介護保険制度で始まる医療・福祉の構造改革とシルバービジネスの将来展望
久 留 善 武 |
(社団法人 シルバーサービス振興会 企画部次長) |
はじめに
我が国の福祉サービスは戦後から今日に至るまで、原則として国や地方自治体等の公的セクターを中心に租税負担を財源とする行政措置によって提供されてきた。しかしながら、少子・高齢化が急速に進む中で、寝たきりや痴呆等の要介護高齢者の増加、核家族化等による家庭内介護力の低下、高齢者の単身世帯や夫婦のみ世帯の増加等による世帯構造の変化、生活様式や高齢者自身の意識の変化などに伴い、高齢者の福祉ニーズはより多様化、高度化してきている。こうした変化に対し、国においては、質・量ともに的確に対応できるサービス供給体制の確保が課題とされてきており、これまでゴールドプランに代表される在宅・施設を通じた社会基盤の整備やシルバーサービスをはじめとした供給主体の多様化などが大きな政策課題とされ取り組まれてきた。
社会福祉分野への民間企業の参入については、昭和50年代後半から厚生省をはじめとして準備が進められ、国の審議会等で積極的に検討されていた。しかしながら、豊田商事事件や有料老人ホームの倒産など高齢者が被害にあう事件が社会問題化すると、この分野へ営利企業を参入させることを心配する意見もあり、シルバーサービスの在り方については質の確保を前提とした健全育成の重要性が指摘されてきた。
こうした状況の下、昭和60年に厚生省に「シルバーサービス振興指導室」が設置されシルバーサービスの振興が政策的に推進されるとともに、民間サイドにおいても昭和62年に同省の外郭団体として「シルバーサービス振興会」が設立され、一定の基準を満たした良質な事業者にシルバーマークを交付するなどサービスの質の確保に向けた取り組みがなされてきている。
1.社会保障全体の構造変革の中での介護保険
(1)給付と負担のあり方の見直しの必要性
急速な勢いで少子・高齢化が進み、高齢人口は2015年には総人口の25%を突破し、2050年には32.3%と予想されている。一方で少子化は深刻さを増しつつあり、こうした人口構造の変化によって社会保障全体を構造的に改革しなければならなくなっている。また世帯状況においても、高齢者のみの世帯、夫婦のみの世帯が増えてきており、昭和60年と平成7年を比べると2倍増になっている。年金は、既に加入者の半分である3500万人程が受給者になっていて、支給総額は33兆円を超えている。医療においては高齢者の医療費が膨張して制度全体の運営に深刻な影響を及ぼしている。
年齢階層ごとの社会保障の給付と負担の割合を見ると、若い世代は、社会保険料の負担が多いにも拘わらず、実際の給付は少ない。逆に高齢者は負担割合が少ないにも拘わらず、給付が多い。このため給付と負担の割合のあり方の見直しが求められている。
このままでは社会保障給付費が増大する一方であり、国民負担率(国民所得に占める租税及び社会保険料の割合をいい、我が国ではこれを50%以内にするよう決められている)は、このままでいけば優に50%を突破する危険な状況にある。
今日ではこうした社会保障のための費用負担が国、自治体及び企業の経営に大きく影響を及ぼしている。このため将来に向けては、平成6年度の厚生省の「21世紀福祉ビジョン」において、社会保障給付費の配分比率をこれまでの年金、医療、福祉の5:4:1の比率を5:3:2に転換することが決定されている。このように、年金、医療、福祉と社会保障の構造改革は急務となっている。
(2)介護保険制度のもたらすもの
こうした社会保障の構造改革の中で介護保険制度の導入はスタートする。医療費の増加、特に老人医療費の伸びを医療保険の枠の中で抑えることが極めて難しくなってきている今日、介護の問題を介護保険制度の下で一本化し、民間参入をはじめ多様な供給主体を参入させ、競争原理に基づき質や効率化を図ることにより医療費抑制を図るという政策的意図がある。
T.公民サービスのミックス
このため、介護保険と医療保険では制度的に似ている点が多いが、今後を展望した相違点がいくつかある。医療保険の場合は基本的に保険外診療を認めていない。保険外診療を行う場合は、医療保険からは一切支給されず全額自己負担になる。介護保険の場合には、保険外のサービスを「上乗せ、横出し」として認めている。上乗せサービスとは、介護給付・予防給付の対象となっているサービスの上限を越えて利用する場合をいう。横出しサービスとは、そもそも介護保険の給付対象となっていないサービスを利用した場合をいう。これらを複合的に利用してもコアとなる介護保険の対象サービスの部分が1割負担ですみ、他のサービスが利用しやすくなることから、多様な事業展開を行える可能性が秘められている。
U.多様な供給主体によるサービス供給と競争原理
介護保険制度におけるサービス供給主体は、市区町村、社会福祉法人、社会福祉協議会、民間企業、農協、生協、NPOに加え医療法人が同一要件で参入する。特に医療法人については、既に平成9年12月の医療法改正で、医療法人が行える業務に第2種社会福祉事業、老人居宅介護等事業、その他の在宅福祉事業を追加しているが、今年には訪問入浴、福祉用具貸与、ケアプランを策定する居宅介護支援の業務も追加された。さらには、福祉用具の需要増加を見込んで、海外企業の動きも活発化してきている。
このように供給主体は多様化し、競争は厳しくなるが、実際は競争条件に著しい格差があり、これが今後の大きな課題になっている。例えば税制であるが、基本的に社会福祉法人系は、法人税、固定資産税、事業所税、すべて非課税である。民間企業は税制上の優遇措置は原則的にはない。補助金についても、社会福祉法人と民間企業とでは格差がある。その他にも市街化調整区域で事業展開する場合、民間企業だと有料老人ホームの設置は認められているが、それ以外はまだ難しい状況である。このように、社会福祉法人をはじめ他の供給主体と比較してもそれぞれに格差が生じており、民間企業はこうした競争条件の格差の中で高コストで事業を展開しなければならないという問題がある。
V.消費者選択及び直接契約によるサービス利用
従来の行政措置によるサービス利用に対して、今後はサービスや事業者を消費者が選択して、直接契約で利用することになる。しかし介護という問題は何の前ぶれもなく突然発生するし、利用者と事業者の間には著しい情報の格差がある。利用者にはサービス内容や事業者に関する情報提供が重要となる。介護保険では医療保険と異なり特に広告制限はないので、事業者は顧客獲得のために様々な形で自社のサービスのPRをやるようになる。その際の情報開示、表示に関するルールづくりなどが、消費者の選択を支援する観点からも重要になってくる。振興会では表示に関するガイドラインを策定している。
また契約となると、消費者の保護の観点から特に重要となる。現在、名古屋市、東京都、神奈川県等で標準契約書が検討されている。シルバーサービス振興会でも昨年度、標準契約書を示している。契約関係では、当然、苦情対応や損害賠償も出てくる。訴訟も生じることになり、事故時の損害賠償も求められる。事業者はこれらに対して適切に対応できなければならない。
W.「サービス」の特性と質の評価
こうしたサービスの評価の重要性が指摘されている。しかし介護関連サービスの場合、利用してみなければ良し悪しが判断できないものであり、こうした特性から事前の評価が非常に難しい。また、外形的な「モノ」ではないことから全く同じサービスを提供することは難しい。たとえ限りなく近いサービスを提供しても、今日と明日では利用者の満足度が違ったりする。このようにサービスの質と満足度の不一致が色濃く出るサービスである。こうした中、客観的なサービス評価に注目が集まっており、ISOやシルバーマーク制度などの第三者評価も注目されている。シルバーマーク制度は当振興会が平成元年より運営しており、訪問介護サービス、訪問入浴介護サービス、福祉用具の貸与、販売サービス、在宅配食サービス、有料老人ホームに制度が導入されているが、平成11年10月現在で全国に1000を超える事業者が認定を受けている。
X.規制緩和と民間参入の拡大
近年、規制緩和の流れもあって民間参入の拡大が図られている。介護保険の対象サービスのうち、民間参入が認められているサービスは、訪問介護(ホームヘルプ)、訪問入浴介護、訪問看護、通所介護(デイサービス)、短期入所生活介護(ショートステイ)、痴呆対応型共同生活介護(グループホーム)、特定施設入所者生活介護(有料老人ホームやケアハウスなどの民間施設入所者に提供されている介護)、福祉用具貸与、福祉用具購入、住宅改修などである。中でも訪問看護への民間参入の道が開かれたことは、今後の在宅領域における医療・福祉の総合的な展開に道を拓く上で大きな意味がある。
(3)企業参入のもたらすもの
T シルバーサービスへの期待
まず新規参入の拡大により、介護サービスの供給量が確保される。厚生省は民間参入を積極的に促す方針であるし、民間企業もマーケットの拡大を見込み、参入が活発になっている。しかし、介護報酬が現在のところ仮単価であり最終決定ではないため、参入した後に本当にビジネスとして経営的に成り立っていくのかどうか今のところ未知数である。税制上の格差とか、事業経営において困難な面もさまざまあるので、やってみなければ分からないというのが実際のところである。
次に、他の供給主体の危機意識と改革へのインセンティブが期待されている。これまで社会福祉法人系や医療法人系は、あまり競争にさらされていなかった。参入の多様化によって危機意識を持つことになる。これまでは与えられた予算を年度内に消化しておけばよかったが、今後は出来高という形になるので、やっただけしか報酬が得られなくなり、民間企業と同様に効率化が求められる。
次に、新規・成長分野としての雇用創出効果である。医療・福祉関連分野は、政府あげて新たな雇用創出分野として期待されている。サービスの供給量が絶対的に不足している状況で、マンパワー中心で人件費比率の高いサービスなので、供給を促せば新たな雇用を生むことは確かである。マンパワーを確保する前提条件として、ホームヘルパーの養成・研修をより受講しやすく、資格を取得しやすくする手だてを講じることも求められている。
次に、これからさらに厳しくなる国や地方自治体の経営の中で、財政抑制効果が期待されている。また、企業の参入による税収や雇用創出効果への期待が高まっている。
U シルバーサービスの視点
シルバーサービスというと介護関連サービスといった認識がある。間違いではないが、介護保険の受給権者となる虚弱、寝たきり、痴呆の方は全体の高齢者のせいぜい15%程度で、残りの85%以上は健常な形で高齢を迎える。マーケットの大きさで考えると、こちらの方がはるかに大きく、今後高齢者の増加とともにマーケットとして顕在化してくる。介護保険の下での公的なマーケットは2000年に4兆3000億程度介護報酬として投下され、最大時に8兆円弱まで膨らむと予想されておりかなりの規模に拡大するが、介護関連サービス以外のマーケットも非常に重要で、言うなれば高齢社会は消費活動を行う者の大半が高齢者という社会であるということである。
さらにサービスへの価値観の多様化、高度化がある。従来の厚生行政では、介護という場面だけを特定して、技術の向上や資格制度が創設されている。しかし今後はいくらヘルパーとして優秀でも、電話の応対が拙ければ顧客から見放されることも往々にして起こる。単に介護という場面だけでなく、消費者の価値観や満足度はサービスの入り口から出口まで総体的に広がってきている。施設も今後は自由契約に変わっていくので、アメニティも含めて競争が厳しくなってくる。単なるサービス提供ではなく付加価値が問われることになる。
それから高齢社会では従来は当たり前であったことがそうではなくなってくる。今までの社会システム、社会基盤整備についても不整合を生じてくる。例えば横断歩道の信号のスピードといった交通管制、駅の改札のスピードなども、基本的に若年層に合わせたスピードになっているので高齢者には不適切であり、見直す必要が生じてくる。この他、色覚や聴覚の問題である。高齢者の多くは黄色やオレンジといった暖色系の色が識別しにくくなる。広告業界や出版業界、テレビ業界などでも、こうした色使いやテロップなどのスピード、アナウンサーの読み上げるスピードなどについての検討が求められてくる。
V シルバーサービスの動向
大いに注目されているシルバービジネスの世界であるが、参入が開始されたのは昭和50年代の後半であり、6割以上が60年代に入ってからの参入で、歴史的に浅い分野である。現在はまだ事業者のほとんどが赤字経営である。厚生省が行った平成8年の「健康・福祉関連サービス産業統計調査」によると、参入しているサービスは基本的に介護関連のマーケットである。介護は不可避的なニーズとして、ある程度確実に予想できるマーケットだし、景気にあまり左右されない。顕在化しやすいので、民間の参入も増えてきている。しかし、現在は公的な委託、助成を受けている事業所が、在宅の場合には半数近くある。中でも訪問入浴のサービスは、9割近くが委託に頼っている状態である。このように、これまでの介護関連のシルバーサービスマーケットは公的に創設されているマーケットであるといえるだろう。これは介護保険制度下においても同様であるが、「上乗せ、横出し」といった対象サービスとミックスした複合的なマーケットの創生に期待がかかっている。
このように市場の成長可能性、潜在的なマーケットに期待して、新規参入が活発化、多様化しているのが現状であり、この傾向は今後ますます加速するものと思われる。
(4)今後の医療・福祉はどう変わる
介護保険制度の導入は、社会保障構造改革の序曲に過ぎない。介護保険によって介護が医療から切り離されることで、医療保険制度の構造改革が進み、在宅サービスを中心とする医療と福祉のミックスが出てくる。特に在宅医療期にある高齢者をターゲットにすると、医療と福祉の両側面からアプローチせざるを得なくなる。医療のアウトソーシングも進むので、企業は福祉と医療を複合的に提供する形が指向されていく。
産業として発展していくにつれて生じる様々な変化に対応していかなければならない。また産業として成熟してくれば、労働市場も当然連動して成熟し、マンパワーがフロー化する。介護福祉士やホームヘルパー、看護婦などは条件の良いほうに流れていく。これまでの福祉は、なかなかそれが起こらなかった。ほとんどが公的セクターで供給されていて、半ば公務員的に扱われていたので、終身雇用的にずっとその場に止まっていられたからだ。これからは事情が違ってくる。事業者としては優秀なヘルパーや看護婦を確保したいならば、労働条件を良くしなければいけないし、福利厚生なども充実させねばならない。こうしたマンパワーのフロー化への対応が必要になる。
それからサービス供給システムの効率化という点では、福祉用具の標準化や商品コード化へのシフトをどうするかが重要であるし、福祉用具にPOSシステムを導入するなど流通の効率化が重要となる。また、海外の福祉用具が入ってくることになりこうした商品のメンテナンスなども課題となろう。さらに環境問題への対応も重要である。特に紙おむつは、地方自治体にとって大きな問題になってくる。高分子ポリマーによって多量の水を含んだ紙おむつは、燃焼温度の点で通常の自治体の焼却炉ではもたない可能性がある。ベッドや車椅子のような福祉用具にしても、使用しなくなった途端に粗大ゴミ化する可能性がある。地方自治体のごみ処理の問題も出てくるであろう。
(5)関係者全ての意識改革の必要性
従来の介護については、入浴をさせるとか、おむつを替えるとか、食事を提供するといった狭い意味での介護の供給現場だけがクローズアップされてきた。これからは介護保険の下でのビジネスの世界として、顧客満足も含めて、電話の応対から企業経営の側面から、はたまた福祉用具のごみ処理の問題まで、多面的に幅広い視点で自治体も事業者も取り組んでいかなかければならない。社会システムの変革による環境の変化へ対応していくには、保険・医療・福祉の関係者すべての意識改革が必要である。福祉サービス提供そのもののあり方も、単に介護だけを提供していればいいという問題ではなくなる。サービス業という認識も求められるようになる。
それから重要な変化として、サービス提供場面における自治体の役割が挙げられる。これまでの市町村は保険者であり、かつサービスの供給者であったが、これからは保険者機能を強化することが重要である。供給場面において供給主体が多様化するため、それぞれの供給主体の特性を活かせるプロデュースやコーディネイトといった役割で、手腕が問われてくるのではないか。介護保険の下での自治体の役割は大きく変容するであろう。
情報誌「岐阜を考える」2000年
岐阜県産業経済研究センター