いま、なぜ少子化を考えるのか


大江守之
(慶應義塾大学総合政策学部教授)



3つの少子化現象

 今年の6月に出された厚生白書は、『少子社会を考える−子どもを産み育てることに「夢」を持てる社会を−』と題し、少子化問題を幅広い角度から捉えて各方面から注目を集めている。「少子化」とは、端的に言えば、合計特殊出生率[15歳から49歳までの女子の年齢別出生率を合計したもので、1人の女性が仮にその年次の年齢別出生率にしたがって子どもを産むとした場合の平均子ども数]が人口置換水準を下回る現象をさす。人口置換水準とは、母親が産んだ女児が母親と同年齢になったとき全く同数であるために必要な合計特殊出生率のレベルであり、現代日本では2.08前後である。この水準を下回ると子世代が親世代よりも小さくなり、その状態が持続すれば人口は減少に向かうことになる。
 合計特殊出生率が置換水準を下回り始めたのは1970年代半ばからであるが、少子化が注目され始めたのは1980年代後半以降である。ここでは前者の動きを「第2の少子化」、後者の動きを「第3の少子化」と呼ぶことにして話を続けよう。
 そもそも「少子化」という言葉が生み出されたのは「第3の少子化」によってであり、その契機は、丙午(ひのえうま)の人為的な産み控えによってもたらされた1966年の1.58を下回る1.57という水準が1989年に実現したことにある。その後も出生率の低下は続き、1997年には1.39と、ついに1.4をも割り込む水準まで落ち込んだ。このプロセスの中で、「少子化」は「人口置換水準を割って極めて低い水準へと出生率が低下する現象」という認識が生まれた。合計特殊出生率が1.4ということは、子世代の出生数が親世代の7割になるということであり、さらにもう1世代繰り返されれば5割(0.7×0.7)になることを意味している。1.8のレベルでは、出生数が1世代で9割、2世代で8割までしか減らないことと比較すると、確かに「第3の少子化」は将来へのインパクトが大きい。
 このように実態の動きの中から形成されてきた「少子化」概念は、「合計特殊出生率が絶対的に低いこと」と「それが低下すること」の2つの側面を含んでいる。つまり、速度の側面と加速度の側面である。この2つの側面が将来の人口の規模と年齢構造の状態と変化速度に影響を与える。実は、合計特殊出生率の大きな低下をわれわれはさらに過去に経験している。1950年代前半に起きたおよそ4のレベルから置換水準の2のレベルへの低下である。これをここでは「第1の少子化」と呼ぼう。この少子化は、人口置換水準以下への低下という動きは含んでいないが、低下の幅と速度が大きかったことによって、現在進行中の高齢化の主たる原因になっているのである。
 少子化現象を敢えて3つの段階に分けて整理したのは、現在語られている少子化現象が、この3つの側面を含んでいることによっている。少子化の深刻化、それによる現象への社会的関心の高まりが、1980年代後半以降の動きに起因しているとしても、問題の広がりはさらに大きく、第1の少子化まで視野に入れておく必要がある。


第3の少子化をめぐる問題

 現在進行している少子化の原因が晩婚化にあることは専門家の間で一致した見方である。今のところ結婚したカップルから生まれる子ども数には大きな変化はなく、結婚しない女性の割合が増えていることが、女性1人当たりの子ども数を減少させているのである。かつてクリスマスケーキに例えられ、「25を過ぎると売れない」などと言われた女性の結婚行動は近年大きく様変わりした。20代後半女性の未婚率は1975年までは20%前後で推移してきたが、1985年には31%、1990年には40%、そして1995年には48%まで上昇し、結婚適齢期概念は消滅したと言える。これに対応して男性の未婚率も、1975年から1995年にかけて20代後半では48%から67%へ、30代前半では14%から37%へと上昇している。なお、この晩婚化を牽引しているのが、1960年代以降に生まれた世代であることは重要なポイントである。
 若者たちのこうした結婚を避ける行動が何に起因するかをめぐっては多くの議論が展開されている。その中心にあるのはワークスタイルの問題であり、男は仕事、女は家事という性別役割分業に関する意識が、特に女性の間で大きく変化しているにもかかわらず、社会がそれに追い付いていないという点が指摘されている。女性の高学歴化、雇用機会の拡大、男女の賃金格差の縮小を背景に、結婚、出産、育児と仕事を両立させたいと考える女性が増加しているにもかかわらず、職場においては結婚・出産による退職慣行が強く、一方で再参入の障壁は高い。また、男性の側は依然として、女性は結婚・出産に際して、専業主婦になるのが当然と思っている割合が高く、専業主婦化をプラスの価値としていた母親に大事に育てられた1960年代以降の男性にもその意識に大きな変化はない。
 社会が求め、それに対応して働く意欲を高めている女性たちが、出産や育児を経験しつつ、職業的能力を高めながら生涯にわたって働ける仕組みをどうつくっていくのかがここでの大きな課題である。雇用機会均等をさらに進め、保険、年金の仕組みを改善し、育児の社会化を図るなど、多面的で漸進的な取り組みが求められるが、ときには世代間の価値観の対立を招く場面も想定されるなど、実現の道は平坦ではないだろう。


避けられない少子化の帰結

 「第3の少子化」への対応が仮に成功し、結婚を前向きに捉える若者が増え、男女がともに生き生きと働きながら、社会と家族が、そして男女が育児を分担する関係ができてきたとしても、合計特殊出生率が2を超えるまでに回復することは容易には想定しにくい。つまり、世代が縮小再生産されるという意味での少子化は続き、わが国の人口が、速度の高低は別にして、減少し続ける状態に陥ることは避けられない。また、「第1の少子化」の帰結としての高齢化も避けることができない。
 家族社会学者の落合恵美子氏が指摘しているように、およそ1925年までに生まれた世代(1995年で70歳以上に相当)は、平均4人の子どもに支えられており、個別には様々な問題を抱えつつもマクロ的には身近に子どもがいる高齢期を送っている。その次のおよそ1925年から1950年の間に生まれた「人口転換期世代」は、きょうだいは平均4人いるものの、子どもは平均2人となり、2015年までの間に次々と高齢層に入り、その中心を占めることになる。そして、おそらく2010年代になると、この世代の高齢者たちを子ども世代が支えることが難しい状況がほぼ明らかになるだろう。そのときまでに介護の社会化が進み、既婚女性や高齢者自身が、雇用の受け皿となる非営利組織などの拡大を伴いつつ、介護労働力の供給者となることが順調に進むというのが望まれるシナリオであるが、介護保険制度を含めて制度的対応がどの程度まで進むかによってその成否は左右されよう。そうした中で、アジアの国々の若く専門的訓練を受けた者たちが、例えば介護労働力の一翼を担う形で入ってくるということも想定しうるシナリオである。バブル崩壊後、外国人労働力に関する議論は下火になったが、長期的な問題として正面から議論すべきテーマだろう。
 最新の人口推計は、2050年までのわが国の人口の姿を描き出しているが、2050年時点の65歳以上の人口は既に生まれており、死亡率が安定している状況の中で、2050年までの高齢人口の絶対数の見通しはほぼ正確についている。従って、「第3の少子化」による高齢化の進展は、その割合だけで、その絶対数には関係しない。しかし、第1,第2の少子化によって急速に進む、本来的に対応の困難な高齢社会の舵取りをより一層難しくすることは確かであり、年金制度はその典型であると言えよう。
 以上で述べてきたように、視点を広げて「少子化」現象を考えると、われわれの社会が戦後作り上げてきた多くの仕組みをかなり根底の部分から作り直さなければならないことが見えてくる。わが国は、今、外からは国際的なスタンダードで行動することを求められ、内からは大きな社会の構造変化に対応することを迫られている。労働力の問題で触れたように、この動きは実は多くの接点を持っている。少子化問題は、内向きの対応だけで解決する性格のものではなく、むしろより広い視野に立って解決の道筋を探ることを求められていると言えよう。



情報誌「岐阜を考える」1998年秋号
岐阜県産業経済研究センター


今号のトップ メインメニュー