特集論文
 
「若者の意識変化と地域文化の可能性」

 

東京女子大学文理学部助教授
伊奈 正人

 

1.若者は融解・消滅するか?

 少子化により若年人口は数的にもますます減少している。 終身雇用制は、 崩壊しつつあると言われ、 就業構造の変化とともに、 若者の意味も変化してゆくに違いない。 そして、 社会の高齢化がすすむなか、 パワフルな団塊世代がついに老人となり、 世代間の関係は変化してゆくだろう。 こうした 「若者の終焉」 (「ジェネレーションX」 『日本経済新聞』 2000年3月25日付) を予感させるような状況を見すえ、 「地方都市」 における世代間の交流という視点から、 若者の現状について考えるのが本稿の課題である。
 ちまたの社会学的若者論は、 一見するとかなり前衛的で、 非常識とも思えるようなものも少なくない。 しかし、 岡山市をフィールドに新しい地域文化の形成 (伊奈 [1995/1999]) などを考えてきた筆者には、 問題解決の手がかりとなる重要な論点を、 それらの若者論は含んでいるように思える。 その論点をめぐり、 行論は次のように展開される。 2=若者論が前提にしている問題状況を整理総括する。 3=代表的な若者論を読解する。 4&5=その知見を、 地域における若者という問題にどう生かしうるかを考える。
 

2. 若者をめぐる問題状況の整理

◇ 若者文化の背景と定義
 若者文化が、 問題としてとりあげられ、 議論されるようになった発端は、 極端に言えば団塊の世代が登場した後である。 その背景としては、 戦後改革と社会の民主化、 高度経済成長、 イエや就業構造の変化、 教育=自己形成期間の延長、 青年人口の増大などを、 あげることができる。 家族や貧困というくびきがなくなり、 就学期間という時間を与えられ、 自由な立場から思考、 行動できるようになった、 ベビーブーマー以後の若年層が生み出した文化と、 若者文化を定義しておく。 高度成長に動員された人的資源のなかで、 比較的高学歴な層、 とりわけ大学生がこの若者文化を主導した。

◇ 対抗文化としての若者文化:1960年代へ
 大学生は、 ラディカルな異議申し立てを行う一方で、 既成の道徳とは真っ向から対立するサブカルチャーを形成した。 やがて、 消費文化に同調的な行動・意識が、 ひろがるにつれ対抗的色彩は薄弱になる。 商業化された消費生活に埋没する若者は当初無意味なものとして批判されたが、 消費文化の楽しさはやがて認知され、 若者は、 その享受者・担い手として評価をうけるようになる。

◇ 若者文化の生活構造化:1970年代へ
 団塊の世代は、 やがて社会の中核をになうようになる。 そして、 かつて対抗的とされた文化スタイルは、 むしろ公に認知されたものになってゆく。 たとえば、 長髪、 ロック音楽、 カジュアルなファッション、 女性の権利主張、 さまざまな性や家族のあり方、 自然に優しいライフスタイル、 ボランティア活動や運動を通じた社会参加やネットワーク形成などが、 例としてあげられよう。

◇ 新人類の登場:1980年代へ
 異議申し立てをする若者はめっきり少なくなったが、 1980年代くらいまでは 「若者」 という括りが消滅したわけではない。 若者は、 積極的、 消極的、 いろいろな若者像が探求された。 なにごとにも熱中できないシラケ世代、 自分を決められないモラトリアム人間、 そしてわけのわからない新人類などが、 その例としてあげられる。 新人類の登場で、 若者は文字通りわけのわからないものになり、 やがて若者というものに対し、 明示的な括りが与えられることはなくなっていった。

◇若者文化の融解:1990年代へ
 ついには、 サブカルチャーや若者をめぐる神話が解体したという論が提起され、 若者という括りの意味自体が疑問視されるに至る(宮台他 [1993]、 山田 [2000] )。 他方で、 おたく、 ブルセラ、 援助交際、 ひきこもり、 パラサイトシングルなど、 断片的な現象は指摘されるものの、 若者を明確に画期するものはなくなり、 鮮明に特化された若者像が提起されることがなくなった。 こうした現状を、 山田 [2000] にならって、 若者文化の融解と呼んでおくことにしたい。

◇多様化の時代到来か?
 誰もがとりあえず一流進学校、 一流大学、 そして一流企業で終身雇用というものをなかば脅迫的にめざした時代は終わったという意見もある。 キャリアアップをめざした転職や社会人教育による、 就学、 就職コースの多様化が提起されたりしている。 しかし、 だからといって、 中心と周縁の構造が融解したというのは早計であろう。 東大に象徴される中心というものは、 なかなかになくなりそうもない。 学歴競争での勝ち組・負け組などということばが流布し、 負け組や落ちこぼれがあとで頑張ってキャリアアップを計っても、 学歴ロンダリング、 キャリアロンダリング、 成り上がりなどと揶揄されてしまう。

◇多様化の底にあるもの
 日本社会の高齢化、 少子化、 ボーダレス化、 グローバル化などを踏まえるならば、 よりパワフルで、 効率的な人的資源の動員・活用が必要であることは明かである。 そう判断すると、 高度成長期のようなおおざっぱな枠組みによる大量動員ではなく、 より緻密な資源配分が必要となる。 とすれば、 就学や就職というライフコースの多様化は必然である。 こうした多様化が進行すると、 たしかに若者という猶予期間は、 だんだんと消失する可能性がある。 世代間の交流も大きく変化するだろう。 しかし、 若者像が融解したからといって、 大人と若者のバリアがなくなるわけではないし、 バリアフリーな交流がさかんになるということは難しい。 むしろ多様化は、 バリアの多様化、 差別化の多様化である。 こうしたバリアは、 さまざまな人間の焦燥を喚起し、 若者をめぐる様々な社会問題の原因になっているように思われる。 このバリアとどうつきあい、 「飼い慣らす」 かが以下の問題である。
 

3. 社会学的若者論の読解

(1) 『完全自殺マニュアル』 を読みこなす
 このバリアへの焦燥を飼い慣らし、 癒すものとして、 鶴見済の議論に注目したい。 鶴見の 『完全自殺マニュアル』 は、 自殺を煽る本として、 社会問題にもなった。 それ以外にも鶴見は、 ドラッグ・洗脳による人格改造をマニュアル化するなど、 多くの人が眉をしかめるような挑発的な主題に取り組んできた。 鶴見は次のように言う。 「自殺はいけない」、 「自殺をする人は心の弱い人である」、 「強く生きろ」 などと言われることに嫌気がさした。 「イザとなったら死んじゃえばいい」 という選択肢をつくり、 「閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しをよくして、 ちょっとは生きやすくしようってのが本当のねらいだ」(鶴見 [1993:195])。
 読者から寄せられた賛否両論を、 鶴見は本に [1994] まとめている。 なげやりで、 挑発的な言い回しに、 反感を持つ若者も、 もちろん多い。 しかし、 このような鶴見のことばに 「癒し」 を見いだし、 「この本で救われた」 という若者もそれ以上に多い。 それはなぜか。 読者の声を吟味してみると、 「イザとなったら死んじゃえばいい」 という気楽さが、 若者の心をキャッチしたことがわかってくる。 のちに鶴見は核心を、 「楽チンに生きる」 ということばに集約している (鶴見 [1996])。 競争に疲弊し、 ひきこもった者たちに、 「楽チンであること」 が大きな説得力を持って受け入れられたことは想像に難くない。

(2) 理想への焦燥と 「楽チン」 な生き方
 鶴見と同様、 若者に共感を得ている社会学者に、 宮台真司がいる。 自殺や、 洗脳や、 クスリのマニュアルをけれん味たっぷりに書く鶴見と若干異なり、 政府の審議会などでも活躍している宮台の場合、 前向きの問いかけをストレートに読者に示している点が異なる (宮台 [1995])。 しかしともかく、 両者の考え方には一定共通する要素がある。 稲増龍夫は、 この宮台真司 [1995] と鶴見済 [1994] がオウム真理教事件をめぐり展開した若者論をともにとりあげ、 検討した (『THE21』 1995年10月号)。 「すべてのイデオロギーに幻滅し」、 「もはや革命もハルマゲドンも起こりえない」、 退屈な 「終わらない日常」 を生きているという認識。 稲増は、 二人に共通するこうしたクールな認識こそが、 「滅私奉公も立身出世も消滅してしまった 『神なき時代』 の必然的帰結」 であると状況を認識している。 「価値の相対化が進行した状況に応じて、 何らかの 『規範』 を打ち立てようとすること自体がオウムと同じ過ちを犯してしまう」 という宮台の指摘に、 稲増の思いは仮託されているように思われる。

(3) 共感と疑問―中心は消滅したか?
 膠着した理想、 道徳、 固定観念、 規範にこだわり、 それを渇望して焦燥すること、 同じ 「こだわり」 に組みしない者、 問題を共有しない者をいわば 「非国民」 よばわりすることなどが、 ここには危惧されている。 対して、 若者の 「楽チン」 な生と性は、 こうしたこだわりや焦燥の陥穽を回避できる柔軟性を持っている。 鶴見や宮台の議論のポイントは、 こうした陥穽に対処することである。 それは、 十分傾聴に値するように思う。
 ただし、 「滅私奉公も立身出世も消滅してしまった」 という稲増の判断には疑問を呈しておく。 変化の兆しはあるが、 東京や東大という中心はなかなかに揺らがない。 上京・洋行の渇望は厳存する。 中心をめざす若者の文化はけっしてバリアフリーではない。 田舎・中高年への嫌悪や軽蔑は、 バリアの最たるものである。 そして他方で、 地方の大人が、 若者の消滅・消失・融解を、 クールに眺めるのはむずかしい。 新しい担い手としての若者は、 渇望され、 断念されている。
 

4. 中心への焦燥と 「楽チン」 の困難

 中心へ焦燥が、 典型的に現れている例として、 インターネット電子掲示板 「2ちゃんねる」 の学歴板 (http://www.ohayou.com/2ch/school/index2.html#8) を紹介してみたい。
 登録のいらないアングラ色の強い匿名掲示板で、 よほどのことがないと削除がないため、 学歴をめぐる露骨な極論が飛び交っている。 中心として至上の価値を持つのは、 東大と東京である。 板では、 執拗な序列化・格付けが行われている。 2000年2月からそこでひとつの試みをしてみた。 書き込みをし反応を調べたのである。 使用したのは、 筆者が11年間勤務し、 また大学生の調査 (伊奈 [1995]) を行った岡山大学のスレッドである。
 地方によっては、 まだ国公立信仰が残っており、 受験指導などでもその論理が使われるところがある。 封建色の強い地域では、 県外に子供を出したがらない親も少なくない。 トップクラスの学生が、 地方の国立大学に進むこともまれではないことは、 よく知られている。 これを掲示板に書き込んでみると、 「県内でのお山の大将にすぎない」。 「島国根性は醜悪」。 などなど、 いろいろな批判が殺到した。 特に、 故郷の狭隘さを嫌って県外に出た者には、 田舎臭い島国根性は、 恥ずかしい過去の象徴として、 黙ってはいられない面があるようで、 岡山出身の上京者は、 より厳しいことばを浴びせかけた。 上京で辛酸をなめたものにとり、 故郷を 「東京に負けない」 「東京並み」 のものにするという無邪気な気負いは、 無惨な恥の象徴であるようだ。
 また岡山大学の偏差値はどこどこの大学より高い、 どこどこの大学を蹴った、 地方での就職がいいなどという理屈付けをしてみた。 すると、 はたして袋叩きにあった。 東大と東京を最高とした物差しの上で、 少しでも上を目指すのでは、 何を持ち出しても結局その物差しの定位置に位置づけられて終わりなのである。 これは、 現状において、 人々を酷薄に選別している物差しであり、 人々の焦燥をかき立てる物差しでもある。 同様に、 東京という中心が揺らがない以上、 UターンやIターンというコピーも、 「地方の時代」 という標語も、 故郷をよくするという情熱も、 物差しを共有しているかぎりは、 東京を頂点とする位階のおきまりのところに、 「負け組」 のひとつとして位置づけられて終わってしまう。
 一方、 次のような書き込みをした場合は、 比較的たたかれないですむことがわかった。 「刺激を求める人には退屈かもしれないが、 50−60万規模の県庁所在地は、 暮らしやすさ指数は高い」。 「東京にでなくても、 <そこそこ>の生活ができて<楽チン>」。 「中央ブランドとしては影が薄いが、 地元の評判は<そこそこ>だし、 地方やブロック採用の公務員、 地元企業には強い」。 「焦燥することなく<そこそこ>の人生を<楽チン>に生き、 しかし、 しっかりとした物差し、 生き方、 理屈付けを持っている多くの人もいるのだ」。 これらの考え方は、 掲示板で一定の認知を受けるに至っているように思う。 事実、 多くの 「駅弁」 といわれる地方大学が、 類似した 「焦燥を癒すスタイル」 でスレッドを立て始めている。
 

5. 自由に行き交うこと

 しかし、 現実には、 「楽チン」 に生きる者は少なく、 焦燥する者は多い。 それはなぜか、 一言で言えば、 地方の閉鎖性の 「息苦しさ」 である。 終身雇用制度が崩壊しつつあるとすれば、 Uターン、 Iターンを促すのはよいとして、 若者をその地方に縛り付けるのは、 時代に逆行している。 フリーターや転職に関する評価、 つまりは世間体の構造を変えない限り、 若者が解放感のある東京にしがみつきたがるのは、 無理もないことである。 「いつまでもぶらぶらしているなと親が言う」。 「故郷でフリーターやって暮らそうにも、 親が世間体を気にする」。 「ちょっと故郷に帰ってみようと思うのだが、 一度帰ったら二度と他にでられない」。 「終身雇用制も崩れてきたし、 これからは転職の時代なのに、 田舎の親がキャリアアップの理解をしてくれない」。 これらはすべて、 筆者が東京と岡山の大学生から、 インタビューした結果である。 すべてを一括りにするわけにはいかないが、 地方の 「息苦しさ」 や閉鎖性を表現していることでは同じである。
 打開の方途を考えてみよう。 手がかりとなるのは、 若者文化の原点である。 若者文化の魅力としてこれまで議論されてきたのは、 たとえば地域を超えたネットワークの形成であるとか、 「遊歩」 する都市生活者であるとか、 「漂泊」 するミュージシャンであるとかいったものである。 つまり、 「地縁」 「血縁」 といった 「しがらみ」 や 「こだわり」 などからの自由度が確保されていることは、 若者文化の存在証明といってもよかった。 「ぶらぶら歩く」 「ゆらゆらと漂う」 「根無し草」 といったイメージは、 それを端的に表現する。 ところが、 「しがらみ」 「こだわり」 から自由であろうとすることで、 引き合いに出されるのは 「すすんでいる」 東京や外国であったのも事実である。 それはまた 「上京」 をめぐる、 あたらしい 「しがらみ」 「こだわり」 「焦り」 などをつくりだしてきた。
 筆者は、 この点で、 カンヌ映画祭でカメラドール=新人賞という 「国際的な賞」 をとってなお 「奈良に住み続ける」 と言ってみせる河瀬直美ほか、 何人かの 「地方の達人」 のスタイルに注目している (詳しくは伊奈 [1999] を参照)。 そこからみると、 「中央」 への 「こだわり」 「かぶれ」 「焦り」 の 「かっこわるさ」 も、 「地域」 へのこだわりの 「かっこわるさ」 もよくわかる。 彼らの 「地域」 を飼い慣らすスタイルは、 「上京」 「洋行」 という強迫観念から自由な新しい生活アイデンティティを表現している点で注目される。
 関連して、 いわゆる 「ヤンキー」 と 「チーマー」 の違いについて、 宮台真司 [1997] が興味深い洞察を示していることも確認しておこう。 両方とも素行の悪い若者を表す言葉であるが、 宮台によれば、 前者が 「地域性」 を持っていたのに対し、 後者は 「地域性」 を脱却しているという。 すなわち、 前者が地域ごとのコンビニに集まっていたのに対し、 後者は地域を超えて、 いろいろな地方と渋谷や新宿を行き交っているという。 そして、 「縁」 「しがらみ」 を超えた 「自由な人間関係」 「場」 がつくりだされているというのである。
 

6. おわりに

 このように、 もっとも重要なことは、 若者が自由に、 自在に、 地域を行き交い、 使いこなすにはどうしたらよいかを考えることではないだろうか。 そうして、 地方は、 はじめて多極化された中心の一つをになうことができるようになるかも知れない。 終身雇用制の崩壊だとか、 就学コース、 就職コースの多様化というのは、 「地方」 にとり、 絶好の好機であるはずである。 「地方」 はより 「楽チン」 であり得るはずなのだから。 もっとも効率的な人的資源動員が行われた場合、 若者は融解し、 消滅するのではなく、 多極的な資源配分が行われ、 これまでの 「勝ち組」 「負け組」 の乱暴な選別とは異なる適性にあった進路選択が行われ、 若者のライフコースが多様化していく可能性はある。 稿を改めなければならないが、 地域で自分の居場所や仕事を見つけだしている若者は少なくない。 多分に希望的観測ながら、 地域を、 とりわけ東京を飼い慣らす可能性を指摘して結びとしたい。
 
 
 
文   献
伊奈正人1995,『若者文化のフィールドワーク』 勁草書房
1999,『サブカルチャーの社会学』 世界思想社
宮台真司1994,『制服少女たちの選択』 講談社
1995,『終わりなき日常を生きろ−オウム対策マニュアル』 筑摩書房
1997,『まぼろしの郊外−成熟社会を生きる若者たちの行方』 朝日新聞社
宮台真司
石原英樹
大塚明子
1993,『サブカルチャー神話解体』 PARCO
鶴見済1993,『完全自殺マニュアル』 太田出版
1994,『無気力製造工場』 太田出版
1996,『人格改造マニュアル』 太田出版
鶴見済 編1994,『ぼくたちの 「完全自殺マニュアル」』 太田出版
山田真茂留2000,「若者文化の析出と融解」 『講座社会学7文化』 東京大学出版会


情報誌「岐阜を考える」2000年
岐阜県産業経済研究センター


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