日本経済の長期展望と年金制度改革


小塩隆士

(立命館大学経済学部助教授)


はじめに

 政府は1998年4月、総額17兆円を上回る総合経済対策を発表した。現在の不況の深刻さは予想を大幅に上回るものであり、今回の「対策」も内需拡大への要請に応えた形になっている。さらにそれと連動して財政構造改革法が改正され、赤字国債発行のための「弾力条項」の導入や、財政削減の目標年次を2003年から2005年に先送りすることなどが決定された。それらの対応自体にはやむを得ない面があるが、高齢化・少子化が進む中で、財政収支の大幅な悪化や財政負担をめぐる世代間格差の拡大にどう対応するかという問題は未解決のまま残されている。
 以下では、筆者も参加した経済企画庁経済研究所の研究プロジェクトの分析結果(八代他 [1997] 参照)や筆者自身の個人的な主張(小塩 [1998] 参照)に基づいて、年金制度改革のあり方やその財政収支やマクロ経済に対する影響について検討してみよう。

高齢化・少子化のマクロ的影響

 高齢化・少子化は今後、相当早いペースで進む。国立社会保障・人口問題研究所の人口予測によれば、1997年に1.39まで低下した出生率は2050年になっても1.60までしか回復しない。これは、日本の総人口が減少するということだけでなく、高齢者の比率が急速に上昇することを意味する。このような高齢化・少子化は、日本のマクロ経済や財政収支、国民生活に大きな影響を及ぼす。表の上半分は、現行の財政・社会保障制度を前提とした場合、日本経済の将来像がどうなるかをまとめたものである(標準ケース)。ここから、次の3点を指摘することができる。
 第1に、潜在的な成長能力が低下する。低い出生率は労働力人口の減少を意味するし、人口構成の高齢化は家計貯蓄率の低下によって資本蓄積のペースを抑制する。実際、我々のシミュレーションによれば、現行の財政・社会保障制度を変更しない場合、実質経済成長率は2000−25年で 1.4%、2025−50年で 0.6%へと減速することが予想される。
 第2に、財政収支が大幅に悪化する。国や地方政府,社会保障基金を合わせた政府全体の財政赤字は、1995年度にGDP比で4%まで拡大した。その後、景気回復によって循環的な改善はあり得るものの、2025年で 4.6%,2050年で10.8%と拡大する。これは、高齢化・少子化によって社会保障関連の収支が大きく崩れるからである。
 第3に、政府の行政サービスを支えるために国民が支払う負担が拡大する。税負担と(社会保険料等の)社会保障負担の合計の国民所得に対する比率を国民負担率と呼ぶが、その値は現在の30%台後半から2025年には50.5%、2050年には56.6%へと上昇する。
 高齢化・少子化によって潜在的な経済成長率が鈍化することには、やむを得ない面がある。そして、供給能力の拡大ペースが鈍化しても、その一方で需要の拡大ペースが鈍化すれば経済全体のバランスは大きく崩れないはずである。つまり、低成長そのものが問題となるわけではない。問題は、財政収支の悪化や国民負担の上昇である。
 まず、財政収支の悪化は政府の債務残高の累積につながるので、将来世代への負担の先送りを意味する。もちろん、現在世代が将来世代のことを思って遺産をより多く残せば、将来世代の追加的負担は実質的には増加しないという理屈は一応成り立つ。しかし、我々はそれほど利他的・合理的に行動しているわけではない。現実の財政赤字の拡大には、財政負担の単純な先送りの結果としての面も強くあるはずである。政府債務が雪だるま的に膨らむことはやはり阻止すべきである。
 一方、国民負担の増加も、就業意欲への影響という点から考えて歓迎すべきものとは言えない。国民負担の増加はその裏側で国民に対する行政サービスの増加を伴うから、国民負担率をめぐる議論はナンセンスだという批判もしばしば耳にする。しかし、その主張は、社会保障をはじめとする行政サービスが効率的に行われ、人々の選択の自由が十分に認められていることを前提とするものである。しかし、現実はどうか。我々は、行政の硬直性や制度の非効率性に気づくようになっている。人口構成の高齢化が社会保障経費の拡大を通じて国民負担率を高めることはおそらく避けられないだろうが、その程度はできるだけ抑制すべきであろう。
 さらに、財政赤字と国民負担は、トレード・オフ(こちら立てればあちら立たず)の関係にあるという点にも注意が必要である。財政赤字の拡大を抑制するためには増税や社会保険料の引き上げで歳入を増やす必要があるが、それは国民負担率の上昇をもたらす。逆に現在世代にとっての国民負担率の上昇を抑えるためには、国債を発行して将来世代に負担を先送りせざるを得ないが、これは財政赤字の拡大にほかならない。将来の日本経済は、財政赤字と国民負担の間の深刻なトレード・オフに直面することになる。

表 日本経済の長期展望

(1)標準ケース(%)

年度  1995  2000  2025  2050
経済成長率 2.4 2.9 1.4 0.6
財政収支(GDP比) -4.0 -1.9 -4.6 -10.8
国民負担(国民所得比) 36.5 43.4 50.5 56.6

(2)改革ケース

年度  1995  2000  2025  2050
経済成長率 2.4 3.0 1.5 0.8
財政収支(GDP比) -4.0 -1.1 -0.5 0.3
国民負担(国民所得比) 36.5 43.6 46.5 48.0

(注)経済成長率は、1995年の値は前年比、2000年の値は過去5年間の平均、2025年・2050年は過去25年間の平均.
(出所)八代他 [1997] より作成.


年金制度改革の効果

 それでは、我々はこのような閉塞的な状況から、どのようにすれば抜け出せるのだろうか。一つの解決策として考えられるのが、公的年金の制度改革である。公的年金は社会保障制度の中核であり、そのあり方は財政収支の動向にも大きな影響を及ぼす。政府内でも、1999年に予定されている次回の年金制度改革に向けて、活発な議論が行われている。
 現行の公的年金制度は、各時点で現役世代が高齢世代の年金給付の大部分をまかなう形になっているので、人口動態の変化に対してあまり頑健な仕組みにはなっていない。実際、現行制度は出生率の順調な回復(2025年で1.81)を想定して出来上がっているため、このままなら年金収支の悪化(したがって財政収支全体の悪化)がもたらされるし、逆に収支悪化を回避するためには保険料負担の大幅な引き上げが必要となる。年金収支の悪化も最終的には将来世代の負担の増大を意味するから、どちらにしても世代間の負担格差が拡大することになる。将来世代がそうした負担増大に嫌気が差し、制度を支えること自体をやめてしまえば破局的な状況が訪れる。
 こうした状況を回避し、年金制度の「持続可能性」を高めるためには、公的年金の守備範囲を見直すしかない。我々の分析では、次のような改革案を検討している。
 第1は、年金給付における「賃金スライド」の廃止である。現行制度では、引退世代の年金給付には毎年のインフレ率を反映した物価スライドだけでなく、現役世代の名目賃金上昇率を反映した賃金スライドが適用されている。この賃金スライドは世代間における相当程度の所得移転を伴うものであり、諸外国と比較しても引退世代にとってかなり有利な仕組みとなっている。これを廃止すればどうなるか。
 第2は、厚生年金の支給開始年齢の引き上げに際して、いわゆる「部分年金」(特別給付)を廃止することである。厚生年金の支給開始年齢は2001年度以降、3年毎に1歳ずつ引き上げて最終的には65歳とするものの、60歳から支給開始年齢までは報酬比例部分だけが部分年金として支給されることになっている。その部分年金を廃止するというのがここでの試みである。平均寿命の伸長への追加的な対応策と考えてもよい。
 第3は、第3号被保険者からの保険料徴収である。現行制度では、民間サラリーマンや公務員など第2号被保険者の被扶養配偶者(主として専業主婦)は保険料の負担を免除されている。この仕組みは、女性の就業行動に対して無視できない影響を与えるものとして批判されることも多く、ここでは第3号被保険者からも保険料を徴収した場合の効果を分析することにする。
 以上の3つの改革案はいずれも、他の条件が等しい限り、年金収支の改善をもたらすはずである。そこで我々は、年金収支が2050年まで赤字にならないことを条件として、どこまで保険料率が引き下げられるかを計算してみた。そうすると、厚生年金の保険料は現行の17.35 %から19.1%に引き上げるだけで十分であり、国民年金の保険料は現行水準で据え置いても構わないことが示された。
 さらに、これらの年金制度改革は財政収支や国民負担、マクロ経済にも無視できない影響をもたらす。それをまとめたものが表の下半分(改革ケース)である。ここからも明らかなように、財政収支は2050年度までほぼ均衡するし、国民負担率は2050年度でも48%と、50%を下回ったままである。このような財政収支の改善と国民負担率の抑制は、年金給付の削減やそれによる保険料負担の軽減によって可能となったものである。これは、世代間格差の拡大が制度改革によってある程度抑制されることも示唆している。さらに、長期的な経済成長率も2000−25年で 1.5%、2025−50年で 0.8%と制度改革前と比べて若干ながら上昇することがわかる。国民負担率の抑制によって人々の就業意欲が改善し、少子化による労働供給の減少が部分的に相殺されるからである。

年金制度の「中立性」

 年金制度改革は、年金財政の改善や世代間格差の是正だけを目的とするものではない。高齢化・少子化の進展は、長期的雇用関係や年功賃金制を柱とするこれまでの日本的雇用システムを変質させ、人々の就業形態やライフスタイルを多様化させることになろう。しかし、現行の年金制度は60歳定年制を暗黙のうちに前提として組み立てられ、高齢者に対して「働くことへの罰金」として機能している部分がある。さらに、保険料負担や遺族年金制度の仕組みにも、女性がフル・タイムで働くことを不利にしている側面がある。しかし、年金制度という公的な仕組みが、人々の就業形態やライフスタイルに関する選択に特定のバイアスをかけてよいとする根拠は必ずしも明らかはない。
 年金制度改革は、年金制度の「持続可能性」だけでなく、人々の経済行動に対する年金制度の「中立性」を高めるという目標も追求すべきである。その2つの目的の達成のためには、公的年金の守備範囲は老後の最低限度の所得保障を目指す基礎年金部分に限定し、それを超える部分は各個人が自由に年金資金を積み立てられるような仕組みにする、とするというのが筆者の基本的な考え方である。上で紹介した試算結果は、このような公的年金の「民営化」の効果を明示的な形で示したものではない。しかし、年金給付の抑制と保険料負担の削減は公的年金の守備範囲の縮小そのものであり、しかも、保険料負担の削減は自己資金による老後への備えをその分可能にするものだから、上の試算結果は民営化の効果を示したものと解釈することもできる。

おわりに

 今後数十年間を視野に置いた財政構造改革や年金制度改革は、日本経済の長期的な姿を左右するだけでなく、国民生活にも多大な影響を及ぼす。しかし、財政構造改革法がほとんど本格的な議論なしに国会を容易に通過し、しかもその半年後には景気対策との整合性のために見直されてしまうという状況は、制度改革の議論が不十分なまま終わってしまう可能性を強く示唆するものでもある。
 高齢化・少子化は、現行制度の持続可能性を揺るがし、制度の存在そのものが人々の経済的利益を阻害する危険性をはらんでいる。社会保障、財政、マクロ経済の相互関係を明示的に捉えた定量的な枠組みの中で、望ましい制度改革のあり方を冷静に検討することが緊要の課題となっている。

(参考文献)
八代尚宏他「高齢化の経済分析」経済企画庁経済研究所『経済分析』第 151号、1997年.
小塩隆士『年金民営化への構想』日本経済新聞社、1998年.



情報誌「岐阜を考える」1998年夏号
岐阜県産業経済研究センター


今号のトップ メインメニュー