岐阜2020委員会に参加して


名執  潔  

(名古屋大学工学系研究科助教授)


1 はじめに
 2020年の岐阜の将来像を考える議論に参加して最初の実感は、2020年は遠い将来であって、日本や世界がどう変容するか想像の範疇を越えているという当惑であった。
 現に、この研究会が議論を重ねていた昨年末から今年始めにかけて、日本とアジア諸国の金融システムの混乱、湾岸地域の軍事的緊張など日本と世界は激動の渦中にあった。にも関わらず、少なくとも表面上は、多くの日本人の日常は変化していないように見える。
 それだけ日本は豊かになり、失い難いものを大量に抱え込んだが故に、変化も緩慢になったのだともいえる。しかしながらその目に見えないぐらいの変化でも20年も積み重なれば一大変換となる(毎年4%づつ成長していけば20年で規模は2倍になる)。そして残りの大部分のものごとは基本的に変化せず、長い時間をかけて緩慢に、ときには急速に消滅していくのではないか。
 2020年の岐阜、ひいては日本と世界を考えるに当たっては、何が変化しつつあり、何が変化しないか(変化しないよう全力を尽くすべきか)を過去と現在から読みとる努力が重要ではないかと考えた。
 以下は、今回の委員会の議論とあわせ、岐阜をめぐる「変化するもの」と「変化しないもの」を読みとろうとする試みである。

2 新しい都市空間と岐阜
 大陸から稲作がもたらされて以来の、我が国における人口集積の動向をみると、ほぼ一貫して九州から東方向へ、東京へと伸びてきたことが知られている。20世紀後半に至り、福岡から大阪・名古屋を経て東京に達する都市的地域の連たんは概ね完成し、さらに東京から東北方向へと急速に伸びつつある(図1)。この前者がいわゆる「第一国土軸」、あるいは「西日本国土軸」であるが、岐阜はこの軸のほぼ中心に位置することになる。
 この第一国土軸の上を、大量の人、モノ、カネが毎日めまぐるしく行き来している。実際、1995年の国勢調査に基づき、最も基本的な人間の流動である通勤・通学流動をみると、第一国土軸上の通勤・通学者の流動は3,300万人、うち都県をまたがる通勤・通学者も300万人おり、これは全国の県間流動の50%に相当する。さらにこのうち東京・関西・名古屋の大都市圏内の流動を除いても通勤・通学者は17万人に達するが、愛知県や大阪府や福岡県から東京都への「通勤・通学者」もそれぞれ1万人、3千人、1千人いることになっている。こうした超長距離の通勤・通学者は、毎日愛知・大阪・福岡と東京とを往復しているわけではないと思われるが、例えば週に数回の往復とか、少なくとも東京と強い結びつきをもちつつ仕事をしている人々と考えられる。第一国土軸上に、高速交通体系や高度な情報通信網を利用して、いわば一人の人間が同時に多くの場所に存在するような新しい都市空間が出現しつつあるのではないか。
 特に岐阜県について通勤・通学流動を詳細にみると、県外への通勤・通学者約13万人のうち、愛知県が12万人と圧倒的に多く、名古屋大都市圏としての性格を強く有していることを示すが、三重県へ3千人、滋賀県へ1千人、大阪府へ5百人、東京都に3百人と、第一国土軸沿いの都県に対し、相当の通勤・通学者がみられる。逆に岐阜県に向かっても、愛知県から4千人、滋賀県から2千人、三重県から1千人、大阪府から5百人、東京都からも2百人が通勤・通学している。
 東京への通勤・通学者が10人以上居住する市区町村の分布をみると全国に展開しており(図2)、日本全国すみずみまで「東京」になったとも言えるが、逆に、東京居住者の通勤・通学者も全国に展開しているのであって、いわば岐阜をはじめ全国各地が少しづつ東京を構成するような、相互に影響を与え合う関係が、特にそれが第一国土軸の上で強く、先行的に進行しつつあるものと考えられる。
 新しい都市空間に変容しつつある第一国土軸上の中心近くに所在する岐阜は、日本列島の要となる恵まれた立地条件にあると言える。

3 若者と岐阜
図3 10代後半の若者の増減(1990→1995)
 前項で述べたような長期的な都市化は、日本全国から都市的地域への人口の移動によってもたらされたのであり、その大部分は、進学・就職などの機会に新しい人生のチャンスを求めて都会に移動する若者で占められる。いわば変化の担い手は若者である。
 このような観点から、1990年から1995年にかけての10代後半の若者の増加数(大学進学及び高卒就職のタイミング)を第一国土軸上の都府県毎に推計すると、東京都や大阪府が大きく若者が増加している一方、岐阜県は若者の流出県となっているのが特徴的である(図3)。
 変化の担い手の大量流出は、静かで落ち着いた暮らしをするには好ましいことを示唆する一方、新しい状況に対応できなくなる危険性を有しているのではないか。

4 終わりに代えて
 変化の最先端を追うか、現状の心地よい状況を維持するか。岐阜は、いずれを選択しても実現可能な潜在能力を有しているものと考えられる。ただ、現実には、どちらの要素も取り入れつつ総合的に対応せざるを得ないのだろうが、その際、いずれの面も中途半端でない、世界的水準の県土を整備していくのが肝要ではないだろうか。



情報誌「岐阜を考える」1998年増刊号
岐阜県産業経済研究センター


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