団塊の世代なのである。
  そして 『週刊現代』 など総合週刊誌が固定読者として抱えてきたのは、 この区切れ目の上側の世代であった。 もちろんこの十数年、 各誌とも若い読者をどう獲得するかが至上課題で、 『週刊文春』 や 『週刊朝日』 のように多少は成功したものもあるから、 単純に読者が丸ごとオヤジ化しているわけではない。 しかしマーケットとして見るならば、 いわゆる総合週刊誌が週刊誌の主流だった時代は終わりをつげつつあるといっても過言ではないのである。
  冒頭に 『週刊ポスト』 と 『週刊現代』 がトップ争いをしていると書いたが、 両誌の部数はいずれも実売で70万部台である。 ところが同じ週刊誌でもテレビ情報誌 『ザ テレビジョン』 は100万部前後もの部数。 さらには 『少年マガジン』 『少年ジャンプ』 などのマンガ雑誌になると400万部台と言われている。 一時、 怪物雑誌と言われた 『少年ジャンプ』 は黄金時代には600万部台を誇っていた。
  子供向け雑誌も含めてしまうと話はややこしくなってしまうから除くとしても、 例えば20代の若手ビジネスマンにとって、 身近に読んでいる週刊誌といえば 『週刊現代』 や 『週刊新潮』 ではなく、 青年マンガ誌や 『東京ウォーカー』 のようなエンタテイメント情報誌なのである。

若者向け週刊誌の市場
  もちろん若者向けの総合週刊誌が存在しないわけではない。 代表的なものが 『週刊プレイボーイ』 と 『SPA!』 である。
  既存の総合週刊誌のなかでは最後発で、 81年創刊当時としては若者をターゲットに据えていたのが 『週刊宝石』 だが、 この雑誌もいまや主要読者は40代以上。 その下となると総合週刊誌は 『SPA!』 と 『週刊プレイボーイ』 を除いてほとんど空白といってよい。
   『SPA!』 は、 もともと 『週刊サンケイ』 というオヤジ雑誌をリニューアルしたものである。 ほとんど原型をとどめないほど変えてしまったから、 これはリニューアルというより創刊に近い。 発行元は 「新装刊」 と言っていたが、 ともあれスタートした当初から、 既存の週刊誌よりも下の世代をターゲットに据えていた。
  総合週刊誌といっても、 『週刊宝石』 までの既存誌と、 『SPA!』 とでは大きな違いがある。 まず活版印刷でなくいわゆるビジュアル誌だという体裁の違い。 カラー印刷のページが多いため、 印刷に時間がかかり、 ぎりぎりのニュースを締切間際に突っ込むといった芸当はあまりできない。 内容もいきおい、 ニュース重視でなく、 企画ものが中心となる。 『SPA!』 におけるニュースのページというのは極めて少ないのである (ちなみに最後発の既存週刊誌である 『週刊宝石』 も他誌に比べて企画ものが多いのが特徴である)。  つまり読者ターゲットを若くしたことが、 雑誌のコンセプトにも関わる大きな違いを伴っているわけで、 これは結構大きな意味をもっている。 政治や事件、 ニュースといった要素よりも、 個人のライフスタイルが主要なテーマになる。 全共闘運動の挫折という時代的転換を70年代に経て、 それ以前と以後の若者のイメージは大きく変容するのだが、 ちょうどそれに対応するように雑誌の基本コンセプトも変貌を遂げているのである。
  実はちょうど 『SPA!』 と同じ市場に参入せんと一昨年、 総合週刊誌が創刊され、 半年であえなく休刊という憂き目にあっている。 あのパソコン業界ではよく知られた会社アスキーから創刊された 『週刊アスキー』 である。 パソコンやゲーム専門誌では定評あるこの会社が初めて総合週刊誌に進出したと、 鳴り物入りで喧伝されたこの雑誌は、 大赤字を出した挙げ句、 一時休刊した後、 パソコン専門誌として再スタートして現在に至っている。 アスキーにとっては専門誌から一般誌に手を伸ばそうとして大ヤケドをおい、 再び元のさやに収まったというわけだが、 週刊誌の世界からすると、 この事件、 大事な意味を持っていたのである。
  何よりも久々に総合週刊誌を立ち上げたのが出版界のエスタブリッシュメントでなく、 コンピュータの会社だった、 という事実が極めて象徴的である。 団塊の世代が、 子供の頃からマンガ雑誌に慣れ親しんだ、 いわゆる劇画世代といわれた層であることは前述した。 マンガというのは、 かつては活字文化に対抗する新しいビジュアルな文化だった。 団塊の世代は、 既存の価値観や文化が変化を遂げる時代の変わり目に生まれついた世代なのだが、 いまやメディアの主流はもうひとつ下の世代によってもう一周り転回を遂げようとしているのである。 団塊ジュニアと言われる今の若者にとって新しいメディアとは、 パソコンであり、 コンピュータゲームなのであった。 敗退したとはいえ、 アスキーが総合週刊誌への進出を試みたことの時代的意味は決して小さくない。

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エンタテイメント情報誌と電子メディア
  マンガと並んで、 今日、 週刊誌市場で急成長を遂げているのがエンタテイメント情報誌である。 特に角川書店のウォーカーシリーズは破竹の快進撃を続けている。 『東京ウォーカー』 が創刊されたのは90年。 それまで 『ぴあ』 が占めていた都市型情報誌の市場に殴り込みをかけたのだが、 今では完全に 『ぴあ』 を部数で凌駕している。
  そしてその後は、 『関西ウォーカー』 を創刊して関西に進出。 さらには 『九州ウォーカー』 『東海ウォーカー』 など各地域に足場を拡大、 首都圏でも 『横浜ウォーカー』 を成功させ、 今年は 『千葉ウォーカー』 を創刊する予定。 さらには台湾に進出して 『台北ウォーカー』 を創刊することも決まっている。 『東京ウォーカー』 や 『関西ウォーカー』 をそれぞれ別な雑誌とみると部数は実売で30万から50万部なのだが、 これらを有機的に連動したひとつの大きな媒体とみると何百万部という大きなメディアになる。
  もちろんこれらを既存の週刊誌と同じ雑誌と考えるのは無理がある。 それは例えばリクルート社が発行している住宅情報誌や就職情報誌を、 雑誌のランキングを行う場合に除外するのと同じである。 たまたま現在は出版物の形態をとってはいるが、 それは情報を流す手段としてこれまで印刷物がメインだったからに過ぎないのであって、 インターネットがもっと普及すれば、 恐らく情報誌の大部分は電子メディアにとって替えられるだろう。
  つまり現在の週刊誌全体のマーケットは、 行く行くは電子情報が主流となるいわゆる情報誌と、 ジャーナリズムの機能をメインとした総合週刊誌、 それに娯楽を主体としたマンガ雑誌とが同居している状態にあるのである。 週刊誌といえば総合週刊誌を指した時代はマーケットとして見れば終わりつつある、 とはそういう意味である。
  総合週刊誌がいま最も意識しているメディアは恐らくテレビだろう。 ニュースや事件を追っている限りではテレビの速報性に活字メディアはかなわない。 特にワイドショーや情報番組が隆盛な現在においては、 5W1Hを伝えるだけでなく背後の人間ドラマに迫るといった週刊誌本来の手法も、 テレビにそっくりお株を奪われた状態である。 週刊誌の誌面で事件ものがウエイトを下げ、 企画ものが増えているのはそのためでもある。
  そうしたなかで総合週刊誌がいったいどこに照準を定めていくべきなのか。 難しい岐路に立たされているのは確かだろう。

講談社第一編集局長更迭の波紋
  この3月、 前述した 『女性自身』 と別な意味で、 週刊誌がらみの人事として注目されたのが、 講談社の第一編集局長の更迭だった。 辣腕として知られた元木昌彦前第一編集局長が突然、 その任を解かれ、 企画室長へ転出となったのである。 第一編集局は 『週刊現代』 や 『フライデー』 を擁する講談社のジャーナリズム部門で、 新設の企画室なる部署への異動は、 誰が見ても更迭人事であった。
   『週刊現代』 は 『週刊ポスト』 に肉薄する勢いだし、 『フライデー』 も部数を拡大していたから、 この時期の元木局長の更迭は、 社の内外で驚きをもって迎えられ、 臆測が乱れ飛ぶことになった。 昨年秋、 右翼団体が 「元木一派は講談社の癌だ」 なる抗議文とともに講談社と野間佐和子社長の自宅に何度も街宣車攻撃をかける事態があったし、 出世コースを歩む元木氏を社内でうとましく思う勢力もあったから、 仕掛けられた更迭劇ではないか、 と見る向きもあった。
  現時点での多くの見方はこうである。 元木局長は、 現役の週刊誌編集長だったころからイケイケ路線で知られ、 彼の部下が編集長に就いている現在の 『週刊現代』 と 『フライデー』 も突撃精神で部数を伸ばしてきた。 ところが一方で、 訴訟を抱えたり、 トラブルを抱えたりするケースも急増したため、 会社側が頭を抱え、 軌道修正を図ったのではないかというのである。
  確かに 『週刊現代』 『フライデー』 に関するトラブルは、 この間、 かなり目についた。 最近で言えば 『週刊現代』 の記事で朝日新聞社から訴訟を起こされたケースで講談社側が敗訴しているし、 昨年は国税庁の高額納税者リストを 『フライデー』 が発表解禁日前に掲載して、 情報を洩らしたとされる日本経済新聞記者が退社するに至ったり、 オウム麻原裁判を隠し撮りして裁判所に厳重抗議されたこともあった。 そして決定的とされるのが、 『フライデー』 98年9月11日号が和歌山カレー事件の林夫妻だとして隠し撮りした写真を掲載したところ、 2人とも人違いだったという事件である。 夫とされたのはたまたま夫妻宅を訪れた知人、 妻とされたのは何と当時中学生の娘だったという、 弁解の余地のない誤報だった。 講談社は指弾を受け、 前述した右翼の攻撃もこの後始まった。

部数拡大と人権侵害のジレンマ
  もともと出版社系週刊誌は、 新聞ジャーナリズムに対抗するゲリラジャーナリズムとして出発した。 新聞が書けないスキャンダルも記事にし、 事件報道などでもウラが完全にとれない微妙な話も活字にした。 倫理に縛られた新聞社系週刊誌を出版社系週刊誌が凌駕していった原動力がそのゲリラ性にあったことは疑いない。 それを保証する突撃精神は、 部数を押し上げる要因だが、 同時に人権侵害といった非難を呼び込む要因でもあった。
  昨年春に 『フライデー』 編集長に就任した加藤晴之氏がまず手がけたのは、 覚醒剤で逮捕された女優・三田佳子の息子の写真のスッパ抜きだった。 目伏せをしてあるとはいえ、 少年法によって保護されるべき高校生の写真が掲載されたことで、 母親の三田佳子はショックを受け、 野間社長に抗議の直談判を行っている。 人権の観点からは非難されて然るべき企画だが、 売れ行きは上々で、 以後、 『フライデー』 はイケイケ路線を突っ走ることになった。
  前出した和歌山カレー事件、 林夫妻の写真を誤った件もその流れで、 問題の号の発売は8月28日。 逮捕間近との情報が一斉に流れた (実際の逮捕は1カ月以上後の10月4日) のを受けて、 それっとばかりに夫妻の写真掲載に踏み切ったのであった。 ところが締切間際の慌ただしい作業だったため、 確認が十分でないまま別人の写真を掲載してしまったというわけである。
  この事件は、 社内的にも大きなしこりを残し、 11月から12月にかけて、 契約記者などを集めて社内説明会が行われ、 同誌幹部が責任を追及され、 吊し上げを受ける一幕もあった。
  部数拡大と人権・プライバシー侵害とが裏腹な関係にあるのが週刊誌の特徴である。 理論的には、 その攻撃性が権力や政治家に向けられた場合と、 和歌山カレー事件での人違いのような市民に対する人権侵害とは区別して論じられるべきなのだが、 現実にはその線引きはそう単純ではない。 週刊誌の場合、 スクープをものにする記者ほど訴訟を抱えることも多いという面があるのは確かである。
  商業雑誌の編集者にとって部数拡大は一番の使命だが、 それによってトラブルも増えていくと、 思わぬところで足をすくわれることにもなる。 講談社の元木編集局長の更迭劇はその象徴的な事例だろう。 これは同時に、 週刊誌ジャーナリズムが今後どの方向に向かうべきかを考えるうえでも示唆に富んだ事例といえる。
  権威・権力に果敢に挑み、 大衆の溜飲を下げさせるというのがゲリラジャーナリズムの存在意義であった。 エンターテインメント情報誌などがいかに週刊誌市場を侵食しようと、 ジャーナリズム的機能の必要性はなくなることはないし、 総合週刊誌の存在意義も失われることはない。 しかし今日、 事件やニュースの速報性の点ではテレビメディアに凌駕され、 人権意識の高まりで単純な突撃精神が称揚される時代は終焉した。
そのレゾンデートルともいうべきジャーナリズムの領域においても、 総合週刊誌は大きな曲がり角を迎えているのである。


■篠田 博之 (しのだ・ひろゆき)
  1951年茨城県生まれ。 一橋大学経済学部卒。 1981年より月刊 『創』 編集長。 現在は創出版のオーナーも兼ねる。 日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。 早大講師。 日本エディタースクール講師。 東京新聞等に週刊誌評 「週刊誌を読む」 連載執筆。 共著に 『差別表現を考える』 (光文社)、 『筒井康隆 「断筆」 めぐる大論争』 (創出版) など。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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