日本経済の現状と今後の見通し

−長期化する景気後退−
斎藤 潤

(前(社)日本経済研究センター主任研究員)


1 景気のこれまでの足取り
 本年6月に経済企画庁の景気日付検討委員会が正式に97年3月を景気の山と認定することによって、97年4−6月期以降、日本経済は景気後退局面をたどっていることが確認された。景気が後退局面入りすることになった要因としては、次のニ点が挙げられる。
 第1は、消費税率の引き上げや、特別減税の打ち切り、医療保険の自己負担割合の引き上げといった財政・社会保障面での家計負担の増加である。これは家計の実質可処分所得の削減を意味した。また、これに付随して発生した駆け込み需要の反動が見られたことも大きかった。これらによって、民間消費は大きく減少することになった。
 第2は、以上のデフレ効果に対する楽観的な見方が裏切られたことである。消費税率引き上げの影響は、しばしば駆け込み需要の反動と同一視され、極めて軽く見られていた。このため、97年春には株価は2万円を越え、長期金利は上昇し(公定歩合引き上げの観測もあった)、為替レートは円高となった。しかし、そのような楽観的な見方が甘かったことが、在庫は意図せざる積み上がり等によって明らかになるにつれ、景況感が悪化した。これが生産調整をもたらすことになったのである。
 以上が景気後退の契機を与えることになったが、これに追い撃ちを駆けたのが、97年7月のタイの通貨危機に始まるアジアの経済混乱である。これは、世界のなかでもアジアと貿易や直接投資を通じた関係が緊密な日本経済への影響が懸念された。このことは、実際に影響が顕在化する前に、ただでさえ景況感の悪化で軟調であった株価の一層の下落をもたらすこととなった。
 この株価の下落は、含み益に依存してきた日本企業の財務状況に大きな影響を及ぼすものと予想された。特に、98年4月からの早期是正措置の導入を前に自己資本比率の維持がこれまで以上に重要となってきた金融機関の経営が懸念された。こうしたなかで、実際に97年11月に幾つかの金融機関が破綻するに及ぶと、金融システム不安が一気に表面化した。
 この段階で、家計も企業も消費や投資行動が一気に萎縮し、経済のモーメンタムが急速な落ち込みを見せようとした。97年11月の時点では、景気は底割れをのリスクに直面していたと言える。

2 政策転換と長期化する景気後退
 このような情勢に直面して、政府は昨年末から本年春にかけて政策のスタンスを大きく旋回させた。それは三つの政策分野で見られた。
 第1に、金融システム不安の鎮静化をはかるために、預金者保護のための資金的裏付けを強化するためことを目的に17兆円の公的資金導入を決めたことである。
 第2に、自己資本が不十分であるために顕著となっている「貸し渋り」を緩和するために、金融機関への自己資本注入を目的に13兆円の公的資金導入を決めたことである。
 第3に、景気刺激的財政政策への転換である。昨年12月に発表された98年における特別減税の復活に加え、本年4月には総合経済対策が発表されたことである。
このような一連の政策転換によって、ひとまず景気の底割れが回避されるための道具立てがそろったといえる。しかし、これによって足元の景気がすぐさま好転するということにはなっていない。例えば、本年6月に発表になった98年1−3月期の実質GDP成長率も、季節調整済み前期比で1.3%減と、前期を上回る大幅なマイナス成長となった。その後、4−6月期以降には、公共事業の前倒し・追加と、特別減税の追加・延長を主要な内容とする総合経済対策の効果も顕在化してくるので、プラス成長に復帰することになろう。だが、極めて緩やかな成長にとどまるであろう。つまり、底割れは回避されるものの、景気後退はむしろ長期化するものと予想されるのである。なぜなら、景気に対して浮揚力と下向きの圧力の双方が作用しており、それらが拮抗するような状態がしばらく続くものと考えられるからである。

3 景気に対する浮揚力
 景気に対する浮揚力をもたらすものとして第1に挙げられるのは、家計部門における調整の一巡である。家計部門は、これまで財政・社会保障関係の負担増による実質可処分所得の削減や、駆け込み需要の反動、金融システム不安に伴う所得リスクの高まり等に対する調整を迫られてきた。そのため、97年度の民間消費は大幅な減少を示すことになった。しかし、98年に入るとそれがほぼ一巡しつつあり、消費性向も回復を示してきている。所得増があればそれが消費増に結びつくような下地が作られつつあると言える。
 景気に対する浮揚力をもたらすものの第2は、総合経済対策を始めとする景気対策である。4月に発表された総合経済対策は、総事業規模が過去最大の16兆6000億円にのぼるもので、その柱となるのは、公共投資の追加(事業規模7兆7000億円)と、特別減税の追加・延長(事業規模4兆円)である。これらの措置の波及効果を含めた経済的な効果を、マクロ経済モデルの乗数を乗じて試算してみると、名目GDP水準への影響は98年度には1.8%相当、99年度には1.5%相当との結果を得る。
 このような、乗数を用いたこのような試算結果は、実際の効果を過大推計している可能性がある。したがって、その点に注意する必要はあるものの、総合経済対策が98年度を中心に相当程度の効果を持つことが期待される。98年度における公共投資は、すでに進められている前倒し契約に加えて、98年度補正予算の成立に伴う追加分の執行も始まることにより、伸びを次第に高めることになろう。また、2月に始まった特別減税も、6月以降により大規模に実施されることになる。これらは、公共投資や民間消費の伸びを高める効果を持つ。

4 景気に対する下向き圧力
 図1 鉱工業生産・在庫・在庫率の推移

 このような景気に対する浮揚力に対して、景気に対する下向き圧力をもたらすのは、企業や金融機関で進めらている様々なストック調整である。
ストック調整の第1は、在庫ストック調整である。97年春以降の在庫ストックは増加基調にあり、当初の増加には駆け込み需要のために低下した在庫水準を復元しようとしたものも含まれていると考えられるが、その後は意図せざる在庫増の積み上がりとなっている(図1)。このため、生産調整の努力がこれまで以上に求められており、民間在庫は当分減少基調を続けることになる。
 第2は、資本ストック調整である。これまでも民間設備は伸びが鈍化してきたが、景気後退のなかで企業の中期的な期待成長率が低下している。これに伴い企業も資本ストックの伸びをそれに対応したものに引き下げる必要がある。このためには、民間設備もしばらく減少基調とならざるを得ない。
 第3は、雇用ストック調整である。96年度までの比較的高い経済成長を受けて、97年春の段階における雇用者や賃金の伸びは比較的高かった。しかし、企業収益の悪化から雇用調整が本格化しており、98年に入るといずれも減少基調に入りつつある。こうしたことは、雇用者所得の減少を通じて、民間消費の伸びを制約することになる。
 第4は、不良債権の処理である。金融機関の不良債権の処理は、まだ不十分であり、これまで以上に迅速かつ根本的な処理が求められている。その過程では、金融機関による融資態度の慎重化(いわゆる「貸し渋り」)は避けられず、中小企業を中心とする民間設備の減少や、倒産の増大による民間消費への悪影響が懸念される。

5 98年度の経済成長
このように景気に対する浮揚力と下向きの圧力とが拮抗する結果、98年度の経済成長も極めて限られたものになる。四半期別に見ると、総合経済対策の効果が最も大きく出る4−6月期から10−12月期にかけても、前期比0.5%増前後の極めて緩やかなものにとどまる。この結果、98年度全体の実質GDP成長率は、前年度比0.1%増とほぼゼロ成長ににとどまるものと予測される。

6 99年度における成長制約要因
図2 景気動向指数と業況判断DI

 このような極めて緩やかな成長のなかでも、調整は徐々に進む。その結果、99年4−6月期には資本ストック調整はピークを越え、生産調整も終息するとともに、雇用調整への圧力も緩和することになる。これによって99年度入りの時点では循環的な意味での下向き圧力はかなり緩和することになろう。景気局面という観点から判断すると、97年4−6月期から始まった景気後退は、99年4−6月期には底入れを探る局面となる。景気動向指数も7−9月期に50を回復するであろう(図2)。順調にいけば、その後は景気回復局面に入ってもおかしくないような条件がそろってくることになる。
 しかし、それにもかかわらず、その後の経済成長は必ずしも順調に高まっていくわけではない。なぜなら、99年度における景気には成長を制約する要因が作用するからである。
図3 公共事業関係費予算額の推移

 第1に、企業部門に対する構造的な調整圧力はまだ残る。企業は、損益分岐点を引き下げて、低い売上高でも収益を上げる経営体質を作るためのリストラや、不良債権の処理を中心とするバランス・シート調整を進めるための努力を引き続き求められる。こうしたことは、景気に引き続き大きな重しが残ることを意味する。
 第2に、財政政策が緊縮的なスタンスに戻ることである。財政構造改革法に従えば、99年度の当初予算における公共事業関係費は、98年度当初予算比でマイナスにならなければならない。このため、総合経済対策の後、新たな景気対策が追加されないとすれば、総合経済対策の結果大幅に公共事業が積み上げられた98年度に比べ、99年度における公共事業関係費は決算ベースで大幅に減少するはずである(図3)。地方財政も同じような動向をたどるとすれば、全体としての99年度の公的固定資本形成も前年度比で大幅に減少せざるを得ない。また、特別減税も、99年度におけるその規模は、98年度に比べ縮小する(4兆円から2兆円)ので、実質的には増税効果を持ってしまう。

7 99年度の経済成長
 このような成長制約要因のために、ただでさえ脆弱な景気回復力は大きく削がれることになる。四半期別の動向を見ても、99年1−3月期から3四半期連続のマイナス成長になるなど、成長力は極めて弱いものとなる。このため、99年度の実質成長率は前年度比0.5%減と、再びマイナス成長に陥ることになるだろう。財政政策の緊縮化がもたらすこのようなマイナス・ショックは景気回復力を大きく削ぐことになり、底入れを探る動きを示した景気も失速含みの展開となる。追加的な景気対策がない限り、結果的に99年度は景気の踊り場にとどまり、その後に二番底を目指すことになる可能性も否定できない。
 ただし、本予測では、総合経済対策の後に新たな景気対策が追加されないことを前提にしていることに注意が必要である。仮に99年度における公共投資の大幅な減少を埋め合わせるような予算措置が採られれば、マイナス成長は回避できることになろう。また、現在予定されている99年の特別減税を恒久減税に切り替えて実施することは、恒久減税からの限界消費性向が特別減税からのそれより大きい(試算によれば約4倍)と考えられるので、大きな効果が期待できる。景気回復の芽を摘み取らないためには、98年度における拡張的な財政政策スタンスを、99年度にも維持することが必要である。




情報誌「岐阜を考える」1998年夏号
岐阜県産業経済研究センター


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