特 | 集 | 論 | 文 |
介護保険制度下で保険者(市町村)に求められる役割について
仁 科 幸 一 |
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((株)富士総合研究所 経済・福祉研究部主任研究員) |
(1) 市町村を保険者とする社会保険とし保険料を保険者ごとに決めること
介護サービスは地域ごとに基盤整備の状況が異なることから、保険者を市町村とし、高齢者の保険料*1を保険者ごとに定めることは、負担と受益(給付)の関係を明快なものにする。いうなれば、住民自身が自らの意思と責任において政策選択−高負担・高給付か低負担・低給付か−を迫るものであり、住民自治の論理にかなった制度設計といえる。
(2) 利用者負担に定率負担を採用したこと
利用者負担に10%の定率制を導入したことにより、受益者負担の論理が明確に打ち出されることになる*2。これと前述の社会保険制度の採用とが相まって、介護という生活上のリスクを、政府(国、都道府県、市町村)、社会(被保険者全体)、個人(実際にサービス給付を受ける者)の三者で重層的に分担する制度となったとみることができる。
(3) 要介護認定制度を採用し要介護度ごとに給付上限額が設定されること
介護保険の給付を受けるためには、保険者に申請して要介護認定を受け、その認定結果に応じて、給付額が決定される。特に在宅サービスについては、給付上限額*3が設定され、その範囲内で、利用するサービスを自由に決めることができる。なお、サービスの単価については、「介護報酬」として、厚生省が定めることになっている。
(4) フリーアクセス制を採用し、あわせて事業者に関する規制緩和を行ったこと
従来の老人福祉制度では、行政がサービスを給付する(実態としては民間事業者に委託することが多い)ことになっていたことから、事実上、地域の社会福祉協議会や社会福祉法人が供給を独占していた。これに対してフリーアクセス制(利用者が自由にサービス事業者を選択する)が採用されたことから、在宅サービスについては、一定の要件を満たす事業者であれば誰でも市場に参入して顧客を確保することができるようになる。この結果、介護サービス競争原理が採用されることになる。
(5) ケアマネジメントが制度的に位置づけられたこと
従来の制度では、サービスが医療と福祉に分断されていたことなどから、利用者の生活環境や心身状況を総合的に判断してサービスをコーディネートすることはほとんど行われてこなかった*4が、これにより、サービスの総合的なコーディネートが行われることが可能になった。
(1) 幻想の給付上限額
T.サービス供給の制約
前述のように、介護保険制度では在宅サービスについては、認定された要介護度ごとに給付上限額が設定され、その範囲内で、サービスを自由に組み合わせて使うことができるとされている。しかし問題は、要介護高齢者全員が給付上限額の枠を使い切るだけのサービス供給があるか、という点である。 筆者の簡単な試算では、要介護認定を受ける要件を満たす心身状況にある高齢者全員が、給付上限額通りのサービスを利用すると仮定した場合、多少の地域差はあるが、高齢者の保険料は4,500円〜5,000円程度になるはずである。しかし、筆者がかかわりをもっている自治体(都市部が多い)では、保険料は2,800円〜3,300円程度である。これは要するに、給付上限額まで要介護高齢者全員がサービスを利用することを前提としたサービス供給が確保されていないことを意味している。
U.在宅サービスの給付上限額に根拠はあるのか
このようにいうと、「全員の要介護高齢者が給付上限額を使い切ることができる水準までサービス供給を拡大していくことが焦眉の課題である」と受けとめられる方も多いかもしれない。しかしここで立ち止まって考えなければならないのは、給付上限額の設定の根拠が何か、という点である。 実は、厚生省は在宅サービスの給付上限額の根拠について、これといった算定の根拠は示しておらず、わずかに「参酌標準」なるサービスメニュー例が提示されているにすぎない。どの程度の心身状況の要介護高齢者にどの程度の介護サービスが必要となるかということや、現在の制度の下で在宅介護サービスがどの程度給付されているかということを根拠としたものではなく、施設(特別養護老人ホーム)の報酬額とのバランスで決められたものではないか、と筆者は推察している。
こうした基準をベースとした「足りる」「足りない」という議論は、無意味とはいはないまでも、一定の限界があること−釈迦の掌上の孫悟空のようなものといえなくもないこと−に留意すべきである。
(2) 給付額が多ければ多いほど満足度は高くなるのか
「介護サービスは常に不十分であり」「サービス給付が多ければ多いほど要介護者の生活の質は向上する」というのは、福祉関係者の「定説」である。これは本当なのだろうか。
在宅要介護高齢者のおかれている環境−家族の状況や住環境など−は千差万別であるし、介護サービスの効用も単価も種類によって多様である。現段階の厚生省案によれば、たとえば介護型ホームヘルプの単価*5は4,020円(30〜59分)、訪問看護は8,300円(30〜59分)であり、実に約2倍のひらきがある。医療的処置の必要な要介護高齢者にとっては、訪問看護は医療処置に対応できるという点で価値があるが、特に医療処置を要しない要介護者にとっては介護型ホームヘルプで十分である。もしこれに訪問看護をあてるとすれば、単に単価の高い介護を行うに過ぎない。また、入浴は要介護高齢者の生活の質の点で意義があることはあらためていうまでもないが、だからといって、毎日入浴すればよいというものではない−場合によっては有害ですらある。 このように考えれば、前述の「定説」は、必ずしも合理的ではない場合もあり得るわけである。
(3) フリーアクセスがもたらす不公平
介護保険制度の下では、利用するサービスの種類と事業者を(在宅サービスについては要介護度ごとの給付上限額の範囲内で)自由に選択できることになっている。しかし前述のように、サービス基盤は現実には給付上限額に対応しておらず、多くの地域で相対的に不足状況にある。特に、施設整備を伴うために供給弾力性に乏しい入所施設やショートステイにおいて、この傾向が著しいと予想される。
こうした中でフリーアクセス制を実施した場合、需給が逼迫したサービスについては、「早い者勝ち」と「長い待ち行列」が生じる*6。つまり、情報収集能力の高い者やうまく立ち回る能力のある者(あるいはヤミの経済負担応力のある者)のみがサービスを利用し、しからざる者はサービスにアクセスすることができないことになる。極端な場合、同じ基準の下で保険料を負担しながら、給付上限額まで介護サービスを利用する者と、自らの選択によらずしてわずかなサービスしか利用することができない者とが生じるおそれがある。
(4) ケアマネジメントは中立か
介護保険制度では、ケアマネジャー(居宅介護支援専門員)が在宅の利用者の心身状況や希望をふまえてケアプラン(介護計画)を作成し、サービス事業者への橋渡しを行うことになっており、このことに対する報酬は介護保険から給付される。どの事業者のサービスをどの程度利用するかついては、ケアマネージャーの影響力が大きいと考えられる。
問題は、ケアマネージャーが利用者の利益代理者として中立公正にケアマネージメントを行いうるかという点にある。 現実にはケアマネージメントを行う事業者(居宅介護支援事業者)は、何らかの介護サービスも行うものが大多数であり、ケアマネージャーはその一従業員に過ぎない。したがってサービスのコーディネートについて、自分が属する事業者のサービスを優先することは想像に難くない*7。
@保険者とは何か(3) おわりに
ここであらためて保険者とは何かを考える。
保険とは、一定程度社会的に共有されているリスクに対して、個々の被保険者が支払う保険料を原資として、リスクが現実化した被保険者に保障を行うシステムである。介護保険の場合、社会保険であることから強制加入制と公費の投入が行われ、リスクの性格から現物給付を原則としている。このようなシステムの中で、保険者は三つの責任を負う。第1はリスクが現実化した保険者への保障を行うことで、現物給付を原則とする介護保険の場合には、現物(介護サービス)を給付する基盤を整備することと、給付の公平性の確保があわせて求められる。第2は、リスクが現実化しない被保険者の利益の確保であり、要するに、保険事故の発生を抑制することと、給付を適正なものにすることである。第3は、保険事業を継続的安定的に運営するために、健全な会計運営を行うとともに、その透明性を確保することである。
このように考えれば、保険者は次のような行動をとる必要がある。
第1に被保険者の合意形成にしたがって負担(保険料)と給付(利用できるサービスの水準)の関係を決定すること、第2にこれに見合ったサービス給付基盤を整備すること、第3は給付の公平性を確保することである。したがって、保険者として絵空事の給付水準を住民に提示することや明確な基盤整備計画をもたないことは保険者としては不誠実な態度といわざるを得ない。また、場合によっては個々のサービス給付についても公平性の観点から介入する責任があるということになる。
「ケアプランの内容については保険者には介入の余地がないので仕方がない」とか、「サービス基盤については民間事業者の伸びに期待する」といった態度は、保険者としての責任放棄に他ならない。逆に介護サービス利用者にのみ目を向け、被保険者の合意なくして負担の増嵩を看過することも、同様に、保険者としての責任放棄といえる。
A保険者としての責任の取り方
保険者の責任の取り方としてユニークな取り組みをしている事例を二つ紹介したい。
品川区では、区内及び区が提携している特別養護老人ホームの入所について、区が予め入所希望者を把握する一方で、施設の空床情報を一元化し、保険者、施設、有識者などで構成される調整会議で心身状況や家庭環境などを勘案して、緊急度の高い要介護者に優先的に施設を斡旋するというしくみを採用する*8。一方、在宅サービスに関しては、区が居宅介護支援事業者としての指定を受けて実際の業務を区内の社会福祉法人や民間介護サービス事業者に委託するとともに、ケアマネジメントマニュアルを作成して、サービス利用の公平化と適正化を図る。またサービス供給については区が事業者と協定を結び、ケアマネジメントを行う在宅介護支援センターと結びつける。これにより、事業者を確実に確保するとともに、サービスの苦情などが発生した場合には、区は協定の打ち切りも含めて、事業者に対して強い交渉力を確保することとなる。
このような品川区の取り組みについては、自由競争を原則とする介護保険の趣旨に反するといった強い批判もある。しかし、介護保険制度がもたらすデメリットを緩和するだけではなく、サービスを利用しない者も含めた被保険者の利益を確保するために、保険者として供給管理のみならず需要管理を志向する点で、保険者としての責任の取り方の一形態として評価することができる。
神戸市では、介護保険制度の創設をにらんで早期から民間介護サービス事業者の協議会を組織し、「介護マーケット」に関する情報を迅速かつ頻繁に流すことを通じて、事業者の適正な参入の誘導を図っている。特に注目したいのが、要介護高齢者の発生状況だけではなく、事業者の参入状況などもこまめ(中学校2校区単位)に開示することによって、各事業者がどの地域には参入しやすいか、どの程度のマーケットを見込むことができるかについて、判断することができる点である。
とかく情報を囲い込む傾向が強いことがわが国の行政の性癖であるとすれば、神戸市のこのような取り組みは、事業者や市民が正確な情報をもとにして、各人のリスクをコントロールしながら行動することができる環境を創出するという点において、新しい行政のあり方として評価することができる。
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