21世紀の国土像について考えてみたい。国土を対象にするのであるから、当然都市計画のように余り細かいことにわたらないとはじめは考えるであろう。そうであれば話題は全国に網を拡げる自動車道路とか、本州と島々をつなぐ橋とか、或いは利根川や最上川のように地方の水資源を支配する河川改修が取り上げられることになる。これ等は公共投資の大規模プロジェクトである。ところが、これ等の大規模な政府構想を日本地図上に展開してみても、それによって国民が国土像を具体的に頭にそして心に描くことはできない。それらの公共事業はそれだけでは国土の自然環境のなかに線として或いは点として横たわる人工物であるにすぎない。
土像として語られる内容はそうではなくて、私達の生活や仕事とそれを包みこむ自然環境との関係を空間的に明示することであろう。そうであればやはり、私達により身近な、都市や農村の変貌、森林や水際のたゝずまい等を物語る土地利用の将来が、国土像の中心におかれることになろう。その土地利用の将来を21世紀の地球環境や国際経済という巨視的な立場から物語るのが国土計画ということになる。
CO2削減、省資源・省エネルギー等の環境防衛のキーワーズ、国際競争力のある日本経済の構築、海外に誇れる我国の風土景観の創造、という具体的な国家目標をどう国土空間に投影させなければならないかが、国土計画の作業であり、その結果が21世紀の国土像になろう。
したがって、市街地が野放図に拡大してゆくこと、人や物の動きのないところに無駄な公共事業をすること、手入れをしてない山林を放置しておくこと、生産性向上に結びつかない農地や工場用地の造成を続けること等、これ迄多くの人達が指摘していた公の土地行政、公共事業の誤りを根本的に再点検して、それ等を正すことから国土像の議論は始められなければならない。
多分、大規模な公共事業を中心において、それ等をどう効率良く国民が利用して新しい土地利用を国土上に展開してゆくかを国土像とするならば、これ迄の無駄と矛盾を抱えこんだ国土計画、公共事業計画に厳しい点検を加える作業がなおざりにされてしまう。現在、行うべきことはまさにこの点検作業であると思う。それによって、この半世紀間に汚くかつ醜くなってしまった国土の風景を清潔で美しい姿に再生させる第一石が投ぜられることになる。田圃を埋立てて住宅団地やショッピングセンターを造るのは止めよう。電柱も取りはらってしまおう。森の手入れは良くしよう。河川のコンクリート堤防は土の堤防になほそう。そして、発電所は都会の真中の地下に建設しても良いのではないか。 このような具体的な点検作業が全国の地方自治体や企業・住民によって行われ、それらをもとにして国土空間を改変したり修復する″作法″を国が造りあげる。その作法にしたがって公共事業が選択されてくる。その集大成が国土の将来像である。そうなればこの国土像とは抽象的な言葉で語られるのではなく、より視覚に訴えそして数字で物語る内容になってくる。新しい″全国総合開発計画″はこの筋道にしたがって具現化され、推進されることを希望したい。