ちょっと派手なタイトルである。しかし東の「江戸八百町」や西の「大阪八百八橋」にくらべれば、真ん中の岐阜県を「100倍」とはささやかなものである。

いま、超古代が面白い という話

匠 照人・文



 近頃、「超古代」という言葉を冠した本が本屋の店頭をにぎわしている。ことにグラハム・ハンコックの「神々の指紋」は、驚異的な売れ行きだという。それほどに、いま、人びとの「超古代」への関心が高まっているのである。

 そんな中で、平成6年i1994)12月、土岐市の山口儀仁さんが恵那市の笠置山(1127メートル)中腹で、2つのピラミッド形の岩石を発見した。早速、この道の研究者日本ペトログラフ協会代表の吉田信啓氏の調査を受けたところ、そのピラミッド岩に文様が刻まれていることが発見され、その文様はシュメールの古拙文字によるペトログラフ(岩刻文様)であることも確認された。

 そして、このことが地元に伝わるや、大きなセンセーションを巻き起こし、大勢の人たちによる「ペトログラフ探し」がはじまった。このニュースが新聞、テレビ、雑誌にとりあげられて、各地からの見学者が訪れ、その対応に忙殺されているという、地元のうれしい悲鳴が聞こえるのである。そこで、早速地元恵那市の支援で、地元に、恵那先史文化研究会(会長 小板清治)が結成され、恵那地域の超古代文化の調査研究に取り組むとともに見学者の案内なども行っていると聞いている。このブームは、さらに県下にも広がり、萩原町を中心とする南飛騨古代文化を語る会(会長 船坂長樹)、飛騨歴史民俗学会(会長 虎澤勇治)、飛騨超古代史研究会(世話役 瀧根正嗣)、飛騨史学連絡協議会(会長 垣水富郎)などによって、県内各地で超古代遣物探しが活発に展開され、つづいて山岡町イワクラ超古代文化研究会、宮村位山研究会などがつぎつぎと設立されている。

 一方、こうした県下の現況をふまえて、この活動が地域の活性化や町や村おこしへの起爆剤になるよう、県下各地の研究会の調査研究活動を支援するとともに、県外や国外などとの情報交換など、研究センター的役割を果たすため、県下の活動団体や個人会員を対象に、平成8年5月に、岐阜市学園町 未来会館において、岐阜県超古代文化研究会(会長 岐阜経済大学梅山秀幸教授)が発足した。

 また県においても、こうした地域活動を支援するため、地域市町村と共催で、平成8年7月、哲学者・国際日本文化研究センター顧問梅原猛先生、国立民俗学博物館小山修三教授を迎えて、恵那市において、「超古代文化国際シンポジウムぎふ’96」が、1500人参加のもとに開催された。さらに11月9日には、萩原町において、日本ペトログラフ協会代表吉田信啓氏、創価大学萩原明教授を迎えて、「超古代文化地域フォーラム飛騨」が、400人参加のもとに開催されたのである。


 ところで、「超古代」とは、どんなことなのかという疑問をもっている人が意外に多いのである。と言って正面切って、「超古代とは」と聞かれると、ハタと返答に困る。手元にある三省堂の「現代国語辞典」や角川書店の「日本史辞典」にも、「超古代」という言葉はなかった。してみると、「超古代」という言葉自身が、まだ学問上の「市民権」を得ていないのかもしれない。事実、この道の研究家佐治芳彦氏も、「超古代についての正確な定義は難しい」と言っている。そこで「超古代」についての私なりの解説をするならば、日本史学上の時代区分としての「古代」には大和、奈良、平安の各時代が含まれ、以下、中世、近世、近代、現代へと続き、古代から現代までを総称して、「歴史時代」または「有史時代」と呼んでいる。では、「古代」以前の弥生、縄文へと遡る時代をひと括りにして、どう呼ぶのか。史学上では、「原始時代」あるいは、有史に対する「先史時代」と呼称されている。だが、それではなんとなく学問的で堅苦しさが感じられるので、現在からみて古代を越えた時代、つまり「超古代」ということだろうと思っている。新聞やテレビや雑誌などでも盛んに「超古代」という言葉が使われているのも、そこには何となく、「遙かに遠い昔」への郷愁をそそり、「神秘なロマンの世界」が無限に広がってゆくような雰囲気があるからだろう。



 ところで、超古代文化に関する岐阜県下の動きは、岐阜県超古代文化研究会(岐阜市学園町 未来会館内 TEL 058-297-4268)の季刊誌「超古代ロマン」で知ることができる。また、県下の超古代文化の探訪案内パンフレット「飛騨・美濃超古代ロマン街道」も作成されている。




いずれにしても、いま、岐阜は超古代が面白いのである。

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