鼎談
 
鼎談 「日本型雇用システムの行方」

 

[出席者](50音順)
宮本 光晴 (専修大学経済学部教授)
武藤 泰明 ((株)三菱総合研究所 主席研究員 経営コンサルティング部長)
(司会) 渡邊 東 ((財)岐阜県産業経済研究センター 副理事長)



日本型雇用システムは終焉したのか

渡邊 早速ですが、 日本型雇用システムの終焉ということが最近いわれますが、 この点について、 お二方から一言ずつ、 お話をいただけますでしょうか。
宮本 終焉とか崩壊といった表現が、 雇用システムだけではなく、 いわゆる日本のシステム全般に対してなされているわけですが、 しかしこのような認識はあまりに短絡的であるかもしれません。 確かに非常に大きく変化している面があると同時に、 ほとんど変化していない面もあります。 要するにふたつの面を捉える必要があるわけです。
別の観点からいえば、 現実の変化は、 漸進型の変化といいますか、 ステップバイステップの変化です。 だからもっと急激な変化をやらなければいけない、 既存のものを根本的に変えていかなければだめだといった議論が繰り出されるわけですが、 しかし、 そのような理念を振りまわすのではなく、 われわれの現実をまず認める必要があります。 漸進型の変化でやっていくということを前提にして、 さらにいったいどこまで変わったのか、 どういう方向に変わっていくのかを考えることが必要です。
もちろん金融システムのように、 外部からの圧力でもって、 もっと強く大きく変化しなければだめだという分野はありますが、 雇用システムに関しては漸進型の変化でいくだろうと思います。
だから日本的システムの終焉とかあるいは崩壊というような表現には懐疑的です。
武藤さんの記述にもありますが、 崩壊という場合、 今までの長期雇用というか定着型の雇用に対して流動化が進むということが想定されています。 確かにいわゆる終身雇用と言われている分野は狭くなり、 これに対して流動型というか、 短期契約型の雇用が増えています。 この意味で、 確かに変化は進んでいるわけですが、 しかし中心部分においては、 逆に勤続年数は増えてきています。 このあたりのところを区分けして考えなければいけないと思います。
武藤 平均勤続年数が上がってきたのは、 サラリーマン化の影響でしょう。
日本では働き方としてサラリーマンが非常にいいものだという考え方があって、 経済成長等が後押しし、 国際競争に勝って大きい会社がたくさんできました。 そこに所属する人間が増えてきましたから、 平均雇用年数が上がりました。 マクロ的に見ると、 今宮本先生がおっしゃったとおりで、 どちらかというと長期雇用型の社会になっている。
一方で一部の大企業 (東証上場・株式公開) で長期雇用はだめじゃないかと言っています。 当然その系列企業も同じ問題に直面するわけですが、 終身雇用崩壊という議論はそこに限定されているという気がします。

企業のライフサイクルと雇用

渡邊 お話の一部上場のような大企業が一瞬のうちに潰れるという、 今までは考えられなかったほど変動が激しくなっていく中で、 今までのような年功序列型の賃金体系と違ったような長期雇用の仕組みがあるのかという事をお聞かせ下さい。
会社での仕事と報酬の関係について、 若い頃は研修させてもらってお金をもらう、 もう少し経つと仕事をして会社に貢献し、 貢献度よりも少ないお金をもらい、 年を取ってくると働く以上に報酬をもらう、 とよく言われます。 今までは雇用される方はライフサイクルの中で、 そのような長期雇用の形態が有利だと考えたし、 企業も成長する課程でそれを利用していたところがあります。 しかし、 経済活動の変化が激しくなる中で、 企業自体のライフサイクルがどうも短くなってきており、 そうなると雇用者にとって、 若い時に企業に貢献した部分をあとで取り戻せるのか。 取り戻す時期に企業が存続できなくなり、 取り戻しそこなうというような事は起きないでしょうか。 大企業と中小企業とでは全く別の議論になると思いますが。
長期雇用の前提として企業のライフサイクルということを考える必要があるのか、 また、 その場合に長期雇用、 あるいは定着型雇用が引き続き企業にとっても、 雇用される側にとってもメリットがあるのかという点はいかがですか。
宮本 企業にとって長期雇用は、 企業内部の技能形成の結果として成立するのだと思います。 武藤さんが述べられている暗黙知、 一般的には内部技能形成と言ってもいいと思いますが、 日本の場合、 外部に技能形成の有効な機関がなかった為、 内部で技能形成をせざるを得ませんでした。 その場合、 30代40代にその技能形成の効果が出るのであれば、 それとの見合いで50代の雇用を保障するというライフサイクルがフェアなものとして成立していたということだと思うわけです。
もちろん企業が倒産すれば事実として30代40代から50代へとつながらないということもあるかもしれないし、 あるいは企業の側が今までのように30代40代の働きに対して50代の雇用を保障するというような方針をやめてしまうということも考えられます。
もし、 30代40代が50代の雇用につながらなければ、 30代40代の時点で当然、 転職を考えます。 そのためには30代40代でちゃんと転職できるような技能・技術がなければだめです。 このような従業員の行動と企業が求めている能力や技能形成が果たして合うのかどうかということだと思います。
武藤 そういうことですね。
宮本 個人にとっては、 不可避的に倒産があり得るというリスクを考えて行動しなければだめだということは確かにその通りですが、 しかしそれ以上に重要なことは、 今までのように30代40代の働きに対して50代の雇用を保障するという約束が守られるかどうかということです。 一種の信頼ということです。
企業経営者が実際にどのような考えであるのかはわかりませんが、 確かに現在、 雇用調整が大規模かつ急激になされています。 しかし、 30代40代の働きと50代の雇用への継続というシステムの問題と、 事実として大規模な雇用調整が行われているということとは別問題だと思います。
少なくとも現在までのところ、 雇用調整のパターン自体が変わっているわけではありません。 赤字に転落して、 そして来期も赤字になるというような見通しのもとでやるということです。
日本の雇用調整が遅いと言われますけれど、 赤字に転落しない形の雇用調整は、 雇用調整関数の推計式からしても5年か6年かかります。 しかし、 赤字に転落して、 二期連続して赤字ということに直面すると、 雇用調整は2年ぐらいでやってしまいます。 だからいわゆるアメリカ型の雇用調整、 即ち黒字であっても積極的に人員削減を行う。 アメリカでもやっぱり解雇するためにはかなりの割増金を払わなければだめであり、 だから支払う余力のある黒字の時に積極的にやっていこうということですが、 確かにこのような行動であれば、 雇用の継続性自体が否定されるということになります。 日本の場合は、 この間の雇用調整も、 あくまで雇用の継続を前提とした上での調整であると思います。
武藤 景気循環というか、 それぞれの企業が収益に応じて雇用調整しているという点は同感です。 業績が回復してくればまた採用するというのも、 今後も基本的には変わらないと思います。 但し、 かつては余剰人員を子会社に押し付けていればよかったが、 子会社も受け入れる状況でなく、 雇用調整の範囲が単体にとどまらなくなりました。
もうひとつは技能形成の面からみると、 会社の存続リスクというのが高まると、 制度的には長期雇用でありながら失業してしまうというリスクが高まり、 技能形成を社内で行うという前提にたつと中高年にとって厳しいことになります。 仮に、 50歳で会社が倒産します。 その方に新しい能力を付与しようと思う民間企業があるかというとありません。 人材育成のためのコストは50歳でも25歳でも一緒ですから、 形成された能力をあと何年発揮してくれるのという話になると、 55歳の方だと長くて10年、 25歳だと40年ありますから、 どっちが得かというと若い人を雇用したほうがいい。 今までは長期雇用囲い込み型で企業の内部にて教育する方法でよかったですけれど、 雇用流動性が高まるということは内部育成型の仕組みをとる限り、 必ず中高年が割を食う形に成らざるを得ない。
宮本 中高年向けに再雇用のいろいろな制度を作っても、 違う業種の技能をすぐに身につけられるかというと難しい。 また、 身につけたとしても日本の場合はそこでの技能をちゃんと企業が評価してそれで雇用するかというと、 しません。 そうすると、 40代の後半から50代をもっと意識的にうまく、 技能を活かせるような、 新しい場所を開発することが課題になると思います。
単にマーケットに任せて、 情報を集めて人材紹介をやるとか、 規制をどんどん撤廃することで中高年の再雇用の問題が解決できるわけではありません。 むしろ再訓練に対して雇用を保障する様な制度が必要とされています。 もうひとつはもうちょっとインフォーマルというか、 あるいは企業レベルでなくて、 職場レベルの人間関係をベースに、 どういうような人材が不足しているか、 自分たちの中でどういう人間が使えるのかを調べたり、 情報を蓄積することが重要です。

アメリカは転職型社会なのか?
〜ウォール街、 シリコンバレーと     
        ハリウッドは特異な世界〜

武藤 話は変わりますが、 アメリカの大企業は非常に流動性が高く、 JIL (日本労働研究機構) が行った調査でも、 大企業の部課長というのは8割が転職経験者で、 過半数が2度以上の転職を経験しています。 ところが、 アメリカ全体が転職型の構造になっているかと言うと意外とそうでもなくて長期雇用というのが現実です。 ゼネラル・エレクトリックのジャック・ウェルチは米国の経営者の中でもとくに有名ですが生え抜きです。 ホワイトカラーの平均勤続年数をみても、 50代になると日本よりもむしろ平均勤続年数は長いです。 アメリカの企業も何種類かあって、 大企業的な世界も、 中小企業もあって、 もうひとつベンチャービジネスがあります。
宮本 日本では、 アメリカは本当に流動型の社会で、 それが活力を生み出し、 企業の側も最適な人材を獲得できると言われています。 ウォール街とシリコンバレーとハリウッド。 金融と情報とエンターテイメントを代表する地域ですが、 確かにそこでは転職が活発です、 と同時に知るべきは、 そのような転職市場が地域として成立しているということです。 地域でその中にコミュニティがあります。 大学を中心としたものからレストランやパブやバーあるいはスポーツクラブを介したようなものまで、 様々なコミュニティがあります。 そこでさまざまな個人が出会って情報交換をする。 いわゆる人的ネットワークですけれど、 そこで転職に関しても情報交換するし、 あるいは転職というのは企業の内部の情報、 即ちその内部の個人がもっている情報が必要だし、 そういうことを伝えるようなメカニズムがあってはじめて流動化が生まれるわけです。 インターネットでもって形式化された情報で人を見つけるなんてことじゃないわけです。
武藤 日本人がたくさん行く場所、 即ち、 今宮本先生がおっしゃったニューヨーク・サンノゼ・ロスアンゼルスと大統領が替わると中央政府の官僚も一気に替えるワシントンDCがそういう特異な雇用システムがあるところで、 米国の中でも特異な形態です。 結局大半の日本人はそこをいっぱい見て帰ることになります。
宮本 だけど、 表面だけという気がします。 背後の社会的なメカニズムというか、 そういうものをすぽっと抜け落とし、 上だけを見て、 それで日本に移植しようと思ってもなかなかできない。 それは規制があるからだといった話になるわけですが、 何か空回りしている気がします。
渡邊 以前、 ジェトロのニューヨーク事務所に勤務していた時の事ですが、 地方の都市に行きますと、 そこに本社があるような製造業では、 地域にどっぷりつかって、 新入社員から定年まで勤め上げるという人が圧倒的に多く、 そんなに移動しませんよと言われたことがありました。
一方で、 エコノミストといった職業の場合、 私の所にもエコノミストの求人情報、 求職情報がたくさん舞い込んできまして、 今度こういうポストがあるから行くといったように、 いくらでも会社を変わる状況があります。 確かにアメリカも、 場所や職種によってかなり違っていて、 アメリカは全部一緒というような議論はおかしいという印象をもちました。
武藤 エコノミストというのがある意味で典型的だと思いますが、 組織内で育成できない職種が流動的になっているのだと思います。 ハリウッドの例でいくと、 ダンスがうまくなるというのは劇団に所属していればなんとかなるという世界でもないですし、 シリコンバレー然り、 ディーラー然りです。 地域性というのは、 確かにありますが、 それは一種の産地というか職種集積みたいなものじゃないだろうかと思います。 エコノミスト的な人については当然集積もありますけれど、 集積として重要なのは地域性というよりはその職種の村みたいな、 そんな話じゃないかと思います。
渡邊 マネージメントはどちらに属するのでしょうか。 例えば、 仕事をしながら、 個人でどこかのビジネススクールに行ってMBAを取って、 今度は別の会社に移って上のポストに就くという例は結構あるように思いますが。
武藤 アメリカの同族の創業者は経営を行わず、 専門的な教育を受けたMBAコースの修了者を雇い入れます。 ところが、 MBA出身者にわかるのは財務だけといわれています。 MBA型 (財務だけ) でいいと何が起きるかというと、 経営の中身が株主権の代表と執行の代表を分けるかどうかという議論になってMBA出身者は前者に付くわけです。 このやり方でしばらくアメリカは来ましたが、 最近ではどちらかというと否定的で、 持株会社が正しいのではなくて、 企業分割が正しいと言う意見です。 日本では執行役員制というのがはやりですけど、 その執行役員に該当する方というのが経営をしないと、 専門性がないとわからないという、 デュポンの事業部制が始まった頃と同じ様な議論になりかけているみたいです。
宮本 60年代の末から70年代の半ばぐらいのアメリカでは、 MBAの財務出身者のマイナス面がさまざまに議論されました。 財務的に企業を経営するという、 その典型がコングロマリットといわれるもので、 異業種のものを組み合わせて、 財務的な成績を維持しようとしたわけです。 しかし現実にはまったく異なる事業の経営はうまくできない。 そこで、 80年代にはいり、 いわゆる日本的経営をなんとか導入しようという動きがありました。
一方、 金融の世界というのは、 財務と情報技術で成り立っている世界であり、 かつ非常に高い成果を上げているために、 何か財務を中心としたMBAがいいというような雰囲気になっています。 しかしやはり製造業は違うと思います。
渡邊 日本の企業の場合、 職種にもよるかもしれませんが、 従業員個人にとっては長期にその会社にいて、 社内で上がっていくというほうが今後もトータルとしてはメリットが大きいのでしょうか。 少なくとも今まではそうだったと思いますが。
宮本 コア・コンピタンスの問題もありますが、 確かに技術・情報が大きく変化しますから、 そうした場合に人材の内部形成は難しくなり、 また、 短期的に成果を求めたくなるということがあります。 日本企業の弱点は、 ある種のブレイクスルー型の技術を担うような人材がいないことだといわれています。 確かにこれを内部で作るのは難しい。
金融業界だと外国人を雇うのが一番いいというような話もあります。 バイオとか半導体なんかでも、 アメリカからとか、 アジアのトップクラスだとか、 そういう人材を確保するほかないのかもしれません。 単に日本国内だけの問題でなく、 それこそグローバルなレベルで人材を集めなければならなくなっています。
それと同時にコア・コンピタンスという場合には、 ブレイクスルーに対して、 適応型の技術進歩といいますか、 ある種かなり積み重ね的な技術が重要となります。 ブレイクスルーしたものを製品化する。 あるいはそれを改善する。 そういうレベルの技術革新というかイノベーションに、 日本企業は優位性をもってきました。 そのレベルの人材は、 内部形成せざるを得ません。 もうひとつは、 ブレイクスルー型の技術でもなく、 適応型の技術でもなく、 ある段階ではフラットになってしまう技術や仕事もあります。 そこまでも日本企業は職能資格というものを抱え込んできました。 そこの部分を切り離す。 どういう形で切り離すかが問題になりますが、 そこをアウトソーシングしてしまうということは当然考えられます。

内部形成とシリコンバレーモデル

渡邊 企業の必要とする技能がどのくらい特殊か、 あるいは、 どのくらい一般化できるかということとも関係するように思いますが。 特殊になればなるほど社内で育てていかなきゃいかんし、 その人は他の企業に行っても使えないので社内で評価されないと、 十分に評価されない。 しかし一般化できる技能であれば外部で育成したものを使わせてもらうとか、 アウトソーシングする方が有利になる。 エコノミストが本当に専門特殊の仕事かどうかわかりませんが、 金融とか会計とか、 いろいろな業務をアウトソーシングし、 技術の部分でもかなりアウトソーシングしていった時に、 最後に会社に残るものがすごく少なくなるのか、 やっぱり残るものがかなりあることになるというのか、 どちらでしょうか。
宮本 そこのところは特殊性ではなく、 向上していくことだと思います。 日本の場合は系列なんかもそうだと思いますけれど、 系列関係の中で技術開発して、 その中で技術を向上させて生産を上げていく。 上がっていくということがあるのでそういう環境を作る。 あるいはそういう環境を作って上げていくということだと思います。 特殊性自体は、 そんなにないかもわからない。 例えば、 技術の水準が5のレベルの人間、 8のレベルの人間、 そして10のレベルの人間をそれぞれ外から持ってくるということができればもちろんそれでいいです。 そういうやりかたもありますが、 5が8、 10になっていくということを前提にして、 日本のシステムは成り立っているということです。
渡邊 今はそういうシステムですが、 例えば5の部分をカセット方式で持ってくるとか、 8の部分を持ってくるとか、 そういう形に企業経営が移行する可能性はないんでしょうか。 例えば、 ある新しいプロジェクトに対して、 あちこちから専門家を集めてきて、 仕事が終わるとまた散るという。 これはもう完全にカセット方式ですが、 それが企業経営の仕組みとして一般化する可能性はありませんか。
武藤 極端なこと言うとシリコンバレーモデルというのがそのスタイルで、 新しい製品を作る時に人や企業が集まってきて、 完成後解散してしまう理由というのは製品寿命が短いからです。 つまりすぐに次のイノベーションに乗り換えられて、 自分たちが陳腐化していくという前提があるわけですよ。 逆に優位性が保てるのであればそのままやっているほうがコストは低いはずです。
さきほどの金融部門で言うと、 なかでも銀行部門と言うのは、 個々の銀行員に要求される能力とか、 そういうものが果たして銀行によって差があるのかというと、 特に営業店で行われる業務では、 ほとんど差が無いはずです。 北海道の銀行の人を岐阜の銀行に連れて来ても明日から仕事が絶対にできます。 けれど長期雇用です。 それはなぜかというと、 いちいち出たり入ったりというのは意外とコストがかかるということだと思います。 ですから業態を大きくしようと思った時に外部の人材 (他の銀行であぶれた人) が使えるという意味では銀行は大きくなりやすい業態です。
これに対して宮本先生がおっしゃったような5になって8になってというところは、 逆にそういう人が本当に外にいるのかどうかということをまず考えなければならない。 銀行業に比べると一般的な事業法人というのは、 技術の個別性、 固有性というのは高いですから、 意外と外に求めにくいというのが本当なんじゃないかなという気がします。 だから内部育成することになる。
宮本 そうでしょうね。 5のレベル、 8のレベル、 10のレベルの労働市場がそれぞれあれば可能です。 でもその場合でも5と8と10の人を集めてチームとして仕事ができるかというと問題があります。 シリコンバレーであれば始めから、 暗黙知のいらない世界といいますか、 チームやプロジェクトであっても、 5と8と10を組み合わせてやれば動くということがあるかもしれません。 しかし、 製造業の場合であれば、 技術開発でも、 5と8と10の人間を集めるだけではなく、 チームというか、 文脈依存しつつ、 技能というものが重要となります。 そうするとそんなことをするのだったら内部でもって5から8へ、 10へという形で育てていくほうがいいのじゃないかということだと思います。 その時に内部で10というのは外では10で評価されないというところが最大の問題だと思いますが。

外部市場への流出はなぜ少ないのか?

渡邊 内部の評価と外の評価が違って、 外の評価が低くて、 内部では評価に見合った地位を貰えれば、 その人は社内にとどまることが明らかに利益になるので止まるということですか。
宮本 そうです。 ただし、 内部的には賃金とか昇進の制度を変えていくということがあります。 ひとつは、 5、 8、 10ということでいえば、 今までの評価をフラット化し、 傾きを引き下げる。 もうひとつは内部的に5、 8、 10というものの評価を厳しくするということがあります。 今まではかなり年功的に、 自動的に10のほうに行ってしまった。 そうすると10の分のウェイトが高くなればなるほど企業としては負担が大きくなるわけですから、 だからそういうのを、 形は5、 8、 10であったとしても、 昇進のやり方をもう少し厳しくしていくということじゃないかと思います。
武藤 渡邊さんがいわれるように内部と外部の評価が違って、 社内では10だけど外に出たら5という方が、 社内で本当に10の能力を発揮できているのであれば、 その方がとどまって高い賃金であることは会社にとっては別に何の問題もないのですが、 残念ながら10じゃない方が多い。 それからもう一つは典型的な管理部門のサラリーマンを例にとって考えれば、 おそらく技術革新の結果、 自分の仕事がなくなる。 ポストがなくなるのと同じで、 昔のルールだったらその能力で10、 社内的にも10で賃金も10だった。 ところが、 賃金だけ10で、 社内的に見ても市場的に見ても5とか3にしか評価されないという形になってきて、 余剰感とか高賃金感というのが出てきた。 逆に構造的には、 評価の割に賃金が高い方というのはやめると必ず賃金が下がるから、 社内に止まり出ていかないという問題が出てきます。
宮本 その場合、 外部から見てどうでしょうか。 今かなり大きく変えようとしていますよね。 それに対して、 これも外部から見て無責任な感じですけれど、 あんまり抵抗無く受け入れられているという感じがするんですけれど。 そういうふうに変えていくというか、 つまり査定を厳しくするとか、 あるいは10自体を下げる、 あるいはそこに昇進するのをもっと厳しくしていく。 あるいはそのプロセスの中において個人間の差を大きくしていく。 そういうことは今までの日本のサラリーマンの既得権益を奪っていくということですよね。 それに対してそんなに抵抗感がないという感じがします。 なぜなのか、 本来であれば抵抗が生まれるとか、 モラルが低下するはずですけれど、 そんなに低下していません。 これは、 雇用が保障されているからで、 もし、 そうでなければ、 モラルは低下する、 あるいはもっと抵抗が生まれると思いますが。
渡邊 そこは私の印象では、 抵抗はしたいけれど、 それによってプラスにならないという所があるのじゃないでしょうか。 抵抗する手段があって、 抵抗することによって何かプラスになればいいけれど、 さらに悪化する。 おまえは明日からおまえの給料を引くけれど、 それでやれよと言われた時に、 いやそれは困りますと言って、 その代替手段がないような気がします。
武藤 人間はそこまで経済合理的なものかなと思います。 長期雇用の大半の方にとってのメリットはおそらくよけいなことは考えなくてもいいことです。 つまり、 人間はマンネリが好きで、 かつそのなかに安住しているのが好きだといえる。 昨日と同じように今日も同じ会社に行くことや、 そのなかでたまに気分転換に転勤させてくれ、 また、 組織の名称がかわって名刺も新しくなるなど、 非常に微細な変化で動いている。 そんなメリットを一番感じており、 同じように企業の中でだんだん割を食っていくということについてあまり文句を言わない。 日本においては企業という組織が、 家族とか家とかのアナロジーで成り立っているということだと思います。
ですからみんな唯々諾々として55歳くらいになると、 関連会社の劣悪な環境の中でも文句をいわないで、 仕事をしている。 そのかわり本来の企業社会であれば上司である自分の後任で平取や部長をやっている人たちが頭を下げに来てくれる。 規定で収入は少ないけれど、 「根岸の里の侘び住まい」 の様な楽隠居をさせてもらって、 帰属集団の中で暖かく包まれている状況をよしとしているところがあるのだと思います。
株式会社という形態は普遍的ですけれど、 会社というのは社会とか文化の基盤の上に乗っかっているから、 運用ってやっぱり国によって違うと思います。
渡邊 しかし、 働いているほうにしてみれば、 30代ぐらいのところで、 給料が安いけれど、 自分が将来あまり働けなくなった時に、 それなりの給料を保障してくれるというのが、 安い給料にとどまっている理由だと思いますが。 それが年取った時に払ってくれるかどうか、 よく言われる議論ですけれど、 その時に払ってくれるかどうかわからない、 その時会社があるかどうかわからないとなると、 やっぱり今の能力に応じてちゃんと給料を払ってもらいたいという、 ビヘイビアが働くのではないですか。
武藤 それがビヘイビアになるためには、 その産業の中である程度中核の地位にある会社がそういう制度を作っていなければだめでしょう。 例えば、 自動車関連の仮にA社とB社は、 実際の所は知りませんけれど、 たぶん賃金体系はそんなに変わらないはずです。 だからA社にいて賃金が安いからいやだ、 じゃあB社に行こう、 C社に行こうと思っても、 相手に行ったって変わらない。 退職金の計数だけ損するという話になりますからだから移らない、 ということじゃないかな。 ここで外資系が出てくると違ってくる。 外資系の場合は、 今働いている日本の企業に比べて長期雇用保障という色彩は弱いですから、 いってみれば短期的な賃金の高さと、 企業の存続可能性の低さというのがトレードオフになっていると思います。 だから賃金は高いです。 賃金が高くて会社が存続して長期雇用を保障しますというところがあればみんなそっちに行きます。 たぶんみんな似たようなものじゃないですか。 似たようなものかトレードオフになっているか、 ふたつにひとつだと思います。
渡邊 そうすると、 けっこう給料を落とされてもじっと我慢してそこの中にとどまっているという、 そこが企業に対する忠誠心かどうかは別にしても、 とどまっているということに今後もなるのでしょうか。
宮本 そうだと思います。 安定した枠組みというのはそんなにばかにすべきものではないと思っています。 転職の心配を40代50代で常にしなければならない世界というのはやっぱりかなりきついです。 若い時にそれはあっても当然ですけれどね、 それが中高年というか、 そういうプレッシャーがかかる社会というのは不安定じゃないかという気がします。

人材育成はOJTが最適か?

渡邊 少し話題を変えまして、 今後職能を育成する仕組みというのはどういう形になるんでしょう。 これまではある人間が企業やチームの中に入ってきて、 長年勤めていく間に、 その人間の職能が高まっていくというパターンだったと思います。
今後は未熟な人の能力を高める役を誰が担い、 またその人はどういうインセンティブでその役を担うのでしょうか。
宮本 職能というかOJTでもいいですけど、 それは簡単と言えば簡単です。 経験者と新入者というか、 シニアとジュニアがいた場合に、 シニアがジュニアをなぜ教えるのかというと、 シニアの身分が保障されているからです。 保障されていなかったらジュニアに教えません。 日本の職能に関する問題は、 職能というのが実際には経理とか営業とか、 ひとつの事業部門というかファンクションごとに成り立っているにもかかわらず、 ファンクションごとに評価体系が成り立っていない点にあります。 ファンクションでの経験とか能力とか技能をとらえて職能といっているのですけれど、 評価はいわば全社一律だったということです。 しかしこの面での変化というか修正は進んでいるし、 これからも進むと思います。 今までは専門職ということで、 ごく一部の、 研究開発とか、 そういう部門だけの専門職という形でしたが、 それをもう少し、 本来の意味でのファンクションごとに作っていくのじゃないかなという気がします。 今までのようにいろんな仕事を持ち回るということはだんだん少なくなってくると思います。 日本企業では、 商社はそうですが、 鉄鋼なら鉄鋼のなかでいろんな部門をやっているわけです。 ファンクションごとに職能の形成がある一方、 評価はある種の平等主義というか集団主義というか、 全部一律でした。 それを実態に合わすということだと思います。 これからは評価を内部的に分割していくことが必要だと思います。 その分割がもっと強くなれば別会社にするとか子会社にするということになってくる。
武藤 実際にいろいろな企業の教育体系というものを見ていると、 本社の人事部とか研修部の実施した研修で一人前になる人間というのはきわめて少ない。 人事部で主管する研修は階層別研修と呼ばれているものにほとんど限定されていて、 それ以外の専門性を育成、 作り上げるような教育は各部局で行っていて、 本社の教育研修の人間に聞いてもその内容は誰も答えられない。 ただ新聞や雑誌で報道される教育研修体系というのは、 それぞれの事業部門でやっている話は全く出てこないので、 全社レベルではこういう階層でやっていますという話になります。
渡邊 かなりOJTで研修が行われているという事ですね。
武藤 いや、 OJTだけでなく相当コストをかけて外へ出して研修をしている。
渡邊 各部署で、 OJTだけじゃなくて、 外部を使いながら研修しているということですが、 内部で上の者が下の者を教えるOJTの場合、 熱心に教える人と熱心に教えない人の差は、 給料に反映されるのでしょうか。
宮本 日本の場合は、 能力評価の場合に、 教えることも能力評価に入りますよね。 育成というか、 そういうものも含めているんじゃないですか。
武藤 項目としてはあります。 管理能力とか育成能力とかというのは評価の対象にあります。
渡邊 そうすると、 技能の資格の部分と、 管理能力的な部分と、 それから業績部分みたいなもので、 給料が構成されていると、 こんなイメージになるんでしょうか。
宮本 そういうことを全て含めて日本のシステムとした場合、 これはやっぱり、 壊しようがないという感じがします。 壊すためには全く新しいシステムをもってこなければならない。 むしろそれぞれの部分の比率を変えていくという話だと思います。 逆に言えば、 新しい分野で、 あるいは新しい企業では大胆な変革や実験ができる。 それは大事なことだと思います。

企業内部での評価
〜 相対評価と絶対評価 〜

渡邊 評価を具体的につけるのは、 企業ごとにどれくらい普及しているんでしょうか。
武藤 制度的にはかなり普及しています。
宮本 その時には絶対評価と相対評価とどっちですか。
武藤 実質的に相対評価です。
宮本 相対評価ですか。 基本的には絶対評価だと思っていたんですけれど、 どうなんですか、 以前から相対評価ですか。
武藤 古い話をしちゃうとホワイトカラーでは、 ポストシステムでして、 限られたポストに全部役職手当が張り付いていて、 誰をどんな順序で昇進させるかということにつきます。
宮本 その時に、 昇進と昇格を分けますよね。 そして昇進はポストだから相対評価になったんじゃないでしょうかね。 昇格の場合は絶対評価だったんじゃないかと。
武藤 初期の理念はそうだった。 ただ、 運用はどうだったかというと、 ポストに就けない該当年齢の人は役職手当がない。 だから新しい制度を作らないと賃金が下がる。 それはかわいそうだということで、 資格とポストを分けて、 ポストに就けなくてもちゃんとお金を払いますという形に変えたというのが本質です。 だからほとんど年功的になってしまっている。 ですから結局どうなったかというと、 ポストシステムより年功的なシステムができちゃったということだと思います。
宮本 能力主義という場合に、 絶対評価でやるのか相対評価でやるのかによってかなり違ってくると思います。 昇格の枠自体を決めてしまうという形では、 相対評価になるわけです。 これからは、 もっと業績が重視されてくると思います。
もし、 日本が職能資格とその昇格を残すのであれば、 昇格を相対評価にすると問題が多いと思っています。 もし厳しくするのであれば絶対評価で厳しくする以外ない。 厳しくしたほうがうまくいくと思いますが、 どっちのほうに向いているのかなと思います。
武藤 一定年齢の人の中で能力が分布しているとして、 下のほうは絶対評価です。 完全な基準、 通知表の5段階みたいなものは作れないので、 下のほうは絶対評価で、 これはだめだというのは実質絶対評価です。 上のほうは、 じゃあ基準があるかというと作れないです。 だから絶対評価になりえないです。
宮本 上のほうは確かに始めから何人か枠を決めておかないとしかたないということでしょうね。
渡邊 絶対評価について、 例えば、 ワープロで1分間に何文字を打てるかとか、 はんだ付けが何回できるかというのは絶対評価ができると思いますが、 事務の評価表を見ると、 例えば係長として部下をちゃんと面倒みているかといったものが1、 2、 3、 4、 5となっていますね。 また、 明朗であるかないかといったものは、 およそ絶対評価の対象にならないように思いますが。
宮本 相対評価というのは小学校、 中学校の成績でも一緒ですけれど、 5というのは例えば10パーセントと、 はじめから決まっています。 あるいは入試のように上位の者を選抜することが目的となっています。 これに対して、 絶対評価の場合、 基準自体が必ずしも絶対的・客観的であるというわけではありません。 ただ絶対評価の場合は5の人間がひとりかもしれないし、 あるいは20人かもわからないということになるということです。
渡邊 いつも不思議に思っているのですが、 評価する側の人間のレベルによって評価が変わりますよね。 その辺の不公平という問題はないのでしょうか。
武藤 完全にはできないかもしれないが、 評価基準があって評価者はその範囲で考えなさいということですから、 逆にいうとそれ以外の要素が入っちゃいけないという点では、 少しは科学的になっていると言えるんじゃないですか。
渡邊 われわれみたいなゼネラリストの場合、 あの上司に評価されるのはかわいそうだというようなことがあって、 絶対評価の仕組みにはなっているけど、 変動係数は非常に高くて、 評価される側にとってその部分のリスクがものすごく大きいのじゃないかと思うのですが。
宮本 日本の場合、 評価されて昇格し、 昇進していきますが、 アメリカに比べて非常に遅いということが言われています。 アメリカの場合はかなり早い段階で選別されてしまいます。 その時にはAさんのところにいたからものすごく不利になるということがあります。 日本の場合はたまたまAさんになったとしてもそれはまた3年経てばBさんになり、 そういうように変わっていきます。 AさんからBさんに変わった場合に、 Aさんの時には評価が低かったけれど、 Bさんの時はものすごく評価が高くなったといった場合には、 Aさんの評価能力が問われてきます。 人事部から見ればそうなってくるわけです。 だから日本の場合非常に決定的な選別に時間をかけるひとつの理由は、 時間をかけることによって、 評価する側の人間も評価されてくるということです。

求められる能力の正当な評価と賃金

渡邊 宮本先生は、 能力給・能力主義というか、 能力と給料がミスマッチしている状況は、 能力と給料が一致した状況に今後変わっていくとお考えですか。
宮本 結局、 能力というのは計るのは難しいわけです。 あるいは業績といってもそれを計るのはもっと難しい。 何かの形で制度化するしかない。
日本の場合、 能力の制度化がいわゆる職能資格制度であると思います。 年功主義ではなく能力主義に親近感があるというか、 労働者に受け入れられているということです。 これは戦前からそうです。 特に戦前の場合は、 能力はあっても上の学校に行けないという人間たちが下積み生活を強いられ、 それで逆に言えば能力主義を主張しました。 その時は自分の能力が正当に評価されていないという意味で能力主義を主張し、 戦後もずっとそうだと思います。
日本の場合は能力主義に対して反対せず、 能力が正当に評価されないということに対して非常に憤ってきたのだと思います。 年功主義と能力主義がうまくくっついていたならばいいですが、 そうではない。 基本的には、 日本企業の社員は能力を形成し能力を評価するという公平で精密な仕組みを作るのだということを考えているのだと思っています。 だから能力と給料が一致する方向への変化は、 既得権が奪われる事はあったとしても基本的には受け入れられるのだと思います。
武藤 同感です。 ただ、 論理ではなくて社会の側に問題があるとすれば、 同じ能力水準の人間が、 どこで働いてもいいとすれば、 大学の先生や大蔵省・都銀・新日鐵・日立等々へ就職します。 すると、 結果として給料格差がかなりあります。 ですから賃金水準というのは、 能力以前に就職した会社で決まります。 中小企業にいった人がいたらもっと低い水準かもしれない。 社会レベルでは、 能力と賃金水準というのは、 大きくマクロで見れば比例していますが、 個人単位で見ていくと関係があるとは思いません。
宮本 それが一番大きな問題だと思います。 そのベースになるような仕組みを作る以外ないということだと思います。 技能の社会的評価を標準化することを高めていかなければいけない。 言葉でいうのは簡単ですけれど、 その仕組みとなるとなかなかうまく思い浮かばない。 先ほどのMBAのこともそうですし、 イギリスでは人事部のあるセクションだと、 労使関係の学位を取って、 そのポストにつくというシステムです。 資格というのはあくまで入るための条件です。 入ってからも個人差があるし、 逆に入ってからは内部昇進です。 日本でも入るための資格というものを作ればかなり違ってくると思います。 資格によって全部決まるわけじゃないですよ。 だけど入る人のところの資格化というのはもうちょっと追求してもいいかなと思います。
渡邊 資格というのはあくまでも入る、 入口のところの選別ということですね。

資格制度とプロフェッショナル

武藤 その点についてぜひ申し上げておきたいのは、 日本は資格しか作らないという事です。
資格を付与するためのサプライヤーがきわめて弱い。 MBAというのは、 ハーバードがちゃんとカリキュラムを組んだからみんな追従し、 内容がよかったわけです。 今お話があったイギリスの労使関係の事も、 労使関係は長い伝統がありますから、 教育体系ができていたというのがあると思います。 日本で資格と言うと、 資格を取るための教育制度というのができているようで意外としっかりしていないとか、 20年前と教えていることは変わらないところがあって、 サプライヤーがきわめて弱い。 この部分を変えていかないと、 資格が活きる条件というのは、 能力がちゃんとあって、 何かできるようにしてあげるから資格が取れるという感じですけれど、 できるようになってなくて、 ただ、 資格が付与されているだけというところがあるので、 そこが変わっていかないとたぶん、 今おっしゃった理想に近づいていくというのは難しいんじゃないか。 サプライヤーが問題だと思います。
宮本 それについても実務とかはなくて、 ただ教室の中の話だけ。 ハーバードのビジネススクールはそうじゃなくてケーススタディをやって実務能力を高めている。 日本の場合もそういうことをモデルにする大学も増えてきましたが、 一般的には教えている人間も実務経験が全く無かったと思います。
武藤 これは余談ですけれど、 大学の経営学部や経営学科の先生は、 MBAコースの先生になると賃金が同じで労働強化になるのでみんな行きたがらない。 民間企業でいうと2倍働いて賃金は一緒だということと同じになります。 それはあんまりだということで敬遠されているのだと思います。
宮本 もしやるとしても、 内部で担える人なんてほとんどいないのじゃないですか。 ほとんど外部の人に頼まないと運営できないと思います。
渡邊 日本の場合はサプライヤーが出て来なかったということですね。
武藤 市場化されていないからじゃないでしょうかね。
渡邊 市場化されていないというのは、 企業内部で育成してきたとからいうことでしょうか。
武藤 かかえこむことに企業が合理性を感じていたから、 OJTでやりましょうという考えがあったということと、 資格で格が高いのは公的資格だということになっていました。 公的資格が作られていると市場的原理が働かないですから、 内部競争がない。
宮本 もうひとつは制度としては、 もし生産性優位かどうかといった場合、 日本の場合には、 資格が必ずしも仕事を保証しないということに問題があります。 例えば、 教員資格はまず大学で教職課程を取って、 そこで資格が生まれます。 そして教育委員会で試験を受けて合格し、 次の資格が生まれるわけです。 しかしそれが仕事につながらないわけです。 仕事を得たとしても、 もし中学校とか高校とか小学校の先生で、 夫が海外へ行くということになって、 その時に1年間でも離れたら元に戻れない。 これはあきれる。 いわば公的資格だし、 何段階もの資格であるのに、 仕事を保証しない資格であるということが問題だと思う。 また仕事についたとしても一旦離れたら復職できない資格である。 日本はサプライヤー優位の社会といわれますが、 こと資格に関してはまったく反対です。
この問題は、 一般的にはプロフェッショナルにかかわることだと思います。 日本はプロフェッショナルを作り得なかったということです。 逆に言えば企業内に閉じこめられたということであるわけです。
ヨーロッパの場合は産業化以前にプロフェッショナルが存在した。 あるいはプロフェッショナルの側が産業化をその中に包み込んでしまったということです。 そのことのプラス面、 マイナス面があります。 包み込んだ例の一番悪い例は、 職場レベルで縄張りがあって、 ものすごく硬直化するということがあるわけです。 日本の場合はプロフェッショナルが確立される以前に産業化が進んでしまって、 あるいはプロフェッショナルがなかったために全部企業内で資格制度が確立してしまいました。 そうすると企業内でそれを自由に組み替えるということができる。 しかし社会的には確立されない。 だからプラス面、 マイナス面がある。
渡邊 先ほど、 サプライヤーが弱いとおっしゃられて、 もっと強くなる必要があるということだと思いますが、 これからのサプライヤーの育成というか、 サプライヤーが出てくるのはどんな形で出て来るのでしょうか。

人材派遣における評価の標準化

武藤 大手の人材派遣業界というのは、 分野は限定するにしてもそれに近い形になっていくと思います。 10万人近いファイルを持っているということは偏差値が作れます。 その中で例えばパソコンに関する技能については、 この人はどれぐらいみたいなことを全部判断できていて、 キャリアについて経験に応じて査定ができる。 その査定に基づいて時間単価を決めていくわけです。 いわゆる事務的な分野においてはかなりできています。 おっしゃるように企業内で少数ずつばらばらというと、 その中の相対比較はできますが、 マーケットの中でどうということができない。 ですからどういう能力を育成すればいいかというのがわからないので、 ギルドじゃないですけれど、 一つはいろんな企業に散在している方のデータが集約されて評価できる仕組みを持った団体ができればいい。 もう一つはどこの会社にも属さないで、 いわゆる派遣登録じゃなくて社員登録されていて、 そこの技術者がいろいろな会社で仕事をするような集合体 (会社) が必要です。 名古屋だとメイテックがそうです。 あそこも社員が1万人近くいますからね。 あの会社がおもしろくて、 会社概要に社員の能力評価をこうやっていますと書いてある。 日本で唯一ではないかと思います。 言ってみればそれぞれの能力領域について、 レーティングがちゃんとできるような会社である。 あれもひとつの形だろうと思います。
そういう能力評価をできる会社がたくさんあって、 その会社でそういう専門を持っている人間が少数の会社の、 何人かの人たちを評価してあげますとか、 訓練してあげますとか。 その時には目標も立てられます。 そういう仕組みに変わってくると、 社会的に一般化された評価基準ができてくる可能性もあるでしょう。
宮本 そのメイテックはどういうことまでやっているのですか。 能力の膨大なファイルの中で、 いわば平準化するなり、 あるいは品質をちゃんと図っているでしょうが、 その以前の能力形成というのはどのレベルまでコミットしているのですか。
武藤 かなりの部分は行った先でのOJTです。 行くときにひとりふたりで出さないで管理者ごと出します。 これがたぶん一番いいことじゃないでしょうか。
宮本 それはおもしろいですね。
渡邊 それはどのような職種についてやっているのですか。
武藤 基本的にはエンジニアです。 エレクトロニクス関係や光関係のエンジニアです。
渡邊 そうすると例えば、 この人はエレクトロニクスの中でレーティングの10まであったら8番目という形で評価していくわけですか。
武藤 あとはそういうレーティングにおかれている人たちを監督できるかとか、 評価できるかみたいなことでマネージャーが決まっていく。 マネージャーにされるのはみんないやらしいんですけれどね、 みんな技術者集団です。 そんな仕組みみたいですね。 同じ事がたぶんできるのは建設技術者とか。 そういう会社がたくさんできてくるといいんですけど。
宮本 人材派遣の場合は、 レート自体が市場的に決まってくるということがあります。 もうひとつはアメリカのヘイ・コンサルタントという、 コンサルタント会社が人事機能を担っていることがあります。 日本とかなり違うと思います。 少なくとも日本から見れば驚くほどのことをやるということです。 コンサルタントの会社が、 たくさんの会社を引き受けて、 その中で平準化されていくということがあります。
武藤 ヘイがやっていることは、 それぞれの企業によって違わないと言えば違わないですけれど、 ひとつはポスト・ディスクリプションです。 このポストというのはどういう能力のある人間をどう張り付けるべきかというのをやって、 一方では社内と社外から集まってくる人材ファイルを蓄積して、 求人のある部門に適当な人を回すんです。 日本の人事部と全然違う。 ポストごとの言ってみれば財務評価みたいなところが最大なんですね。 ですからおっしゃるように、 さっきメイテックと言いましたけれど、 ヘイが行っている機能に近いものがあると思います。 自分で人材を持っていないという形があると思うんですね。
宮本 そういうのがどの程度増えてくるかということが大切ですね。

業績評価への移行

渡邊 ところで評価基準として、 民間だとまず業績を上げることが考えられますが、 公的サービスの場合は、 個々人にとって目的がはっきりしていないので評価基準を明確にしにくいですね。
宮本 業績の場合に、 業績の目的変数を何にするかによってその評価はものすごく変わってきますよね。 これは公務員の場合よく問題になるんですけれどね。 業績評価をめぐって、 指標を何にするかによって変わってくる。 そうすると一番大変なのは数量化しやすいものになってくる。 そうすると内実を伴わないというか、 質と数量とが相反してしまうというか。 例えば、 アメリカの場合であれば、 学者の世界はペーパーの数だということになっている。 日本の場合には、 業績主義自体があまりにもなさすぎるという問題がありますが、 数量化できないような目標値を何にするかというのはけっこう難しい。
武藤 そうですよね。 ただ民間企業の最近の論理は何かというと、 企業全体が追求すべきだと資本市場から要請されているものを、 できるだけ下の事業部門までおろしていくという形になってきました。 何個作ったとかそんな話じゃなくて、 最終的には純利益だとかそういうことですか。 あるいは資産効率とか資本効率がよくなっていくというのが事業部門の目標になっていって、 あとはそれをばらしていくというスタイルですね。
宮本 そうですね。 その時にどうなんでしょう。 一方で、 個人個人の目標という、 個人ベースの業績がありますね。 他方では、 一番広く言えば企業全体だし、 あるいは事業部、 あるいは自分の所属チームをベースにした業績がありますね。 ふたつミックスする必要がありますね。
武藤 それはたぶん上から降りてくるのは計数的な、 財務的なもので、 それが個人に下りてくるときには、 要するにみんなが稼いでいるわけじゃないですから、 そこでかなり目標の多様化というのが起きてくるだろうと思います。
宮本 極端なことを言うと、 会社全体の業績は落ちたとしても、 その個人の働きぶりというか、 売り上げが多ければその個人の業績給とか、 ボーナスは多くなるんだという、 そういうこともあり得ますよね。
武藤 アメリカの経営者はみんなそうですね。
宮本 どういう具合に日本企業がそのへんをミックスするかなという気がするんですけれど。
武藤 今の制度的に言えば、 作られた仕組みが、 会社の業績がもし赤字になったとしても収入がうんと上がる人がいるような仕組みに変えていくことは間違いない。 マクロで見れば運命共同体的な度合いはむしろ高まっているんですよ。 会社のリスクを個人の賃金にヘッジしちゃう度合いというのは高まっているんですけれど、 その中の分散はきわめて大きくなっている。 会社はマイナスでも個人はプラスというケースがそうとう出てきている。 経営者だけじゃなく、 ワーカークラスも同じです。
渡邊 ちょっと思ったのは、 チームで評価するなり、 部課制みたいなところで評価した時に、 ある程度同じ様な事業の中で評価をしてくれればいいけれど、 衰退産業というか、 同じ企業の中の衰退部門と発展部門と抱えていて、 衰退部門に入れられたおかげでぜんぜん伸びないというような話で、 その中で評価されるとけっこう大変だなという感じがしたんですけれど。 だから割り切って衰退部門はどんどん切っていって、 どの部門もある程度評価できるような体制に、 会社全体を持っていくべきなんでしょうかね。
武藤 いやこれはね、 悩ましい問題があるんですよ。 例えば大手電話会社を考えると、 今伸びているのは子会社ですけれど、 そのための技術を作ったのは親会社です。 ということは親会社に残った方たちが、 電話事業は赤字だけれど、 会社としては母体ですから、 本来なら投下資本収益がもらえて、 じゃあ従業員にそれが還元されるべきかどうかという問題がひとつあります。 自動車なんかも同じで、 車作ったらイギリスで作ったほうが絶対安いんですけれど、 そこに投下されている生産システムは紛れもなく日本のコストが高い方たちが営々と作ってきたものです。 自動車メーカーさんの海外工場で上がってきた利益の中で何割かはひょっとしたら日本で赤字になっている工場のブルーカラーが享受すべきであるという論理が成り立つ。 このへんはまさにライフサイクル論ですけれど、 調整はいかにやるべきかというのが非常に難しい問題だと思います。 人間が長期雇用じゃなければこんなことを考える必要はないんです。 おれの提案がイギリスで生きているなんていう人がいっぱいいるわけです。 結論はでないでしょうね。
宮本 これからの変化はどうかわかりませんが、 今現在の感じでは、 業績主義というものに全面的に変えるというのはやってないし、 やらないと思います。 変化とすれば今までの不合理というか、 あまりにも不合理な部分、 例えば年齢給を廃止するとか、 あるいは文字通り定期昇給を廃止するとかだと思います。 そしてそれに代えて自動的な業績部分をいれていくというような感じだと思います。 またそういうことだから変化というのもそんなに抵抗無くやっているんじゃないかなという気がするんですけれどね。
武藤 ひとつよけいな話ですけれど、 アメリカのスーパーのウォルマートで創業の時からずっとレジを打っているおばちゃんがいて、 この人の資産が20億円ある。 なぜかというと会社の株を買ったからです。 言ってみれば年功型賃金ではなくて、 その部分というのは、 年金型賃金を保障される。 結局会社が成長しているからで、 それをストックオプションに変えていく手もある。 そんなスタイルを取ると、 言ってみれば単年度の事業収益という点では自分の貢献は少なくなってしまうけれど、 過去の分で食える形になりますよね。 社員持株制なんかもありますから、 それが機能すればいい。 ストックオプションまで行く必要はないかもしれない。

機能分割 コア・コンピタンス

渡邊 先ほど、 機能分割という話やコア・コンピタンスという話がありましたが、 ひとつの企業が何でもかんでもいろんな業種や事業を取り込んでやるという形よりも、 今後はかなり、 ある業種、 事業に特化していくように思いますがどうでしょうか。
武藤 流れは、 日本語にすると選択と集中ということになるみたいですけれど、 一番の問題は、 コングロマリットはだめになってきて、 経営と執行の分離じゃなくて執行責任者が経営をすべきだという議論が今アメリカで主流になり始めています。 基本は事業のことをわかる人がやらないと無理という話で、 それにしては事業分野が広がりすぎている。 一番問題が起きるのは周辺事業です。 ですから、 今選択と集中と言っているのは、 本業の中で何を残すかというよりは、 不採算の周辺事業をいかにやめるかというほうが中心です。 アウトソーシングのほうの理論というのはむしろ機能の問題で、 できないことまで取り込んでいかない。 物流みたいな、 いわゆるコストセンターで自分たちで持っていてもうまく運営できないものをどうやって撤退しようかという話です。 一番大きなものは情報システムです。 情報システムとか物流とか、 そういったものを外に出していくという形のアウトソーシングが多くなっているので、 コア・コンピタンスの議論はどっちかというと事業部門の問題で、 アウトソーシングはどちらかというと、 いわゆる職能系の問題であるケースが多いような気がします。

ベンチャー・キャピタル

宮本 ベンチャーに関して言えば、 ベンチャーを育てるという場合に、 投資家と言っても、 キャピタリストが金を出すだけじゃなく、 立ち上げのところの技術評価から人材までを含めてインキュベーターの役割を果たしている。 それがあって初めて成り立つわけであって、 日本は、 ちょっと勘違いしているのじゃないかなという気がするのです。
武藤 おっしゃるとおりで、 アメリカのベンチャーファンドというのは業種別です。 その業種のことを知らないと投資ができない。 日本のベンチャー・キャピタル、 金融機関は業種別の評価力というのがない。
宮本 日本の銀行というのはどうですか。 60年代70年代の半ばぐらいまではメインバンクがちゃんと機能しており、 銀行は審査、 単なる企業の財務審査でなくして産業分析をやっていました。 よく言われるのはバブルの過程では審査というのはどんどん縮小されてきた。 しかし過去にあったような伝統というか蓄積はあまり期待できないですか。
武藤 これは意見がふたつありまして、 都立大の日向野さんなんかも審査力という議論をよくなさっています。 一方、 担保がちゃんと取れる国ですから、 日本の金融機関は戦後ついに審査能力というのを形成することはなかったという有力な意見もあります。 ここは水掛け論になりそうですけど、 非常に悩ましいところです。 少なくとも事業性の評価はできるかというと、 ちょっと難しいという気がしますね。
渡邊 かつては審査能力があったけれども、 バブルがそんなに短い期間でなく続いたため、 その間に資産担保に融資してきたことより、 審査能力がだいぶ失われてきたということはないですか。
武藤 その前も、 デフォルトリスクが顕在化する割合というのは1パーセント切っているわけですよ。 ですから審査というのをどうやっていたのかというと、 基本的には貸さない。 本来は審査するというのはリスクに応じて金利を取りましょうという事ですけど、 銀行の行動はどうであったかというと、 少しでもリスクを感じたら貸さない。 ですからそれを審査能力と呼ぶべきかどうかというと非常に悩ましい。 今はデフォルトリスクが非常に高まっていますから、 信用リスク管理をどうやるかということが、 やっと本気の議論になってきたということだと思います。 審査能力があったかどうかは別にして、 それを発揮する機会というのは意外となかったという気がします。
渡邊 ベンチャーキャピタル、 また、 ベンチャー企業の育成というのは、 国や県の行政の中で大きな比重を占めてきて、 今までみたいに工場立地させるというような政策だけではだめで、 県の中でベンチャー企業を育成していかなければ、 そして、 そのためのベンチャーキャピタルも育てなければと言うのですが、 お話の審査能力の問題などがあって、 なかなか前に進まないのが現状です。
宮本 アメリカのベンチャー・キャピタルは、 審査力があるというのではなく、 よく千のうち3つぐらい成功すればいいといいますが、 そういうレベルでの審査ですね。 緻密なそこで完璧な能力を持っているかというとそうじゃないわけですよね。 だからそこらへんはリスクをかけているわけですけれど、 それだけリスクをかけて、 そのうち3つで回収できるというのがあるということですよね。
渡邊 一番困るのは、 金融機関のベンチャーキャピタルも、 県が金を出しているベンチャーキャピタルにしても、 高い安全性を要求される金だというところがあります。
武藤 人の金じゃないといけない。 自分の金だと融資と同じになり、 千に3つは追えない。 ベンチャーファンドも投資家を募っているわけで、 過去の業績とかそんなものに応じて薄く広く集めて投資して、 3つうまくいったら儲けさせてあげられるというメカニズムがある。 それはそれで正しい。 ただ人のお金という時に出してくださる方の数が少ないと、 自分のお金と同じ様なリスクがやっぱりありますでしょう。
渡邊 人の金と言いましたのは、 その人たちがリスクを負って出しているという仕組みじゃなくて、 県の場合だと税金であり無駄が許されない。 金融機関が集めている預金も高い安全性が要求されるので、 リスクに転換するところがなかなかうまくいかないという気がしています。
武藤 銀行というのは巨大な投資信託だという見方をした場合には、 アセットポートフォリオの中で、 ベンチャービジネス的なものが部分的に入っていることは別に問題ないことです。 短期間で見ていくと変動が大きいですから、 単年度で評価しちゃうと大変なことが起きやすいという話ですね。

終わりに

宮本 問題は、 日本経済や日本企業が本当に競争力なくして、 瀬戸際に立っているかというと、 どうもあまりの悲観論が強すぎるように思われます。 もちろん、 日本経済全体が落ち込んでいるのは確かなのですけれど、 この場合にもシステムとか、 あるいは日本の雇用形態とか、 ミクロの、 制度とか企業の人事制度とか、 そういうミクロの問題がその原因であるのかというと、 どうもあまりに問題を一面化しているように思われます。 むしろ、 マクロの問題の方が大きいと思うわけです。 収益が落ちている場合でも。 やっぱり10年間ほとんどゼロあるいはマイナス成長でしょう。 これだけ落ち込んでいれば、 転職が活発化して、 流動化が生まれ、 再雇用もうまくいくはずはないです。 マクロ経済の問題と、 個々の企業の雇用制度でもいいし、 人事制度でもいいし、 このようなミクロの問題とは切り離す必要があると思います。 システムの問題としてすべてを背負い込んでしまうという感じがあると思います。
武藤 雇用制度というもの、 見方によってはミクロの中のさらにごく一部ですよ。 雇用制度はマクロだという議論もあると思いますけれど。 ただアメリカの復活もマクロ政策かというとたぶん違うという議論で、 生産性革命というのはたぶんマクロじゃない。 ミクロだという話なのですけれど、 少なくとも雇用制度がいいからアメリカが伸びたという事実はないと思います。
渡邊 どうも、 本日は雇用システムを中心に広範な問題について、 長時間にわたりお話しいただきありがとうございました。
 
 


情報誌「岐阜を考える」2000年
岐阜県産業経済研究センター


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