特集論文 | ||||||||||||||
「障害者のライフスタイルと彼らを支える社会」
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日本学術振興会特別研究員 茅原 聖治
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社会福祉制度の転換と障害者 | ||||||||||||||
21世紀を目前に、 社会福祉のあり方が抜本的に転換されようとしている。 社会福祉基礎構造改革と呼ばれる一連の流れは、 高齢化社会の到来によるニーズの多様化と戦後社会福祉との制度的・量的・質的ギャップに対応することをめざしている。 これまでの社会福祉は 「措置」 制度と呼ばれる国あるいは地方自治体による行政処分の体系であるため、 サービス利用者は権利関係において弱い立場に置かれざるを得なかった。 それを、 社会福祉供給者との 「契約」 に基づく制度に改めることによって、 利用者の権利性の回復と主体的・自律的な個人の尊厳を確立することができると考えられている。 したがって、 社会福祉基礎構造改革とは、 自立的な個人が主体となって社会福祉サービスを利用する制度への転換を図るものであると考えられる。 その流れの中で、 障害者福祉もまた、 転換点にあると言える。 まず、 身体障害者福祉審議会・中央児童福祉審議会障害福祉部会・公衆衛生審議会精神保健福祉部会合同企画分科会が平成11年1月19日に公表した 「今後の障害保健福祉施策の在り方について」 では、 基本的理念として (1)障害者の自立と社会経済活動への参画の支援、 (2)主体性・選択性の尊重、 (3)地域での支え合い、 そして、 基本的な施策の方向として(1)障害者の地域生活支援策の充実、 (2)障害保健福祉施策の総合化、 (3)障害特性に対する専門性の確保、 (4)障害の重度・重複化、 高齢化への対応、 (5)障害者の権利擁護と参画、 を挙げて、 これからの障害者施策の方向性を示している。 ここでも障害者が権利の主体者として社会福祉サービスを選択、 利用することが強調されている。 このように、 障害者福祉政策の流れも、 障害者を単なる保護の対象でなく、 障害者自身の主体性を尊重するシステムに転換する方向性を指向していると言ってよいだろう。 | ||||||||||||||
障害者観の転換の経緯 | ||||||||||||||
では、 この転換に至った経緯はどのようなものだろうか。 その端緒は1981年の国際障害者年である。 「完全参加と平等」 を謳ったこの年とその後の10年の間に、 欧米の障害者思想が日本にもたらされ、 定着した。 例えば、 その一つがノーマライゼーション(normalization)理念であり、 もう一つが自立生活(Independent Living: IL)理念である。 前者は北欧の知的障害者の施設における非人間的処遇の反省から生成した理念で、 生まれ育った地域社会においてすべての人が普通に暮らすことができる条件整備をめざしている。 そして、 後者は、 それまで施設や病院などで受け身で抑圧的な生活を強いられてきた障害者が、 地域社会において自己決定し自己選択することにより自ら積極的に介助サービスを利用しながら主体的に生活することを支持する理念である。 近年の障害者福祉政策はこれらの理念に少なからず影響を受けていると言ってよいだろう。 これらの理念や政策に支えられている障害者の生活、 ライフスタイルはどのように変遷しているであろうか。 障害者が保護の対象とされていた時代にあっては、 障害者の生活する世界は、 もっぱら施設もしくは病院、 自宅におけるものであった。 これらの生活形態の特徴は、 (1)施設職員や医師などの決めた生活を障害者自身が受動的に甘受しなければならない、 (2)閉ざされた空間における生活であるため変化が乏しい、 (3)そのために障害者自身が自らの生活を決める権利が侵害され、 より良く生きるインセンティブを失いがちである、 などである。 言い換えると、 障害者が保護の対象とされてきた時代においては、 障害者の生活スタイルは単調で、 他人のコントロール下にある生活であったと言える。 しかし、 上で述べたように、 障害者運動およびノーマライゼーション理念や自立生活理念などの諸理念の普及は、 障害者がそのような生活から解放されるきっかけとなった。 施設や病院から出て、 地域社会における自立生活を始めた障害者の生活スタイルは、 自立生活理念が示したように、 自己決定と自己選択を旨とするものである。 具体的には、 障害者自らが介助者を雇用して、 その助けを積極的に利用しながら生活スタイルをデザインすることに他ならない。 その生活は、 健常者が毎日の生活を送っているように、 学校に行ったり、 仕事に行ったり、 社会的活動に参加したり、 趣味を楽しんだりする通常の生活である。 障害者が自立生活をするためには、 適切な介助が必要であるのは言うまでもないが、 それが家や施設で行われるとすれば、 前時代の障害者の生活スタイルと変わりがない。 近年障害者を取りまく環境が自立生活に有利に働くように変わりつつあると考えられるが、 そこには3つの要素があるように思われる。
障害者のライフスタイルを変える3つの要素 | ||||||||||||||
障害者を取りまく環境変化と人的資本形成 | ||||||||||||||
これら3つの要素が複合的に関連し合って、 障害者の生活を転換しつつある。 これらの背景の下、 障害者福祉政策は、 大ざっぱに言うと自立生活支援、 情報提供、 権利擁護の3点から推進されようとしている。 したがって、 これからの社会を生活する障害者はこれらの提供される情報を取捨選択し、 分析し、 それを利用しながら生活をする。 また、 重大な権利侵害がある場合には、 法的手段に訴えるなどの手だてを講じなければならない。 このように、 自立生活をする障害者にとって今後重要なのは、 生活の節目節目で現れるこれらの選択や決定に際して必要な知的な判断力および能力なのである。 したがって、 知的な能力、 すなわち、 経済学で言う 「人的資本」 (human capital)の形成が前提となって、 障害者の自立生活は可能となると考えられるのである。 自立生活においては、 次のような人的資本が必要となる。 すなわち、 (1)障害者と介助者の間の雇用関係、 マネジメントに関わる人的資本、 (2)コンピュータ、 インターネットを利用するための人的資本、 (3)障害者福祉に関する行政的、 法律的な知識資本、 (4)家計の維持に関する知識、 などである。 これらの人的資本を駆使して生活を送るわけだが、 社会の大多数を占めている健常者の側にも障害者に関する人的資本が形成される必要があるだろう。 障害者と健常者の相互理解とまではいかなくとも、 お互いのことをよく知ることは、 そこに共通の人的資本を形成することになり、 物理的・心理的・社会的バリアフリーに寄与することになると考えられる。 特に、 子ども時代からこの共通の人的資本を相互に形成することができれば、 バリアフリーやノーマライゼーションに貢献できると推測できる。 しかし、 現行の障害児教育は健常児との分離教育を貫いているため、 早期の統合教育、 インクルージョンが求められる。 | ||||||||||||||
21世紀の社会と障害者 | ||||||||||||||
以上、 最近の社会の傾向とそれに伴う障害者の生活スタイルの変化について言及してきた。 それをまとめると、 主体的に自己決定・自己選択し、 自己のQOL(Quality of Life:生活の質)を高めるように生活をデザインする障害者と、 その障害者が自己の能力を最大限発揮できるシステム作りおよび社会の変革が同時に進行しているように見える。 しかし、 A.H. マズローの欲求満足の階層性によれば、 生理的欲求が満たされれば社会的欲求、 そして最も高次の欲求が自己実現の欲求とされている。 この自己実現は、 仕事や趣味、 社会的活動などの中で満たされるものである ("自己実現" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia2 0 0 0 より要約)。 したがって、 生活が安定してくると、 最終的には自己実現欲求の充足へ必然的に向かうのである。 ゆえに、 QOLの観点から、 また自己実現の観点から、 これからの障害者の生活には、 「仕事をする」 ということの重要性が高まると思われる。 仕事をし、 認められることは自己実現の一形態であると言える。 さらに産業社会にとっても、 高齢化社会の到来に基づくバリアフリー商品やソフトウェア開発などに障害者が形成してきた人的資本が役立つと考えられる。 しかし、 経済社会に目を転じると、 今なお障害者の雇用は、 半数近くが政府が設定している法定雇用率1.8%をクリアしていない企業が半数を占めるという状況にある。 したがって、 21世紀の社会は障害者のもつ潜在的な人的資本をいかに活かし、 彼/彼女らの自己実現を支援していくかが課題となるだろう。 しかし、 そのためには障害者が地域社会で生活するのに必要な人的資本をいかに形成させ、 また社会が障害者を当然の存在として受容するのに必要な人的資本をいかに形成させるかが前提条件となると思われる。 さらに言えば、 筆者は、 21世紀は障害者の人的資本を利用する時代であると考える。 すでに日本経済は成熟期に入り、 過去のような大量生産・大量消費の時代は終わったと言える。 そのような成熟社会においては、 既存の、 もしくはその延長線上にある商品やサービスは飽和状態になり、 新たな消費需要を生むことは少ない。 それは、 産業・経済における健常者社会の単一の価値観の終焉を意味していると言っても過言ではない。 したがって、 21世紀に必要なのは、 健常者社会の価値観とは違う価値観であり、 それが障害者のもつ価値観だと考えられるのである。 さらに高齢化社会という時代的文脈においては、 障害者だけでなく、 高齢者や子どもの価値観もまた、 重要な要素だと思われる。 このように、 21世紀の産業社会は、 障害者などのもつ人的資本を有効に利用し、 新たな、 そして多様な価値を創造する世紀となるだろう、 というのが筆者の展望である。 | ||||||||||||||
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