少子化時代の子どもの現状・そして未来

池 田 桂 子

(弁護士)


少年非行「第3の波」を過ぎて
 1980年代の前半、少年非行は戦後第3のピークと呼ばれ、「犯罪白書」「青少年白書」等の官公庁の統計の上の数値が話題を呼んだ。第1の波は昭和26年の少年刑法犯検挙人員が16万6433人をピークとする波、第2の波は39年の23万8830人をピークとする波をさし、第3の波は昭和58年の31万7438人をピークとする波を指している(図1)。

図1 主要刑法犯少年の人員及び人口比の推移(昭和24〜平成8年)

(注)主要刑法犯の統計を用いたのは、少年非行の推移を一貫した統計によってとらえるためである。
資料:警察庁「警察白書」




 第1の波の特徴は、第二次大戦後の混乱期の中で、家族の離散や経済的貧困といった負因を負った少年たちが、生活のためにやむなく犯す「生活型非行」であったと特徴づけられ、第2の波は、10代後半の少年人口の増加と、高度成長期における産業社会の再編と拡大化の流れの下、進学率の上昇という上昇志向の流れの中で社会全体の管理の強化に対する「反抗的非行」であったとみなされてきた。これに対して、第3の波は、その特徴を捉えて、「遊び型非行」と呼ばれ、いわば豊かな社会の下に育ち、環境上、資質上のハンディキャップをもたない「ごく普通の子ども」が「遊び気分」で非行すると分析されてきた。
 「遊び型非行」を構成するのは、「軽徴な」犯罪と称される窃盗と占有離脱物横領などであり、もっと分かりやすく言えば、万引き、オートバイ盗、自転車盗、放置された自転車、オートバイ等の乗り逃げである(図2)。これらの動機単純、手段容易な非行は、同時に「非行の低年齢化」「一般化」傾向と指摘された。刑法犯少年を年齢別にみると、16才が最も多いが、15才、14才の低年齢層で全体の66.3%を占めている(図3)。また、就学か無職かをみると、高校生が45.5%と最も多く、次いで中学生27.5%、無職の少年は思ったほど多くない(図4)。保護者の生活程度の9割をごく普通の所得家庭といわれる。
 1980年代後半から90年代にかけて、「ふつうの子」の起こす非行問題は、いつでも、どこでも、どの子でも、非行に走る可能性が増えたという社会不安のイメージを創出させた。しかし、その後子どもの数の減少とともに、少年犯罪は減少の一途を辿っている。考えてみれば、統計上の数値は、従来のような深刻でそれなりに了解可能な動機だけによって少年非行は行われるのではないということを言っているに過ぎないのかもしれない。

子どもをめぐる事件とモラル・パニック
 統計上の「非行の一般化・低年齢化」は、「ふつうの子」の軽徴な問題行動にまで、強弱様々な統制・監視の網の目が張り巡らされてきた結果というようにも思える。非行対策のための教育的配慮は早期発見・早期治療の必要性という方針の下に専門化・細分化されていく傾向にある。学校・家庭・地域・警察・補導センター、少年補導で専門機関、民間団体などによる非行対策ネットワークが整備されていった結果、それは同時に子どもたち全体の生活全般に対する管理が徹底していく過程だったともいえるのではないだろうか。
 1977年、初めて公的な用語として「校内暴力」という言葉が登場している。78年頃から増加し始めたこの種の事件は、81〜83年に急増し、ピークに達しその後減少する。「荒れる学校」報道は続いたが、生徒のざわつき、トイレの落書きから破損へ、授業妨害、金銭的たかり、教師への暴力という事態が一挙に悪化し、その後現在は、沈静化傾向にある。
 そして、マスコミ等で取り上げられつつあった「いじめ」が、1985年版「青少年白書」に登場、1989年版には、「登校拒否」という問題行動が加えられた。子ども、生徒は互いに仲良くすべきであり、教育課程、とりわけ義務教育においては、通常子どもは学校に通って教育を受ける権利(実質的には義務)を有するにも関わらず、その権利を行使しない、学校という集団生活の規律に適応しないゆえに問題視されるわけである。
 ここでは、「してはならない行為をする」子ども、生徒ばかりでなく、「しなければならないことをしない」子ども、生徒の行動にまで統制的な目が拡大されている。こうした背景には、特定の問題に関する情報が短時間にマス・メディアを通じて過剰に提供される一方、プライバシーへの配慮や学校の閉鎖性から教育情報がなかなか外へ出されない、という問題がある。ここに起きているのは、大人サイドに生じた子どもに関するモラル・パニック現象ともいうべきものである。

学校中心の子どもの規範をどう考えるか
 学校では、生徒は互いに仲良く協調する場であるとともに、集団生活を通じて学習し訓練する場であると考えられてきた。そこから外れることは「非行」と言いかえてよかった。明治の学校制度のスタート以来、子どもを良い学校に入れてやれば、将来の幸福が約束されるはずであるといった指向やある種の信念は、第二次大戦後も、高度経済成長以降の高学歴化の進展においても、一貫して維持されてきた。大人たちは、自分たちよりもワンランク上の生活や地位へ子どもらを押し上げてやりたい、その為には学校教育は最も有効な装置だと判断してきたわけである。
 少子化傾向の進む中、この傾向は今だ根強い。しかし、学校教育が、子どもらにとって将来の利益をもたらす最も有効な方法であるという信念はすでに揺らぎ始めているといってよい。子どもの為の将来への投資と思われてきたものは、大人たちの現在の満足を得るための消費と評価した方がふさわしい。登校拒否が「不登校」という言葉に置き換えられた現在、学校に行かない子、行けない子は、これまでの規範からみると問題であるかもしれないが、それ自体が問題ではなく、自分に合ったチャンネルを探し当てていないということである。
 学校教育は、マルチ・メディア化の進む情報化社会の中で、ひとつの学習ルートにすぎない。学習コースの複線化、多様化は時代の要請である。教育を受ける権利や機会は必ずしも学校教育に限られない。また、高齢社会にあっては、若年期にだけ教育の時期が限定される方がおかしい。基礎教育、専門教育、リカレント教育などと生涯にわたって学習の機会を増やしていく生涯学習の方向が個人にとっても社会にとっても有効である。
 21世紀を目前にして、今までの考えられてきた「子どもの規範」が今日、そして将来の「望ましい発達」「豊かな人格形成」に本当に役立つのか問うていかなければならないだろう。

児童虐待にみる子どもの居場所
 80年代、家庭内暴力として、思春期の子どもの親に対する暴力が社会問題化した。90年、家族間の暴力の問題として児童虐待がクローズアップされている。親の子どもに対する虐待は、加害親の親権の一部である懲戒権の行使として、ある程度社会的に許されるものであるという社会規範があったように思われる。あまりにひどいケースについては、「親権の濫用」であると非難されてきたにすぎない。「家族」という密室内の暴力について親が親権を持ちだせば、それ以上社会が介入しにくい状況があったといえる。
 加えて、懲戒権の行使としての暴力の肯定は、懲戒権を他人へ委託することを許容する理由付と相俟って、ヨットスクール事件や風の子学園事件などをも引き起こした。
 90年代に入って、大阪・東京の民間団体が、電話相談を開始し育児に悩む母親の声が伝えられるようになって、虐待問題は、特殊な親、特殊な家族にみられる問題ではなく、現代の家族に共通する病理現象であると認識されるようになったのである。
 厚生省は、1990年度から毎年全国集計をするよう指示し、全国の児童相談所で受理した虐待の件数は、1996年度で4102件に及んでいる。これが国による唯一の実態調査である。また、1998年1月31日付中日新聞の報道によると、死亡事例も1997年の1年間で約100名(無理心中を含む。)に及んでいる。東京虐待防止センターの1996年の虐待の相談件数は928件、そのうち、危機介入の必要のあるものは16%であった。同年4月から九月までの間に、全国の児童相談所で受理した虐待の件数は2016件、子どもの3割に打撲傷やあざがあり、7割強に何らかの心的外傷を思わせる症状があった。表面化しにくいことを考えれば、これらは氷山の一角にすぎない。
 虐待された子どもの救出については、一応の法的制度が不十分ながら、存在している。児童相談所による一時保護(児童福祉法33条)、児童相談所から家庭裁判所へ申立による施設入所(同28条)、児童相談所や親族から家庭裁判所への申立による親権喪失(同33条の6、民法834条)などである。しかし、これらの法制度は細々と機能してきたにすぎない。
 厚生省は、統計をとり、救出実務を解説しているほか、1994年都会地での子育て支援とともに、夜間の虐待相談や通報を児童相談所に代わって受け付けるため、一定数の民間養護施設のベテラン職員を充てることとし、代替職員の人件費を出す都市アドボケイト事業を予算づけ開始した。1998年には、全国児童相談所連携のための会議費等を支給し、事業化に乗り出している。地方自治体としての取り組みもマニュアルの作成など少しずつ始まっている。
 大阪「児童虐待防止協会」、東京「子どもの虐待防止センター」、愛知の「子どもの虐待防止ネットワーク」などを始めとする民間団体の活動が、厚生省や自治体に変化をもたらしたといってよい。児童相談所はもとより、医療・保健・福祉・心理・教育・司法等広い分野の専門知識と関係機関の連携・協力の必要が広く認識されるようになったといえる。
 ところで、虐待傾向を有する親自身が、幼少期に親などからの虐待を経験しているという指摘は70年代前半には通説となった。虐待の世代間連鎖は、自分の人生を肯定したいという気持ちであると分析する研究者もいる。虐待する親は母親に限らない。少子化傾向の強まる中で、閉鎖的な子どもと父、母との関係が子どもに決定的な影響を与えてしまう可能性がある。 
 子どもが親だけでなく、いろいろな人と触れあい、多様な人間関係の中で鍛えられていく社会的な工夫が必要である。集合住宅の中でもキッズルーム、ファミリーサポート事業など具体的なシステム作りが急がれる。同時にそれは、親へのケアも可能にするものであることが望ましい。

社会の中へ投げ出された「小さな大人」
 アメリカ、ヨーロッパの近代家族のイメージほどではないにしても、日本の高度成長期には、家族は社会(共同体)に対立する関係、そうでなくとも一応区別された関係として捉えらていたように思われる。しかし、次第に区別はなくなった。外食産業はもとより、漫画、ファミコンなど過剰な商品の消費市場を前に、子どもたちは、「小さな大人」として、生きることを要求されている。
 翻って考えてみると、新憲法は戦前の家父長制家族の下で絶対的な父親支配に服していた子どもを解放した。そして、子どもは、理念上、親とは独立した人格を認められたことになった。この新しい児童観は、教育基本法、児童福祉法などに具体化されていった。保護の救済の対象から、権利の主人公へと変化した子ども観であったが、子どもの権利・利益とは何かという判断基準は、大人に握られたままであった。
 1989年、国連は子どもの権利条約を採択した。この条約の考え方によれば、国や社会は、子どもを養育する親の権利を責任を尊重しなければならない(3条2項、5条、18条1項)。しかし、他方で親も恣意的に子どもを養育することは認められず、子どもの最善の利益を指導原理として、子育てに当たらなければならない。子どもの人権が侵害されている場合には、公的機関が、あるいは国が乗り出して、子どもの権利を擁護しなければならない。権利を擁護するシステムとして(1)人権救済(2)権利の代弁(3)権利調整が必要となる。
 財政削減、行革を柱とする社会福祉の制度改革といううねりは、子どもの分野にも及び、保育制度の改革が行われつつある。少子化の進行により、要保護児童のみを対象とする施策から子ども一般を対象とする方向へ転換せざると得なくなった。今、子どもの権利をどう実現するのか、理念を現実のものにする責務が大人たちに試されている。

一人一人の命とどう向き合うか
 制度疲労は、少年法についてもいわれている。保護主義の名の下に事実認定が後退するとして、少年法改正が論議されて久しい。そして、今、神戸の連続児童殺傷事件を契機に、少年の年齢引き下げ問題が関心を集めている。10才、11才の命が逝き、また14才の少年の夢と未来は大きく揺らいだ。「酒鬼薔薇」の特殊な世界だと片づけられない問題提起があるとすれば、大人も子どもも一人一人が自分のこととして捉え、限られた命と誠実に向き合っていきたいものである。


「家族データブック」(有斐閣)より抜粋
1975. 5毎日新聞「家族計画」世論調査第13回実施、子どもは「理想、現実ともに2人」、避妊実行の夫婦は28%、少産の傾向が強まった
1977. 3.11文部省調査、塾通い小中学生5人に1人
10.30親に暴力を振るう有名進学高校生を父親が殺す。
1979. 1.14東京で有名進学高校生が祖母を殺害して自殺
1980. 9.16家庭内暴力に関する研究調査会、全国1051件の事例分析(総理府の委託)
 ・ この年、家庭内暴力問題化
1982. 7.18総理府「青少年の暴力に関する調査
12戸塚ヨットスクールの訓練生死亡
1983. 2.12横浜で中学生がホームレスを襲撃し、逮捕される
2.15町田で私立中学の教師が生徒を果物ナイフで刺す。
6. 2文部省「校内暴力に関する調査」発表
6.13戸塚ヨットスクールで校長ら傷害致死容疑で逮捕。
1985. 4.18警視庁初の「いじめ白書」発表(84,531件)
5.31東京都教育委員会調査、東京小・中・高校の8割でいじめ
10. 5東京弁護士会[いじめ110番」開設
1986. 2.21文部省、初の「いじめ体罰実態調査」
1987. 8. 7臨教審最終答申、ゆとりの時間・生活科を新設
1988. 4全国児童相談所長会、子どもの人権侵害例調査、親から虐待された子ども、半年間で全国で1039人
7.22東京豊島区で子どもだけで暮らしていた部屋から乳児の遺体発見、他に3人の子どもを保護(子ども置き去り事件)
1989.11.20国連総会で子どもの権利条約を採択
3.30女子高生強姦監禁殺人事件発覚
1990. 5.15男女労働者対象の育児休業法の制定
9.29国連、子どもの権利条約を記念して、世界子どもサミット開催
1991. 5.20東京「子どもの虐待防止センター」が電話相談、「子どもの虐待110番」開設
7.29広島三原市の民間施設風の子学園で、懲罰として車内に閉じこめられた不登校の子ども2人死亡(風の子学園事件)
1992. 3.13学校不適応対策調査研究協力者会議、登校拒否についての報告書発表
9.22文部省、不登校の子どもの民間施設通いを「学校出席」扱いにすることを決定
1993. 9厚生省、子育て支援のためのエンゼルプラン発表
1994. 1.1094カイロ国際人口・開発会議
11.27愛知県西尾市で中学生がいじめを苦に自殺
 ・ この年いじめを原因とする子どもの自殺多発
1995. 5.25愛知県で「児童虐待防止ネットワーク・あいち」設立、電話相談実施
11.27自殺した西尾市の中学生1周忌の日に新潟県上越市の中学生がいじめを苦に自殺
1996. 1.30奥田文相、子どもや親、教師にいじめ防止を呼びかける緊急アピール発表
5.26法務省人権擁護局、「小学生の生活に関するアンケート」でいじめを受けたことがあるが4割
1997. 2神戸・児童連続殺人事件、女児殴打事件、5月27日中学校正門前男児遺体発見
5.27中学校正門前男児遺体発見



情報誌「岐阜を考える」1998年秋号
岐阜県産業経済研究センター


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