少子化から見た21世紀の展望



[出席者]
池田桂子氏(弁護士)
江原由美子氏(東京都立大学人文学部助教授)
大江守之氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)
瀬川祥子氏(三和総合研究所研究員)
椋野美智子氏(日本社会事業大学教授)
(司会)高津定弘(岐阜県産業経済研究センター副理事長)



高津(司会) 本日はお忙しいところお集まりいただきありがとうございます。この座談会では皆様方と「少子化」をテーマに、少子化をめぐる様々な見方や最近の課題、これからの展望等について、意見交換をしたいと思います。
 私自身、いろいろと話題になり、議論されていることは承知していますが、少子化について、なぜ今、少子化が問題なのかよく分からないことも多いのです。
 最近、大人ばかりが目についてきたような気がします。新幹線に乗っていても以前なら必ず一両に何人かは子どもが乗っていたのですが、今ではほどんど見られません。何を起こすかわからない子どもの可能性をまわりにみなくてもすむ社会は健全とはいえないのではないかと思います。
 少子化をめぐっては様々な切り口があると思いますが、まず最初に大江先生から少子化をめぐる諸環境についてご紹介下さい。

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 様々な問題点を含む少子化=未婚化・晩婚化
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大江守之氏
大江 少子化は人口置換水準を下回る出生率が続き、世代が縮小再生産されるという側面と、出生率が低下することによって将来の人口構造の変化を加速するという側面があります。そう考えると、「少子化」の概念を少し拡大して、50年代半ばまでの出生率の低下を第一の少子化、70年代半ばから始まったものが第二の少子化、80年半ばから始まったのを第三の少子化ととらえることが可能です。当面の問題は第三の少子化で、出生率低下の直接的原因である晩婚化が照らし出す様々な問題に、今の議論の焦点があると思います。その中心は男女の働き方と子育ての分担ですが、重要なのは子育てに関する社会的支援の問題だと思います。
 子供が少なくなってきたと高津さんがお話されましたが、それは第二の少子化から始まっており、第2次ベビーブームが去った1970年代半ば以降、年間200万人生まれていた子どもの数は減少し続け、今や120万人になっていますし、世代の縮小再生産も始まっています。つまり、第三の少子化で突きつけられた問題は20年以上前から進んでいたわけです。また、「少子高齢化」という言い方も最近よく聞かれますが、現在進行中の高齢化は第一の少子化によっている部分が大きいのです。つまり、少子化からは様々な問題が見えてくるのですが、それを引き起こす構造は長い時間かかってわが国の人口にビルトインされたもので、その解決とはどういうことなのかをよく理解しつつ、腰を据えてかからなければならないものであると思います。


椋野美智子氏
椋野 一般的に少子化とは、兄弟の数が少なくなったからだと受け止められていますが、実はそうではなく、未婚率が上昇している、結婚を先延ばしにしているからなのです。
 子育てにお金がかかるから3人目は産めない、だから児童手当の引上げとか出産祝金の給付だとかが必要だと、市町村の少子化対策は往々にしてそちらにいきがちなのですが、少子化の原因は3人目を産めないからではなく、若い世代が家族をつくりたがらなくなっているということなのです。そこをまず押さえる必要があります。
 それから、逆に女性側からは仕事と育児の両立ができないから産めないのだというふうに言われますが、仕事を続けたいから子どもを持たないという明確なキャリア志向の女性は多数派ではありません。若い世代の女性には専業主婦志向が高まっていると言われています。そして、専業主婦志向の女性の中でも未婚率が上昇しているのです。快適な生活を保障してくれる高い収入、家事に協力的で、お互いに理解し合えるという条件をみたす相手が現れるのを待って。ですが、この新専業主婦志向の裏にあるのはやはり職場の問題です。女性の働き方には、男性並みの、生活を犠牲にするキャリアウーマン的働き方と、生活と両立するが、賃金は低く社会的評価も低いというパートタイム的働き方の2つしかないのです。女性は職場や社会状況が今までと何も変わらないと思っているから、あきらめて専業主婦志向になるのです。やはり職場に根源があると思います。
 もう一つ、少子化の背景にあるのは地域の問題です。国際日本文化研究センターの落合恵美子さんによりますと、家庭の機能が低下しているようにみえるのは都市の機能、地域の機能が低下しているからであるといいます。都市が果たせなくなった機能を家庭が全部背負い込もうとするから家庭が機能破たんを起こすというのです。そういうと昔の農村のような人間関係に戻ればといいという発想になりがちですが、それではだめなのです。なぜなら、調査によれば農村の「嫁不足」なるものの原因に、若い女性は農村地域の人間関係や親族との人間関係が嫌だというのがあるのです。新しい地域の人間関係とは何か、少子化対策を考える時のもう一つのポイントになると思います。

高津 地域の機能が低下しているという点で、商業、特に中心市街地の衰退問題があります。日本においては高度経済成長を経て、個人が情報インフラ等を通じ世界と直結してしまい、中間的な、例えば地域コミュニティあるいは農村集落といった個人を柔らかく包み込むような中間的な組織、地域の機能は低下またはなくなりつつあります。そして個人は世界空間と同時性を保ちながら、直結する活動が日常的になり、本人の個性がそのまま過酷な市場にさらけ出されてしまう。そして、さらけ出された個性を市場が非常にシビアに選別していくという状態が出来つつあるように思います。ただ、強い個人であれば、そういった状況を非常に魅力的なことだととらえ、積極的に利用し、成果を得られると思いますが、そうではない人は中間的な形の支えが数多くないと安心して活動できない状況に陥る可能性があります。女性の立場にたつと旧来の伝統的な農村共同体に代表される地域は嫌で、かといってまだ新しい関係をつくりだして柔らかく包み込んでくれるような地域も出来てないと感じているのではないでしょうか。その地域とは非常にフラットな人間関係で、いろいろな機能がワンセットに入っており、経済的な観点だけでは評価は出来ないものだと思います。やはりこれをどんどん意識して創り出さない限り、安心できる生活は出来ないのかもしれません。それが少子化という現象に色濃く反映されているのではないかと感じています。

椋野 情報の進展により地域社会がなくなってきているというより、歴史的には地域社会がない方が先だったと思います。郊外に新しく人が集まってきて人間関係が形成されなかったということです。それに情報化の進展が輪をかけたのかも知れません。
 子供が家庭にいるにもかかわらず、子供部屋の中で情報ツールを介し外と直接つながり、実際には近くにいる家族よりも外との距離感の方が近くなっているというような問題もいわれています。個人を取り巻く家族もそうだし、地域もそうですが、いわばクッション、つまり情報を解釈していく機能がなくなってきているのかも知れません。
 これからの地域のイメージとして、昔の隣組的な地域よりはもう少し広い生活圏であり、その生活圏にはいくつものネットワークが重層的にあるというようなものです。ここに住んでいる人は自分の価値観、生き方に合うネットワークを選択できる、それは情報ツールを使ってもいいし、そうでなくてもいいのですが、そんな地域社会のイメージを持っています。

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 女性の自己防衛と男女間の意識の相違
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江原由美子氏
江原 椋野さんと同様、職場の問題がかなり大きいと思います。なぜ職場の問題が大きいかといいますと、結局、女性は男性よりも後から参入するため、男性の職場の働き方に合わせるのか、そうでないのかといった形でしか問題が立たないのです。要するに職場全体を変えなければいけないということですが、それは必ずしも簡単なことではなく、女性という少数派がいくら主張しても、そこまでは変えられないのです。だから結局は個人的に対処するしかなく、結婚をしない、新専業主婦志向を持つ、いい男が出るまで待つといった戦略を立てるのです。それが、全体としては少子化につながっているのです。
 では、どうして職場が変わらないのか。これは男女間の意識の差が大きすぎるためです。高校生にアンケート調査をした結果を見ますと、いわゆる性別役割分業に対してをどう思うかという質問に対して男女の回答が全くズレているのです。男の子は「性別役割分業はいいんだ」と半分以上がいうんです。

高津 今の高校生がいうんですか。

江原 男子は6割から7割程度が賛成ですが、女子は3割程度しか賛成しない、嫌だというのです。東京都で行った調査では私立高校の男子は7割が賛成、公立高校の男子では55%強が賛成ですが、女子は公立私立に関係なく3割程度しか賛成者はいませんでした。このような考え方は男子大学生と話をしていても本当によく感じます。男子にとってフェミニズムというのは「女の問題」なんです。女の問題だからうるさく感じてしまう。女が文句をいっているのだというふうにしかとれないのです。女の人が家事をやるのは、母親を見ているから当たり前、自然だと思っているのです。つまり、その前の世代が作り上げた性別役割分業的な母親の献身的な姿です。これは今、完全にマイナスに効いていますね。男子にとって結婚しないで両親と同居していれば母親に家事はすべてやってもらえる。しかし、女の人と結婚するとうるさく、家事をしろといわれかねない。ご機嫌をとりながら結婚するくらいなら母親と一緒にいて、全部やってもらう暮らしの方が楽なんです。また、職場の構造が基本的に男の子たちのいい分を支えている。男女を区別する職場が厳として存在する。就職活動で企業訪問をしているゼミの女子学生が、10社、20社と訪問するに従い「私、洗脳されそう。企業の論理は強いよ。自分が考えていたのと企業の考えとどちらが正しいかわからなくなってきた。企業の話を聞いているうち、企業に合わせないといけない気がしてくる。出産、子供と家庭との両立が出来るような働き方を労働者は持つ権利があるんだと思いつつも、それはわがままだとしか思えなくなってきた。企業の論理に飲み込まれるよ。」というんです。いくら大学で教えても就職活動している間にも女子学生の意識が変わってしまう。逆に男子たちは、もともとその世界に飲み込まれているから変わる必要もない。だから、女性たちは企業から支援もないし、男たちからも支えられない。結局は、個人的に対処するしかないのです。だから、なるべく結婚しない、なるべく出産しない、子どもは一人しか産まない。30代に多いですね。

高津 私は第1次ベビーブーム世代ですが、男女役割分担が当然だという考えは、男女共学が定着し、かなり変わったと思うのですが、実はそうではなく、私より若い世代でも役割分担を当然として行動する人が多いのでしょうか。

江原 非常に強く残っています。今の20代の子どもたちの父親というのは40代、50代ですが、大学生はその父親や母親の行動を非常によく見ています。父親は一体何をやっているか、ということがよく問題になりますが、ものの見事に性別分業役割家族を実践している父親、母親が多いのです。男女平等の理念で育った人たちがそうなんですよ。父親も母親も男と女には役割があると思っている。言葉としての男女平等ではなく、現実にやってることが問題なんです。

大江 でも、母親に面倒をみてもらってる男子学生は自分の父親をみていいとは思っていないのでしょう。

江原 そう、思っていない。母親にしてもらうことについてはあまり考えていないけれども、父親のような企業に埋没する生き方はしたくないとは思っている。

大江 そのことと家庭内での役割分業の話は結びついていかないのですか。

江原 全く結びつかない。しかし、仕事だけという生き方を強いられることには恐怖感が強い。共働きをすれば家計的には非常にいいとわかっている。それがなぜか家事分担の問題となると、家事を分担するのは面倒としか思えなくなる。男子にとっては女の人が家事全部やってくれて、共働きするのが一番いいと思っているのです。

高津 もし、女の子が納得しているのなら、男の子にとって最高でしょうね。(笑)

江原 そうでしょう。ただ、女子にとっても男の人が家事も育児も半分手伝ってくれ、働かなくて済むというのがいい。5、6割の女の人はそれがベストだと思っている。全部やれとはいわないが、せめて私と同程度に家事や育児をし、働いてない時は家事、育児を手伝ってほしい。それで、給料は持ってきてくれて、私は働かなくても、当然その給料を全部もらう。それがいいと思っている。

椋野 それはまさしく新専業主婦志向ですね。家事に協力的で、自分は仕事はしないが、夫は給料をもってきてくれる。それも自分は仕事を辞めるのだから、その分を補うに充分な収入をということになる。

江原 本当、そういう人が多い。

大江 でも、それはどちらももわがままですよ。

江原 だから潜在的な不満をいつも持っていて、男女とも結婚が嫌だと思い逃げてしまうんです。
 また、若い人と子どもを産むか産まないかという話をすると一番最初に出てくるのは、自分の体がまともな体かどうかということに対する不安感、環境問題です。言葉としてはどんどん出てきますよ。

高津 若い人はその感覚が非常に鋭いと聞いたことがありますが、やはりそうですか。環境問題に対する不安感があるのですか。

江原 強い、不安だというんです。だから、子どもを産むことが本当に子どもにとって幸せかどうかがわからない。こういうことをいう人の比率はとても高いですね。環境ホルモンの問題など安全性については結論が出ていない問題も多いのですが、少なくとも若い世代に安心を与えてはいない。日本の産業構造のあり方が子どもの世代に対して安心を与えていないことは間違いないと思います。


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 男女が同じ土俵にあがるとき・・・
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大江 池田さんは、キャリアウーマンとして働いておられ、育児もされているというお話ですが、ご自分の経験と現在の若い男女の状況について、どう感じていますか。


池田桂子氏
池田 今の若い人には独身時代の生活を維持したいという、強い願望があるようです。それは女性だけではなく、男性も同じで、都市部の若いカップルでは比較的役割分業意識が変容していると、私は受け止めています。むしろディンクスで、所得は高いほうがいい。子どもを持つよりもいい暮らしをしたい。そういったものが都市部ではこれからも価値基準として強いと思います。だから、子どもを持つ価値というのが相対的に低下していると思います。やはり1950年代、60年代の高度成長期に入っていく直前の、農業が支えている世界では子どもを労働力として、どうしても必要だった。しかし高度経済成長期に入り、子どもはむしろ母親と一緒に家の中にいるものという風景に変わってきた。その後次第に母親が外に関心を持ち、飛び回るようになり、純粋な専業主婦ではなくなってきました。その結果、子どもは女性にとってお荷物的な存在となってきたと思います。私自身、子どもを2人育てていますが、どちらかといえば同居人という感覚です。そうでないと多分上手く回っていかないだろうと思います。共働きのため、一緒に過ごしている時間は非常に限られています。その中で子どもにしてあげるという感覚は薄らぎ、子どもは子どもで生きているという感覚に変わってきました。ただ、役割分業を考慮するだけの時間がなく、お手伝いをさせることもないのです。それに、子どもに将来こういう事をやらせてあげるとか、今のうちにやらせておくといいなということがやらせてあげられない。非常にまずいことだと感じています。

大江 キャリアウーマンの方々は、子育てをする時に、実家のお母さんの手助けがあって始めて可能になるとよくいわれますね。池田さんの場合には子供さんが小さい時のバックアップ体制はどうでしたか。

池田 実はそれとは逆方向に動いていました。といいますのは、やはりキャリアウーマンの端くれですから一人で何でもやらなくてはいけない。それこそ共同保育所に生後43日目から預けましたよ。しかし、一人で頑張っていくと疲れてしまうんです。時には、精神的に切れそうになることもあります。そういったことを体験した後は、もう少し楽にやった方がいいだろうという感覚になり、あまり気を張って生きていると自分も子供もダメになってしまうので、手伝ってもらえることがあれば、それはそれで利用するという感覚に変わっていきました。子育ては本当に長い時間です。少子化問題も産むとか産まないといったレベルで考えるのではなく、産んでから育てることが大変だからこんなに大きな問題になっているのです。育てるということを自分一人で背負い込んでしまうことによる負担感が少子化につながっていると思いますね。
 男女雇用機会均等法が来年から変わりますが、女子保護規定もなくなり、男女が同じベースで働けるようになります。しかし、そうなると賃金ベース等は、男性がむしろ女性の方に合わせていくのではないかと思います。このことは企業にとっては非常に都合のいいことですが、低い労働条件に合わせるということは、企業スタンスもこれから5年、10年経つに従って、変わっていかざるを得ないと思います。

椋野 賃金はそれでいいと思いますよ。今の賃金は高すぎると思います。世界と比較してこんな高水準の賃金でこれからもずっとやっていけるのか。オランダでは、生計維持労働者モデルから1.5稼働者モデルに政策が切り替わったそうです。夫だけが1人で生計を維持するのではなく、夫婦2人で1.5人分稼げばいいという考え方です。1人当たりでは25%賃金が下がっても、2人合わせて50%増になれば十分ですよね。その分生活時間にゆとりができれば。
 労働組合も闘争目標を賃金でやってきたわけですが、もう賃金ではないと思います。賃金はもう少し安くてもいいから生活と両立できる働き方ではないでしょうか。先日、連合の方とお話する機会があったのですが、やはり賃金と雇用を守るとお話されるのです。女性労働者が賃金も雇用も捨てて仕事を辞めざるを得ない最大の理由は実は介護と育児なんです。女性労働者の雇用と賃金を守るには、育児と介護の支援が最優先課題です。

高津 政策的に日本の競争力を維持する、回復する上で、やはり高コストをどう是正するかが大きなテーマになっていますが、一方で男女平等になり、単純に能力で採用すれば、供給側としては女性を増やすという選択もありうるでしょう。今後、生産性を向上させるために賃金調整というメカニズムだけが強く働いてしまい、そのことが結果オーライではないですが、本当の意味での男女平等の実現に向けてよりドライブがかかる可能性が高まるということも考えられるかもしれません。

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 今の30代女性は何を考える
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大江 少子化を牽引した世代というのは1960年代以降に生まれた世代で、ここから明らかに未婚率が上昇しています。60年代以降の世代はいろいろな意味でそれ以前のスタイルとは違ったビヘイビアを持っていると思います。その世代の側から、瀬川さんは少子化をどうごらんになっていますか。


瀬川祥子氏
瀬川 まず統計的に結婚をしたいか、したくないかと問うと結婚したくないと回答する人が増えているわけではありません。結婚したくないという回答は5%ぐらいです。私の周辺を見ましても結婚したくないと明言している人は非常に少なく、結婚したいという気持ちは強いが、していないというのが現状ではないかと思います。
 1960年代、サラリーマンと結婚して専業主婦になるというのが羨望の対象で、それが70年代に一般化しはじめました。専業主婦のイメージの大きな変化としては、80年代初めに田中康夫の「なんとなくクリスタル」で独身の優雅な生活に日が当たり、続いてテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」で、あこがれていたはずの専業主婦が、何か違う、物足りないという気持ちがマス・メディアに現れたと思います。また、男女雇用機会均等法の施行後の80年代後半にはディンクスやキャリアウーマン、スーパーウーマンという言葉も生まれました。この時代の女性の意識は、結婚も仕事も、であったと思います。そして、90年代に入り、女性の意識はさらに変化し、その代表としては谷村志穂の「結婚しないかもしれない症候群」があげられると思います。つまり、積極的にディンクスがしたいとか、シングルライフを楽しみたいということではないが、なんとなく結婚はしていないという状態です。これには、相手選びという問題も影響していると考えられます。70年代くらいまでは、「つきあう」イコール「結婚」であるという認識が社会的に大きかったのではないかと感じています。その中で、例えば、80年代後半のテレビドラマ「男女7人夏物語」のように「自分に合う人を探す」という行動が起きています。これは、モラトリアム世代といったことにもつながると思いますが、実は自分探しと同じ意味を持つものであり、永遠にみつからない理想探しに陥っているといえます。
 また、男女共学や、雇用機会均等法により同じ立場で共に仕事をする中で、従来の「男女のつきあい」とは異なり、人間同士としてつきあいの場が広がってきていると思います。そして、結婚が人間としてのつきあいの場を狭めるものであるならば、わざわざ結婚するメリットはないという意識も生まれているといえます。
 さらに、例えば厚生白書では新専業主婦というのを一つの方向として描いていますが、それがあこがれや目標となるほど結婚生活に対して夢が描けなくなっている状況もあると思います。
 団塊ジュニアになると意識が変わる、自分たちよりももう一つ下の世代は新しい結婚の理想像を見つけ、結婚できるのではないかと期待していたのですが、江原先生の先ほどのお話を聞いていますと暗いかなと思い直しています。

江原 家族に対する感覚がすごく変ですよ。私たちの世代と違い、親がある程度高い教育を受けている世代だからなのかもしれませんが、昔のおふくろイメージや故郷の両親への思い、つまり、親をおいてきた、残してきたという罪悪感のようなものを持ちながら親に接するというのが全然ないのです。

高津 無機質なんでしょうか。

江原 いや、自分の上にある「うざったいもの」という感覚です。とにかく自分に重くのしかかり、それは意外と重くて、むしろ払いのけたいけれど利用はしたい。逆に利用しなくてはいけないから、うざったいのかもしれない。それに父親に対しても母親に対しても非常に否定的ですよ。

椋野 友達親子というイメージではないですか。

江原 全体としてはそうではないと思います。ただ、外から見ると仲良く見えるかもしれませんが、母親の生き方に対してはかなり否定的ですし、父親に対しても冷たい。

瀬川 それは多分、私たちの世代が、理想的な結婚像が描けなくなっているということが根底にあるのではないかと思っています。自分たちの親の世代、専業主婦の母親と家族のために全てを犠牲にして働いてきた父親に対して、理解や感謝の気持ちはある。しかし、自分がそうなりたいか、それを目指すのかと聞かれると、それは違うという意識がある。でもどう変わるのか。企業の論理も変わっていないし、地域も変わっていない。またそこから新しい形も見つけられない。これが今の30代前半の意識ではないかと思います。
 女性は、結婚によって生まれ変わることができるという言い方をされることがあります。しかし、現在の社会状況では、願望というより、否応なく生まれ変わらされてしまうのではないでしょうか。実際問題として、やはり男の人生に女が合わせている面が多いといえます。男の人は、自分の人生を考え、仕事を選び、結婚は、それらを変えるものではありません。しかし、仕事や、やりたいことができてしまった女性にとっては、例えば男の人の転勤によって自分が仕事をやめなければならない、やりたいことをあきらめなければならない、ということです。では、そうならない男の人をどう探すかということになり、そこに需給ギャップがおきているともいえるのではないかと思います。

池田 離婚事件を通して私は違った感触を持っています。専業主婦でも自分に付き従ってくるような男性はいやというのです。このタイプが30代の主婦で多いのではないかと思います。

瀬川 それは「魅力」、つまりどういう男の人を好きだと思うかという問題が絡んでいると思います。例えば現在の30代が置かれている立場と、男性の好みができるに至った社会的背景とはかなり時間的ギャップがあります。ここまで育ってくる間の社会文化的な背景から、感覚的な意識としては、例えば、かっこいい男の人という概念の中に、責任感がある、統率力があるといったことがインプットされてしまっている側面があります。その一方で、理性をして考える条件的な意識は現在の社会経済環境を反映している。ですから、頼りがいがある人でかつ自分の人生は尊重してくれる人といった矛盾するような条件が付いているように見受けられます。

高津 では今、女の人は結婚しようと思った時に、どういう基準で相手を選ぶのでしょうか。20数年前の私のころと今とでは随分違うのではないかと思いますが、特に女の人は随分変わっているという気がしますね。

江原 私より一世代前の人たちはよく自分が結婚するときには結婚しないという選択肢はなかったし、結婚したら子どもを産まないという選択肢はなかったとおっしゃいます。それはバリバリのキャリアウーマンの方でも、同じだったといいます。でも今はもう結婚しないことが不思議なことではないですね。

瀬川 女性が一人で生きていけるという経済力を持ったことや、江原先生がおっしゃったような結婚しないという選択肢はないといった圧力が弱まったことを背景に、どうせ結婚するなら、今より良い状況を目指そうという意識を感じます。

高津 今よりいいというのは、収入がいいということですか。

瀬川 いろんな意味においてです。例えば、お金の話では、三和銀行のデータによれば、30代の男性よりも、女性の方が貯金は多い。既にお金は女の人の方が持っているといえます。もちろん、その背景としては、両親との同居によるバックアップなどもあるとは思いますが。過去と異なるのは、彼女が今過ごしている生活レベル、これは直接的にお金だけではなく、旅行や買物、自由といった物理的・精神的なものを含めて、結婚して将来想定される生活が今より下がると判断した場合は、あえて結婚しなくてもいいという選択が可能になったということです。今までは、年々女の価値が下がるぞなどといわれ、誰か結婚相手を選ばなければいけなかったということです。

江原 最後はこの人でもいいかといった具合ですね。でも今はそんな結婚ならば結婚しないほうがいいとなる。だから、選ばれない男性が出てきてしまうのです。今は女性の側に選択肢がありますからね。昔は結婚できないのは、結婚して失敗することよりも悪いというイメージがあって、だから誰でもいいからと結婚する女の人もいたわけです。

瀬川 もっとも結婚への圧力が弱まることにより、積極的には結婚を選択しないというのは女性だけでなく男性にもみられるという指摘もあります。また、相手を選べるということは、結婚する、しないにかかわらず、相手を代えることに対する圧力が非常に弱まっているような気がします。

高津 池田さんは離婚問題を扱っておらえると思いますが、どう感じていますか。

池田 離婚を扱っていて、すごくその感覚はありますね。周りの家族、特に親の圧力が非常に薄らいできていて、我慢していなくても、もっといい再婚相手を見つければいいというようになってきています。

高津 いとも簡単に別れてしまうのですか。

池田 いとも簡単にとはいいませんが、結婚後の親の干渉は明らかに減ったと思いますね。

椋野 離婚に対してですよね。

池田 ええ。今でも家意識というのは根強いですから、家と家のつき合いといったあつれきで、夫婦がもめるというケースはありますよ。それでも親の干渉は非常に薄らいでいますね。何が何でも我慢しろというのではなく、とりあえず一通りのことをしてみろと。バツイチになってもいいからやってみて、ダメだったらバツニ、バツサンになってもいいじゃないかと。

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 起業家の資質を持つ女性たち
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高津 最近新しい産業を創出しなくてはいけない、ベンチャーが大事だとよくにいわれますが、有能なキャリアを備えた女性が就職する時に、男と同様にピラミッド型会社に入るのではなく、自分の実力に応じて独立するという意欲があれば、今はチャンスだと思います。そういったマインドは若い女性にあるのでしょうか。それとも今はなくても、近い将来出てくる可能性があるのでしょうか。
 仮に女性が男性と互していくと勤務時間など不規則になる。東京などはそうです。しかし東京以外は意外と勤務時間が規則的です。時には残業してまでやりぬくという激しさが、東京と比較すると少ないと感じています。例えば、企業が地方に進出する場合、ある地域で秀でた職場条件や労働条件が提供できれば、意外と優秀な女の人を全国からでも集めやすいのではないかと期待したいのですが、そういった可能性はあるでしょうか。

瀬川 地方の大手メーカーが立地している近隣では、夫婦共稼ぎで、かつ子どもを産むというライフスタイルが実現しやすいという調査結果もあります。ただ、そこにもともと住んでいた人たちにとっては、仕事と育児との両立がしやすいという状況があることは事実だと思いますが、魅力的な職場を作れば、例えば東京に出た女性が戻ってくるかといえば、それは別の難しい面があると思います。

高津 岐阜の場合は、自動車を一家に3、4台所有しているところが多く、自動車中心の生活ですが、その場合、共働きをしていても、行き帰りの通勤は非常に楽だし、郊外には大ショッピングモールもある。職自体の質が魅力的かどうかという基本的な問題も少しはあるかもしれませんが、女の人が職を持つことの条件は東京よりもいいかもしれません。例えば、気の利いた経営者がいて、居住環境や通勤環境は最高で、待遇も東京以上ならば、東京から地方に出ていくなど、全国規模の雇用の入れ替えが起こると思うのですが、どうでしょうか。

池田 いい例としてはワープロソフトの一太郎の会社、ジャストシステムですね。ジャストシステムの女性たちはとても高学歴な女性たちですよ。

瀬川 ただ、ジャストシステムは比較的、特殊な例だと思います。水をさすつもりではなく、岐阜では成功していただきたいのであえて苦言を申し上げますと、テレワークと呼ばれ遠隔地で仕事をする形態の地方における成功例は、今のところあまり多くはありません。80年代後半に、地方における雇用の場の創出や優秀な労働力の確保を目的にリゾートオフィスやサテライトオフィスが注目されました。しかし、そのほとんどがバブルの崩壊と共に衰退しています。その大きな原因として、部下が目の前で働いていないと不安である、評価しにくいといった企業の組織や評価システムに係わる問題と、顧客サイドから見た場合、何かあったときにすぐ来てもらえない、という不安感があることがあげられます。したがって、現状、テレワークをしている人の8割以上が三大都市圏に在住しているという調査結果があります。つまり、トラブルがおきればすぐに駆けつけられるという安心感を顧客に与える範囲内であるといえます。女性の就業という点では、例えば神奈川県に事例があります。東京近郊部の場合、夫は東京まで働きにいっているが、自分はそこまでの通勤負担や仕事と家事や育児との両立はできないとして、会社をやめてしまう女性が多く存在します。そうした女性を対象に、神奈川県が出資して設立した(株)ケイネットという会社があります。(株)ケイネットでは、在宅勤務のほか、出勤や出張もありますが、場所を特定しない働き方で優秀な女性の労働力を活用しています。
 ベンチャーに関しては、ベンチャーを起こした人の親は、中小企業の社長であったり商店の経営者であったりと、経営に関して何らかの接点があった人である比率が非常に高いといわれています。逆にサラリーマンの子どもが事業を起こす比率は非常に少なくなっています。これだけサラリーマンが増えてしまっているので、事業センスを身につける機会に恵まれてない人に事業を始めさせることはとても難しいと思います。

江原 しかし、アメリカ社会はかなり前から雇用者比率が日本社会よりも高いですよね。それでもベンチャービジネスは、日本の勢いに比べて非常に伸びているといいます。これはどうしてでしょうか。

瀬川 アメリカでは90年代に入って、企業のダウンサイジングがかなり強力にすすめられました。そこで、主に銀行などのホワイトカラーの、高収入で、しかも30代、40代の男性がリストラの嵐にあったそうです。その男性たちが、会社の一存で自分の人生を左右されるくらいなら自分で独立しようと、SOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)と呼ばれる形態をつくりました。これをモデルケースとして、女性のSOHOも徐々に増えていったときいています。

椋野 それは80年代のことですか。

瀬川 テレワーク自体は70年代後半から始まっています。アメリカでは当初はオイルショックによるエネルギー問題解決策として始まったそうです。80年代は、女性の雇用継続支援策として捉えられていた側面が強かったようです。さらに90年代に入ってからは、カリフォルニアなどでは、政策的に誘導しています。これは地球環境問題や交通問題への対応や、リスク分散などの理由です。これらは、企業と雇用関係のまま家で働くテレコミューティングという形態です。日本で懸念するのは、女の働き方としてSOHOが始まった場合、単純入力やテープおこしといった仕事が低賃金労働にならないかと心配しています。

椋野 SOHOというより内職ですよね。

瀬川 そうなんですよ。

高津 ベンチャーを起こす場合、性差ではなく能力の違いによって参入の仕方が違うという社会になればいいと思いますし、日本中にチャンスもマーケットもいっぱいあると思います。そういう動きが日本中にでてくるとより面白いですね。

椋野 新卒で入り長期雇用で転職しないという日本的雇用は崩れつつありますが、アメリカは一回起業で失敗しても、また企業に勤めることができますよね。でも、日本は脱サラすると、同じクラスの会社に入ることは絶対できないから、非常にハードルが高い。それに、年功序列の雇用ですから、30代、40代でやめてしまうと、これから上がっていく給料を捨ててしまうことになり、抵抗感が強いと思います。

高津 最近、中小企業経営者にインタビューをしているのですが、感じるのは、製造業の場合、業績のいい会社は製品を生鮮食料品のように扱うのです。どういう意味かいいますと、以前は一つの製品を作るのに1年ないし半年先のものまで作り、製品在庫で抱えながら出荷していました。今は極端にいえばコンピュータを駆使して1日単位、日常の動向変化にすぐに即応できるような生産システムを構築しています。そういった市場の非常に個別の動きに敏感に反応し、行動にでるという感性は男性よりも女性の方が鋭いような気がします。ただ、製造業では無理かもしれませんが、サービス関連のベンチャービジネスにどんどん進出してほしいと思います。

池田 同じ様な動きでは、地方の場合は農業の分野だと思います。コンピュータを駆使して、出荷、天候、値段を分析して売り出す。そこに新しい商品を提供する。規模的にはそれ程小規模ではなく、また商社と直接契約をしたりするケースも少しずつあります。今まで産直といえばトラックに積んで、物産展を開くといったイメージがありますが、人と人との個別的なつながりをネットワーク的に拡げていった売り方がいいと思います。それは、従来のデパートにだけに依存するのではない、例えば、岐阜と群馬と東京と神戸というように私たちが考えられないようなネットワークでつながっていて、アンテナショップを開いたりするようなことをやり始めたらいいですね。

高津 そうです。やはり、市場の動向に敏感に反応し、管理して消費者のニーズにあったものを提供する業態は、規模は小さくてもサービス関連や小売り関係で、かなりあるはずです。だから、本当に力があれば、男性と同じように女性も行動にでるといいと思います。これからは新しい業態、新規参入がもっと幅広くあっていいような気がします。そうなれば、起業時や就職時の男女意識差が次第になくなると思います。やろうと思えば、ごくわずかな資本さえあれば今は相当バックアップ体制があるので、できるようになると思います。少し前までは、女性でキャリアのある自由業は弁護士か建築士ぐらいでしたが、その中でも弁護士の方は夫婦で働いている方が多いと思いますが、どうしてでしょうか。

池田 でも、私たちの業界も結婚している女性は半分くらいで、独身率はかなり高いですね。それに子どもを持っている人も結婚している人の半分くらいです。

江原 それは管理職女性と似ていますね。管理職についている女性たちの家族構成を聞くと、一般の女性たちと比較するとまるで違います。既婚率も非常に低いし、結婚していても子どもを持っている人は少ないです。

高津 それは日本だけの特色でしょうか。

江原 多分、日本だけの特色かもしれませんね。私の知っている方で社会学を専攻している方が管理職女性にヒアリングをしたのですが、興味深いのは、2人目を産むのにすごく間をあけている。続けて産まないのです。1人産んでから、5、6年あけて2人目を産むというのが多いですね。中には10年もあけている人もいました。

池田 もう資格を持っているからどうにかなるという時代は終わりつつあると思います。高学歴の女性たちが増えていますが、学歴や資格はもう日本では魅力的ではなくなっているのです。そうであれば、起業はやはり非常に大事なことで、それをバックアップする体制を確立することはとても重要なことです。しかし、女性に対する起業の際の資金面での支援組織は、意外と少ないのです。そのための財団が少しずつできつつありますが、まだまだですね。

椋野 同感です。働き方の多様化という時に、支援のための仕組みづくりが重要です。市民バンクや女性の支援センターはあるのですが、やはりもっとたくさん支援の仕組みを作らないといけないでしょうね。今は男性にも銀行は資金を貸さないですが、女性にはもっと貸しませんから。ただ、今のところ、女性は結婚していれば、食べられなくなったら夫が養ってくれるという状況があるので、起業に対する心理的ハードルが男性より低いという面はあるのかなと思います。

江原 そうだから、儲からなくてもやめるということにはならず、割と持続するんですね。

瀬川 最近、急成長している企業で、平成5年に設立されたメーカーズシャツ鎌倉というところがあります。本社は鎌倉にあり、子育てを終えた主婦が夫の協力のもとで設立した工場直送型の企業です。シャツの種類は何百種類もありますが、価格は4,900円均一で、一流ブランドと同等の品質を売りにしています。横浜ランドマークタワーでもトップクラスの売上げを誇り、八王子、たまプラーザにも出店し、現在は出店依頼に応えられない状況であるそうです。この企業の場合、夫が繊維関係の商社に勤めており、流通形態や工場に精通していたという背景があります。そのノウハウを妻が生かし、流通革命を起こし発展していったのです。
 つまり、ベンチャーで問題なのは、公共が支援しやすい資金などよりも、ビジネスを起こすノウハウが重要であるという点です。日本と社会的背景が近いイギリスの場合でも、女性、特に農村部の女性に対して農業以外の仕事を作ろうと女性の起業を行政が支援する取り組みがあります。ビジネス・コンサルテーションなど、かなりきめ細かいサービスを提供しているのですが、起業した女性にインタビューをすると、多くは親や夫がサラリーマンではありませんでした。

高津 今のお話を伺っていますと、繊維商社に勤めていている旦那の技術やノウハウを活用し、奥さんのビジネス才覚、デザイン才覚が組合わさって、一つ花が開いたのでしょうね。家族や地域社会などで共有する技術があり、そこから派生していくビジネスが展開される可能性も高いと思います。

大江 少子化というのは地域に関係があり、地域が変わったから少子化が進んだという説明もあります。しかし、少子化が進むとまた地域も変わってきます。そうして地域の基底的な条件が変わってくると、何らかの新しいサービスが必要になってくる可能性がある。そこに新しいコミュニティービジネスのチャンスがあるのかもしれませんね。

高津 Uターンしたときに農業というのが話題になりますが、これからは農業だけではなく、オフィスワーカーが雇用される場は新しいサービス業や小売業だと思います。農業は専門性がないとこれからはできないだろうし、資本力がないとできないと思います。

池田 昔でいう農業のイメージでとらえたら全く間違いですよね。むしろ工業という感覚ですね。

高津 それに、私たちの世代以降、親が農業をやっているというのは急激に減ったのではないでしょうか。我々より少し上の世代の親は農業をしていましたが、これからの可能性としてはやはり地方におけるコミュニティジョブであったり、新しいサービスベンチャーであったりすると思いますね。

池田 例えば、農業でも、Uターンする人たちへの情報提供を都会で行うというのはどうでしょうか。いきなり農協が強い分野に新規参入するというのはすごく難しいことです。そういったところを手助けするのです。今、行政がやってますが、そういった所にひょっとしたら民間ビジネスが入り、立ち上げのところをサポートする。いわゆる昔の農業的な分野を新しい感覚でとらえ、サービス業の一部だという感覚でクリエイトの手助けをするのです。

高津 農業は21世紀の最先端産業だとする説もありますから、農業の場合は企業化が進むのではないでしょうか。製造業でも、国内で200億円程度、世界で1000億円程度の市場規模がないと大企業が参入しないといいます。その規模に達しない市場の場合、いわゆるニッチの部分にはベンチャーなどの中小企業が新規に入りやすい。霞が関や丸の内や大手町といった大量のオフィスワーカーが次に転職したときの受け皿になるのは、少人数の家族的な企業化という部分に期待したいですね。ただ、農業はいわれている程、趣味的に参入したり、個人が新規参入したりするのは難しいのではないでしょうか。恐らく農業は今後、バイオの生産技術を使って、相当最先端の産業になり得ますね。

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 少子化と都市政策
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大江 少子化が進んだ時、地域は一体どのように変わっていくのでしょうか。それは政策的にできる部分もあるし、そんなに簡単にできない部分もあると思います。そういった地域の変化とその対応について、どうでしょうか。

椋野 一言でいえば少子化によって全国のほとんどの地域が過疎、高齢化になってしまいます。そうではない地域、つまり、人口が多い都市部では高齢者の絶対数が急増します。ただ、現在でも都市部の高齢者は退職すると、なかなか働き口がなくなるのですが、農村部はそうではなく、農業は高齢者が支えています。このように、高齢化が進むと、今までであれば目一杯働ける壮年男性しか働き口がなかったのが、人口が減るプラス面として高齢者も女性も働けるような環境ができてくると思います。少なくともプッシュ要因になると思います。

大江 高齢化に関してですが、これは皆さんよくご存じだと思いますが、少子化は確かに高齢者の割合を将来高めますが、少子化が進むか否かにかかわらず、高齢者の絶対数の見通しは変わらないのです。既に2050年の高齢者は死亡率が変化しなければ決まっており、大量の高齢者がいるということには変わりないのです。今よりも子供が相対的に少ない高齢者は一体どのように暮らすのかというのが一つテーマだと思います。

江原 その高齢者というのは未婚で、したがって子どもがいないという方が多いのでしょうね。

瀬川 しかし、実はリッチな高齢者かもしれません。本来は子どもの養育費をかけるべきところを自分のために蓄えていたとすれば介護のサービスを受けるための蓄えができています。

江原 さらに、財産を残す子どもがいない方たちにその財産をうまく社会に活用できるような制度をつくったらと思います。

大江 例えばどのようなことをするですか。

江原 我田引水で悪いのですが、今後、女性が働くための支援基金というのを作ったりする。

高津 それは集まるかもしれませんね。

江原 甥とか姪に取られるくらいなら、自分の働いてきた人生の目的を引き継いでくれる人のために財産を残したいと思う女性も多いかもしれない。

大江 周りの状況を見ますと、子供が減ったことによって、遺産がいろいろなところから入りこみ、資産格差が非常に大きくなっていく可能性がある。一方、低賃金労働で結婚もできずに高齢者になってしまった人の一部がホームレスになっていますが、そういったタイプも出てくると思います。つまり、これからは非常に様々な属性を持った人たちが出てくる社会になるだろうと思いますね。

江原 今までは貧しい人も家族で支えられ、豊かな人は家族を支えていたということが少しはあったと思います。でも個人になってしまうとどうでしょうか。

瀬川 しかし、今後リッチな単身世帯が増えてしまいますと、利便性が高く、いろいろな都市的アメニティも享受できるといったところは彼らに占拠されてしまい、逆に子どもを産んで育てようとする人が遠距離通勤を我慢したり、就業をあきらめなければならなくなる可能性もあります。政策として育児と就業の両立や子育てを支援するというのであれば、研究の余地はあると思います。

江原 都市部でいえば、持ち家政策というのが悪かったのでしょうね。だから郊外にいってしまい共働きができなくなり、子どもがいなくなる老人になってから広い住宅を持つ。横浜の郊外住宅地では立派な住宅地ですが、ほとんど一人ぐらしの女性高齢者ばかりになってしまった地域も出てきています。

高津 昭和40年代に造られた、いわゆる当時の新興住宅はそうなりつつありますね。

大江 開発時期にほぼ30代や40代で入ってきまして、そのまま定住して高齢化していったということですね。つまり、開発時期に応じて、高齢化の波が中心部から徐々に郊外に波紋が広がるように広がっていくわけですね。

江原 それと郊外住宅地では中流層の家庭が多いため子どもたちが高学歴で、海外にいってしまうとか、全国的な転勤が多いとか、要するにいわゆる大企業に勤めている結果、親と一緒に同居できる状態にないということが現実的には一番効いているように思います。意識の問題ではなく、子どもの働き方が多様になってきたということでしょうか。もちろん、団地が狭いから同居できないということもあると思います。そこへいくと下町は割と近くに職場を求め、便利であるがゆえに親も割と同居しているのでしょう。

瀬川 岐阜の中心市街地でも同じように、中小商店のご両親ががんばって、息子をいい大学に入れて、いい会社に入り、全国転勤で岐阜には帰ってこず、中心市街地が跡継ぎもなく空洞化しているのではないのでしょうか。

高津 中心地に限らず、岐阜の団地でも高齢化率が高くなり、独居老人がすごく増えてきているそうです。恐らく日本中の高度成長期にできた大部分の郊外住宅地、団地といわれるところは同じ課題を抱えていると思いますね。
 岐阜には地域の伝統というか、おじいちゃんとその孫が3世代で同居しているということが当たり前のような雰囲気が残っていると思いますが、こうした伝統的なコミュニティはこれから10年くらいの間に急速に崩れるのではないでしょうか。

大江 高齢者のみの世帯が増え、また若い単身者が増えて、核家族が中心的家族形態でなくなった時、人々の地域社会との関係は大きく変わっていくのではないかと思います。そうした中で、子どもを育てる環境や関係をつくっていくには、何か新しい力が必要だと思うのですが、そういった力というものは一体どこから出てくると考えていいのでしょうか。

椋野 子どもがいる層がもっと都市部に住めるような住宅政策も必要だと思いますが、そもそも都市計画自体を見直さないといけないと思います。都心部にはオフィスばかりで住宅はつくらないようになっていますよね。結局、住宅は郊外の住宅専用地域でということになっていますが、そういった都市計画自体をもっと見直し、職住近接のまちづくりを進める必要があると思います。そうすれば、例えば、親はサラリーマンでも近所にベンチャービジネスをやっている人もいて、子どもはいろいろな生き方があることを実感できるのではないでしょうか。だから、今の職住分離の都市計画を改め、いろいろな階層、職業、年齢の人がなるべく近くに住むようにというのが、地域の活性化の根底ではないかという気がします。
 市街地の空洞化の話でいえば、今は下町でも中心地が空洞化しているといいます。それは、車の利用が進み、住宅もショッピングも郊外に移ってしまったからだといいます。しかし、車を利用しない子どもたちや高齢者を考えた時、街づくりをもう一度見直さないと生活が成り立たないと思います。市街地の空洞化の話をすると、「駐車場がないから客が来ないんだ。だから駐車場をしっかり整備しろ」という話になりがちですが、車は使わず歩いて行けるコミュニティの中に店があるということが大切です。郊外の大規模店舗に比べれば品揃えは少ないし、安売りもないかもしれない。しかし、生活に必要なものは揃っていて、顔見知りの人がいるなじみの店に行くというようなことが今必要なのです。それは広い意味での子育て支援で、いろいろなお店もあり、住む人もいて、子どももお年寄りもいるというのは、子どもが育っていく上で、大切なことではないかという気がしています。

高津 それは、一面では都市計画の規制を強化すべきだということですか。

椋野 ええ、違う方向を目指すということです。持ち家政策は私も間違いだったと思っているのですが、ただ、これだけ持ち家になってしまったので、中古住宅を流通できるような市場を整備するが大事ではないでしょうか。お年寄りが非常に広い住宅に住んでいるというのは、治安面でも怖いですよ。そうではなく、もっと便利なところに住み替えられるような仕組みを整備しないといけないでしょうね。

江原 でも、住み替えコストが高いのです。住宅と人との関係が金縛りになっているのではなく、もっと流動的だといいですね。

池田 なかなかそこまで一度に進めないでしょうから、中古住宅の改築や住み替え政策を進めていくと同時に、もう少し人間関係をつなぐような社会サービスのようなものを補っていく時期がしばらくいるのではないでしょうか。例えば、高齢者のための介護やコミュニティ内のサービスもそうだと思います。

椋野 NPOが育ちやすいように、支援する必要もあると思います。

池田 でも、必ずしも行政とそれ以外というように、きっちりとした二極化という考え方ではない方がいいと思いますね。

椋野 そうですね。NPOは行政とそれ以外の間を埋めるところだと思います。

大江 NPOとは税金をとらない代わり公共的な仕事をしっかりやって下さいというもので、経営的に成り立たないといけないと思います。そういう活動分野で住宅に関するものとしては、ハウスアダプテーション、住宅改装というのはあり得ると思います。居住者のニーズにあわせ、比較的安いコストでしっかりやる。それをスタートに、例えば住み替えの斡旋も行う。住み替えも実は地域内でうまく住み替えられると高齢者にとってはいいことだと思います。突然、高齢者が今まで住んでいた所から離れたところにいくと、次の生活が非常に成り立ちにくい。同じ生活圏の中で、同じ生活習慣の中で、住み替えられる様な非常にきめ細かい情報をもっていないといけないので、NPOの仕事になるのではないかと思います。

江原 それが最終的に独立老人ホームのような形になったとしても、同じ地域内の移動で移れたら、一番安心できますよね。

瀬川 中心市街地としては、例えば、商店街が歯抜け状態になっているところで、子育てしながらでも、主婦的な感覚を生かして、生活密着型の事業を始めることを支援し、それにより周りに住んでいる居住者も近所で買い物ができたり、子どもを預けられたりする。そこに新たな中心市街地というものが形成されると夢があると思います。

高津 理論的には職住近接があるべき姿だというのですが、大都市のサラリーマン化した日本人というのは、職住近接の住まい方を再度選択するのでしょうか。

椋野 共働きだったら、1時間や1時間半という通勤はしないでしょうね。家族がそこにいるから男性も長時間通勤をやる気になるのであって、夫婦で1時間か1時間半も通勤してというのはバカらしいと思いますよ。

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 少子化から見た展望
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高津定弘氏
高津 少子化で子どもが少なくなり、活力が落ちるといわれますが、長期的に見た時、日本全体の中で、地域の安定的、持続的な発展という視点からみて少子化というのはそれ程大きな問題ではないといえるのでしょうか。それともゆゆしき問題ととらえるべきでしょうか。

椋野 人口が1億人いなければいけないという感覚はもちろんありません。初めから6000万人なら6000万人でもいいんのでしょうが、持続的に減り続けるということの経済や社会への影響が非常に大きいと思います。いくら元気なお年寄りが増えるにしろ、65歳以上が3分の1というのは、かなりしんどいと思います。それを支える若い世代が相当な覚悟を決めないといけないのではないでしょうか。

大江 今の人口推計では2007年から減り続け、2050年で1億人というストーリーがありますが、私はそうならないと思います。これは既に何人もの方がおっしゃっているのですが、必ずアジアから若い労働力が入ってくると思います。それは恐らく2010年とか2020年といったレベルで起きると思いますね。その結果、日本も多民族社会になり、新しい社会的な課題に遭遇し、非常に大きな変化が起きるのではないかと思います。それにうまく対応できるかどうかが、今後の行き先を左右するのではないでしょうか。

江原 少なくともここ数年の単位でみると、デフレスパイラルではないですが、少子化スパイラル、落ちていく方向しかないのです。プラスに上げる方向にはない。経済が悪くなればなるほど益々少子化は進行する。それしか方向は見えていない。今の企業の対応だと、さらに少子化を進めるようなことになる。このままいけば、合計特殊出生率は1.2台に落ちることも十分に考えられると思いますね。

高津 もしかして、長期的には1.2台で失業率は5%台という姿も視野に入れる必要があるのですか。

江原 そういう形になりますね。それがいいかどうかは、どこに着目するかによって違いますから、必ずしもマイナスだけではないと思います。でも、少子化は子どもを持ちたくないわけではない人たちが、結婚しない、子どもを持たないといった選択肢しか現実的には残っていないと判断したから起こったことですから、子どもを持ちたいと思っている人たちが子どもを持てるような、自分のしたいことができるような条件を備えた方がいいことは確かです。そういった意味では少子化はマイナスだと思っています。

池田 とにかく選択肢が多い社会であってほしいと思います。それに子どもを産みたい人は産まなければおかしいと思うし、産みたくない人はそっとしておいてあげればいいと思います。けれども、いずれにしても地域コミュニティでどのように生きていけるのか。生きたいように生きられるような社会でないと非常にマイナスだと思います。日本の国の今までの国力を維持しようという発想はやめ、できるだけ選択肢をたくさんかなえて上げる。特に個人のレベルの選択肢をたくさん用意する。しかも、みんながイメージする豊かな、質的には豊かなレベルを維持したいですね。

瀬川 少子化であろうと多産化であろうと、変化というものは急激であれば必ず社会に大きなインパクトとなり、マイナスの側面があると思います。超高齢社会化が到来することの元凶として少子化があげられますが、そもそも団塊の世代の人口が多いという事実もあります。その時の変化も非常に大きかったはずで、そのつけが今きている部分もあります。
 まず、個人の価値観やライフスタイルの問題に関わる少子化をどこまで政策問題として捉えるかという問題もあると思います。しかし、少子化問題は抜きにしても、様々な面から地域のあり方や農業も含めた産業のあり方、住まい方、都市計画など従来のやり方から、少しずつ新しいシステムに変わる必要があるとします。そして、そのような社会にならなければ子どもが産みやすい社会環境は実現できないのであれば、少子化は現代社会の様々な問題点を解決し、社会が転換していくためのインパクトになりえるといえ、プラスと考えていいのではないかと思います。

高津 肩に力の入らない非常に伸び伸びとしたお話を伺うことができ、感謝しております。男は少子化といいますと非常に大言壮語で問題を男の理屈で大きくしたがるのですが、お話を伺いまして、やはり私も家族の一員として生き方をまず考えるという基本を忘れてはいけないと反省しております。
 最後に、こうした少子化をめぐる政策論を契機として、高質な議論から組み立てられる構想力と豊富な人材が生み出す機能が各地域に形成されることを期待したいと思います。
 本日はどうもありがとうございました。



情報誌「岐阜を考える」1998年秋号
岐阜県産業経済研究センター


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