1 科学・情報技術社会

生命
 ――解明された分子機械


長野 敬
(自治医科大学名誉教授、河合文化教育研究所主任研究員、野間科学医学資料館理事)


1 前置き ―― 近代生物学のスケッチ
  20世紀後半に生物学は大きな変革をとげた。 近代生物学が現代化したとも、 表現できるだろう。 議論の導入として、 その経過を簡略に回顧してみる。
  19世紀の初頭に、 それまで分類収集と個別観察を中心としていた 「博物学」 的な生物学から一歩を進めることの象徴として 「生物学 biology」 の語が看板として掲げられた (ラマルクとトレヴィラヌス、 1802年)。 その世紀の後半から終りにかけて、 一方では実験生物学の各分野が形を整えはじめ、 他方ではダーウィンの進化論が世に問われて (『種の起原』、 1859年)、 生物学は近代化した。 20世紀に入ってしばらくの間、 近代化した生物学の旗手となったのは生化学だった。 生化学の典型的なスタイルは、 生体の代謝経路を明らかにするとともに、 代謝遂行の本体である酵素をイン・ヴィトロ (ガラス器具内) に取り出して単離精製し、 タンパク質性の触媒としての性質を詳細に調べることだった。
  しかし細胞内での多数の酵素は、 無構造の均質溶液として存在しているのでなく、 複雑に構成され、 制御されて働いているに違いない。 そうでなければ、 細胞がひとりで生き続けていることの説明がつかない。 また酵素の仕事場である細胞は、 最初からそのままの形で与えられているのでなく、 受精卵から一連の個体発生の過程を経て、 肝細胞、 筋細胞、 神経細胞など全身の分化した細胞となり、 それぞれのスタイルで全身の活動を分担する。 しかも、 できあがった成体がどのような生物種に属するかという鍵は、 最初の受精卵にすでに潜んでいる (「カエルの子はカエル」)。
  してみると旗手である生化学は、 二つの大きな分野を背後に置き去りにしたまま、 破竹の進撃を続けたことになる。 受精卵はなぜ、 どのように、 予定された通り親と同じもの (成体) になるのかという発生学が、 問題の一つ。 そして他の一つは、 親から譲り受けた 「予定」 とはそもそも何であり、 どのように受け継がれるのかという遺伝学。 両者は深く重なり合う分野であり、 両者に共通する基本的な 「鍵」 は遺伝子が握っている。
  遺伝の研究もまた20世紀とともに (メンデルの再発見は正確には19世紀最後の年、 1900年だが)、 実験遺伝学として近代的な発展をとげた。 しかしここにいう 「実験」 の内容は、 どういう遺伝形質をもつ両親からどんな子が生まれるかという記載や、 親のショウジョウバエに放射線を浴びせると子にはどのような突然変異が現れるかという観察だった。 ここでもまた実験遺伝学は基本問題であるべきはずの、 親から子に譲られたり放射線でダメージを受けたりする遺伝子の本体は何かという問題を背後に置き去りにしたまま、 発展していった。

2 突破口と展開 ―― 二重らせんからバイオへ
  生物学の問題が 「遺伝子」 に集約されてきたという感じは、 1940年代の論文のあちこちに漂っていた。 しかし問題を直撃してその解答と、 また当然ながらノーベル賞を得たのは、 遺伝現象から掘り下げてゆく在来型のアプローチからでなく、 ともかく遺伝子の実体は何かと問題を絞りこんで追求したワトソンとクリックだった (DNAの二重らせんモデル、 1953年)。 遺伝子イコールDNAという解答が案出され受容された経過は、 あらゆる解説書に見られるので、 ここでは触れない。 ただこのモデルが、 遺伝子に求められる二つの資格に見事に適合していることだけ、 要約して述べておく。 二つの資格は 「遺伝情報」 および 「複製」 というキーワードで示すことができる。
  (1)DNAは4種類のヌクレオチドという単位 (A・G・C・Tと略記される) がつながった鎖状の長大な分子である (ヌクレオチドの四種類を特徴的に区別するのは塩基という部分なので以下便宜上、 塩基と表現する)。 一本の鎖に沿って塩基の並び順 (配列) を読むと、 これはモールス符号と同様に一種の暗号として解読される。 その解読結果が、 まさにタンパク質に他ならない (タンパク質もまたアミノ酸という単位がつながった鎖状分子である)。 モールス符号の 「―」 と 「・」 とスペースの配列が、 文字の配列の情報を暗号として含むのと同様に、 DNAの塩基配列は、 タンパク質のアミノ酸配列を 「遺伝情報」 として含んでいる。
  (2)DNAの二重鎖で向かい合う塩基の間には、 決まった組み合わせがある (A対TおよびG対C)。 したがって二重鎖は一本ずつにほどけて、 それぞれを手本として新たに二重鎖が合成されれば、 親二重鎖とそっくり同じ二重鎖が二組 「複製」 されることになる。
  こうして遺伝子という鍵が開かれて、 近代生物学は、 分子生物学という現代のフェーズへと踏み込んだ。 これは生物学の基礎学問の再編成だけでなく、 実地応用の面でも意外に急速に、 大きなボーナスをもたらした。 「意外に急速」 というのは、 当初は、 二重らせんモデルで遺伝子という鍵は開かれたとしても、 遺伝子を思うままに手直ししたり、 切り出して他の生物に移し入れたりするには大きな困難があって、 かなり先のことと見られていたからである。 たとえばイギリスの科学ジャーナリストのテイラーは、 当時としては出色の未来展望を1968年に提出したのだが (『人間に未来はあるか』 [原題は 『生物学的時限爆弾』]、 表1)、 そこでも多くの生殖技術などがかなり的確に未来予測されているのに対して、 遺伝子を操作する技術は2000年以後に割り当てられいる。 これは単に彼の見通し違いでなく、 この時点では多くの研究者の判断でもあった。 つまり何万となく単調に並ぶAGCTの塩基配列を、 特定のところで切ったりつないだりする分子的な鋏が得られるとは、 期待しにくかったのだ。 特異的にDNAを切断する鋏は制限酵素と呼ばれる一群の酵素であり、 それぞれ違うタイプの制限酵素が手近のあらゆる細菌に含まれていて、 容易に取り出して利用できることが間もなく見いだされ、 「バイオ」 の時代を開くことになる。
  制限酵素を用いた遺伝子操作の基本技術は、 多くの解説書に説明されているのでここでは触れないが、 この技術によって開かれた新しい可能性は、 次の世紀を論ずる中心の枠組みとして、 整理しておく必要がある (表2)。

表1 生物医学技術の未来予想(テーラー、1968年)
第1期(1975年まで)
  • 四肢や臓器の移植の範囲拡大
  • 受精卵の子宮への移植
  • 生まれる子の性の選択
  • 精神変換薬、欲望の制御
  • 不完全な人工胎盤
  • 人間の卵の試験管内授精
  • 卵と精子の長期保存
  • 臨床死を延期させる広範な手段
  • 記憶の抹消
  • 人工ウイルス
第2期(2000年まで)
  • 大規模な精神変換と人格改造
  • 記憶注入と記憶の編集
  • 生命の複製、再編成された生物
  • 若々しい活力の長期維持
  • 単細胞生物の合成
  • 人間と動物のキメラ
  • 人間と動物の知能増強
  • 完全な人工胎盤と真のベビー生産工場
  • 冬眠と長期の昏睡状態
  • 最初のクローン化動物
  • 臓器再生
第3期(2000年以降)
  • 老化のコントロール        
  • 身体から分離された脳
  • ◎遺伝子の挿入と削除
  • 脳と脳の結合
  • 死の無限の延期
  • 複雑な生物の合成
  • 脳とコンピューターの結合
  • クローン化人間
  • 人間と機械のキメラ

表2 遺伝子技術の類型
分野 操作対象 情報素材 求める結果 操作の目的
生産 大腸菌等 制御領域+cDNA 翻訳産物生産 翻訳産物収穫
研究(1) 細菌、酵母 [制御領域]+cDNA 遺伝子増幅 配列の解析
研究(2) 培養細胞 制御領域+指標遺伝子 制御現象 cis-配列,trans
因子の機能解析
研究(3) 培養細胞 [制御領域]+遺伝子 安定な発現 細胞の形質転換
育種 飼養生物の細胞 [制御領域]+遺伝子 安定な発現 個体の品質改良
診断 細胞、DNA断片 採取試料 配列の情報 異同の判別
治療 人体(の細胞) [制御領域]+遺伝子 安定な発現 治療効果

  (1)遺伝子操作の出発点は、 生物からある遺伝子Gを取り出して、 これを細菌などの受け入れ細胞Rに導入し、 遺伝子の翻訳産物Pを生産させることだった。 Pは必ず、 なんらかのタンパク質分子である。 この筋道は単純だが、 けっこう手間と金のかかる手順なので、 Pとしては付加価値の高いタンパク質でないと、 技術としては割に合わない。 典型的な例として人間の成長ホルモンがある。 脳底の脳下垂体という豆粒状の器官から分泌されるタンパク質性のホルモンで、 思春期の身体成長に必須であり、 欠乏すると背丈が伸びない。 バイオ技術以前には遺体から得る僅かのホルモンのみが治療薬で、 需要に追いつかなかったが、 遺伝子を大腸菌に導入してホルモンを生産させることで、 供給不足はいまや解消した。 糖尿病患者にとっての福音であるインシュリンも、 それまでブタやウシから得ていたものが、 大腸菌からヒトのインシュリンそのものを得ることができる。
  受け入れ細胞Rとしては、 初期には大腸菌のみが用いられていたが、 枯草菌 (納豆菌の親戚) なども使われるようになり、 技術としてそれなりの発展を見せているが、 目ざましく見える割には制約もある。 産物Pは 「付加価値の高い医薬用のタンパク質」 ということにほぼ限られるので、 種類はそれほど多くなく、 需要でも最初から一定の枠がある。
  (2)遺伝子操作の基本技術は、 この技術を生みだした生物学の研究自体にも見返りをもたらした。 生体のタンパク質のうち、 ことに細胞の膜構造に参加している各種のタンパク質などは、 もともと微量かつ水に溶けない性質なので、 研究が難しかったのだが、 こうしたタンパク質の遺伝子を 「釣りだし」 て微生物細胞に与えることにより、 (1)と同様に産物を得ることができる。 ただしこうした研究面では、 産物であるタンパク質自体を手にすることは必ずしも必要でなく、 そのアミノ酸配列が分かれば、 タンパク質の分子モデルを想定することができる。 そのためには、 釣りだした遺伝子をDNAレベルで増幅させて、 塩基配列の分析に便利な程度の量を得ることができればよい。 DNAの塩基配列からタンパク質のアミノ酸配列へのモールス符号式の翻訳は、 コンピューターに任せれば解答が得られる。 こうして膨大な 「細胞の分子生物学」 の知見が得られてきた。
  (3)以上では、 受け入れ細胞Rは単に産物タンパク質Pの生産 ((1)の場合)、 あるいは増幅された遺伝子Gの生産 ((2)の場合) のためのミクロ工場として利用されているだけである。 しかしPが、 受け入れ細胞Rの生命活動自体に干渉する場合もあるので、 こうした場合にはRの性質が変わることになる。 つまり遺伝子Gが細胞の性質をどのように決めているか、 どのように重要かを探る手段をも、 遺伝子技術は提供する。 たとえば培養細胞に遺伝子Gを導入したとき細胞が永続増殖する (不死化する) 現象は、 発がん機構の研究に不可欠の一面となっている。
  (4)じつは遺伝子Gの作用発揮 (遺伝子の発現という) は、 通例としてそれだけ切り離して導入したのでは始動しない。 発現を開始する 「きっかけ」 となる先頭部分 (これもDNA鎖の一部分) の後ろに、 やはりDNAであるGをつなげ、 一緒に導入しなければならない。 開始のためのプロモーターや、 その機能を促進・増幅するエンハンサーなどが、 こうした先頭部分である。 発現の開始・促進にどんな部分配列が働いているかは、 細胞の種類ごとに違う。 個体の細胞が、 同じ受精卵から発しながら肝・筋・神経などの違う細胞に分化してゆく原因は、 こうした開始・促進配列の違いと、 動的な制御によっている。 1で指摘した発生学と遺伝子の 「重なり合い」 部分の具体的な解明はいま、 そして次の世紀にも引き続いて、 生物学研究の一つのフロントであり続けるだろう。
  (5)現実の生物では、 遺伝子の種類だけでなく、 それらがいつ、 どの部分で発現するかという動的なプログラムが、 最初の受精卵に圧縮されてすべて存在している (もちろん現実の発生では外からの 「きっかけ」 を得て事態は展開し、 また変更されてゆくだろうが、 応答するものが内側になければ 「きっかけ」 は働きかけることができない)。 受精卵に外来遺伝子を導入すれば、 この異質の遺伝子は全身すべての細胞で発現し、 場合によっては個体の性質を変えることになる。 この種の実験で人目を驚かす一例として、 「光る植物」 の育成があった。 ホタルが光るのは、 ルシフェラーゼという酵素が体内のルシフェリンという物質を分解し、 分解時のエネルギーが熱などとならずに光として放散されることによる。 ルシフェラーゼの遺伝子を、 タバコの胚に導入した実験例がある。 胚を育てて苗とし、 これに水栽培の要領でルシフェリンを与えれば、 苗全体が光ることになる。 こうして光を発するタバコ苗を印画紙に感光させた写真は、 何年か前の科学雑誌 『サイエンス』 の表紙を飾った。
  一見派手だが、 考えてみれば他愛ない成果だった。 なぜならルシフェラーゼは植物の 「タバコ性」 にほとんど干渉を及ぼさなかったからこそ苗は無事に育ち、 ルシフェラーゼも無事に発現したまでのことだ。 育種の観点からすれば、 導入遺伝子が栽培植物にもっと本質的な影響を及ぼして、 品種改良の手がかりが得られる実験こそ重要なはずである。 そうした方向の研究もいま着実に進んで、 作物への遺伝子導入を表示するか、 しないかという議論になっているわけである。
  (6)生物、 ことに哺乳類で可能な技術は、 人間でもたいてい可能である。 遺伝子治療は(5)に近い技術を患者の人体に施すことのように見える。 ただし現状で(5)と大きく違うのは、 人間では生殖細胞 (卵と精子の前駆細胞や受精卵) への遺伝子導入は、 差し控えられていることである。 生殖系列に一度入りこんだ遺伝子は、 母子感染どころでなく母子相伝のものとして、 代々受け継がれてしまうだろうからである。 米国でまず行われ日本でも97年に行われたADA (アデノシンデアミナーゼ) 欠損症の治療は、 むしろ(3)に近かった。 これは患者本人の白血球を体外に取りだし、 ADAの欠陥遺伝子の代りに正常遺伝子を導入し、 この白血球を本人の流血に戻す方法だった。 いま試みられようとしている遺伝子治療としては、 がんを抑える遺伝子の導入された細胞をがん患者に送り込むものなどもある。 こうした個別の試みは、 これからも重ねられてゆくだろうが、 「遺伝子治療一般」 というものを語るには、 まだ日時が必要だろう。
  (7)遺伝子治療よりも容易に見えるが却って大きな問題をはらむものとして、 遺伝子診断がある。 DNA技術の一部として、 塩基配列の分析と鑑別も大幅な進歩をとげた。 治療法が未開発であるのに診断がついてしまう遺伝疾患で、 ことに晩発性 (成人後の発病) の場合に、 保因者か否か不明の当人は、 診断を受けるかどうかという、 この技術以前には存在しなかった迷いに直面する。 しかし技術開発は容赦なく進み、 胎児のごく初期でも診断のつく例も増えてきた。 遺伝子診断プラス治療の問題は、 まさに来世紀の先端医学の課題の一つだろう。

3 進展する技術とそれへの態度
  進歩の明暗両面ということは、 生活環境の 「向上」、 自然の 「開発」、 輸送の高速度化などすべてについて言えることだが、 遺伝子技術でも、 特にいま述べた(6)や(7)のように人間を直接の対象とする遺伝子医療技術の場合に明らかであり、 それまでになかった難問を社会に突きつける。 しかし、 他の例として脳死判定と心臓移植の場合をとれば、 結局これは他人の死を期待する技術であるという批判の反面、 普及を望む患者と家族もあるように、 進歩は矛盾をはらみながらも、 一概にそれに背を向けて済むものではない。 科学研究が社会的職分として確立している現代社会では、 研究者間の競争による進歩という自動的な仕組みもある。
  それぞれの生物細胞がもつDNAの全体、 それをゲノムという。 研究の基礎として特定生物のゲノムをまず調べ尽くす企ても、 急速に進んでいる。 数年前に最初の報告があったのに続いて、 いまでは一ダースほどの細菌、 一種の酵母、 そして1998年の暮れには、 小さいながら最初の多細胞生物として線虫の一種 (体長1mm) がもつ9800万塩基対のゲノムの読みとりが報告された。 我々自身を調べるヒト・ゲノム計画も、 何度か繰り上げた予定をさらに繰り上げて、 2003年の完成を目指しているという。
  本稿で遺伝子のことばかりが主な話題になったのは、 筆者の関心領域ということもあるが、 なんといっても分子機械としての、 操作可能なものとしての生体という生命像の原則が、 遺伝子の解明をきっかけとして確立されたからである。 操作可能なものとしての生体というイメージは、 いま生命研究の他の分野にも波及し、 これがまた遺伝子技術と組み合わせられて、 新しいアプローチが次々に開拓されつつある。 数年前話題となったクローン羊ドリーの誕生において、 クローン化そのものは遺伝子と直接かかわらない技術だったが、 この仕事の狙いは、 人間の医療用のタンパク質を羊に組み込んだ上で、 同じクローン羊を多数育て、 乳汁にこのタンパク質を分泌させて収穫しようということだった。 大腸菌をミニ工場として利用することから始まった遺伝子技術が、 何千万倍も大きい羊を生きた工場として利用するまでに 「巨大化」 したのだ (日本では牛について同じ技術が追試されている)。
  生物体を精緻な化学機械として見る上で、 視界を遮る壁はとり払われ、 実際に機械と見立てて操作する活動も、 いま見たように着手され始めている。 しかし可能性の本格的な追求は、 むしろ二年後に始まる次の世紀の本格的な課題である。 技術を使うにあたって具体的な可否を検討することも、 日程にのぼってくる。 遺伝子治療・診断や遺伝子組み替え食品をめぐる議論は、 これから本格的になるだろうし、 ならねばならないだろう。
  基礎研究分野では、 個体発生につれて進む形態形成を、 遺伝子制御の働き合いとして理解することが大きなテーマの一つであり、 その作業の一部はすでに始まっている (3の(4)参照)。 身体の左右性を決める遺伝子や、 またたとえばハエの蛹が夕刻に一斉に羽化する生物時計の遺伝子とか、 ジェット機ぼけの一因である一日周期 (サーカディアン・リズム) の遺伝子と、 脳ホルモン・レベルでの仕組みなども、 分かり始めている。 こうした角度から脳の精神活動を明らかにしてゆくことは、 本質的な重要課題の一つだろう。
  19世紀後半に生物学の近代化をもたらした二つの契機のうち、 ダーウィンについては、 ここでは触れる余裕がなかった。 進化の問題は、 細胞や個体とは違うその上のレベルである生態系の問題につながる (本書の第4部などで、 本格的な議論があるものと期待する)。 ここでは、 遺伝子のミクロな世界と生態系のマクロな世界も生物学という同根に属する二つの分枝であり、 問題はつながりあっているという端的な一例だけを挙げて、 不完全な結びに代える。
  雑草に対する有効な除草剤を開発し、 他方で作物には除草剤を分解するための遺伝子を組み込むことが、 研究されている。 除草剤とか、 分解のための遺伝子そのものの人体への影響は、 もちろん抑えておくべき基本点だが、 それらとは別に生態学的な問題が残る――というよりも問題が発生する。 肝心の遺伝子が、 自然界でもありうる遺伝子交換の機会に、 雑草の方に移ってしまったらどうなるかという生態学的な問題である。
  ミクロな遺伝子とマクロな生態学がつながるということは、 要するに生命活動の全範囲が一つにつながったものとして技術で左右されうる時点に、 我々は達したということだろう。 研究者や企業の自由な競争や増益努力は、 知識と技術の加速に有効だろうが、 加速が暴走や迷走にならないように統御する視点、 あえて言えば社会政策もいっそう重要になってくるはずである。 生物学の現代化とは、 生命研究も現代社会の一部として本格的に参加するようになった、 あるいは組み込まれるようになったということに他ならないのではあるまいか。


■長野 敬 (ながの・けい)
  1929年東京生まれ。 東京大学理学部植物学科卒業後、 群馬大学医学部、 横浜市立大学医学部、 東京医科歯科大学医学部助教授、 自治医科大学医学部教授 (生物学教室) を歴任。 現在、 自治医科大学名誉教授、 河合文化研究所主任研究員、 野間科学医学資料館理事。 著書に 「進化のらせん階段」 青土社、 「生命の起源論争」 講談社、 「生物学の旗手たち」 朝日新聞社、 「生物学の最前線」 日本評論社、 「生命と調節」 岩波書店、 「生命の内景から」 筑摩書房。 訳書にステント 「分子遺伝学」 岩波書店、 ホール 「生命と物質」 平凡社など。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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