ちょっと派手なタイトルである。しかし東の「江戸八百町」や西の「大阪八百八橋」にくらべれば、真ん中の岐阜県を「百倍」とはささやかなものである。心配なのはむしろ話が看板倒れにならないか、ということである。

日本のまん真ん中こそわが岐阜県の本質(アイデンティティー)であること

匠 照人・文


 

乙女の肌には雪の風が厳しい
ふるさとを離れて野麦峠を越える
あと振り返る笹の原
思い直して急ぎ足
あヽあヽ飛騨のくに

 この歌詞は、昔飛騨から信州の岡谷へ糸引きに飛騨山脈の峠を越えて行った乙女たちを唄った、「あヽ野麦峠」の第一節である。作詩は「かじのたく」氏である。どこかで聞いたような?そうです。岐阜県知事梶原拓氏のペンネームである。知事にはもう一つの特技がある。それは「新造語メーカー」だということである。

 その知事の新造語の一つに、「日本まん真ん中−岐阜県」がある。ところで、これに似た言葉に「岐阜県は日本のへそである」というのがある。この意味は、日本の住民の一人ひとりを同じ重さで計算すると、総重量の中心点、いうなれば人口重心点、それを人体にたとえれば「へそ」だというわけで、平成2年の国勢調査では、その「へそ」が岐阜県郡上郡美並村で、ここしばらく動いていないそうで、同村では、これを記念して、「人口重心碑」を建てた。

 ところで、『日本地理の雑学辞典』(浅井建爾・日本実業出版社)によれば、わが町、わが村こそ「日本のへそ」だと名乗りをあげているとろが、どえらい多いんだそうで。しかし、名乗りをあげている市町村の殆どは、同じ仲間の東の千葉県銚子市と西の兵庫県西脇市の間にある。岐阜県の美並村もその一つにあげられているから、この村を抱えている岐阜県も、当然イコールで、「日本のへそ県」ということになる。それで名乗りをあげた市町村の、「へそ」の理由の殆どは、種々の計数を駆使してハジキ出した「へそ」、つまり計数からみた「へそ」である。

 しかし、「日本まん真ん中−岐阜県」には、私の思いでは、計数的な「日本のへそ」ではなくて、日本の風土や歴史文化をも含めた広い意味があるのではないだろうか。一つには、岐阜と滋賀の県境辺りは、地勢的に日本列島の中央部で、かつもっともくびれた地域のうえ、北から南へ伊吹山地が張り出し、南からは鈴鹿山脈が北へ、伊吹山にぐっと追っている山峡の地である。
 今から1320余年前、この山峡の地で、天智天皇の子・大友皇子(西軍)と天智天皇の弟・大海人皇子(東軍)が戦端を開き、大海人皇子が勝利し、天武天皇になった。「壬申の乱」である。
 その後、このくびれた地域に、北から「愛発の関」(福井県)、中央に「不破の関」(岐阜県)、南に「鈴鹿の関」(三重県)を設けて、大和朝廷を守って来た。
 その壬申の乱からほぼ930年後、ご存じのように徳川家康と豊臣遺臣団が東・西軍に分かれて、この山峡で激突した。いわゆる「天下分け目の関ヶ原合戦」である。勝利した家康は、以後江戸幕府300年を開いた。
 このように日本史上、日本を二分して争った戦いが、奇しくもこの列島中央部を舞台に展開されたことである。
 二つめは、地図上で列島を眺めると、この山峡辺りを境に、総じて東は山岳地帯で、西は平野地帯である。加えて列島の森林の植生も、この山峡辺りを境に、総じて東は落葉広葉樹林帯で、西は常緑広葉樹林帯であるということ。
 三つめには、こうした風土的違いが影響するのであろう。日本語にもちょうどこの辺りを境に東西にアクセントや単語の差があるという。

 このように、日本の風土や歴史的文化などあらゆる分野で、どうも、この山峡辺りを境に東西に対照的な違いがみられるといわれている。7月7日に、オープンした新県立図書館に世界初という「世界分布図センター」が設けられた。その意図は、あらゆる分野における分布図が、ほぼ岐阜県−日本のまん真ん中あたり−を境に東西に違いが出ているということに着目し、発信基地にしようという狙いがあるようだ。林屋辰三郎氏の『日本文化の東と西』(講談社現代親書)に、中国の「南船北馬」に対して、日本では「西船東馬」だといっておられる。が、こうした日本の東と西の相違の源流をたどると、東には採集狩猟の縄文文化が、西には稲作農耕の弥生文化が基層となって育ってきたように思われる。

 よくいわれる「関東・関西」の語源だが、林屋氏は東と西と違いの境は、三河・遠江のラインだといわれているが、「関」の説明がない。この場合の「関」とは何か。私には古代に南北ラインに設けられた三関を指すのであろうと思われる。勿論その言葉が成立したのは後のことであろうけれども。
 もしそうだとすれば、「日本のまん真ん中」の岐阜県は、関東と関西の風土・歴史文化の結接・交流の地域として、東の文化でもない、また西の文化でもない。つまり、東西文化を融合した第三のの文化圏が考えられてもよさそうである。

 面白い話がある。関市教育長の船戸政一氏の意見だが、全国の寺院の宗派を浄土・禅・日蓮・真言・天台・その他の五系統にまとめ、分布図を作ってみたら、関東は禅系、関西は浄土系が圧倒的に多いという結果が出た。では、まん真ん中の岐阜県はどうかというと何と禅系と浄土系が半々という特色を示しているという。つまり、仏教の世界にも、はっきりと、「日本のまん真ん中」としての特色が出ているのである。

 「日本のまん真ん中−岐阜県」の生みの親、梶原知事はこうもいう。この言葉を裏返せば、岐阜県は日本のまん真ん中なるが故に、日本のエアポケットになりかねない。つまり産業経済の伸び悩み、優秀な人材流出などにつながりかねない、というわけである。

 私たちは、「日本のまん真ん中こそ、わが岐阜県のアイデンティティーである」を生かすものは何であるか。それを探すことがもっかの急務である。

次回は、「古代天皇と岐阜県は深いおつき合いがあったという話。」