特 集 論 文 |
S O H O に よ る ビ ジ ネ ス 提 案
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笠 松 ゆ み (株式会社キャリスト 代表取締役)
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この2、3年の間に、SOHOという言葉がようやく社会に認知されてきた。パソコンやインターネットの普及により、ビジネス構造は今、大きく変わろうとしている。今、注目の的のIT(情報技術)革命はSOHOというワークスタイルを抜きにしては語れない。ITを使いこなしてビジネスを行うことがSOHOであるといっても過言ではない。 いい大学に入り、いい会社に入れば一生安定した生活を過ごせるという図式はもはや20世紀の遺物と化した。大企業に入社するという目的よりも、自分の力のみで起業することに生きがいを感じる人が増えてきた。組織に属することなく、好きな場所で好きな仕事をする…そんなワークスタイル「SOHO」が21世紀にはさらに普及するであろうと注目されているところである。 ここでSOHOとして活動している3例の紹介をする。 |
☆ 専業主婦からスタート 私の場合 |
まず、自分のことで恐縮なのだが、私は何も収入のない専業主婦であった。千葉の郊外の一戸建てに家族4人で住み、子育てにいそしんでいた。しかし、社会から取り残されていくような漠然とした不安感に襲われていた。自宅に居ながらにして、何かしらの仕事をしたいと考えるようになった。住宅ローンや教育費のことを考えると、いくばくかの収入を得る必要もあった。 趣味で始めたパソコンを使い、入力の仕事を始めたのは、長男が小学校に入学した頃である。子供が小さく、外に出て働けないためという理由よりも、企業に就職することができなかったからという理由が大きい。正社員になろうと何社か面接を受けたが、すべて落とされてしまった。日本という国には結婚、出産という大仕事のために、いったん社会からリタイアした30歳過ぎの女性を受け入れてくれる企業など皆無なのである。 初めての在宅ワークだったが、元キーパンチャーという技術の下地があったので、少しずつ収入を得ることができるようになった。仕事は地域に根ざした印刷屋から請け負った。しかし、これだけでは、月に3万円の収入にしかならない。思考錯誤の後、パソコン通信を通じて、顧客を獲得することに成功した。それと同時に、全国に私と同様に、何かしらのハンディを抱えており、意欲がありつつも働くことのできない女性がたくさんいることを知った。仕事の需要が多い関東にいる私が営業を行い、全国に仕事を割り振り、とりまとめをすれば、全国の在宅ワーカーに喜んでもらえるかもしれない…と考えたのが、起業家としての第一歩であった。翌年には法人化に踏みきり、今年で創立5年目を迎える。 その間、プライベートでは離婚という大きな節目を迎えたが、子供二人を抱えて食べていけるだけの経済力を身につけることができた。これも、この時代に生まれ、情報機器という魔法の道具を享受できたからこそだと考えている。 現在、SOHOと企業を結びつけるエージェントとして、また、インターネットを利用したコラボレーションビジネスを中心に事業を展開している。 私の会社はべンチャー企業であり、SOHOと呼ぶにはあてはまらなくなっている。しかし、スピリットはSOHOワーカーそのものである。既存の企業経営の概念には捕らわれず、できるだけ少人数で、効率よくITを活用したビジネスを行うことを心がけている。 私の例のように、個人事業からスタートして、後に法人化をするタイプの人もいれば、ずっと個人事業のままSOHOスタイルを持続させる人もいる。ライフスタイル重視型のSOHOである。 |
☆ Web制作 Aさん |
石川県に住むAさん(男性)は、地元の大学卒業後、東京都内の大手電気メーカーに就職した。その後、家庭の事情によりUターンをすることになった。地元にはAさんの技能を生かせる仕事は皆無であった。給与も東京に比べて低く、就職する気持ちも失せてしまった。そこで、屋号を掲げてWeb制作を主軸とした事業を開始することになった。宣伝にはホームページを利用し、メールなどで積極的にアプローチを続けたところ、東京都内の企業より依頼が舞い込むようになった。月に一度は2泊3日程度、東京に出張し、各クライアントに打合せに出かけている。一ヶ月の売上は約100万円。SOHOとして大成功している一人である。「会社員時代と今とでは、どちらが幸せですか?」と質問すると、間髪置かず、「この先、安定した生活は望めませんが、時間が自由になる今が幸せです」という答えが返ってきた。「将来的な不安はありますが、今の時代、企業に属していても同じこと。ならば、自分の力がどのくらい社会に通用するものかとことん試してみたい」と言う。 ライターBさんは現在ロンドンに住んでいる。夫の転勤とともに、家族で海外に転居することを決意した。すでに、クライアント数社を抱えていたが、インターネットを利用するので、どこに住んでいても関係なし。渡英後、3年経過した今も継続した仕事をこなしている。ロンドンでは、日本よりもパソコンの普及率が低く、家庭で仕事をしている人も周りにはいないという。そんな環境の中でも、日本の仕事ばかりではなく、パリからも仕事を獲得するなど八面六臂の活躍ぶりをみせている。 |
☆ プログラム開発 Uさん |
名古屋に住む女性、Uさんは大手企業にて技術者として働いていた。結婚後も地方出張や深夜までの残業も続けていた。35歳を過ぎてようやく子宝に恵まれ退職となった。その後、SOHOとして独立をすることを決意。数社営業に回ったところ、そのうちの一社が「在宅勤務」の形態で社員として採用したいと言ってくれた。現在、子供が幼稚園に行っている間と、夜間がUさんの勤務時間である。他の親と同様に、子供に英会話やスイミングなどを習わせることができる今が幸せだという。 以上、3つの例のように、これまでのように企業側の人事異動に振り回されるのではなく、それぞれの家庭環境に合わせた仕事が選択できるようになった。 それでは、今後、SOHOとして成功するにはどういう点に気をつけたらいいかということを現在の問題点とともに列記してみる。 「今はない仕事を開拓する」 急激なインターネットの普及により、これまでになかった仕事というものが生まれてきている。Webコンサルタントという職業は10年前にはなかった。それが今では、社内に人材が不足している企業にとっては実に頼りになる存在である。ライターも、紙媒体ではなく、“Webライター”という分野に進出する人が増えてきた。出版社とのコネクションがなければできなかったような垣根の高さが一気に低くなってきた。その他、今年はなかった仕事が来年は出現してくると予測される。「こういうビジネスはできないだろうか…」と考えて実行する。それが自由にできるのがSOHOの利点である。 「自分の存在をアピールする」 これまで仕事を探すときには、求人誌を購入して求職者が問い合わせをするというスタイルだった。それが今では、インターネットを利用して自分の存在を逆に企業側にアピールすることができる。正社員を抱える体力がない企業にとって、仕事の成果のみで報酬を支払えるSOHOは願ってもない存在である。 小さな会社はいつでも外部スタッフを求めている。一人でも多くの経営者と知り合いになり、自分の持つ能力をアピールしていくことが大切である。 「行政におけるSOHO支援策とは」 いくつかの地方自治体ではSOHO支援策として、さまざまなイベントを行っている。それらに参加して感じることは、過度な支援策はSOHO側にとってあまりよくないのではないかということである。「仕事を県が受注して私たちに発注してください」「技能を習得したいので、無料で講習会を開いてください」などという過度な期待をする声が大きくなっている。行政にできることは、企業と個人を結びつける場の提供のみであると思う。 「スペシャリストよりもゼネラリストに」 SOHOビジネスに技術が必要なことは明らかだが、技術だけ秀でていても成功することはできない。仕事を獲得して、安定した売上をあげていくには、一つの会社を経営していくのと同じくらいの総合的な能力が求められる。情報機器が発達すればするほど、一つの能力に偏らないゼネラリストであるべきである。 SOHOというワークスタイルが今後発展するか否かは、SOHOワーカー一人一人の責任の上に成り立っている。現在のところ、企業側から「個人には仕事は出せない」という声が多くあがっていることも事実である。責任感のないSOHO者は自然淘汰されていき、本当に実力ある者のみが生き残るというサバイバル戦は既に始まっている。 |
■笠松ゆみ(かさまつ ゆみ) オペレーター、ワープロインストラクターを経て、パソコン在宅ワークを開始。96年(有)アサップ設立、97年(株)キャリストに社名変更。企業と在宅ワーカーのコーディネート、SOHOコンサルタント業務など行っている。主な著書に「本気ではじめるパソコン在宅ワーク術」など。 |
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