少子化と高齢者介護

──飛騨におけるフィールドワークから──
田 原 裕 子

東京大学大学院総合文化研究科・教養学部助手


1.はじめに −少子・高齢化の進行−

 本稿に課せられたテーマは高齢者介護の観点から少子化を考えることにある。ここでは飛騨圏における事例調査に基づいて、地域や家族の視点からこの問題を検討してみたい。
 近年、「高齢化」の頭に「少子」をかぶせて、「少子・高齢化」「少子・高齢社会」という言葉を用いることが一般的になってきている。これは人口高齢化が長寿化や高齢人口の増加によってのみもたらされるのではなく、むしろ、非高齢人口の相対的な減少がより大きな要因であるという認識が浸透してきたからにほかならない。
 議論に先立って、少子化と高齢化の動向を確認しておこう。図1は1950年以降の合計特殊出生率と高齢人口割合の推移を整理したものである。一人の女性が一生のうちに産む子どもの数である合計特殊出生率については、1950年代前半に急激に低下(第一の少子化)し、1960〜70年代前半にかけては安定的に推移した後、1975年に2.0を下回ると再び低下傾向にはいり(第二の少子化)、さらに80年代半ばに1.6を割り込んでからも継続的に低下しつづけている(第三の少子化)。一方、高齢人口割合は1970年に7%、95年に14%を超え、さらに上昇を続けており、両者が対称的な動きを示していることが読み取れる。岐阜県についても全国値とくらべて数ポイントずれるものの、ほぼ平行して推移している。
 他方、家族に視線を移すと、第一の少子化の帰結として1990年代に入ると、子どもの少ない高齢者が登場するという大変化がもたらされた。表1は厚生省の出生動向基本調査に基づき、夫婦一組あたりの平均出生児数を夫婦の出生年次別に整理したものである。これによると夫1894〜98年、妻1898〜1902年生まれの夫婦の平均出生児数は4.27、同1911〜15年、1915〜1919年生まれの夫婦で3.60と3を大きく上回っていたのが、1916〜1920年、1920〜24年生まれの夫婦では2.83と急激に減少し、その後も世代が下がるほど減少している。そして、出生力の転換点となった1916〜1920年、1920〜24年生まれの夫婦が高齢人口に参入したのが1990年である。つまり、1990年以前には高齢の親の多くが3〜4人、またはそれ以上の子どもを持っていたのに対して、1990年以降は2人しか子どもを持たない高齢者が増加することになる。その結果、老親の扶養や介護に関して重大な責任をもつ長男(跡取り)およびその嫁と、それ以外の子供たちという構図、あるいは、多くの子供たちが少しずつ分担するという構図がくずれ、今後はほとんどの子どもが(自分の親にせよ、配偶者の親にせよ、)親の問題を我が事として受けとめざるをえなくなるのである。

2.老親子の同居・近居・別居とサポート(支援)
 では、親の問題を我が事として受けとめるとはどういうことであろうか。最近、さまさまなメディアで「元気な高齢者」の活躍が報じられるようになった。各種の調査でも、自立した生活を望む高齢者の増加が指摘されている。一昔前と比べ、高齢者の身体的、経済的、あるいは精神的な状態が格段に向上したことは疑いようもない。
 けれども、高齢期における不安や危機感が消え去ったわけではない。なかでも自分や配偶者の健康状態が低下した場合に対する不安は強い。この不安は突き詰めれば自分たちが寝たきりや痴呆になった場合に誰が介護してくれるかという問題であり、この点についてはいかに公的、私的な社会サービスが充実してきているとはいえ、家族、とくに子どもに頼る部分が依然として大きい。
 ところで、老年社会学の分野では高齢者に対するサポート(支援)の内容を、買い物や炊事といった家事の代行に代表されるような「日常的サポート」、病気になったときの看病などの「介護的サポート」と、話し相手や相談相手になるといった「情緒的サポート」に分類する考え方がある。そして、誰が、どのサポートを提供しうるかについて高齢者とのつながりの強弱に注目したモデル化が行われている。簡単に言えば、「遠くの親戚より近くの他人」ということわざが妥当かどうか、という議論である。これまでのところ日常的サポートについては友人や近隣などによって補完することが可能であるが、介護的サポートについてはあくまで家族や親戚によるか、あるいは社会サービスに限定されがちであることが明らかになっている。
 さらに筆者らはこの議論に空間的な視点を導入することを試みた。具体的には大野郡清見村を事例地域として、老親子の居住地間の距離と交際頻度との関係を調べることによって、距離帯別に担いうるサポートの種類を検討した。その結果、清見村に住む高齢者の別居子の半数が1時間以内で行き来できる15km圏内(清見村の場合は村内および隣接する高山市の範囲)に集中しており、それ以遠については飛騨圏に1割、岐阜・名古屋都市圏に3割、その他の地域に1割と分布していることが明らかになった。
 また、老親子間の距離と交際頻度の関係については、毎日ないし少なくとも毎週のオーダーで老親の家を訪問できるのは15km圏内に住んでいる子どもに限られることが明らかになった。介護が高頻度の接触を必要とする点を考慮すると、介護の担い手になりうるのは同居しているか、別居していても15km圏内に住んでいる子どもに限られ、それ以遠になると困難であると考えられる。
 そこで次に問題となるのが、親子の同居もしくは近居の確率である。現時点では同・近居の割合が高く、国民生活基礎調査によると岐阜県全体では子どもを持つ高齢者の9割が子どもと同居または近居しており、同一市町村に子どもが住んでいない高齢者は1割に過ぎない。しかし、今後はこうした状況に少なからぬ変化が生じる事が予想される。
たとえば表1で1995年に高齢者に参入する夫1921〜25年、妻1925〜29年生まれの夫婦は1940年代末から50年代にかけて2人強の子どもを持ったと考えられるが、この子どもたちが中学あるいは高校を卒業した時期がまさに高度経済成長期とぶつかるのである。周知の通り、我が国では高度経済成長期を境に農山村から大都市圏への人口移動が加速したが、この動きは新規学卒層に集中的に生じたものである。つまり、今後高齢人口に参入する高齢者は、そもそも子どもの数が少ないというだけでなく、とくに農山村の場合は、最も激しく大都市圏へ流出した子どもたちの親の世代でもある。
 もちろん、地方圏においても雇用機会が量・質ともに安定的に確保されるようになり、地方におけるライフスタイルが再評価されるようになるにしたがって、地元に住み続ける子どもや、いったん大都市圏に転出した子どものUターンなどが増え、地元に定着する傾向が強まっていることは見逃せない。とはいえ、地元に定着する子どもの数は、定着率だけでなく、もともとの子どもの数の関数でもあるので、あまり楽観もできない。
 図2は一定の期間に地元で生まれた子どもの数(x)と地元に定着した子どもの数(y)、および子どもの地元定着率(k)との関係を示したものである。たとえば、老夫婦が子どものうち最低1人は地元に残ってもらいたいと考えた場合、子どもの数が4人、5人と多かった時代には定着率が25%、20%でよかったものが、2人っ子が主流となった現在では50%以上でなければならない。さらにいえば、こと介護に関しては、たとえ同居していたとしても独身の子どもは必ずしもあてにできない。就業と介護の両立が難しいからである。したがって、子どもの配偶者まで考えると、実際に要求される定着率はこの2倍の100%となるのである。

3.親子の別居と介護サービス需要
 しかし、清見村のような、地方中心都市に隣接する町村は別として、より遠隔の町村では100%以上の地元定着率を確保することは容易ではなかろう。では、子どもと同居・近居していない高齢者が介護の必要な状態になった場合はどうなるのか。もっとも現実的な解が「呼び寄せ」、すなわち高齢者が別居している子どもの家へと転居するケースであろう。たとえば、大野郡の荘川村では1990〜95年の6年間に13組20人の高齢者およびその配偶者が村外へ転出したが(何らかの事情による住民台帳の上だけの移動や、季節的な移動は除外)、このうち単身、夫婦のみ、または独身子との同居世帯の高齢者が11組18人を占める。彼らの転出先の内訳を見ると、子ども夫婦の家やその近くへ転居するケースが7組12人、特養への入所が2組3人、自分たちの仕事の都合などで自宅を転居したケースが2組3人となっており、既婚の子どもの家に同居・近居するケースが多い。
 このように介護が必要になった高齢者が子どものもとへ転出した場合、転出元の市町村にとって、一見、行政の負担が軽減するかにみえる。しかし、ここには重大な問題が隠れている。高齢者の転出によって、ある世帯が地域から完全に消滅するという問題である。繰り返しになるが、農山村から大都市圏への人口移動は「挙家離村」という言葉に代表されるものの、実際には新規学卒層に集中し、それ以上の世代は地元に残る傾向が強かった。そのため、多くの地域で人口は減少したものの、世帯数は維持されて今日に至っている。しかし、高度経済成長期から30年以上が過ぎた現在、地元に残った世代が高齢者となり、故郷を離れれば、世帯数は一挙に減少することになる。これが第二の(そして最後の)過疎化とよばれる現象であり、その行き着く先には集落の消滅がある。
 この点については、介護の必要な高齢者だけが残ってもあまり意味がないのでは、と考えるむきもあろう。だが、こうした意見に対しては沖縄の事例を紹介したい。筆者らは沖縄本島北部のヤンバル地方で住民のライフパスに関する調査を行っているが、ここで注目されるのが定年後にUターンするケースである。平成6年から10年までの5年間だけを取り出しても、40世帯あまりの小さな部落の中で定年後にUターンしたケースが3件ある。個別ケースのヒアリングによると、Uターンの決め手は離村中も村社会との関係を維持していたかどうかであり、そのパイプとなるのが村に残っている親の存在である。大袈裟に言えば、子どもの定年まで親が地元にとどまっていられることが、地域社会の持続の可能性を広げることにつながるといえよう。
 もちろん、こうした現象には沖縄特有の地域性も関わっており、すぐに岐阜県に当てはまるというものではない。実際、清見村の事例調査でも、Uターンは30代前半までに集中していることが明らかになっている。とはいえ、ヒアリングを行った中には「子どもが定年になったらUターンしてくれるかもしれない」と答える高齢者も少なからずおり、今後はある程度の期待が持てそうである。少なくとも、介護サービスが必要となった高齢者の転出を「厄介払い」と考えるのはあまりに軽率といえよう。
 子どもと同居・近居していない高齢者の介護問題に対する2つめの解が社会サービスの充実である。老人保健福祉計画の策定を機に、各市町村や県が高齢者のための社会サービスの整備を精力的に進めていることは周知の通りである。本稿ではこうした動きに言及する余裕はないが、世帯構成の変化が介護サービス需要量に与える影響について、少しだけ触れておきたい。
 筆者らは今後、予測される高齢者の世帯構成の変化が、社会サービス需要量にどのような変化をもたらすかについて推計するために、東京都老人総合研究所によるサービス需要量推計モデルなどを援用し、事例調査をおこなった。その手順を簡単に整理すると、1)介護を必要とする高齢者の身体的、精神的障害の状況(これをPM類型と呼ぶ)と、2)家族が介護を行う際の支障状況(これをF類型と呼ぶ)とを整理し、3)両者を組み合わせることによってそれぞれの高齢者が社会的な介護サービスを必要とする状況を類型化し(PMF類型)、4)各PMF類型ごとに必要とするサービスモデルをあてはめることによって、5)サービス需要量の総量を推計するものである。
推計にあたっては高齢人口の絶対数が最大になる2015年を推計年次としてコーホート変化率法によって年齢階級別の人口を推計し、高齢人口の年齢階級別構成だけが変化するという仮定と、高齢者の世帯構成も変化するという2つの仮定をおいた。
推計の結果、以下の点が明らかになった。1995年から2015年の間に高齢人口は1.18倍に増加するが、これに対して、高齢人口の年齢階級別人口だけが変化すると仮定した場合のサービス需要量は、いずれのサービスについても1.3倍前後に増加すると推計される。これは、高齢人口がより高い年齢層にシフトするために高齢者に占める要介護者の割合が高まるからである。一方、清見村の高齢者の世帯構成が1990年時点での全国平均と同じ水準に変化する、つまり、子どもとの同居率が低下するという仮定をおいた場合には、サービスの種類によって需要量が増えるものと減るものがある点に注目される。施設入所需要は1.3倍程度に増加するのに対して、在宅サービスの需要量はそれほど増加せず、もっとも増加するデイサービスでも1.2倍、入浴サービスや訪問看護サービスについては1995年の需要量を下回るという推計結果を得た。
もとより、このようなサービス需要量の推計はサービスモデルの設計に依存するため、適用するサービスモデルが変われば需要量もまた変化するという限界はある。しかし、今後、家族による介護力が格段に向上するという予想も立ちにくいことから、同居率の低下によって在宅サービス以上に施設サービスの需要量が増加するという推計は外れてはいないと考えられる。
 子どもと同居・近居していない高齢者の介護問題に対する3つめの解として、きょうだい間の助け合いを挙げることができるだろう。高齢者自身は第一の少子化以前の生まれであるため、ここしばらくは子どもの数は少なくても、きょうだいの数は多いという状況が続く。従来、高齢者の介護は子どもと配偶者を中心に議論されてきており、きょうだい間の介護については議論が始まったばかりであるが、高齢者の健康状態の向上は世代内介護を可能にしており、期待は強まると考えられる。

4.まとめにかえて
 はじめにも述べたように、少子化と高齢化は表裏一体の現象である。我が国の高齢人口割合は1880年代以降、近代化の過程の中で低下傾向にあったが、1950年代前半の第一の少子化を機に反転し、その後も第二、第三の少子化の進展とともに急速に上昇を続けている。このような少子・高齢化の進行がマクロ社会・経済のさまざまな局面において、各種リソースのあり方や、それらを世代間でトランスファーする枠組みに関する再検討を要請していることは周知の通りである。
 一方、家族にあっては第一の少子化によって、1990年代以降、子どもの数の少ない高齢者が大量に登場することになった。その結果、子どもにとっては誰もが親の問題から逃れられないという状況が、親の側にとっては介護のリスクを分散できないという状況が生じはじめている。また、高齢人口が最大となる2015年以降は、第一の少子化世代が高齢人口に参入することによって、子どもの数のみならず、きょうだいの数も少なくなり、さらには生涯未婚率の上昇も手伝って、係累がきわめて少ない高齢者が増加することが予想される。そのうえ、本稿では議論を単純化するために、子どもと同居・近居していれば、あたかも家族による介護が保証されるかのように議論を進めてきたが、実際には女性の社会進出が一層進むことによって、それも難しくなることが予想される。
 では、少子化と介護の問題に前向きな材料はないかというと、そのようなことは決してない。たとえば、マクロ経済との関連を無視するならば、家計において少子化はプラスの側面も多い。まず、一人当たりの子育てコストが上昇しないと仮定すれば、子どもの数が少なくなることによって子どもに要するコストの総量は低下することになり、その分、自分の親や自分自身の老後の資金に振り向けることができる。一方、きょうだいの数が少なくなることによって、親の遺産の配分が大きくなる。その結果、すべての家族にあてはまるわけではないが、全体としては家計の中で介護費用に充てることのできる経済的余裕が増えるのではなかろうか。しかも、2000年には公的介護保険も導入されることから、少なくとも介護の経済的な側面については、状況が好転すると考えられる。
 ただし、その場合にもいかに介護のマンパワーを確保するのかという問題が残る。少子化に伴って労働力人口が減少する中で、必要な介護マンパワーを確保するためには、より一層の努力が必要となるだろう。
 
参考文献
大江守之・荒井良雄・田原裕子・新井祥穂(1996):高齢者の地域分布変動と社会サービス需要変化に関する研究.平成7年度厚生科学研究費補助金研究.
大江守之・荒井良雄・田原裕子(1997):高齢者の家族構造変動変動と社会サービス需要変化に関する研究.平成8年度厚生科学研究費補助金研究.
田原裕子・荒井良雄(1997):中山間地に居住する高齢者と別居子の交際に関する実証研究.日本老年社会科学会第39回大会報告要旨集.
東京都老人総合研究所社会福祉部門編(1996):高齢者の家族介護と介護サービスニーズ.光生館.



情報誌「岐阜を考える」1998年秋号
岐阜県産業経済研究センター


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