インタビュー |
「高齢者の新たなライフスタイルと社会との関わり」
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川崎幸病院精神科顧問 和田 秀樹 聞き手 岐阜県理事兼(財)岐阜県産業経済研究センター
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渡邊
最初に先生のおっしゃっておられます 「75歳現役社会論」、 ヤング・オールドと言われる75歳までの人々を社会の現役と見なすということについて、 第2に、 先生の言われる 「わがまま老人」 のライフスタイルはいかなるものか、 3つ目は 「景気浮揚の鍵は老人にあり」 ということについてお伺いしたいと思います。 |
「75歳現役社会論」 とは75歳までの高齢者の身体・知的機能は衰えない |
和田
色んな調査結果が出てくるに従って、 高齢者の身体機能や知的機能というのがそれほど衰えない。 痴呆症という病気が75歳前後になると、 だいたい3パーセントぐらい混じっちゃうわけですが、 ただ65歳から75歳の間だけをとってみたら1〜2パーセントにすぎません。 それ以外に、 要介護、 要支援の比率、 その他諸々を合計しても、 どう高く見積もっても65歳から75歳という層の5パーセント未満ですから、 このヤング・オールド、 あるいは前期高齢者といわれる年代では元気老人がほとんどということで、 やっぱり前期高齢者と後期高齢者は明らかに違うわけですね。 結局、 私のモデルでいくと、 65歳から75歳までは、 要介護もしくは要支援の人だけ老人扱いをすればいいという考え方なんです。 それはどう多く見積もっても、 65歳から75歳の間に関して言えば5パーセントであり、 それプラス75歳以上を老人と扱うという風な物の見方をすれば、 どんなに増えても75歳以上の人口のピークは、 2035年ぐらいだと思うんですが、 1,890万ぐらいですね。 65歳から75歳までの間の要介護者、 要支援者は、 その時点で70万〜80万だと思うんですが、 それを合わせても2千万人にはならないですから、 今の65歳以上人口 (だいたい2,100万から2,200万ぐらいになっているかと思います) を超えないですね。 要するに高齢者の数が、 高齢者の定義を変えるだけで今より増えないということになるわけです。 そうすると、 もうちょっと色んな意味でモデルを作りやすくなるんじゃないかと、 つまり年金であれ、 介護であれ、 支援であれ、 色んなモデルを作るにあたって元気な高齢者に協力してもらったり、 社会に参加してもらうことによって、 色んなものが今より増えないという計算が成り立つということなんですね。 もうひとつ、 実質的には少なくとも知的機能や体力などについてですが、 健康に留意してほしいというのは、 ある意味では病気さえしていなければ、 実用機能という点では75歳まではほとんど衰えないんですね。 肺活量は平常の4倍ぐらいあるわけだし、 心臓の拍出量にしても平常の3.3倍ぐらいあるわけで、 それは20代の時が各々だいたい5倍前後ですから、 衰えてはいるんだけれど、 実用機能に関しては衰えない。 だから色んな意味で75歳までであれば、 とりあえず現役で働ける、 もしくは現役の市民であり続けられる。 それだけ、 体も使えるし、 知能も使えると思うんです。 |
75歳まで現役の市民でいられる場が必要 |
和田
そういうことでヤング・オールドの人とオールド・オールドの人を分けて考えようという、 これはシカゴ大学のベルニース・ニューガートンという、 老年学者で人類学者の先生がおっしゃっていることなんですが、 それは非常に妥当なモデルだと思うんですね。 もっと言えばニューガートンがヤング・オールド、 オールド・オールドに分けたのは1974年のことですから、 実質的には要介護比率その他諸々とかを見てみると、 今80歳で切ってもいいぐらいで、 だから75歳というのはかなり余裕があるということです。 つまり要介護者数が増えるとか、 福祉予算だとか増えるターニングポイントが74年当時でだいたい75歳であったのが、 今では75歳どころか80歳に近づきつつあるということです。 「75歳現役社会論」 が過激だと言われるんだけれど、 ぼくは決して過激だと思っていないんですね。 私は高齢者を専門としているのですが、 今はだいたい病院なんかで見ていても70代の患者さんって若いですから、 病気でない人に関してはもっと若いわけです。 ただ70代、 74、75歳ぐらいまでの人どころか、 60代でも、 活躍できる場、 もちろん働くことであれ、 ボランティアであれ、 遊びであれ、 そういう場があまり用意されていないことが問題ですね。 活躍できる場がなくなった、 その時点でその間に老け込んでしまう人と、 老け込まない人とがかなり差がついちゃう。 これはもう60歳ぐらいから始まっていると思うんですけれど、 定年後にすごく老け込む人と、 元気な人とが一番分かれちゃうんですね。 昨日も、 日本アカデミー賞の中継を見ていたら、 高倉健さん、 69歳なのに若いですよね。 だからやっぱり活躍できる場をどう用意するかということだと思うんですね。 もちろんぼくは 「75歳現役社会論」 と言ったわけであって、 75歳定年論と言っているつもりは全然なくて、 75歳までがどう現役の市民でいられるかということが大切だと思うんですね。 |
働くことに関する東洋と西洋の思想の違い |
和田
ひとつ言わなければいけないのは、 これは東京都の老人研の柴田博先生と対談した時に出てきた話でもあるんですが、 働くことをレーバーだという風に言っている文化はキリスト教文化だけらしくて、 儒教思想であれ、 仏教思想であれ、 一生働くという思想をもっているわけです。 キリストみたいにもう20代で死んだ人と、 それからお釈迦様は80まで生きたんですか。 孔子も71歳だし、 やっぱり年寄りのことをちゃんと見ている人が作った宗教とは違うわけで、 年を取ってまでも働くのはおかしいとか、 働かせるのはかわいそうだという考え方は、 東洋の文化にはそぐわないと思うんですね。 例えば70歳になっても日本人は働くといったら、 欧米の新聞とかは、 働かされていると書く可能性があるわけですね。 驚くべきことなんだけれど、 こんなに人口が高齢化しているのに、 フランスの労働組合なんかは定年は45歳にしろとか、 定年を早くしろと言っているわけです。 むしろ世の中で本当に世話をしなければいけない人を、 もう少し絞って、 働ける間、 働きたければ働けばいいし、 働きたくなければ遊べばいいと思いますね。 そのかわり、 年を取ってゆっくり遊びたい人は、 それなりの貯蓄なり、 蓄えもしてもらわなければ困りますね。 アメリカがそうなんですね。 アメリカ人というのは、 日本人と比べて 「家」 意識が非常に乏しいし、 だから子孫のために美田を残す発想はそれほどないのに、 ものすごくがつがつと若い頃に稼ぐし、 税金も安くしろというわけです。 何でだろうと思ったんだけれど、 例えば、 それはひとつには年取ってまでも働きたくないから、 そのためにがつがつ稼いでいるんですね。 |
渡邊 だからおもしろいのは、 宝くじに当たるとだいたいのアメリカ人は仕事をやめてフロリダに行って遊ぶと言いますね。 これに対し、 日本人は宝くじに当たると貯金をすると言います。 働く、 遊ぶという考え方が全然違うんですね。 |
和田
そうなんです。 働くのがいやな国民性と一緒にされては困るわけで、 だから働くことが楽しいとか、 日本人の働き虫論とか働き過ぎ論というものは、 欧米の価値観で非難されているわけであって、 仕事が楽しい程、 幸せなことはないのに、 何を思って批判するんだろうと思いますね。 つまり高齢社会になった時に一番大事なことは、 アメリカ支配だとか、 ヨーロッパ・コンプレックスの中から生まれてきた、 ある種の彼らからの批判を無自覚に受けるという対応は変えないといけないと思うんです。 実際、 働き過ぎ、 勉強のし過ぎとか言われていますが、 OECDの調査でも、 アメリカと日本のブルーカラーの労働時間では、 93年ごろから、 もうすでに日本の方が少なくなっているわけです。 だから日本人はけっして働き過ぎではないし、 仕事が趣味ほど良いことはないのに、 仕事しか趣味がないという言われ方はないだろうと思うんですね。 だけど働くか働かないかは、 年を取ったら選択できる余地はあってもいいだろうと思いますね。 但し、 今ほどは年金が出ないから、 年取って遊びたいなら、 ちゃんと貯金をして下さいよと、 多分そうなるんじゃないでしょうか。 |
高齢者の能力特性としての結晶性知能を活かす |
和田
そこで高齢者が働く場合の能力特性を考える上で、 ふたつ考える方向性があると思うんですね。 ひとつは年を取ってから、 新しいことは覚えにくいが、 いわゆる結晶性知能は衰えないということです。 流動性知能 (図形問題などで測られる、 成育や教育環境の影響などを比較的受けないとされる知能) は衰えるけれど、 これまでやってきたことや、 経験知、 人生体験で身についてくる結晶性知能は衰えない。 むしろ伸び続けるということです。 流動性知能と結晶性知能というのを分けて考えなければいけないと思うんですね。 結晶性知能はほとんど一生涯にわたって伸び続けるのに対し、 流動性知能というのは実際には30代、 40代から衰えるわけです。 だからそう考えた時に、 能力特性として結晶性知能を有効利用するために、 高齢者の働く場は、 別に定年延長とまでは行かなくても、 再雇用が理想なんですね。 高齢者の結晶性知能は、 能力特性から言えば、 30代、 40代の人たちよりも高いところにあるわけだから、 本当は彼らよりも対価は高くても当たり前なわけなんですね。 だからそういうことを考えた時に、 年寄りが職場にいると邪魔であるかのように思われるのはおかしいわけで、 能力的には、 もちろん手先を使うだとか、 目を使うだとかその他諸々の能力は衰えるかもしれないけれど、 結晶性知能が使えるのは元の職場が一番だから、 その中での段階的引退というのが、 仮にぼくが提案したみたいに75歳を最終的な引退の目途にする必要はなくて、 80歳でも85歳でも構わないですが、 ひとつの方向性としてあると思いますね。 元やっていたことが活かせる、 それは同じ職場でなくても、 大工さんでも、 板前さんでも、 熟練工でもいいし、 ホワイトカラー、 管理職、 何でもいいんだけれど、 元やっていたことが活かせる職であれば、 これは結晶性知能が活かせるということです。 2つ目の方向性としては、 流動性知能がそこそこ高い内に、 年を取ってから何をやろうかということを考えるということですね。 つまり年を取って引退して時間ができてから、 もちろん後でお話する感情の老化の話にも結びつくんですが、 年を取ってから老後のことを考えればいいやというのは、 実は、 これまでのことを続けていられるという前提がありさえすれば別に構わないんだけれど、 年を取ったら別の仕事をしてみようとか、 年を取ったら別の生き甲斐を見つめてみようだとか、 年を取ったら趣味に生きようだとか思うんであれば、 かなり前もって準備しておいた方がいいと思いますね。 |
渡邊
企業を定年した後に働く場合の給料はどう考えたら良いでしょうか。 もう子供の養育費などは要らないので、 定年時の給料を維持する必要はないと思いますが。 |
有能な高齢者には、 その能力に見合った賃金体系を |
和田
定年後の再雇用の時には、 アメリカの年齢差別禁止法の趣旨を参考にすれば良いと思います。 つまり高齢者に関しては、 その職場に必要な能力であるとか、 必要な知識であるだとかのテストをした時に、 若い人よりも負けていないのであれば、 当然差別してはいけないわけです。 但し、 ぼくは企業内福祉というのは本質的には大事だと思うんですね。 それはなぜかというと、 それによって労働者の質を支えてきたという面もあるわけで、 次の世代に対して、 一応企業が責任を持つ、 日本の繁栄のためということを、 日本の企業はやってくれているわけですよ。 そういう意味で、 60歳なり定年までは、 ある程度年功序列の賃金体系でいいと思います。 そして、 60歳以上の雇用流動化の中では、 少なくとも、 まだ子供がいない若年労働者と比べて、 能力的に負けていないのであれば、 ちゃんと高齢者に彼ら以上の賃金を払うという方向性が、 今後の雇用の役割なんだと思います。 再雇用というシステムにした途端に、 時給が千円になったり、 月給10万になったりとか、 そういうめちゃくちゃなことをやっている会社もあるようですが、 それは能力がある人に対して、 雇ってやっているという態度なわけで、 おかしいわけです。 |
リバース・モーゲッジの導入 |
和田
それから、 私はリバース・モーゲッジの考え方を非常に大事にしたいと思っているんです。 現行の賃金体系では、 現役時代にローンをくめば、 土地を買い、 家を造ることができる。 それが、 リバース・モーゲッジによって、 老後の資金の原資になるわけです。 つまり年功序列の賃金体系で、 基本的に与えられるものというのは、 不動産と子供の教育だと思うんですね。 これは実は、 企業が社会に対して行う非常に有意義な投資になっているわけです。 つまり、 不動産に関して、 ぼくが今後リバース・モーゲッジをもっとやるべきだと思うのは、 それを利用できるようになれば、 きっと、 これまで年功序列で企業が払ってきた金のおかげで、 その分だけ年金財政を楽にさせる可能性があるわけですね。 だからそういう意味での企業内福祉部分、 つまり年収700万の内、 200万なり300万が企業内福祉部分であって、 残りの400万はあなたの能力でということになっていても、 社会にとってはありがたいわけです。 もちろん能力で得られるお金が700万の人もいれば、 600万の人もいれば200万の人もいると。 それはテストの点数であるなり、 何なりで計られるべきだろうと思うんです。 ぼくは能力だとか適性を判断するテストは、 企業社会でもっと導入されてほしいと思っているんです。 それは高齢者のためでもあるし、 勉強しなくなった若者のためでもあります。 もうひとつの選択肢である、 40代、 50代の時に人生の再選択、 もしくは遊んで暮らすことを決めるみたいなことをする人たちは、 逆に言えば、 もっと真剣に生きないといけないですね。 つまり自分の能力特性を買ってもらうというよりは、 新たに自分の人生を見つめ直す、 不安になった時にやりたかったことをやる、 もしくは遊ぶということも含めて、 そういう人は遊びたいなら貯金をするなり、 金儲けに精出すなりしないといけないんだろうし、 新しい仕事を見つけたいのであれば、 そのための勉強のようなことも、 しないといけないだろうと思いますね。 |
教育、 心のケア、 介護ビジネスへの高齢者の貢献 |
和田
ぼくはもうひとつ、 これからは色んな意味で、 もう一度教育の社会になると信じています。 これが高齢者の活躍の場になる可能性がある。 それは大学院や大学、 職業訓練の学校も増えていくだろうし、 そこでは、 人生経験のある人が非常勤講師のような形で雇われる可能性が大きい。 さらに例えば総合学習というのが導入されることにより、 小学校、 中学校、 高校みたいな旧来の教育機関でも、 これまで人生を生きてきた人たちが、 ティーチングスタッフに入れる可能性がすごく出てくると思うんですね。 生きてきたことを教えてあげられるということほど幸せなことはない上に、 これも核家族化の中で世代間の伝播が非常になされていないため、 日本の色んな伝統や職業の技能、 物の考え方などがうまくつながっていない状況もあるということですから、 これには大きな意義がある。 彼らが教育の場で、 いわゆるボランティア的なことをするのを見せるにしても、 親が子供に何で勉強する意味があるのかというのが伝えられない、 教師も含めて伝えられないという中で、 勉強しといた方が良かったんだということが言えるだけでもすごい意味があると思いますね。 3つ目の可能性としては、 やはり心の問題だとか、 後は介護だと思うんですね。 要するにひとつは、 これはぼくは高齢者が働きやすい仕事の中に、 昔はよくお坊さんなどがやっていたことだと思うんだけれど、 カウンセリング機能みたいなものがあるのではないかと思っているんです。 ぼくがいる精神分析という業界は、 非常に高齢者が活躍している業界でして、 土居健郎先生も今年80歳になられるのに未だに現役だし、 フロイトが83歳ですか、 娘のアンナ・フロイトが86歳で、 エリクソンが90歳ぐらいまで現役でしたね。 さらに、 ぼくの留学先の創始者のカール・メニンガーは97歳まで現役でした。 だからそういう意味では高齢になっても、 人の話を聞く、 人の相談に乗ってあげるということは非常に可能性がある。 だから心理学の大学院なんかをもっと高齢者に門戸を開いてあげて、 それこそ60歳になって臨床心理士になりましたとか、 そういうのがあってもいいと思いますね。 最後に老老介護的な意味ではなくて、 ヤング・オールドがオールド・オールドを支えるような介護ビジネスに、 つまりある程度年代が近くて話も合うレベルの人が介護ビジネスに参入する、 そういう事はあり得ると思うんですね。 なぜこういうモデルを提供するかというと、 高齢者が遊ぶのも、 もちろん非常にいいと思うんだけれど、 高齢者が楽しめるおもしろい遊びがない限りにおいては、 やっぱり人間って人の役に立っているとか、 求められているということがないと、 なかなか自己愛というのが満たされない、 つまり幸せな感覚がもてないんですよ。 |
高齢者に社会が必要としている職業を用意する |
和田
だから例えばの話、 別に掃除婦になってもいいんだけれど、 掃除婦であるということが、 「世の中、 ああいう人がいるから、 ここのビルもこんなにきれいなんだよ」 というようなことを、 社会が価値観として共有してもらわなければいけないですね。 そうしないと、 非常に、 その職業を自発的には選びにくくなってしまいますね。 つまり、 生活の糧を得るために仕方なく選ぶことになる。 日本の高齢者というのは、 要するに仕事がないから、 どんな仕事でもやるわみたいに思われていて、 そういうのにつけ込んだ雇用体系になっています。 現状では、 高齢者になったら、 例えばの話、 ガードマンになるんだとか、 管理人になるんだとか、 掃除婦になるんだとか、 非常に社会的な評価の低い職業にさせているわけです。 だから年を取ってからの方がものすごく惨めになるような体系になっている。 しかも能力特性に合っているかというと、 実は高齢者というのは肉体労働には本当は向かないわけです。 例えば高齢者をガードマンに雇うというのは、 ぼくは本当にこれこそおかしな話だと思うんです。 空手の有段者だったらいいかもしれないけれど。 だからそうじゃなくて、 例えばの話、 別に大学を出ていなかったり、 中卒だったとしても、 心のケアをやりたいんだといったら、 一応特例で心理学の大学から入るだとか、 大学院から入るだとかというようなことをやりながら、 一応は、 読み書きだとか、 そのレベルのテストは課さないといけないだろうけれど、 そういう意味では自分は心のケアで役に立ちたいとか、 介護で役に立ちたいだとかということのニーズを満たしてあげる。 つまり社会が必要としている職業をむしろ高齢者に用意してあげた方がいいと思いますね。 また、 これから雇用が流動化してきたり、 色んな意味での競争社会、 能力社会になってきた時に、 テストの導入だけじゃなしに、 やっぱり人事管理をしている人たちが、 この職業にはどういう年代の人が向くかというのをもっと真剣に考えていかないといけませんね。 若い人は足りなくなって、 年寄りは余ってくるという状況の中で、 年寄りに向いた職業というのは、 これまでは管理職だったわけです。 管理職だって、 ぼくは年功序列とは別に、 給与体系の上で管理職を高くしなければ済むことだから、 管理はむしろ年を取った人にやらせた方が、 一般論から言えばうまくいくと思います。 だって20代の人に、 おまえこれやれと言われてうれしいような育てられ方を、 日本人はしていないわけだから、 それをやるというのは非常に軋轢を生じるわけです。 |
渡邊
次に、 先生は 「わがまま老人のすすめ」 ということを言われていますが、 それはどういうことですか。 |
「わがまま老人のすすめ」 とは高齢者には強い刺激が必要 |
和田
それは価値観を変えていくということが非常に大事なポイントになるだろうと思います。 まず医学的見地から見た 「わがまま老人」 の意義があります。 それはひとつには、 知的機能や体力に比べたら、 どうも感情機能の方が衰えるのが先で、 下手すれば40代、 50代から気力が衰えて、 新しいことをやろうという意欲がない人が出てくるわけですね。 それは脳の機能だけ考えてみると、 前頭葉という場所から脳は萎縮してくるわけで、 神経細胞が減ってくるのは前頭葉からなんです。 年を取ってくると神経の伝達物質も減ってくるし、 動脈硬化も進んでくるという意味では、 だいたい気力の低下というのは年をとるにつれて進むわけです。 箸が転んでもおかしいというのは、 むしろ若い人の話であって、 年を取ってくると箸が転んでもおかしくないわけですよ。 だから若い人が強い刺激を求めているというのは、 ぼくは嘘だと思っています。 年を取ってからの方が、 本当に美味しい物を食べたいし、 本当に美しい物を見たいし、 それこそ南極旅行、 北極旅行が求めるものであって、 ちょっとハワイへ行ったぐらいではおもしろくないかもしれないのが年寄りだと思うんですね。 もちろん、 これまでの人生経験と比べての話であって、 これは相対的なものでしょう。 これまでがあまりに平凡な人生経験を送っている人は、 農協の旅行で海外に初めて行っただけで非常に感動ができるわけだから、 それはそれで幸せなことだと思うんですね。 それは皮肉で言ってるわけじゃないんです。 もちろん相対的なものだけれど、 少なくとも若い頃と比べて強い刺激が必要だということであって、 そのためには、 多少なりとも世間でのバイアスと戦わなければいけないわけです。 つまり年を取って派手な服を着るとか、 年を取ってこんなことをやってとか、 年寄りのくせにと言われるようなことが、 強い刺激を求めると多くなるわけですね。 もちろんグルメだとかだったらいいのかもしれないけれど、 そうでないものに関しては、 ありとあらゆる興味が、 例えばの話、 お年寄りがちゃらちゃらと海外旅行に出かけるだとか、 若い女性の集まる場所に行くだとかに対して強いバイアスがありますから。 若い男性が集まる場所でもいいんですが。 特にぼくは女性の方が長生きするわけだから、 女性の方がもっともっとバイアスと戦わなくちゃいけないと思うんです。 女性はだいたい多分70代で、 多くの場合未亡人になるわけですよ。 男性の平均寿命が76歳から77歳のはずだから。 そうすると、 だいたい今の女性の場合、 5歳〜6歳若いことが多いわけだから、 70歳前後で未亡人になるということです。 しかし70歳ちょっと超えたぐらいなら、 実は結構若いわけですよ。 だから70歳ちょっと超えたぐらいの女性が遊ぶか、 もちろん新しい仕事を求めてもいいんですが、 つまり勉強をするにしても、 遊ぶにしても、 そこで世間のバイアスに負けていたら、 非常に悲しいと思うんですね。 アメリカ人のお年寄りなんてすごく良い物を着るわけですね。 もちろんそういうことをするのは、 お金がある人ということになるんでしょうが。 いずれにせよ、 年を取れば年を取る程、 美味しい物も食べて、 旅行も行ってというように、 ど派手にやった方がいいんですね。 また、 男性が若い頃、 会社に勤めている頃に、 クラブ通いしていたんだったらクラブ通いを続けたらいいだろうし、 むしろ女性用のそういうものが用意されていないということの方が問題ですね。 というのは、 若い男性と恋愛になるかどうかはわからないけれど、 そういう場に行こうということになると、 一所懸命いい服を着るわけです。 着物も着るし、 化粧もする。 ところがそうやって感情を若返らせると、 認知機能も上がっていくんですね。 これはもう証明されている。 さらに、 精神免疫学という考え方があって、 やっぱり胸ときめく体験だとか、 きれいに化粧をするだとか、 そういうことをすることによって、 歳をとると落ちがちな免疫機能が高まるから病気になりにくくなるんですね。 |
「わがまま老後」 は医療費や年金を抑制する |
和田
長野県の例では、 現役で働いている人たちは非常に健康で、 そうすると医療費の抑制にもつながるんです。 ということは 「わがまま老後」 をしている方が、 世間ではあのババア、 あのジジイ、 何いつまでも色ボケなんだ、 欲ボケなんだとか、 いつまでも引退しないのか、 などという声が強いかもしれませんが、 国にとってみたら、 それこそ医療費も安く上がるし、 うまくすると年金だって安く済むかもしれない。 お国のために遊んでくれている、 派手にやってくれているような感じもあるはずなんですね。 ということは、 基本線としてお年寄りのあるべきライフスタイルをもっとちゃんと伝えられる人が出てこないといけない。 それは少なくとも大学の老人科の医者ではないんです。 なぜかというと、 彼らは病人を診ていても、 年寄り全体のことはわからないわけです。 病院や医者は病気になった人を診ているわけで、 自分たちの診ているサンプルは高齢者の中でむしろ少数派なんだと思わないといけない部分がある。 だからそれは毒蝮三太夫さんなのかもしれないし、 老人サロンだとか言われている各地の商工会議所のメンバーなどだって全然かまわないんですよ。 |
相続税を高く、 贈与税を安くして、 高齢者自身のために金を使う |
和田
そこで 「わがまま老人」 のライフスタイルの中に、 ぼくはリバース・モーゲッジというものは絶対あるべきだと思うんです。 ひとつ言えることは、 ぼくは高齢者は自分のために金を使うべきだと思っています。 私の個人的な見解からいうと、 相続税というのは、 むしろ高くして、 贈与税を下げるべきだと思っているんですね。 そうするとリビングウィルが働くんですね。 つまり自分の介護をしてくれる子供に対しては贈与する。 実際、 相続というのは、 いくら遺言があるっていっても、 それ程リビングウィルが効かないんですね。 自分のことを全くないがしろにしている子供にだって相続権が行っちゃうわけです。 贈与税を下げるもうひとつの理由としては、 介護保険だの、 何だのというけれど、 自分の介護をしてくれているお嫁さんに給料を払いたくても、 現行の税制だと贈与になってしまう。 それもおかしな話です。 自分の介護費用ということで、 税務署が大幅にみてくれるんだったら、 それでいいと思いますが。 だからリビングウィルを活かすという意味では、 現行のやり方では、 民法を変えるわけにはいかないですが、 ひとつの方向性としては、 まず相続税を上げる。 すると、 財産なんかは自分のために使っちゃうという意味でのリバース・モーゲッジを活用するようになるかもしれない。 さらに、 贈与税を下げれば、 自分の子供にお金をやる際に、 自分がやりたい子供にやれるようになるわけです。 |
「わがまま老人」 はお国のため |
和田
そして、 高齢者が自分のためにお金を使うようになってくると、 おそらくは、 基本的に若返るでしょう。 一番良いことは、 本人たちのクオリティ・オブ・ライフ (QOL) が上がることにあるのです。 精神免疫学の考え方でいっても、 彼らの気分がよくなると、 健康になる分だけ医療費は安くなる。 それからリバース・モーゲッジがある程度利用できるようになってくれば、 多少年金受給年限を上げたり、 土地資産のある人の年金を下げることも可能になる。 お年寄りが、 世間からみてわがままと言われるぐらいで丁度良いんだということを私は言いたいわけです。 それは高齢者というものが心理学的に見ても弱い存在なんだから、 勝手にわがままで贅沢にやっていかないと、 心理学的な健康が保てていけない。 だけど、 たとえ社会の価値観に逆らっていても、 それができれば結構長生きもできるし、 特に健康で長生きができるということがあるんです。 もちろん贅沢をすることで、 成人病で死ぬということは当然あるんだけれども、 それはむしろ中高年の方が多いんですよね。 意外に年を取ってから勝手気ままに暮らしている人は早死にしないわけです。 だから色んな調査の結果をみても、 70代になってしまうと糖尿病や高血圧があったり、 喫煙をしていても、 そこまで生き延びた人はという条件が付くんだけれど、 その後の寿命がそれを治療しなくてもあまり変わらないというデータがいっぱい出ているわけです。 むしろ精神的に健康だと、 免疫機能が高まるから、 高齢者については、 煙草を吸っていてもガンになりにくいというデータまであるんですね。 もちろん、 遺伝子に規定された部分が、 タバコに強いからということがありますが。 いずれにせよ、 煙草を吸っている人の方がガンになりやすいというのはあるんだけれど、 ガンに必ずなるというデータはないわけです。 一方、 何も楽しめない人であっても、 趣味もなく質素に暮らしている人でも、 病気になってしまうと、 月に50万かかってしまう。 そして、 それを、 ほとんど保険医療費で払っているわけです。 年金を払う以上に、 はるかに金食い虫になっちゃうんですね。 仮に介護を受けるにしても、 40万ぐらいかかるのですから。 それを考えたら多少贅沢して、 わがまましてもらって金を使ってもらった上に、 精神的に生きることを喜び、 それによって病気をしにくいのならば、 あらゆる意味でお国のためになるわけです。 だから、 お歳よりの人たちにも、 「もしここであなたが好き勝手に暮らさずに、 がまんがまんの高齢生活を続けていれば、 免疫機能が低下して、 早い内に要介護になったり病気になったりする確率が高くなる。 そうなったら、 あなたは全然贅沢していないつもりかもしれないけれど、 国の財産を毎月40万、 50万ずつ食っていくんですよ」 ということは認識してもらわないと困りますね。 ついでに言うと、 ぼくはそういう介護施設に入った場合や社会的入院をした場合は、 年金はカットされるべきだと思うんですね。 もらった年金を家族が持っていってしまいますからね。 |
渡邊 本当に、 先生が書かれたように、 「ピンピンコロリ」 といくのが、 人生としては一番いい感じがして、 できるだけピンピンで最後まで元気で楽しく生きられれば、 いいと思いますね。 |
和田
要するに肉体の限界まで使うということなんですよ。 つまり肉体的な老化は不可避なんだけれど、 感情面を若々しく保っておいて、 精神免疫学的な意味での免疫機能を保っておけば、 「ピンピンコロリ」 が可能だと思うんですね。 ところが結局、 今の老い方では、 暗い老後生活を送ってるから免疫機能も低いし、 その上感情が活性化していないから肉体の限界まで使っていない内に、 色んな臓器がよけいに老化していくという状況だから、 「ダラダラコロリと死なない」 みたいな感じになっちゃう。 そういう意味でも、 自分のために体を使うというのは非常に大事なポイントになってきますね。 それは自分のために金を使い、 働きたいのなら働くということだと思うんですね。 |
楽しいことに贅沢をする |
和田
ここで、 連れ合いと別れたり、 死別したりした時のことを考えてみましょう。 男性の場合は、 精神医学的な見地、 心理学的な見地でいくと、 結婚すると奥さんが母親になっちゃうんです。 だから、 女性が配偶者をなくす場合より、 対象喪失としてのダメージがはるかに大きく脳にくるんですね。 例えば奥さんをガンで失った時の免疫機能というのは、 がくんと落ちることがわかっている。 だから本人も早く死ぬんですね。 その意味では奥さんが死んだのは悲しいことなんだけれど、 むしろその後で、 早く遊んで、 早く次の配偶者を求めるべきなんだと思いますね。 ですから、 奥さんがガンで死んだばかりだというのに、 クラブ通いして、 いちゃついているんだという風に周りから言われると困るわけです。 また、 息子なんかが財産を取られるから困るなんていって、 再婚を邪魔をするんだったら、 あんた方、 もっとちゃんと面倒見なさいと言いたくなるわけです。 とにかく、 海に行くのが楽しい、 山に行くのが楽しい、 海外旅行に行くのが楽しい、 美味い物を食うのが楽しい、 酒を飲むのが楽しいといった、 自分から見て楽しいことに贅沢をすべきだと思います。 ただし、 高齢になればなる程、 そこら辺はセレクティブになっていくと思うし、 個人差も出てくると思いますね。 |
渡邊
それを変な社会の価値観から否定するなということですね。 |
「景気浮揚の鍵は老人にあり」高齢者向けの産業興しが、 景気浮揚につながる |
和田
そこら辺のことが出てくると、 景気に対しても、 重要な意味をもつと思います。 現在一番問題なのは消費不況なわけです。 とにかくこんなに景気が悪いのに貯蓄は増え続けているというのは、 低金利な中で異常な事態ですよね。 だから高齢者の人たちが消費をしてくれるということは、 もう率直にいって、 景気浮揚効果がものすごくあるわけです。 個人金融資産のだいたい6割、 700兆ぐらい高齢者が持っていると言われています。 それが動いてくれるのが一番景気にも良いわけですが、 それ以上に大きいと思うのは、 資本主義の世の中、 競争社会の世の中ですから、 高齢者が自分のために金を使い出してくれると、 高齢者向けの産業というのが起こることです。 例えばの話、 可動性の問題が、 非常に高齢者のQOLや精神的な豊かさ、 好奇心に影響すると考えられています。 ならば、 もちろん、 高齢者向けの自動車の開発でもよいのですが、 高齢者がドア・ツウ・ドアで動くための道具みたいなものを用意できれば、 それだけでもだいぶ高齢者が活き活きと生きていけると思います。 その他にも、 それこそ色んな産業があると思います。 高齢者専用のツアーコンダクターがいてもいいだろうし、 それこそ一人暮らしのお年寄りがお金を払えば、 これは慶応大学の島田晴雄先生なんかも書いておられるんだけれど、 食事の相手をしてくれる女性や男性がいてもいいし、 そういう産業だってあっていいと思うんですよ。 つまり70歳になって未亡人になった時、 ホストとは違って、 元大学教授のような人が何人か選ばれてて、 そういう人が自分と一緒にフランス料理を食べてくれる際にはお金を払ってということもいいと思いますね。 フランス料理代は奢らなければいけないし、 1時間付き合ってくれるのに1万円払うとかというようなサービス業が成立するわけです。 今の価値観とは大幅に違いますし、 そんなばかなことがあるかと思うかもしれないけれど、 それをやってみると非常にソフィスティケートされた会話が楽しめたり、 美味しくご飯が食べられるかもしれないわけですね。 そういう産業がいっぱい考えられるわけです。 そういう意味では、 動ける道具だけでなく、 パソコンにしても何にしてもお年寄りがもっと使いやすいものを考える方向にいくはずなんです。 例えばパソコンを開発するにしても、 キーボードだとお年寄りは使えないけれども、 テレビのリモコンはどんなお年寄りでも、 今使えるわけですよ。 テレビのリモコンに近いようなものが使える情報端末を作ってあげれば、 インターネットだってお年寄りはアクセスできるわけです。 そのような状況になれば、 彼らは何が使いやすいかというのを、 もっともっと真剣に考えられるかもしれないですね。 そうすると、 お年寄り向けの産業がひとつ興る。 お年寄りに向けた、 お年寄り自身は現在ほしいとは意識できていないけど、 出せば売れるものを作ってあげればいいわけです。 これを島田晴雄先生は、 ウォンツという言葉で表現します。 つまり、 意識されていないんだが、 出せばほしいというようなものを探してやるということですね。 携帯電話などはそのウォンツの典型例になるわけです。 10年前に携帯電話なんてほしいと思っている人は誰もいなかったんだけれど、 出して見ると売れる。 お年寄りの場合は、 逆に言えば自分からほしいと、 なかなか言わないし、 それが意識できないものだから、 企業の方が、 一所懸命探すことになると思うんです。 逆にお年寄りのウォンツを探してやれば、 それこそ子供のために財産を残すよりも、 ウォンツに従ってやってみようということになるわけです。 それは植毛技術や皺伸ばしの美容なのかもしれません。 今の医学をもってすれば充分皺伸ばしの美容なんていうのはできると思います。 これも不思議なもので、 外見が若返ると気持ちが若返るんですよ。 そうすると、 好循環となって、 本当に内面も若返ってくる。 ぼくは若い人の美容整形は賛成しないけれど、 お年寄りの美容整形には賛成なんです。 ただ日本は美容整形というのは、 早くから金儲けを求める医者が参入してきたし、 保険外だったせいで、 美容整形のトレーニングシステムが非常に粗忽だという問題はあります。 だから有名な美容外科医が、 わざわざ南米まで行って、 皺伸ばしと若返りの手術を受けてきたと週刊誌では報じられていました。 むしろ美容外科が公認されて、 ちゃんとそういうトレーニングをできるようにした方がいいと思いますね。 とりあえずは高齢者がお金を使うようになると、 高齢者向けの産業を色々と考える人が出てくる。 するとさらに副次効果が現れます。 要するに物を売りたいということになると、 それを広告しなければいけないわけです。 高齢者向けの雑誌であるとか、 テレビ番組だとかが増えるわけで、 そうするとさらに彼らの感情の老化予防に有効な効果をもたらすでしょう。 高齢者が何を見たがっているのかを、 もっと真剣に探すかもしれないですしね。 それは、 もうだんだん時代劇じゃなくなってきているわけです。 むしろお年寄りが見て喜ぶ番組というのは、 「知ってるつもり」 だとか 「日本史探訪」 だったりするわけですね。 日本のドキュメンタリーの質が悪いと言われているけれど、 お年寄りが金を使うようになって、 お年寄りが見るということになれば、 良質のドキュメンタリーが輩出される可能性だってあるわけです。 だからそういう意味では、 高齢者の方が、 先にお金を使ってくれると資本主義のメリットを活かせるんです。 もちろん、 そうなれば、 介護器具なんかでもだんだん良いものを作ることになるし、 差別化が進んできますよ。 |
渡邊 年寄りの市場というと、 すぐ福祉器具とか、 介護器具とか、 介護サービスという話になって、 楽しむ部分での産業を興そうという感じがあまりしないんですが、 そこのところを産業界や売る側がもっともっと開拓する努力をしないといけないということですね。 |
和田
そうですね。 要介護でないお年寄りを考えた場合、 だいたい平均貯蓄額が1世帯2,500万ぐらいあるわけです。 それからちょっとこれは地域によって差があるんだろうけれど、 土地と不動産に関しても、 だいたい日本の高齢者の4割ぐらいが5千万以上なんですね。 だから高齢者の4割については、 リバース・モーゲッジの原資が5千万あるわけです。 高齢者の4割というと800万人ということになりますね。 だからそういうことをもっともっと考えなければいけないということです。 産業の活性化を論じる際にも、 そういう要素というのは、 やっぱり重要な要素だと思うんですね。 |
高齢者向けの産業は地方から |
和田
この間テレビを見ていておもしろいと思ったのは、 富山の光岡自動車が新しいタイプの自動車を作っている日本で最も小さい自動車会社なのですが、 その光岡自動車から独立した所は、 ミニカーを作っているそうです。 そのミニカーをお年寄りが喜ぶらしいんですね。 ミニカーというのは軽自動車じゃなくて、 原付扱いの一人乗りだったりするらしいんです。 その富山の会社のように、 お年寄りにとって優しい物を作る産業が、 突然地方から出てくる可能性があるわけですね。 そういう意味では、 グルメなお年寄りの人たちが食べに行きやすいようなグルメタウンみたいなものを作ってもいいだろうし。 温泉なら、 ただただ湯治だとか、 体を休めるだとか、 病気を癒やすということではなしに、 食べる物は思いきり美味しい物を食べれるし、 遊びも究めることができるといったラスベガス型の温泉だって、 ぼくはあってもいいと思うんですね。 そういう意味では、 自動車が高齢者にもうまく普及している地域の方が、 色んな実験をしやすいと思いますね。 今では、 道路の整備はかなり充分できていると思うので、 それを使って地方発信の色んなものができると思うんですね。 |
高齢者の意向を探ることで、 高齢者向け産業を考える |
渡邊
岐阜も、 高齢者イコール湯治というのではなく、 むしろ温泉をひとつの要素として、 それを含めて色々と本当に楽しいことを提供できるということを考えなければいけないと思います。 ところで、 高齢者がこれだけ増えてきて、 若者が減ってきているにもかかわらず、 消費調査では必ず若者を調査するんですが、 高齢者の需要調査や意向調査はなかなかやらないですね。 |
和田
やらないですね。 むしろ日本を代表する総合月刊誌は、 読者の平均年齢が60歳を超えているのを隠しているそうです。 でも60代でその手の総合月刊誌を読んでいる人たちは、 非常にお金を持っているはずなんですよ。 それをスポンサーに対する売りにすべきなのに、 それを隠すわけです。 知的レベルの高い高齢者を抱えているという点では、 総合月刊誌は、 ものすごいポテンシャルを持っているのに、 彼らは広告をとるために、 読者の平均年齢を10歳ぐらい若くさばをよんでいるそうです。 平均すれば世界で一番、 現時点で高齢者が豊かなのは日本なんですね。 そこを何で活かさないのかと思いますね。 インターネットに対する投資だったら何百億とか何千億とするくせに、 高齢者向けのビジネスを始めようという投資については、 みんな臆病過ぎますね。 ネットビジネスというのは、 所詮、 情報産業なので、 本当の購買に結びつく産業になるとは限りません。 たとえば、 ネットショッピングにしても、 20年後の日本人が通販を好むか、 相変わらず直に物を見るのを好むかというのはわからないわけですよ。 むしろ高齢社会になっても、 彼らが動くのがおっくうじゃなければ、 インターネットで物を買うより直に見に行きたいでしょう。 もちろん高齢者が動くのがおっくうな状況のままであれば、 インターネットがもっと3D化して、 それで家にいながらでも陶器でも買えますよというやり方、 つまり手触りまでインターネットで触らせるというやり方で、 彼らを主要なお客さんにできるかもしれない。 それも、 ひとつの方向性としてはあると思います。 しかし、 もうひとつの方向性としては、 高齢者でも直にモノを手に取って見れるように車をもっと自動操縦化してあげるというようなことも考えられます。 食べ物なんかは、 どんなに美味い物でも宅配は宅配なわけで、 調理も必要だし、 雰囲気も含めて自宅でおいしく食べるのは難しい。 ならば、 高齢者が雰囲気よく食べに行ける場所を用意した方が賢明かもしれない。 また、 そういう店では、 おいしいものを調理済にして、 センターから送るとか、 そこそこの料理人が指導するなどすれば、 かなりレベルの高いものを作ることはできると思いますね。 だから例えば、 客単価3千円ぐらいのレストランチェーンが高齢者向けにだったらできるかもしれないですね。 そういうものを模索していかないといけない。 |
高齢者金持ち宣言が必要 |
和田
そして、 そのためには高齢者金持ち宣言というのをしないといけないと思うのです。 それは別に貧乏な高齢者を差別する意味で言っているわけじゃないんですよ。 これも日本に限らず、 マクドナルドの藤田田氏によると世界中の常識らしいんですが、 金持ちから流行ったものは流行る。 これに対し、 一般大衆から流行ったものは一過性のブームで終わる。 それがゴルフとゲートボール、 テニスとボーリングの違いなんだというんだけれど、 それは心理学的には仕方がないことだと思います。 誰かかっこいいお年寄りが、 それこそ加山雄三でも誰でもいいんですが、 ヨットに乗って老後を送る、 日本のマーロン・ブランドみたいな人が出てくれば、 それを真似する人は出てくるわけですよ。 だから高齢者金持ち宣言というのは、 貧乏な高齢者を差別するという意味でなくて、 そういうものをかっこいいと思わせるために必要なステップなんですね。 |
渡邊
そうすると、 高齢者が平均して世界で最もお金を持っている国が日本なので、 日本でそういう産業を興せば、 その産業は世界でも通用しますね。 |
高齢者向け産業で、 日本が世界をリード高齢者向け産業が、 世界の競争産業へ |
和田
もちろんそうだと思いますよ。 介護機器、 福祉機器などについて言えば、 金持ちのお年寄りや障害者がお金を使うアメリカでは、 ものすごくいいものがいっぱいあるんですよ。 立ったまま動ける車椅子とか、 ゴルフができる車椅子があるんですね。 ところで、 アメリカは自国の競争品に関しては排斥する傾向があります。 だからアメリカがやっていない産業を一所懸命やるべきなのです。 そういう意味では高齢者の幸せ産業をアメリカより先に作る。 アメリカがまだやれていないんであれば、 それを持っていった方が、 競争産業として十分可能性があると思いますね。 基本的な構図として競争産業の条件というのは、 こっちの方が先に大きなマーケットを持っていて、 それによって大量生産が可能になる。 そこで、 プライスダウンしたところで輸出するというのが理想的なパターンなんです。 それは1950年代、 60年代のアメリカがやっていたことですね。 つまり当時アメリカの中産階級が一番お金を持っていたんですね。 だから自動車や家電品が、 多少高くてもアメリカ国内で大量に売れて、 それによって大量生産ができて、 コストダウンしたところで、 ヨーロッパや日本に輸出していたから勝ったわけです。 そういう意味では、 日本は外国にない高齢者の大きなマーケットを持っているわけですから、 そこでまず大量生産が可能になれば、 当然競争産業としては有利なわけです。 リストラや競争の導入で、 日本が中流崩壊していく中で、 高齢者向けの産業には、 その可能性があると思うんです。 |
老後の安心感を与えるビジョンが必要 |
和田
先にお話したように、 今の景気で一番問題なのは消費不況です。 国民はばかじゃないんだから、 公共事業に散財すれば散財する程、 国の借金が増えるという構造は知っているわけで、 安心感を与えていないわけです。 だから、 消費を喚起するためには、 老後の安心感のビジョンを提供すべきだと思うんですね。 それには、 アメもムチも必要だと思うんですよ。 つまり企業に、 会社は潰さない、 むしろ支えてやる代わりに高齢者をどんどん雇用しろというような形での社会契約を結ぶなり、 企業内福祉をもっともっと社会契約的にやっていって、 それでそっちの方にお金を使うなり、 方向性なりを示してもいいと思うんですね。 そうやって安心感を与えていかないと、 とにかく大衆がお金を使えないと思いますね。 年金をたくさんあげるという形での社会契約というのはできないわけですよ、 無い袖は振れないわけだから。 だけど例えばの話、 リバース・モーゲッジをもっともっと支援するだとか、 それを旧来の銀行がやらないんだったら、 オリックスみたいな会社にもっともっとやれよという形での支援だってあり得るわけですからね。 そういうリバース・モーゲッジの側面支援のようなものも含めて、 色々な形の老後の安心感を与える方向性は出せると思います。 福祉を公の予算でやるにあたっても、 中高年の女性の雇用市場が広がることになるということを宣伝してみる。 そんなことをしてあげれば、 もうちょっと安心感を与えることができると思うんですね。 逆に借金を増やすと安心感というのはできないんですよ。 本当は、 どこかの政党が度胸を持って、 増税で借金を減らします。 多少苦しいかもしれないけれど、 あんた方に安心感を与えますというようなことを言ってもいいと思います。 北欧の国々というのは、 1人当たりのGDPは高いんです。 つまり福祉が豊かな国というのは、 意外に労働意欲が高まるんですね。 実際、 北欧の国々の1人当たりGDPはアメリカより高いわけですね。 その上、 税金をごっそり取られるけれど、 残った金はみんな消費に使っていいと思っているらしくて、 例えば北欧圏では、 ボルボのような結構いい車、 高い車が売れているわけですね。 そういう要素も見逃しちゃいけないと思います。 |
渡邊 確かにそうですね。 税金はごっそり取られても残ったお金は使っていいという安心感があれば、 残った金は使えますものね。 税金は低いけれど、 残った金の中で老後も考えろ、 子供の教育も考えろということになると、 だいぶ消費しにくくなりますしね。 |
和田 そこがやっぱり、 残った金が使える国との違いですね。 それは実は政治が信頼を回復しなくちゃいけないわけで、 ごっそり取られても、 ちゃんと福祉に使ってくれるという信頼感が、 少なくとも北欧の諸国にはあるのに、 日本だったら、 また何に使われるかわからない不信感はまだあると思いますね。 |
渡邊 どうも、 本日は長時間にわたり、 ありがとうございました。 |
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和田秀樹氏の略歴 昭和35年 大阪市生まれ 昭和60年 東京大学医学部卒業 以後、 国立水戸病院神経科、 浴風会病院精神科、 東大病院精神神経科助手等を経て、 米国カール・メニンガー精神医学校留学 (平成3年から6年まで) 現在、 川崎幸病院精神科顧問、 一橋大学経済学部非常勤講師、 東北大学医学部非常勤講師 著書に 「75歳現役社会論」 (NHKブックス) 、 「わがまま老後のすすめ」 (ちくま新書)、 「こころが変われば景気がよくなる」 (朝日出版社) 等多数 |
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