
尾崎 士郎と関ヶ原
文・道下 淳
岐阜女子大学地域文化研究所
エッセイスト
尾崎士郎という作家がいる。
長編小説「人生劇場」の著者である。これは映画にもなったから、ご承知の方も多かろう。彼は昭和13年に小説「石田三成」を発表したのをはじめ、翌年には三成の部将舞兵庫を中心に扱った「篝火」を書いている。引き続き小説では小西行長・立花宗茂・直江山城守を扱う。いづれも関ヶ原合戦で敗者側に立った人物ばかりである。随筆もそうで、西軍側の視点で見た関ヶ原合戦関係のものが多い。敗者に思いを寄せるこの作家態度に人間的なものを感じる。
小説の取材のため、彼はよく不破郡関ヶ原町を訪れている。「十数回は出かけた」と語られたことがある。そして時間が許せば大垣市・岐阜市から滋賀県方面にまで足を延ばしている。ロープウェーのなかったころ、疲れた体で岐阜の金華山(標高329メートル)へ登っている。この山は石田三成の居城があったところである。いづれも作品を書くために、見ておきたかったのである。
各地をたんねんに歩いているが、極端な方向オンチで、すぐ道に迷ってしまうと彼は言う。再三来訪している関ヶ原町の古戦場でもそうで、「篝火」夕方宿を出て散歩をしているうちに迷い、銅塚まで来ていたと書いている。銅塚とは同町の西首塚のこと。現在国道21号線沿いで市街地化しているが当時は畑と雑木林が続く寂しいところだった。
ただ中川一政画伯が同行するときは、安心してまかせた。中川は「人生劇場」でさし絵を担当して以来の付き合いで、多くの尾崎作品について、さし絵をかいている。同12年、大垣城天守閣で元服鎧を見た。それが、名作「篝火」を書くヒントになったのだが、中川が同行していた。尾崎はこのとき、特に頼んで夜の天守閣へも上がり、真っ暗な関ヶ原方面を眺めた。合戦の前夜、大垣城の西軍が関ヶ原地峡に展開した。そのとき、南宮山にたったひとつ篝火を燃やし、目標にしたといわれる。彼はその感触をつかみたかったからである。
「みなさんは『人生劇場』を代表作というが、私は『篝火』こそ代表作だと思っている」と、筆者に語られた。それほどこの作品が気に入っていた。内容は、舞兵庫が幼い息子三七郎のため、鎧と前立に半月に兎を打った兜を作らせた。出来がよかったので、三七郎に着せて出陣した。やがて西軍は敗北、兵庫は乱戦のなかで戦死する。彼は三七朗の兜首をしっかり抱えていた。
作品のラストシーンは、徳川家康が陣場野で兵庫親子の首実験をするところである。三七朗の兜首が痛々しい。『もうよい、ひきさがれ。その子倅の首を手あつく葬ってやれよ』と、作者は家康に言わしめている。この言葉に救いのようなものを感じるのは筆者だけだろうか。
近年、愛知県江南市前野の旧家吉田家kら、『武功夜話』という21巻にものぼるぼう大な記録が出てきて話題になった。戦国時代のことが記されている。これとは別の、やはり同家の『武功夜話』3巻本(松浦武・松浦由起氏飜刻)を読んで驚いた。舞兵庫の活躍が記されていたからである。兵庫は尾北の前野一族で、岐阜落城の前後、石田方の部将として岐阜市河渡町付近の長良川西岸に布陣していた。そこで東軍側の藤堂高虎勢と戦い、戦死した。
『二間柄ノ大身ノ槍ヲ小脇ニカカエ、梅鉢ノ定紋打ッタル馬印ヲカカゲ、黒鹿毛ノ馬ニウチマタガリ、黒甲冑ニ身ヲ固メ』
敵前へ進んでいったと、同書にある。戦死したのは8月23日。関ヶ原合戦より22日ほど前、戦死の地は「濃洲梅野」とある。現在河渡町には、この地名は見当たらない。もし尾崎がこのことを知っておれば、『篝火』は別の姿になっただろう。
昭和30年ごろの4月1日、彼は桑名市から南濃町経由で関ヶ原町に入っている。関ヶ原合戦のとき東軍の中央部を突破、そのまま南へ退却した島津勢の足跡をたどりたかったためという。現在、関ヶ原町から上石津町への道は、国道365号線として整備されている。しかし尾崎が通ったころは狭い凹凸の道で、自動車の擦れ違いも大変だった。彼の乗った車も上石津町牧田地内で、前方から来たトラックを避けようとして、田んぼに突っ込んだ。
別のトラックに頼み、ロープをかけて引き揚げてもらった。このハプニングで予定が大幅に狂ったと、彼は随筆『関ヶ原百里』に書いている。この後、地内で、4月といっても春まだ浅い戦場を歩き、東軍が開戦のノロシを上げた丸山に登った。
『伊吹は麓から暮れかかって、キラキラと雪の色を残しているだけである。(中略)高原をわたる風のつめたさは、東京近郊の冬を思わせる。南宮山も暮れ、凄愴の気は中山道を挟む渓谷の中にみちみちている。雄大な自然の中に、解決のつかぬ人間の宿命をたたみこんで、しんとしづまりかえる関ヶ原に春の来るのは、まだひと月ほど先であろう。』
丸山から眺めた暮れゆく早春の関ヶ原の印象を、前記随筆のなかで紹介している。荒涼とした古戦場跡の風景のなかに、彼はおそらく舞兵庫・三七郎親子の幻影を見たことだろう。