座 | 談 | 会 |
内山 節 氏(哲学者)
永田 信 氏(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)
平野 秀樹 氏(林野庁国有林野総合利用推進室長)
牧野 辰雄 氏(子どもの環境デザイナー)
山田 雅夫 氏(都市設計家、(有)山田雅夫都市設計ネットワーク代表)
高津 定弘 氏((財)岐阜県産業経済研究センター副理事長)
高津 |
本日はお忙しい中、 お集まりいただきましてありがとうございます。 「多自然居住地域での地域づくり」 をテーマに、 多自然居住性と小都市のあり方などについて座談会を行っていきたいと思います。 日本の若手では林野庁の平野さんがこの分野にお詳しいと思いますので、 リードしていただきながら進めていきたいと思います。 平野さん以外には、 東京と群馬県を行ったり来たりしておられる哲学者の内山さん、 東京大学大学院農学生命科学研究科教授の永田信先生、 東京と岐阜県の付知町にアトリエを構えておられ、 木の彫刻を出展されている牧野辰雄さん、 東京のシティーライフを楽しんでおられるトレンディな山田雅夫さんにお集まりいただいて議論を自由に行っていただきたいと思います。 長期視点からとらえた多自然居住地域のとらえ方、 姿、 多自然居住地域での地域づくり、 21世紀の日本、 地域、 人の将来像などについて議論してはどうでしょうか。 先日の講演会で財界首脳のお話を聞く機会がありましたが、 彼は日本経済の再生に強い関心があるようですが、 1時間半の講演の中で多自然の話は一言も出てきませんでしたので、 自然の持つ力の大きさやその果たす役割についての認識がまだ十分でないのかも知れないと仮定すると、 もしかしたら依然として経済的な意味での効率を優先するという考え方が主流になっているのかも知れません。 ひとつは多自然居住性についての意義をみなさんからそれぞれのお立場でいろいろお話頂いたらどうかなと思います。 私自身の問題意識としては、 経済的に豊かになってひとりひとりの人生、 様々な生き方が実現可能になっているわけですから、 安心出来る生活様式とは一体どういうものかということをご議論されたらどうかと思いますね。 都市中心の生活から、 それを広げていった都市を含む自然全体の中での住まい方、 働き方に一体どういうものがあるかということについてもいろいろお話いただけたらと思います。 2点目は、 今後 「多自然居住性」 が重要になるとすれば、 その展望をどのようにみておられるかというあたりのお話を伺って、 最後にそれぞれのお立場からの具体的な事例紹介で結構ですので、 どのような展開を期待するのか、 自分としてはどういう展開をしたいのかというあたりのところをお話いただけたらと思います。 最初に平野さんからお話をいただけますでしょうか。 |
多自然居住地域のエリアイメージ | ||
平野 |
まず、 多自然居住地域のエリアイメージを考えてみると、 巨大都市や中枢・中核都市、 それから誰も住んでいないような奥山、 純森林林業地域を除いた 「地方の小都市や農・山村の居住域のやや広くなったもの」 と捉えられるのではないかと思います。 第5次全国総合開発計画の中では、 「豊かな自然環境に恵まれた地域」 ということで 「中山間地域等を含む」 と書いてありましたが、 私はいま申し上げたようなエリアイメージで少し話をしたいと思います。 この地域の人口が増えているのか減っているのかという議論が随分昔からありました。 とりあえず百数十年というオーダーで考えるなら、 戦後の一時期だけ増えたことがあったのですが、 総体的には減っていないのではないかという見方をしています。 マクロでのイメージとしてはだんだん昔に戻りつつあるのかなという気がします。 ただ、 オールジャパンで考えた時、 明治以降百数十年で9千万人ほど人口が増えたわけですが、 それらの多くは巨大都市や中枢・中核都市に集中していったわけで、 100年間の産業形態の変化を如実にあらわしています。 人口扶養力があったのは海岸部の巨大都市であり、 多自然居住地域においてはあまり人口扶養力はなかった。 これから世紀が変わり人が減り、 経済成長も思うように進まず、 横ばいの安定水準に入っていく中で、 多自然居住地域においては初めてマクロベースでの背景が大きく変わっていくのではないかと思っています。 現状を昭和20〜30年代のピーク時との比較でみると、 確かに人が大幅に減っており、 耕作放棄と森林放棄の動きが進み、 集落の構成員が減ることによって社会的機能と呼ばれるものも随分あやしくなってきています。 最も本質的な問題は、 自動車と道路の発達であったとみています。 これをどう、 21世紀に入ってとらえ、 こえていくかという点がこの地域の問題として大きいのではないかなと思います。 今日は都市にお詳しい方と山村に大変お詳しい方がいらっしゃいますので、 それぞれ実際に生活されている中での多自然居住地域のとらえ方みたいなものをお話いただけたらと考えております。 とりあえず私の問題意識としてはそんな風に多自然居住地域をとらえています。 |
高津 | ひとつは車との関係ですか。 |
平野 | 一番大きな変化は移動が極めて容易になったということで、 それこそ昔であれば市が立つ都市まで歩いて1日、 あるいは3日かかっていたのが瞬時に行けるようになってしまった。 それが農村部、 山村部、 あるいは地方都市にある小さな町を変えていった最大の理由ではないでしょうか。 さらに移動の問題に加え、 車道がつくられることによって近隣コミュニティが寸断された。 かつては路地が発達し、 道路が子どもの遊び場や井戸端会議ができる広場になっていて、 道路を介して小さなコミュニティが成立していたわけですが、 車道の発達によって失われていった。 経済効率を最優先した車至上主義が、 生活や生産のスタイルを大きく変えていったのではないかとみています。 |
高津 | そうすると、 そこにあったコミュニティというのは、 車で簡単に破壊されるぐらいの弱い絆だったのでしょうか。 |
平野 | 後で議論になるかもしれませんが、 コミュニティを結びつけていたものは産業形態であり、 その影響力が一番大きかったでしょう。 入会などの共有の資源や共同の作業がコミュニティをしっかり結びつけるひとつの仕組みになっていたと思うのですが、 農業や林業が凋落していく過程でコミュニティを支える経済的な土台が崩れていった。 先ほど申しあげたように車社会の進展は路地の破壊という部分と、 町場への移動を容易にさせたことでサラリーマン化を進め産業形態そのものも変化させてしまったという部分の、 2つの現象をもたらしたとみています。 |
高津 | 内山さんはいかがですか。 |
コミュニティの衰退による「情報」の変質 | ||
内山 | 実は私の住む群馬県の上野村でも道が随分良くなっており、 山村らしい良い道というものを考え直さねばならないというムードが村の中にあります。 初めのうちは、 村の道は細いし曲がっていますから何とか良い道をつくってもらいたいというのが村民の希望であったわけですが、 いざできてしまうと随分問題が出てきた。 住んでいる人間としては、 走りやすくなったという点では良いのですが、 道を介したコミュニティが崩れるということは間違いない。 これについては村の人たちも、 良い面もあれば悪い面もあるものだなと言っていますが……。 コミュニティが衰退することによって、 村に入ってくる情報が生情報からいわゆる情報に変わってしまいました。 以前からも車を使っていたのですが、 道が細いために途中で立ち話というのか 「車話」 が成立したり、 どこかの家に寄っていくというようなことが行われたりしていたわけです。 そういったことを通して入ってくる一種の生情報が入ってこなくなり、 都会と変わらないようないわゆる情報だけになってしまう。 生情報的なものが入ってこないということは、 情報と一緒に成立するはずの話し合いがなくなり、 データとして入ってくることになります。 今までは情報が入ってくるのと、 その場でそれが利用・加工できるかどうか考えていくというのが1セットであったものが、 そうではなくなってしまった。 |
高津 | 都会と同じですね。 |
内山 |
そうですね。 自分の住んでいる地域まで来ればまだそうした近所付き合いが残っており、 生情報が得られるわけですが、 村全体としてみると流通しなくなった。 そうすると根本的な部分で 「村らしさ」 が薄れていく。 これが村の人たちが感じている 「道路が良くなれば良いことばかりかと思えば悪いこともある」 という感覚です。 もうひとつ、 いつも不思議に思っているのは、 私の住んでいるところは農村でも小都市でもなく本当の山村なのですが、 今よりも昔の方が山村の人間はよく都会に出ていったのではないかという気がするのです。 例えば、 私の村の場合米ができない、 つまり自給自足ができないという問題があります。 また、 山を使うにしても、 森林がたくさんあった割に輸送手段があまりなかった。 これは川が細いということです。 昭和に入ってから木を切ったという村なので、 その前は木も出荷できないし、 食料も自給できないという状態でした。 それでは一体どのように暮らしていたかというと、 村の人たちが近くの都市や江戸まで出ていくことで、 ある意味で江戸経済圏の中に自分の村を巻き込んで現金収入を得ていくという仕組みになっていた。 本拠地は村なのですが、 いつも外と結びついて情報も得ているし、 それを産業化していく仕組みができ上がっていた。 それが今日では車で以前に比べればはるかに容易に江戸というか東京や群馬県の大きな都市に出ることができる。 それにも関わらず、 実際にはその結びつきはものすごく弱いものになっている。 どこかに買い物に行くというだけの関係になってしまった。 結果として、 都市と農山村の間で情報をやりとりし知恵を出し合うことによって産業を起こしていくという力がなくなっていった。 私は今日ほど交通網が発達しているにも関わらず、 ある意味で山村の人間が奥地に閉じこめられた時期はないと感じています。 外に出ていく時は本当に出ていってしまい帰って来ない。 住みながら様々な交流を重ねてそれを産業化していくという道は閉ざされてしまっています。 そういった点で、 今の村は大変苦しいわけです。 今日では誰もが勤務の都合上1年のうち360日ぐらいはどこかに定住しており、 5日間くらいは旅行している。 しかし、 これからを考えると、 むしろ暮らす場所から仕事を考えるという発想が必要になるのかも知れない。 つまり、 かつての山村にあったような移動性を内部に持った定着型という形態がこれから出てきて欲しい。 そういう視点からかつての山村を学んでも良い。 |
高津 | 交通手段や経済の発達を求めるあまり、 住みながら交流していくという貴重な経験やチャンスを自ら放棄してしまった。 単にデータの並びとしての情報は豊富に入ってくるが、 結果的に真の意味での行き来がなくなってしまったというというのは面白いですね。 |
内山 | 2つ3つのことを同時にやることができなくなってしまったのですね。 情報を得ると同時にその活用方法を話し合いで工夫してみるとかいったことができなくなった。 以前ですと、 輸送をしながら行く先々でまた情報を得ることができたし、 話し合いも成立した。 今は輸送というと、 ただトラックで目的地に荷物を下ろして帰ってきてしまうという単なる輸送になってしまった。 |
高津 | 当事者である人間の方が、 一日単位で遠距離通勤をやるとか、 一週間単位で別荘形式で2つの住居を持つとか、 あるいは2、 3年の単位で単身赴任するなどかつての居住地と違うところに住んで働く、 さらには40代以降に転居してしまうというような形でかなり意識的に生情報を得ていくための居住地選択をし、 それを可能とする移動性の担保をとらなければ、 今、 先生がおっしゃたことは実現できないですね。 |
内山 | そういう方向に多少向かうのではないかという気がしています。 居住形態も様々になると思います。 現在はどこに住むかという問題は勤務先と予算の問題だけで決定されているわけですね。 これからは 「どう暮らすか」 という視点が出てくるのではないだろうか。 |
高津 | 確かに 「どう暮らすか」 ということはあまり考えたことがないですね。 |
内山 | おそらくそうしたことを考える人は徐々に増えてきていると思います。 それがさらに増えていくと、 それぞれの人たちが無理のない形で自分に適した形態を見つけ出すことが可能になると思います。 |
高津 | 続いて永田先生お願いします。 |
多自然居住地域を支える交流基盤の確立を | ||
永田 | 今、 内山さんがおっしゃた勤務先と予算だけを考えて住むところを決めるという話は、 昔勉強した都市経済学の理論そのままのようで非常に面白いなと思いました。 本誌全体のテーマである 「多自然居住地域のありようを考える」 というテーマは面白いなと思ったのですが、 サブテーマの 「多自然居住性と小都市のあり方」 については、 何か非常に不思議な印象を受けました。 1つには 「多自然居住性」 というのが一体何なのかが非常に分かりにくい。 「多自然居住地域」 については先ほど平野さんがおっしゃたようにそれなりにイメージがつかめるのですが、 「多自然居住性」 というのはもっと抽象化されている概念だと思います。 例えば、 大都市の中においても 「多自然居住性」 はあり得ることになってくると思います。 もう1つは、 「小都市のあり方」 なんですが、 実は、 中部国際空港等を活用した広域国際交流圏整備プロジェクトに関わった際に、 広域交流圏というものを考えていながら、 「都市性」 や 「都市」 という言葉だけが出てきて、 山村や農村はどうしてしまったのだろうと思ったばかりなんですよ。 またこのサブテーマの 「小都市のあり方」 という部分を拝見して、 あれっと思ったわけですね。 先ほどのお話の中ではプラス農村山村というのがあったので、 もちろん平野さんは忘れておられるのではないと思うのですが、 にも関わらず小都市という言い方をしておられるところをみると、 おそらく何か意味があるのではないかと思っているのです。 ある種の都市的な居住性というのをここでは考えておられて、 形態としては農村や山村であっても、 居住性という点ではある種、 都市の利便性のようなものを備えたようなものをお考えになっているのかなと思った次第です。 見当外れなことを申し上げているかも知れませんが、 平野さんから後で伺えればと思います。 |
高津 | ここは我々が設定しましたので平野さんには責任がありません。 |
永田 | そうですか。 それでは後で高津さんの方から伺いましょう。 私は東京の外れの練馬で生まれ育ちましたので、 一応多自然居住性はあったのかもしれませんが、 都会に住んでいたわけですね。 そういう人間からすると、 多自然居住地域は小川や里山があり、 それを生かした居住空間を考えていくというイメージがあります。 先ほど平野さんや内山さんも話しておられましたが、 多自然居住地域の中での産業をどのように考えていくのかは、 やはり大きい問題ではないかと思います。 それから少子・高齢化時代を迎え、 子供と老人とが一緒に暮らしていける空間としての多自然居住地域を考えたい。 それを可能とするものとして、 やはり道路の問題も避けて通れないと思います。 道路の問題というのは1つには町の中の問題で、 老人も子供も交流が出来るような町づくりを可能とする道路のあり方を考えなくてはならない。 もう1つは交流という次元で、 外部とつながるための道路をどのように考えていけばよいのかということです。 大都市や中核都市に住んでいる人たちにとって多自然居住地域は、 小川があり里山がある、 行きたいところとしてイメージされます。 それをどう考えるか。 交流ということについては先ほど内山さんもおっしゃいましたが、 今後はソーホーといった形態も進展してくるでしょうから、 単に物質や人が移動するというだけでなく、 多自然居住地域を支えていくような交流の基盤というものを考えていかなければいけないだろうと思っています。 |
高津 | 多自然居住性のところはおっしゃられた通りなのですが、 例示をあげればマンハッタンのセントラルパークも多自然居住性の1つの表現ではないかと思っていまして、 大都市の中にある自然空間、 いわゆる自然環境の状態、 そして人の全然いないようなところ全部を含めて、 自然度によって連続的な変化の土地利用が想定されるという見方が1つの次元としてある。 もう1つは機能として大都市の機能と対比にある小都市の機能ということで、 その2つの軸で捉えれば良いのではないかと思っています。 前半の多自然居住地域のありようは、 最初に平野さんが定義されたように都市とは別のものとして議論されがちなのですが、 大都市的な土地利用の中においても多自然居住地域はあり得るではないかということです。 都市地域と多自然居住地域とを対比するというだけの議論にとどめるのでなく、 全体の中で自然的土地利用が多いか少ないかという、 連続して変化する空間の中での小都市の機能のありようを議論して欲しいという意味を込めて副題をつけたのです。 |
平野 | 私は、 多自然居住性というのは多自然居住地域の日常生活というイメージで捉えていたのですが……。 今高津さんが言われた様に自然が濃いところと少ないところは、 概ねグラデーション風に配置されているわけですから、 多自然居住性の捉え方は両極からそれぞれ見ると、 二通り出来るわけですね。 |
高津 | 行政的には最初に平野さんが定義された捉え方が普通だと思います。 農村・山村議論の時は広げた方が面白いかと思いまして、 あえてしたんです。 牧野さんはいかがですか。 何でも結構です。 |
多自然居住地域としての岐阜県の可能性 | ||
牧野 |
私は学者ではありませんからあまり理論的な話はできませんが、 みなさんからは、 車が非常に発達し、 それに伴い道路がどんどん整備されていったというようなお話を伺いました。 私はこうしたモータリゼーションの流れが今後もさらに拡大するとみるのか、 もう終わったとみるかによって大きな差が出てくると思います。 私はもう終わっている、 いや終わらせたい、 もう止めようという感覚を持っています。 車がこれからもどんどん生産され山奥まで入ってくるかといえば、 そんなことはないはずです。 なぜかといえば、 私はかつて広告代理店で、 あるクライアントであった自動車メーカーと関っていましたから、 日本のモータリゼーションのピークがどの時点でくるのか大体分かっていました。 ピークを迎えたあとそれを支えていくには、 各自動車のメーカーはどうしたら良いかというところまで研究されていたのです。 私もなるほどなと思いました。 1965年頃のことです。 日本の車がアメリカに出ていった時代ですよ。 出ていくことによって、 日本に金が入って来ます。 それでどんどん高級車を作り、 道路もつくる余裕が出来た。 本当に農村地域に道路が必要だから出来たわけではなく、 公共事業投資という大義名分がそういうところにいってしまってつくらされたのです。 道が出来れば車が来るという状況だったんですよ。 これからはものの考え方が少しずつ変化してくるはずです。 またそのように変わってこなかったら、 日本列島がそれこそ車だらけになってしまう。 多自然居住地域というのは岐阜県独特の地域性をお考えになったんだと思いますよ。 他の地域は全く参考にならないわけではなくて、 参考になる部分はたくさんあるとは思いますが。 岐阜県は海がない。 里に大都市とは言えない小都市のようなものが付随しているという立地条件が非常に多い。 そういう中で人々がどういう暮らし方をしているかといえば、 車と非常に密接に関係を持ちながら生活している。 これは事実です。 メーカーが企業誘致によって、 また労働力・低コストを求めてどんどん農村部へ行ってしまった。 分散していったわけですね。 部品産業であるとか特に大きいものではないですね。 今までは人をかき集めるがごとく、 いろんな部品メーカーのマイクロバスがぐるぐる回って人を集めて生産していた。 それが現になくなってきている。 それにはそれなりに道路も必要であった。 農村部でもいわゆるサラリーマン感覚的なものが育って20年以上になり、 二代目が生まれています。 しかし二代目の子供の育て方、 教育のあり方についてはきちんとつかめていないというのが現状です。 これは農村部に行くとよくわかります。 これで良いのかと考えながら生きているというのは事実ですね。 ところが最近それも少し変わりつつあるのですよ。 子供たちは本当に良いところに住んでいて良かったなと思うこともしばしばです。 そういう意味では岐阜県は多自然居住地域の良い例でこれを上手に大人とコミュニケーションを図りながらそこで何が生まれるか、 先ほど産業という話が出ましたね。 地域の産業が都会から流れきた産業に依存するのではなくて地域そのものが産業をつくっていくといいますか、 そういう事が可能になると考えられる地域性ですよ、 これが一番良いなと感じていますね。 後で多分いろんな話が出ると思いますけれど、 うちは都会生活をやっていた訳です。 そして山村生活がはじまって、 我が家から上流には人間は住んでいないというところにアトリエ、 工房をかまえて住みついている。 長男の嫁は東京、 次男の嫁は金沢の町の真ん中の生まれです。 その嫁が、 畑仕事をやりたいと言ってやり出したのです。 それが非常に面白い現象をどんどん起こしている。 後でお話しますが、 それこそゴミ問題からいろんな事柄に至る現象が生まれています。 ただし、 都会と比べて収入が減るという問題は別の問題です。 私も東京でグラフィックデザインとか広告代理店などいろいろなことをやってきました。 20数年前に郡上八幡に住んだのですが、 まず電話があれば仕事は出来ました。 原稿も書けたし、 ファックスが普及するようになってからは、 さらに便利になった。 今はインターネットがありますからもっと便利なんですよ。 どこにも出なくていい。 どうしてこんな東京まで出て来て座談会をやらなければいけないのかという感じです。 |
高津 | それはすみません。 地域差を意識されなくなりましたか。 |
牧野 | 差はないですね。 何か特別なことがなければ、 都会に出て来る意味はありませんね。 我が家においても嫁や子供たちのアトピー性皮膚炎が治ったとか素晴らしい体験をしています。 地域社会との関わりという点でも、 村のお百姓さんたちが、 嫁を手伝ってくれるんですよ。 この場所を通るといつも嫁さんは草むしりをやっているといって、 村のおじいちゃんおばあちゃんが応援に来てくれる。 ジャガイモはこうやって植えるんだよとか、 サツマイモはこうだよとか、 種がうちにあるから持っていきなさいとか、 持っていっても分からないだろうから植えてあげようとかね。 嫁の話を聞いていると、 教え方にもひとりひとり違うらしい。 教え方のみならず、 持っている種にも新しい古いがあるようです。 それぞれの方の中にそれらを伝承したいという気持ちが強くあるようです。 私はそれを聞いて面白いと思いましたね。 |
高津 | そういった人間関係の深さというか緊密さを上手く使っておられるんですね。 いや使っているというと語弊があるかも知れません、 上手く生活の中に組み込まれていますね。 |
牧野 |
それがそういうことは全く意識していないのです。 かえって意識するのはまずいと思うんですよ。 これは自然発生的なものなのです。 休耕田を使わせてもらって作物を育てているのですが、 我々の感覚では、 田借代金を年間どれぐらい払うのが相場だという感覚があるじゃないですか。 そうではなく、 使ってくれてありがたい、 どうぞもっと使ってくださいとおっしゃる。 山や自然をどうみるかという点についても、 いわゆる学問的にみるのと山の前で木を眺めながら考えるのでは大変な違いがあります。 自然が教わるというのと、 自然に立ち向かっていくというのは全く違うのです。 近所の山に入っていく山師の人たちに言わせれば山は放っておけばよいと、 放っておかないから駄目なんだということです。 これが経験者の意見です。 しかし、 私もそうでしたが、 ほとんどの人は人間の手が必要だと考えている。 事実、 ある部分においては人間が手を入れることは絶対に必要です。 今はそこにすら人間が入れなくなってしまったから自然がおかしくなってしまうという現象が起きているとは思いますが。 |
高津 | 岐阜県というのは、 私も2年ぐらい住んでみて思うのですが、 確かに、 非常に都会的なところもあれば里山のような自然的な土地利用をしている部分もある。 海抜3千メートルから0メートル地帯までバラエティに富んでいますし、 高速道路などのインフラがかなり良くなりましたから、 それを2、 3時間で体験出来るという感じですよね。 |
牧野 | 体験という事に関しても、 例えば都会の人が車で観光にやって来る。 それに伴って道路は確かに整備されていきますが、 それは観光道路だから、 そこに住む地元の人たちは決して歓迎していないわけです。 ところが都会から車があまりにも来すぎるものですから、 そういう道路をつくらざるをえない。 そこに住んでいる我々は、 単にそれを利用しているだけなんです。 |
高津 | なくても良いのですか。 |
牧野 | なくても全く差し支えありません。 ところが道路が出来るからますます車がやって来る、 来るからいろいろな問題が起こるという悪循環があります。 車でやって来る人たちは、 都会から森林浴だ何だと言って山村にくるわけですよ。 山に来るまでの中間は何も見ていない。 これが実は大きな問題なのです。 歩いて来れば中間が良く見えるわけで一番良いのです。 歩いて来れば気温の変化を肌で感じることもできるし、 植物の生態もよく分かる。 それなのに中間を省略してそこに到着地にのみ価値を見出しがちなのです。 子どもの教育においても、 今の教育は、 ただものを覚えればよいといった記憶力に重点を置く教育になってしまっています。 プロセスを体験するということがない。 山にやって来る人はほとんど子供連れか年輩です。 子供連れで短パンをはいて山に行くというので 「そんな危ないことはやめなさい、 怖いよ」 とよく止めるのです。 まむしやツツガムシ、 アブなどがいて刺されたらそれこそ大変ですよ。 我々はある程度免疫があるから刺されても大丈夫ですが、 都会から来た人はそうはいかない。 現にうちの嫁もそうでした。 |
高津 | あれは免疫が出来るものなのですか。 |
牧野 | ええ。 嫁も今は刺されても平気なんですよ。 |
平野 | 都会人と田舎人はいずれ二極分解して人種が変わるのではないでしょうか。 |
牧野 | そういう可能性はありますね。 体質が変わってしまうのですから。 吸っている空気も水も違うのだから変わりますよ、 おそらく。 |
高津 | 日本人だけでしょうか、 そういう風になるのは。 アメリカ人は結構意識して入っていくじゃないですか、 自然の中に。 |
牧野 | 自然との関わり方をご存じだからですよ。 自然の中に入るには、 それなりのスタイルやルールが必要なのです。 屋外などでバーベキューなどをやる方がありますが、 あまりのマナーの悪さにあきれることが多い。 |
高津 | ファッションになってしまっていますね。 |
牧野 | 細かいことを言いだせばきりがありませんが、 とにかくひどいです。 |
平野 | 先ほど山との関わり方の話がありましたが、 日本の森は欧米の森と比べると、 降水量や傾斜も違いますし、 加えて笹が生えていて入りにくく近づきがたいという特徴があるのではないでしょうか。 |
牧野 | 子どもが笹の生えているところに入って血を出したりすると、 今のお母さんたちは大騒ぎしますね。 |
高津 | 車社会の限界がはっきりしてきて、 生活におけるものの考え方が大きく変わり始めていると牧野さんはみておられますか。 |
牧野 | はい、 そう思います。 |
高津 | 牧野さんがおっしゃったような生活を送ることができるのは、 今の時代ある意味では豊かなグループかもしれませんね。 大都市に住んで汚い空気を吸い科学物質に侵された食物を食べて朝8時から夜遅くまで働くというのは、 人生の豊かさや生き甲斐という点からすると不幸なのかも知れませんね。 物的な刺激だけは非常に強いわけですが。 |
平野 | 道路はもう要らないという話があったのですが、 全総計画をつくる時、 首長さんなどにアンケートをとると、 圧倒的に道路をつけて欲しいとか公共事業をといった話が多い。 今のお話とギャップがあるんじゃないですか。 |
牧野 | 村長さんや町長さんが道路をつけて欲しいというのは、 お金が欲しいだけのことですよ。 そこにお金が落ちるというのは最大の魅力なんですよ。 |
高津 | そういうものでしょうか。 手段は何でもよいが、 とにかく自分の地域にお金を落とすのが重要だと。 その点道路が一番財源が大きいし、 手っ取り早いと。 |
牧野 | もちろん道路も曲がっているよりまっすぐの方がいいですよ。 ただね、 二十数年前になりますか、 高山から郡上八幡に行ったんですよ。 当時、 郡上八幡の町には信号がひとつもありませんでした。 私は大変関心しまして、 カナダやヨーロッパへ来たんじゃないかと思ったほどです。 五叉路でも信号がないのですから凄いと思いました。 私は一遍にこの町に惚れました。 信号がないということは、 そこに住む人たちの信頼関係がしっかりしているということです。 ちゃんと左右を確認するとか相手の状況を見るといった無言のルールが出来ており、 相手を気遣うということが出来た。 何年か後に信号が出来、 狭い道路にバスが走りようになり横断歩道が出来た。 郡上踊りを踊ったりする狭いところにです。 今までは向かいの家に醤油を借りに行くのにすっと行けたのが、 横断歩道が出来てからは出来なくなった。 横断歩道を通って向かいの家に行かなければならないからです。 事故が起きた場合に何故横断歩道を渡らなかったのかと言われるに決まっています。 横断歩道を渡るような面倒なことをするぐらいなら行かないという感じになります。 |
永田 | 私の祖母も横断歩道が出来た時に嫌がりましてね。 私は今までずっとこうやって歩いてきたのに、 これからは何故横断歩道に従って歩かなければいけないのかと。 今の牧野さんのお話の通りですね。 |
牧野 | 私は物事を大きな視点で捉える事はもちろん大事ですが、 もっと身近なレベルで、 建前でなくて本音でコミュニケーションしていくことが重要だと感じています。 |
高津 | 岐阜を出て東京のど真ん中に住んでおられる山田さんはいかがでしょうか。 |
再開発のフロンティアとしての多自然居住地域 | ||
山田 |
私は岐阜市の郊外に生まれて18歳まで住んではいましたが、 かなり昔の話になります。 もう30年も東京に住んでいます。 私の職業はフリーですから、 自分で住む場所を選択できます。 ネットワークの中にメンバーはいますが、 基本的に自分の住まいは自分で選べる。 独立して青山というトレンディな場所に13年間います。 バブルとかいろいろなことがありましたが、 今もいるわけです。 実はこれはある意志を持って仕事場にもしているし住んでもいるのです。 一見私の住んでいるところは今日のテーマ 「多自然居住地域」 とは程遠いような感じがしますが、 今までの皆さんのお話を伺って共通するところがあるなという気がしました。 そこであえてトレンディな話をしてみたいと思っています。 青山や原宿という街は意外にも車社会ではありません。 私もしょっちゅう歩いていますが、 表参道にはけやき並木がありますが、 あそこは700メートルぐらいにわたって信号機がありません。 ひたすら歩けます。 非常に心地良いですね。 車社会の利便性とは対極にある地域で、 幹線道路以外の道は曲がっていますし、 一歩裏側に入ると猫の道のようで、 私もそういったところを徘徊しているわけです。 お店も絶えず出たり入ったりしていますね。 私も田舎に帰ると車に乗るのですが、 道路にしてもガソリンスタンドにしてもマックの店にしても、 店構えで見当がつくわけですね。 ああ、 あそこにマックの店があるなという感じです。 そういった意味で車社会は均質な社会ですが、 私が棲息している社会は正反対でして、 この店は何かしらという店ばかりですね。 お品書きはあっても高いかなとか、 洋館風でフランス料理店のようにみえるけれど実はよく分からない店だとか、 そういうのばかりですよ。 つまりえも知れない相手だから、 私自身が店に入りたいという強い意志を持っていなければつきあえませんね。 だから自分というものが出てしまう。 そこを訪れる人もそれを前提にして来ていますから、 似たような人たちです。 そこにはまさに不思議なコミュニティが生まれるのです。 相手の顔が見えるし、 自分の意志で動く人が結構多いものですからそういった人たちが何だかんだと魅力的なことをやっている。 おそらく若者たちはそこに魅力を感じて集まってきているのでしょう。 もしそうだとすると、 多自然居住地域についても同じで、 車で来ないようにした方が良いのかもしれません。 それでもなお行きたいと思う人は、 ある意味で覚悟を持って生活されるのではないでしょうか。 そういう意味では皆さんもずいぶん似たようなことをお考えだなと、 先程来お話を伺っていて思いました。 もうひとつ申し上げたいのは、 多自然居住地域は21世紀のフロンティアであるということについてです。 多自然居住地域は今まで全く手がつけられていなかったとはとうてい思えないわけで、 今までそれなりの役割は果たしてきたであろうが、 もう一度新たな役割を与えていくということになるかと思うのです。 そうした意味でこの地域は再開発のフロンティアにある。 都心の青山なども、 まさに都市再開発の最たる地域でして、 絶えず新しい動きがある。 そこに来る人はその人の責任において来る。 新聞でもよく紹介されますがアパレルのお店などもとにかく出入りが激しい。 原宿の裏通りなどは出店して1ヵ月もしないうちに、 お客がないと思えばさっと出て行ってしまいます。 そういうところは保証金もありませんから、 とにかくアンテナショップとして出しておけば良いという世界です。 そこにあるのは無難にやるというのではなくて自己責任の極限ですよね。 だから自分のありようが出てしまう。 それでもそこの地域が魅力だと思う人はそこに来るというように考えると、 多自然居住も、 先ほど藪の中は怖いという話もありましたが、 なお付き合いたいと思えるかどうか。 究極は自分自身の問題かなと思うのです。 現在、 牧野さんは恵那郡にお住まいですが、 高山や郡上八幡にも住んでおられたと伺いました。 牧野さんの場合も自分で選ばれていますよね、 そういうところを探して住んでおられるわけですね。 |
牧野 | 探して探して、 探し当てて行ったんです。 日本中探したというぐらい。 |
山田 | 牧野さんのようなスタンスの方ならば、 おそらく多自然居住地域を受け止められると思います。 |
自然の原点としての土 | ||
牧野 | 今、 ガーデニングが非常に流行っており、 一般家庭にもごく普通に取り入れられています。 あれも、 多自然とまでは言えないにしても、 隣近所や環境を考えつつ自然との関わりを持ちながら生きていこうという表われだと感じています。 非常に意味があることで放っておくことはない。 ガーデニングが今後どのように発展していくかを考えた方が良いと思います。 私は、 次は食べ物を自ら作るという方向に発展していくとみています。 皆がそうではないにしても、 その可能性は大きい。 |
高津 | 市民農園ですね。 |
牧野 | たくさんは作れないにしても、 自分の食べるものは自分で楽しみながら作ってみようということになると思います。 土を触るということはそういうことです。 農にかえるところまではいきませんが、 近いところまでは行きます。 都会でも出来るはずです。 全ての人が花から野菜づくりに向うとは限りませんが、 ちょっとしたきっかけによってそれが可能になる。 テレビなどで紹介したら多くの人が興味を持つでしょう。 そうするとどういった良い現象が起こるか。 わが家の例をお話したいと思います。 まず生ごみですが、 今までは自分の土地に埋めたり、 ショベルカーで大きな穴を掘ってもらいそこで燃やしていた。 ダイオキシンの問題が取り沙汰されるようになって、 生ごみを燃やさずに回収所に出すようになりました。 これも畑を始めると変わってくるんですよ。 畑をやりだすと肥料が欲しくなるわけで、 生ごみを使うようになる。 ジャガイモやサツマイモも今まではスーパーで買っていましたから、 野菜の皮をむいても全部捨てていた。 自分がお金を出して買ったのだから皮を捨てようが勝手だというわけですね。 それが自分で苦労して農作物を育てるようになると、 愛着が出てくる。 自分が作ったイモは皮まで食べてしまうとか皮を刻んで揚げ物にしようとか、 それほど可愛くなるものなのです。 食べ残しは全部肥料にして使おうという気持ちが自然と芽生えるんですよ。 |
高津 | 生き方の根本が変わり始めるのでしょうか。 |
牧野 | それは間違いないと思います。 東京のうちの周りもそうですよ。 ブロックの上などいろいろなところに花をいっぱい植えているんです。 うちの前もやって下さいと冗談で言っているんですが、 自分のところで出来た種を増やして鉢をどんどん増やしていく。 私が住んでいるところは私道ですから、 隣の家までずっと続いている。 それは初めはほんのちょっとしたものからスタートしたわけです。 そのうちきっとトマトやピーマンを作り出しますよ。 美味しいと感じるんですよ。 他人にとっても美味しいか美味しくないかは分かりませんが、 「私が作った野菜だから、 お父さん食べてみて」 という感じなんですよ。 何の農薬も使っていませんよという感じでね。 |
高津 | 人間として生きているという証でしょうか。 |
牧野 | そうだと思いますね。 |
高津 | 日本人というか人間は、 そこを原点にしないと本質的には安心出来ないんでしょうか。 |
牧野 | それこそ先ほどのお話のように、 周りから公害問題や環境問題のいろいろな情報がどんどん入ってきます。 そうすると環境汚染はどうにもならないのかしら、 信じられるのは何なのかしらと、 一般のお母さん方も疑問に思っておられると思います。 ちょっとしたヒントやきっかけがあれば、 大きく変わる可能性がありますよ。 ほんのちょっとしたことですが、 非常に勇気がいることかも知れないし、 すっと入っていけることかも知れない。 ひょっとすれば、 Uターン現象を起こさせるようなことになるかも知れない。 |
高津 | その可能性を持っているのが多自然居住地域ですね。 山であったり、 土ですかね。 |
牧野 | 土ですね。 自然というのは土ですから。 多自然というのは自然の原点である土があるということで、 土がなくて多自然というのはありえないでしょう。 |
永田 | 少なくとも 「多」 自然ではありませんね。 |
平野 | 職の問題がありまして、 山においても個人で勝負が出来る山田さんや牧野さんのような方は自分で居住地を自由に選択することが可能だとは思うのですが、 多くの人がサラリーマンというこの日本の現状では、 やはり会社が都会にある限り、 なかなかおいそれとIターンやUターンは出来ないというのが実情ではないでしょうか。 |
高津 | 売り上げが50億ぐらいで従業員が100人ぐらいの超一流の中堅企業が多自然居住地域に数多く立地したとしたら面白いと思いますね。 |
平野 | 東京から出ていった企業の話をよく聞きますが、 調べてみますと東証一部上場の企業は大体、 名古屋と東京のベルト地帯以外には移っていませんよね。 |
高津 | 実態はそうだと思います。 |
内山 | 農村地域あるいは小都市も含めましてベッドタウン的な雰囲気が多少なりある地域においては、 どこかの企業が出てきた場合に、 良い方向になるかどうかは別にして職の問題が解決されますから何らかの動きはあるでしょう。 しかし、 ベッドタウン的要素を全く持っていない地域、 例えばわが上野村などはそうですが、 そういう地域においては企業が進出したことによって活性化することはまずないでしょう。 なぜかというとそこに住む若い人たちは、 サラリーマン的生活をしたくない人たちだからです。 だからそこに企業が来ても少しも魅力がないのです。 「村を活性化させるには何が必要ですか」 というアンケートをすれば、 まず 「働く場所」 に丸をつけるわけです。 おそらく私もアンケートが来たらそう答えるでしょう。 それはなぜかといえば保険のようなものですね。 何か困った時に働く場所があったら有り難いというだけの話です。 だから、 困っていない限りはそうした企業には働きに行かないですね。 うちの村にもUターンの人もいますがIターンの人もいます。 Iターンの人はみんな元サラリーマンです。 中には学生からすぐ来たという人がいますが。 みんな農業なども含めて自営といえば自営ですね。 ニワトリを飼っているとか木工をやっているとか、 そういう生き方です。 勤めることをあまり希望していない。 収入の範囲内で生活できれば良いと。 収入が何十万円ないと生活出来ないという暮らしをしたいなら都会に行きます。 そうではなくて、 自分で得た収入のなかで、 工夫して暮らすために村に住んでいるというタイプなんですね。 ですから、 極端な話、 月給が300万円という企業が進出してきた場合は知りませんが、 常識的な範囲内では活性化の魅力にはならないでしょう。 |
高津 | そうなりますと、 自ずと扶養する人口には限度がありますね。 |
内山 | その点では工夫の余地はありますけれどね。 平野さんが最初におっしゃったようにもしかすると適度なのかも知れない。 もうちょっとやる余地はあるという気がしますが、 5倍にするとか6倍にするというようなことはない。 |
平野 | アメリカなどでテクノルーラル運動というのがあるそうです。 高学歴で収入も多い人たちで山田さんのように個人で商売ができる人たちが、 上野村のような所にぽーんと移り住むというようなことが、 ずいぶんもてはやされているようですが、 日本の場合はまだ少数ですね。 |
高津 | アメリカの場合は大都会から離れることが非常に価値あることだという意識があるのではないでしょうか。 大都市から中都市、 中都市からさらに山奥へ移り住むのがリッチだという価値観です。 必要があればヘリコプターか何かで行けばよいし、 後はパソコンを見ていれば良いというところがあるのではないでしょうか。 |
日本列島の公園化を | ||
牧野 | 先ほど、 日本の山の自然は外国とは違うのだとおっしゃいました。 急斜面であるとかそこにある植物の生態がまるっきり違うという点は確かです。 ただ、 私は山に入ろうという気を起こさせる環境を整備することが大事だと思うのです。 先ほど、 高津さんがマンハッタンにある大きな公園は一種の多自然地域じゃないかとおっしゃいましたが、 そういいう考え方が大事だ。 例えば、 富士山ではまずいにしても、 八ヶ岳かどこかに例えば首都機能移転などに伴って大きなビルが建ち大勢の人が来たとしても、 周りがそのままで良いはずがない。 マンハッタンと同じように環境を整えていかなければいけないと思いますね。 要するに公園化なのですよ。 こんな小さな日本列島は全部公園にしても良いぐらいだ。 ただ山にも国・県・町・村有のものと私有のものがあるので難しさはありますが、 私の夢は日本列島公園化なのです。 |
高津 | 今回の全総計画でもガーデンアイランドと言っていますから、 おそらく国土を総合化した理念としては公園化したいと考えているのではないでしょうか。 |
牧野 | 公園にするならば、 それこそ非常にアクセスの良い道路が欲しくなってくる。 その代わりマナーだとかいろいろな点できちんとした人間が育っていかなければならない。 それこそ何十年先になるか分かりませんが。 日本はそういう夢を持てる国だし、 持てる立地条件もある。 四季があって景色といい風景といい自然といい、 素晴らしいものがある。 ただいきなり日本列島全体を公園化するといっても無理ですから、 まず岐阜県のような特定の地域に本当に素晴らしい公園をつくるのが一番良いと思います。 私は登ったことがないので知りませんが、 富士山に登るととても汚いそうです。 今はエベレストもそうらしい。 なぜ汚くなるのか。 ただだという意識があるからでしょう。 極端かもしれませんが、 私は山に登るのにお金をとれば良いと思うのです。 富士山を登るのに最低1万円ぐらいとるとかね。 大切な公園なのだから、 そこに入るには当然入場料が必要だというようにしていくべきでしょう。 そのかわり、 山に飲み物や手洗い所をきちんと用意するのです。 今はやっておりませんが、 私はゴルフが大好きで、 ずっとやっていた時代があります。 あるゴルフ場に行った時には飲み物が全部無料でした。 最近のゴルフ場には自動販売機が並んでいますが、 そんなものがあると、 自分でお金を払ったのだから捨てようが何をしようが勝手だということで、 あちこちが汚れるということが出てくる。 ちょっとOBのところに入ってみますと、 空き缶がごろごろしています。 これではたまりません。 ところが、 ただで飲んでも良いということにしますと、 不思議なことに周りもあまり汚れることなく、 しかもあまり飲まなくなるのですよ。 これは一つの手であると思いましたし、 人間の心理は面白いものだなと思いました。 |
高津 | 多自然居住地域の自然には手をつけない方が良いという価値観なり美意識のようなものがありますが、 牧野さんがおっしゃったように、 日本人は自然に対して常に手を加えてきましたよね。 今は都会生まれの都会育ちの人が多くなってきましたので、 そういう人々が自然になれ親しむようにするには、 ある部分を公園化した方が良いのかも知れません。 |
永田 | 多自然居住地域は全くの森林で人がいないようなところではなくて、 私はむしろ人間が手を入れているところだと思っているのです。 つい先日、 岐阜大学の森林生態学の先生のお話を聞きました。 彼はフィールドが岐阜なので、 岐阜の森林のどれぐらいが原生的な自然であるか調べたようです。 岐阜県は8割が森林で高知県について2番目に森林率が高いのですが、 原生環境保全地域だとか自然公園の特別保護地域など、 森林の中で制度上、 原生的な自然となっているところがどれぐらいあるかということを彼が計算したところ4.8%なんだそうです。 おそらくこの数字は全国平均からするとかなり高い割合だろうと思うのですが、 それでもそんなものです。 4割が人工林で、 すなわち植え込んだところですが、 人工林率は全国で26位だそうです。 ちょうど平均ぐらいですね。 原生的な自然の5%と人工林の40%を除けば、 残り55%がそれ以外になるわけです。 植えたところでもなければ原生的な自然でもないところというのはざっと55%あるわけです。 岐阜県以外のところですと、 これがさらに高くなる可能性があります。 それが多自然居住地域にあたるのではないかと考えられるわけです。 今はあまり手入れがされていないが昔は人が手を入れていたと考えられるところで、 しかも植えたわけでもないという場所がそれぐらい残っているんです。 日本の山林は急峻であって湿度が高いために入りにくいというのは確かにあるかも知れませんが、 昔はそれでも使ってきたわけですね。 それからすると今の日本人はあまりに山に入らなさ過ぎます。 |
高津 | それは牧野さんがおっしゃったように、 今は簡単に東京から恵那郡の付知町などに行けることもあるでしょうね。 かつては平野さんがおっしゃったように、 何らかの形で人が手を入れてそこに多くの人が住んでいた。 ある程度人の手が加えられた自然環境を、 住まう上でも、 働く上でも、 楽しむ上でもうまく使いこなしていたのです。 自分の親の世代にはそうした体験があるのですね。 今の都会生まれ都会育ちにはないのです。 こうした六本木のような場所と対立する概念として自然があって、 それとうまく共存できないというか……。 |
永田 | 六本木から山の中に行こうとすると相当覚悟しなければ……。 |
牧野 | 青山祭りというのがありまして、 太鼓を叩いたり、 お店が出ていろいろなことをやるのです。 「青山祭りの何か良いアイデアはないでしょうか」 と私のところに相談に来たので、 即座に 「青い山と白い山をくっつけたらどうですか」 と申し上げました。 青い山と白い山をくっつけると、 青山と白山になります。 私はブルックスブラザーズによく行くものですから、 「あのブルックスブラザーズが白山の麓とか、 とんでもない山奥にあったとしたらあなたはおかしいと思いますか」 と尋ねたのです。 普通はおかしいと思いますよね。 でも、 北陸だとか金沢は今や大都市ですよ。 車があるのだからそこに住む人たちがさっと行けるような条件を整備すれば決して非現実的な話ではない。 そうすれば青山の人達も白山にさっと行けるのですよ。 行かざるを得ない状況を作る結果になるわけですよね。 遊びだとか家庭サービスという次元ですと遠いということになってしまうのですが、 そこに経済性が結びつけば、 さっと動けるんです。 |
高津 | 最も洒落たブルックスブラザーズが、 日本では白山の麓にありますよということですね。 |
牧野 | 大変なことですよ。 面白いですよ。 |
高津 | 東南アジアから雪を観がてらやって来るかもしれませんね。 青山などつまらないと言って。 |
永田 | 中部国際空港としては嬉しいですね。 |
高津 | そういう展開がなぜ日本は出来ないんでしょうか。 |
牧野 | 先ほどもおっしゃっていましたが、 アパレルがふっと3日でいなくなってしまう。 |
高津 | 開放性がないのでしょうか。 常識的ではないかもしれませんが、 実験的でもいいから様々な試みがなされれば非常に面白い生きざまがあちらこちらで見られるようになりますよね。 |
牧野 | 今は特に生活が郊外型でしょ。 大都市の車が入れないようなところではなく、 国道沿いや新しい道にファミリーレストランなどが一杯出来て、 若い人達がどんどんそこへ行くわけです。 だから、 その気さえあれば、 ちょっと足をのばして行けるということです。 |
平野 | コストパフォーマンスの面では大丈夫でしょうか。 今、 旅行客は増えていますが単価は下がっているらしいですね。 それでも白山まで行こうとすれば往復3、 4万円はかかるし、 泊まれば5万円はかかるでしょう。 わざわざその店のためにというのはよほどのことがないと現実には……。 |
高津 | 小樽や函館のガラス店に女の人たちが飛行機に乗って行くじゃないですか。 |
平野 | それはパックツアーか何かですよね。 |
高津 | オペレーションを上手く考えればクリアできそうな気もしますが。 |
牧野 | あくまでも主体は金沢や富山のあたりの人たちが行けるということで、 何も東京からそこへ行く必要はない。 東京の人は青山へ行けばいいのだから。 |
高津 | そういうのもこれからはかなり現実味を帯びてきそうですね。 もちろん青山にも当然店はあるのですが、 それと同時に全く違う環境の中にもあれっと思うような一級品が置いてある。 もちろん東京からの集客も期待するのですが、 近傍の大都市から主としてお客を集める。 高速道路網の質が高くなりネットワーク化されたということが前提としてあるのですよ。 |
内山 | そういう形でなければ一杯あるのではないでしょうか。 美味しいそばを食べたいというような時に、 例えば、 長野県の何々村のそばというのがいくつかありますよね。 私たちもそのためだけにわざわざ行くことはありませんが、 近くに行く用事があれば行きます。 |
高津 | それはその土地の持つ自然的機能の延長線上のものだと思うんですよ。 それはそれで村おこし的にたくさん生まれた方が良いと思うのですが、 それに加えて、 マンハッタンの中にセントラルパークをつくるような、 極めて都市的なものを生み出していくことが重要だと思います。 それは人材でもいいし、 お店でもいいし、 産業施設でもいいんですよ。 |
内山 | アメリカの場合は、 自然を壊してそこにぱっと人工的な街をつくっていくという歴史を持っていますが、 日本の場合は違うわけですから。 最近、 農山村に行ってつくづく感心するのは、 美味しいパン屋が増えたことです。 良いパンを焼いているところが沢山ありますよね。 |
牧野 | 白山と青山をくっつけるという話をした時に、 こういうことも申し上げました。 白山ではイワナを焼いており、 これがよく売れるんですよ。 ぷーんといい香りがするから行列になっているほどです。 それを青山に持ってきて売れば良いではないかと。 本当に良い匂いを発していますから、 きっと青山でも売れるますよ。 そこに交流が生まれる。 |
内山 | 最近、 フランス料理のうまい店がとんでもない山奥にありますよね。 |
高津 | あれはふるさと創生で施設をつくったものではないでしょうか。 |
内山 | いや、 ああいった施設ではなしに、 個人でやっているものです。 よくこんなところで商売が成り立つなと思うようなところでも美味い店があるんですよ。 ただしそういう店は食堂的な部門と両方持っているのです。 いくらなんでもフランス料理だけではやっていけませんから。 |
牧野 | それにはそれなりのアイデアが一杯あって、 例えば、 結婚式をお寺やお宮さんなどでやってからフランス料理屋へ帰ってくるのです。 そこで披露宴をやるという形式になっている。 こうした店が大宮にあるのですが、 大変感心しました。 |
内山 | ブルックスブラザーズはともかくとしまして、 そういうものは出来ていると思いますね。 私は昔はそういうものは山村や農村の方がたくさんつくられていたと思うのです。 先ほど申し上げたように自分自身で交流をしながら。 今から見れば古いものですけれどね。 |
高津 | 当時は最新だったのでしょうか。 |
内山 | そうですね。 ある村の下駄屋なんですが、 3代ぐらい前に7年間修行に行き下駄の技術を覚えて村に来たのです。 当時はその村においてはなかなかのものであったのではないでしょうか。 |
山田 | 青山の話をしますと、 若い女の子たちの生態を毎日見ていると分かるのですが、 所得の多い少ないに関係なくこだわりがある人が結構多いのです。 例えばジャガイモなら皮のついたものしか食べないとか。 南青山にはそういうこだわりのあるお客さん用にナチュラルハウスという店があるのですが、 スーパーのものに比べて価格が3、 4倍高くても、 皆おしみなく買いますね。 そこのお店にはジャガイモやトマトなどがありますが、 岩手県の何々村の誰々が作りましたという写真があるんですよ。 こういうものが20種類ぐらいあってしょっちゅう入れ替わるんです。 卵などもスーパーに比べて4、 5倍はするんですよ。 形も色も不揃いで美味しくないのですが自慢の卵ですというキャッチフレーズでね。 これが売れるんですよ。 ナチュラルハウスは途中は手助けしますけれど、 おそらく農家と消費者がほとんど直結しているんですね。 ということは、 この農家はかなり潤っているなということが分かるんですよ。 岩手県とか新潟県とか随分遠いところのものを売っているのですね。 |
高津 | どうしてそういう消費者は自分で作るという行動に出ないのでしょうか。 |
平野 | 土地がないからですよ。 みんなマンション住まいだからです。 |
高津 | 引っ越しをするとか週末に行くとか。 |
平野 | そこまで職業がついていかないんですよ。 個人で勝負出来ない人なんですよ。 |
山田 | 職業的な問題ですよ。 |
高津 | 牧野さんも内山さんもそういう意味では自由業というか、 組織には属していませんよね。 |
牧野 | 今日、 車内吊りをみていましたら 「マンション住まいは七年寿命が短くなる」 というコピーが目にとまりました。 どのような根拠で計算したのか分かりませんが、 これは効くなあと思いましたね。 若い人はともかく、 ある程度の年代になってくるとね。 まあまともに受け止めればの話ですが。 |
高津 | 私のように50代になってから居住地を選択するというのはかなりリスキーですね。 そのまま趨勢で流れていく方が楽だという期待あるいは願望が、 もしかしたらあるのではないでしょうか。 |
平野 | 先ほど話が中途になっていましたが、 都会にずっと住んでいる人が田舎に移るタイミングというものがあるんじゃないですか。 その基本像のようなものがまだちょっと見えないですが……。 自由業の方はいけると判断した時点で踏み切って、 それで奥さんも引っ張っていけるのだと思うのですけれど。 |
高津 | 我々の世代前後は田舎から都会に来ているんですよ。 その逆のパターンが確立されていないんですよ。 それは不安だからではないでしょうか。 |
平野 | 団塊世代は踏み切れないという現実が確かにありますね。 |
牧野 | みんながみんな出る必要はないし。 |
高津 | 1割ぐらいでいいんですよ。 |
牧野 | こういう地域から都会へものが出てきて、 生産と交流が行われる、 しかもそれが大量に行われるシステムというものはちょっと考えなければならない。 少量で良いのです。 大量に対応するというのは農村は不可能ですから。 みんな小さいのだから、 小さいもの同士がつながりを持つ。 最初は親戚同士とか職場のかたまりのようなレベルで良いのです。 あまり大きなレベルでものを考えない方が良いと思います。 |
高津 | 誤解しないでほしいんですが、 大企業や大官庁に20年から25年勤めて次のジョブパスを選ぶという時に、 農産物しか出来ないところですとちょっと考えますよね。 自分に自信がないせいなんでしょうが、 不安で踏み切れないと思うんですね。 個人として力がないと言われればその通りで、 そこがものすごく悩ましいところじゃないでしょうか。 |
牧野 | 私だったら、 まず社長から説得していきますね。 |
永田 | ベビーブーマーの人たちはそろそろ定年をむかえる頃で、 これから10年ぐらいの間で非常に多くの方が辞めることが予想されます。 大企業は制度としてそうなっていますし、 中小であっても実質的には退職になっていくわけです。 これから10年ぐらいの間にすごい大移動が起きるだろうと思っているのですが。 |
平野 | そういう人達は今さらUターンはされないのではないかと思います。 |
高津 | 東京に残っている人たちはしないでしょうね。 |
平野 | 実家には帰れないというか帰らない。 そうするとJとかIになりますね。 移住あるいは定住するジェネレーションの基本像が今ひとつ描ききれていないのですが、 本当はそういう人たちのライフスタイルを提示して、 こんなパターンで暮らせますよということを知らしめることが出来れば、 安心してその道に入れるのではないでしょうか。 |
高津 | 団塊世代は青年期から中年期に至るまでほとんど土をさわっていないのですよ。 だから急にさわれと言われてもさわれないのです。 人のほとんどいないところでは本能的に不安になるのではないでしょうか。 |
内山 | 最近はかなり勇気のある方もいらっしゃいまして、 50歳ぐらいで田舎に来る方が結構みえますけれど、 3分の1ぐらいは単身ですね、 奥さんのところには居られない。 昔は仕方なく都市にいたのですが、 最近は 「お前はお前で好きにしろ、 私は私で好きにする」 という感じですね。 だから50代前半ぐらいから村に来る人の2、 3割は間違いなく単身赴任です。 |
高津 | そういう方はどのように生計を立てているのですか。 |
内山 | そういう方たちは、 お金を使わなくても暮らせるような暮らし自体が目標なんですね。 ただしゼロという訳にはいきませんが。 ある程度の収入を得る方法は皆さんいろいろ工夫して以前から考えている。 |
平野 | 単身で乗り込まれてきた50代の男性というのはどういう場所に定住されるのですか。 村で作った新しい住宅ですか、 それとも…… |
内山 | 個人によって違いますが、 古い住宅を希望する方が圧倒的に多いですね。 しかし現実には古い住宅がないですから、 新しい住宅を建てるというケースが多いですね。 単身ですから大きな家はいらない。 |
平野 | 山田さんが多自然居住地域は再開発の空間として面白いんじゃないかと言われたんですが、 わたしはぴんとこなかったんです。 一般的に再開発というのは中心市街地の建物を一度壊して高い建物を建てるということですよね。 多自然居住地域での再開発というのはどういうものを指すのですか。 |
山田 | 例えば、 都心では臨海部はともかくとして、 窓からの眺めが良いという環境はあり得ないし、 まず望めません。 都市に住む人間のわがままかもしれませんが、 都市で暮らす中でどうしても実現不可能な部分が結構あります。 多自然で季節感のある環境の中で、 少なくとも窓を開けると家のない景色が広がっているという環境をもう一度つくりたいと思うのです。 多自然居住地域というのは手づかずのところではなく、 今までも使われて来たところだと思うんですよ。 逆に手づかずなところは人が住んではいけないような気がするのです。 日本は歴史があるから一時期はかなり使い込まれたところだと思うのですが、 それをもう一度整えていくということです。 それは車社会のアンチテーゼでもあるんですね。 車などなくても良いから、 とにかくうねった道のある、 ヨーロッパの中世の街みたいなイメージになるかもしれませんが、 みんなが集まって住むというイメージがあるのです。 |
平野 | 例えば、 農村集落が30戸あればそれを今風に作り変えてしまう? |
山田 | 作り変えるという事でしょうね。 |
牧野 | いわゆる昔からの日本家屋があり、 日本の風景というか童話の世界のような風景があったのです。 今は非常に安易に家がぽっと建っています。 ほんの1ヶ月ぐらいの間で、 土台を組んでいたかと思うと建ってしまうという、 昔の建物からみれば異様な家がぽこぽこ建っている。 それをみると、 周りの自然をどのように考えているのかなと思います。 もう少し居住地域や居住空間を考えて欲しいと私は思うんですよ。 そうした住宅を建てるのは若い人たちなんですよ。 若い人たちの家を買うという感覚は、 極端なことを言えば自動車と同じなんです。 50歳、 60歳といったある程度の年代の人が家を建てる感覚は、 100年持たせようという感覚ですが、 30代ぐらいの人はそんな考えは持っていない。 今すぐ良い生活をしたい、 良い住み方をしたい、 なるべく早くて安ければいい、 月賦で買えればなお良いと。 何々ハウジングといった大企業の営業マンがやって来てパンフレットを見せてすぐに建ててしまうのです。 それを規制することは出来ませんが、 周りには緑や山や川などのいろいろな風景があるわけですよ。 自然とどのようにマッチさせるかという観点はおそらく全くないでしょう。 営業活動としては一軒でも多く家を建てれば良いのですから。 それは車の生産・販売と非常によく似ていますね。 これはまずいと内心私は思うのです。 私にはそれを止めることは出来ませんが。 |
平野 | そういう意味からすると、 規制緩和の時代には逆行するかもしれませんが、 農村にこそ都市計画のマスタープランが必要なのかも知れませんね。 |
牧野 | この間、 私の作品が見たいと言って家へ欄間の業者が来たのですよ。 欄間を実際に彫っているしセールスもやっているそうです。 欄間というのは、 昔の家では火をたいた際、 煙を逃がすためのものです。 今はアルミサッシがあるから、 欄間があっても意味がなのです。 そればかりか暖房は保てないし、 エアコンは無駄遣いになってしまう。 なぜいつまでもあんなものをつけるのかと私は不思議に思っています。 欄間を横ではなくて斜めにしたらどうかとか、 それに合わせて居住環境やデザインを変えるという発想がなければ、 今後はいくら欄間を作っても売れないのではないでしょうか。 燃料が変わってきたから、 農村の家が良いとは一概に言えない。 欄間だと非常に寒いのでサッシに変わってきたのですよ。 ところが、 外側の風が入ってくるところだけ変えているわけです。 本来、 地域によって寒さだとか降雪量、 降雨量の違いによって居住環境の整備の仕方が変わってしかるべきです。 昔はそれらに対応して瓦にも重い、 軽いがあり、 色も黄色とか黒とかいろいろあった。 今はそれがまるっきりない。 |
高津 | もう一度そういう風土性を作り出さないといけないですね。 |
牧野 | それを考え出す人間が育って欲しいですね。 |
高津 | トータルで考えて実行する人が要るんでしょうね。 |
山田 | 建築学会の委員会活動で先日も20代を中心に、 今風の新しいモデルハウスと昔風の土壁のある農家の家のような味わいはあるのですが何となく薄汚れた家とどちらが良いですかと尋ねると、 哀しいかな9割以上は今風のお洒落な家が良いと言うのです。 建築などを専攻している残りの1割弱の人たちは、 古いものの素晴らしさを認めるという価値観を持っている。 古いものの良さを認める傾向は、 比較的建築学科の学生さんにまだ多いらしいのです。 彼らの声を社会運動にまで高めればよいのですが、 どうも建築学科の授業は農村の家ではなく、 お洒落なビルの方に行ってしまう。 多少古くさくとも、 時間の経ったものの素晴らしさを理解出来る人は、 そこそこいることはいるんです。 |
平野 | どうして都市の方に目がいってしまうのですか。 |
山田 | 建築学科にいくとやはり丹下健三から始まって鉄とコンクリートの建物になってしまうのです。 そういう教え方をしているのです。 やはり、 ヨーロッパ・アメリカ至上主義でやっていますから。 |
高津 | お時間も経ちましたので、 展望とご自身の期待を含めてお1人ずつまとめを含めてお話頂けますでしょうか。 平野さんからいかがでしょうか。 |
アメリカ型車社会の見直しを | ||
平野 | 今、 アメリカの話が出たのですが、 戦後のわが国は、 経済も政治も全てアメリカ神様という感じで見習ってきました。 ですけれど、 いよいよ世紀が変わろうとする時、 アメリカ型の車社会への反省も込めて日本型の多自然居住地域のあり方を考えていくべき時期にあると思います。 もちろん、 日本経済をリードしていく役割をもった東京、 名古屋、 大阪などの巨大都市はアメリカナイズされることによって日本を牽引していく必要がこれからもあるかも知れませんが、 そこに定住する人たちも年の何日かはリゾート地にあるような良好な環境の場所とスムーズに行き来できるようにしていくことが必要でしょう。 また、 人々がもっと良い環境で暮らせるよう多自然居住地域内部での職や子供の教育の問題をもっと真剣に考えていくことが重要です。 さもなくば、 働き場所が東京にしかないという状況はこれからも続くでしょうし、 受験戦争がますます激化する可能性があります。 都会しか知らない人がますます増えていって、 先ほどの話ではないですが、 「特殊な都市人」 が増えていく。 これは国として見た場合に相当危ういことではないでしょうか。 少なくとも2つ以上の土地での生活を経験し、 もっと土を知り、 視野を広げることが重要でしょう。 いつまでも日本も順調ではないですから、 保険をかけるという意味でも多自然居住地域の使い方やそこでの暮らし方を考えていかなければならない。 もっとも、 きれいごとだけでは進んでいかないのがこの世の中ですので、 崇高な理想や理念ももちろん必要ですが、 人間が本来持っている嫉妬心とか強欲の部分を多自然居住地域に暮らしながらも競争原理という形で上手く生かして自立出来るような仕組みづくりをしたり、 多自然居住地域の極と極とが良い意味で競い合えるような形にもっていかなければならない。 課題は多いのですが無限の可能性がありますし、 今後、 多自然居住地域への関心はますます高まっていくことでしょう。 |
高津 | 人は増えないかもしれませんね。 |
平野 | 増えません。 |
高津 | 内山さんはいかがですか。 |
飽きた時に世の中が変わる? | ||
内山 | 17世紀のイギリスの経済学者であるウイリアムペティーは、 経済学書を世界で初めて書いた人と言われています。 実際にはどうかわかりませんが、 それはともかくとして、 ペティが経済社会を作っていく上で困ると言った人たちがいる。 それはアイルランドの農民です。 彼らは何でも自分でつくってしまう。 食べ物も洋服も自分でつくるし、 家まで自分でつくってしまう。 それでいて必要以上には働こうとしない。 アイルランドの農民は、 1日2時間以上は働かないとペティは書いています。 本当に2時間以上働かなくて大丈夫だったのかは定かではありませんが、 それでも満足して暮らしている。 こういう人たちは経済の発展を妨げるし、 国を弱くしてしまうということで、 ペティは農民にもっと商品作物をつくるようにとすすめました。 その本によれば、 アイルランドの農民は貨幣を用いない生活をしているそうですが、 貨幣を用いる生活をしてもらわなければ経済社会が作れない。 これは1600年代の書物です。 ペティに従ったわけではないのでしょうが、 世の中はそういう方向で動いてきました。 現代社会においては、 アイルランドの農民のように徹底した生活は出来ませんが、 1日2時間ぐらい働いて全部自分でつくって生きていくという暮らし方は魅力的です。 それも1人ではなく村全体がそうした暮らしをしているならばもっと魅力的ですね。 近代的な経済社会発展の歴史は、 人々を市場経済に巻き込んでいった歴史であったわけですが、 逆に、 アイルランドの農民のような暮らし方に魅力を感じている人たちが確実に増えてきているのではないかという気がするのです。 おそらく、 そういう動きと結びついて多自然型居住地域が見直されていくのではないか。 非常に合理的で先進的なイメージで多自然居住地域がつくられていくのではなく、 むしろある意味で元に戻っていくということをはらみながら、 必ずしも合理的ではないのだけど、 そこで暮らすのも悪くないと思うようになる。 そんな気がするのです。 どうしてそういったことを望む人が増えているかというと、、 昔から社会が変革されるという時は、 牧野さんのように先駆的な人がいて、 世の中の様々な矛盾を変えようということになるといったことがまことしやかに言われますが、 それは神話ではないかと思っています。 歴史をみていくと、 あまりそのようにして変わった例がない。 それではいったい何が世の中を変えていくのかと言えば、 実に水をかけるような言い方ですが、 私は人間が飽きた時だと思っています。 この2、 3年、 飽きるということがどうも気になっています。 飽きれば、 飽きたものは嫌になる。 例えば、 私は飽きてしまった茶碗で毎日ご飯を食べるのは絶対嫌です。 それと同じことで、 今の暮らしに飽きてしまうと、 何とかせざるを得なくなる。 |
高津 | 生活に飽きた時ですね。 |
内山 | これはかなり深刻な問題だと思うのです。 |
高津 | 飽きた時に選択肢があれば良いですが。 |
内山 | 選択肢がなければ、 かなり真剣に探し始めるのではないでしょうか。 自分の持っている洋服に全部飽きてしまえば無理をしても1枚ぐらい買おうということになるでしょう。 それと同じことだと思います。 今の時代の生き方・暮らし方に飽きてきた人たちが増えてきている。 それによって新しい暮らし方を模索する動きがあるのではないか。 |
高津 | チャンスなのでしょうか。 |
内山 | 私はそう思いますね。 ただ、 その時に飽きない生活はどこにあるのかといえば、 そのヒントは過去にしかないわけです。 未来はヒントを出してくれない。 ですから人は必ず過去を振り返る。 過去をみて使えそうなものを探す。 もちろん過去に全て回帰することは出来ませんが、 過去の使えそうな考え方や技術などを探してきて組み立てようと試みるわけです。 過去にしかヒントはないという点で、 今、 過去というか歴史を見直そうという気運が高まっている。 昔のコミュニティ、 技術、 暮らしへの関心が再び高まっているような気がするのです。 |
高津 | 近代化が失敗であったと思う人が増えてくるのでしょうか。 |
内山 | そうでしょうね。 |
高津 | 機械文明、 物質文明。 |
平野 | 飽きたと言えば、 浦島太郎が竜宮城で3年間遊びますよね。 そこはひとつのユートピアであり、 東京みたいなものですよ。 でも3年経ったら飽きてしまうのですね。 だからふるさとに帰ろうという気になって過去に戻ったのかもしれませんね。 |
内山 | 実に非科学的な言い方ですが、 最近はこれこそが世の中を変えるのではないかという気がしています。 |
高津 | もうすぐ顕在化しそうですね。 永田先生いかがでしょうか。 |
団塊世代に多自然居住地域での生活ビジョン示せ | ||
永田 | 私は昔をたたえるというのがあまり好きではありません。 ただ昔であったというだけで何か素晴らしいものがあったかのような言い方をするのが好きでないのです。 近代化ということについても、 日本の近代化が失敗であったと言われますが、 私は日本は近代化をしてきたとは思っていません。 むしろ近代化しなかったからこそ、 その意味で失敗していると思うのです。 平野さんがアメリカ化と言われましたが、 日本はアメリカ化したのかといえば、 私にはアメリカっぽくなっているようには到底思えないのです。 日本人はアメリカというとすぐにニューヨークだとかロサンゼルスだとかをイメージするのですが、 実は、 アメリカの本当にごく一部なわけです。 アメリカには小さい街が一杯あって、 むしろその集合としてアメリカがある。 その方がむしろアメリカの本来の部分ですが、 その部分は全然日本に入ってきていないという気がするのです。 そういう点から言うと、 私は日本は近代化したというけれど日本人が近代というものを想定し、 それに向かってきたというのが近代化の本質であって、 近代という手本がどこかにあってそれに向かっていったというものではないと思うのです。 そういう意味では昔が良かったから昔に戻ろうということはおかしいはずです。 もちろん未来は見えませんから、 昔の良いところも探さなくてはいけないし、 まだまだアメリカの良いところだって見ていかなくてはいけなし、 よそも見ていかなければならないと思いますね。 私はあまり飽きない性質ですので、 いつまでたっても改革出来ないのかも知れませんが。 ただこれからは団塊世代の人たちが退職を迎えるだとか、 今はまだ受験戦争が大変ですが、 これからますます受験者が少なくなっていくということがあります。 また今就職は氷河期時代と言われていますが、 これからベビーブーマーが大量に辞めていくわけですから、 こうした状況も後何年かするとガラッと様子が変わっていくのではないか。 これから10年ぐらいの間に日本はもの凄く変わると思うんですね。 私は農学部で教育に携わっております関係で、 職を通じた教育である 「職育」 や林学の分野で昔から言われている 「撫育 (なでて育てるということ)」 が重要になってくると思っています。 また職を辞めた人がどこに行くかという時に多自然居住地域に安心して入っていけるモデルづくりも必要になるでしょう。 そういう意味では先ほどから話題になっているように、 農山村にこそ都市計画が必要でしょう。 まあ都市計画というのは言葉の使い方からしておかしいのですが。 |
高津 | 全国に都市計画で網をかけるのですね。 |
永田 | 都市計画ではなく、 他のもっと良い言い方をつくらなければならないのかも知れません。 山村計画というのもおかしいし。 |
高津 | 全部をまとめて捉えるのでしょうか。 |
永田 | 人間の作っているものをどの様に捉えるのか、 要するに社会資本計画なんですよね。 それをどの様にやるべきなのかというのをこれから考えていってその中で多自然居住地域がどの様にあるべきなのか、 それでそこに特に団塊世代の人達が入ってくるであろうところをどういう風に準備しておくのかというビジョンを用意しておく必要があるのではないかなと思います。 |
高津 | 早く用意していただかないとすぐ定年ですよ。 10年後には終わってしまいますよ。 是非よろしくお願いします。 牧野さんいかがですか。 |
創造性・感性を育む芸術活動 | ||
牧野 | 私は多自然居住地域というテーマを最初に見た時に、 ひとつは岐阜県らしいなと思ったのと、 もうひとつは子供を育てるのに非常に良い立地条件を設定することが出来るなと思いました。 2002年あたりから学校が土日休みになりますね。 そうすると子供たちは土日をどうやって過ごすのだろうということになります。 休みが増えると学科が減っていく。 削られる学科は何なのかというと、 体育、 音楽や美術なのです。 これらが減るということはどういうことなのか、 どうも教育関係の皆さんはお分かりになっていないという気がするのです。 そう思いませんか。 これは大変な事なのですよ。 創造性や感性の部分をほとんど無視してしまうのですから。 芸術活動が希薄になってくる可能性が非常に高い。 子供たちはそうした環境に触れることが出来なくなってしまうのですから。 受験に必要な特定の分野のみが重視され、 与えられたものを記憶すれば良いというようになってしまう。 創造性の部分がどんどん切り捨てられていくのです。 そういう社会は、 考えただけで恐ろしいですよ。 考えてみれば、 人間社会は、 本来、 芸術家が作っているようなものなのです。 岐阜のような素晴らしい立地条件の中にそうした創造的な環境をつくっていくのは非常に良いことだと思ったのです。 週末に子供たちが一泊で山にやってきて、 芸術的な活動や学校では出来ないようなことを自由に体験できるようにするのです。 体や手を使っていろいろなことを行う。 |
高津 | ダブルスクールですね。 |
牧野 | そういうことです。 そういったものを都会につくっても仕方がありません。 自然とのふれあいがないからです。 芸術は自然とのふれあいが大切で、 そこから得るものは非常に大きい。 |
高津 | 金曜日に行けば良いですね。 今は高速道路が非常に便利ですから。 |
牧野 | そこに行けば文学もあれば演劇もあれば美術もあるし音楽もあるというのが理想だと思います。 美術だけでなく、 いろいろものがある。 実は私はそれに取り組み始めているのです。 |
高津 | 実践されているのですか。 実際にやられていかがですか。 |
牧野 | 東白川村に名古屋商科大学のとんでもない建物があるんですよ。 「あれは何ですか、 子どもが来て研修している風景が全くないじゃないですか」 と村長に聞いたんです。 全く使っていないのですよ。 ベッドが80くらいあって、 300〜400人泊まれるんですよ私は週末芸術学校をつくろうと思うのです。 |
高津 | 名古屋ぐらいから来てもらうのですか。 |
牧野 | 東京でも良いですよ。 |
高津 | 必ずしも地元が対象ではないのですね。 |
牧野 | もちろん全国ですよ。 子どももお母さんも一緒で良いし、 ファミリーでも良いのです。 学校と称するか何と称するか分かりませんが、 何らかの意味を持ったものとしたい。 そこにまた来ようというリピーターが生まれて欲しい。 それは個人が儲け主義でやるのではなく村がやるのです。 |
高津 | それは東京の青山でやるのとは全然違うのですか。 |
牧野 | 村がやった方がいいですよ。 |
高津 | 村というか、 そういう環境のなかでやるというのは全然違う認識なんですね。 |
牧野 | そうです。 違うのです。 東白川村は自然が一杯で良いところですから。 そのプランを私が出すことになっているのです。 |
永田 | 単に学科を教えるだけだったら青山でやっても良いわけですから。 |
牧野 | 覚えるということでなく、 何かを体験する、 感じ取るということは、 おそらく学校では削られているでしょうから。 |
高津 | 牧野さんの分野でもそういった例は全国にないのでしょうか。 |
牧野 | 僕は今のところ知りません。 おそらく村は私のプランを取り上げると思いますが、 村だけでは無理でしょうね。 これだけの規模のものがあるのだから。 |
高津 | 都会を相手にしないと。 |
牧野 | 都会もそうですが、 きちんとしたプレゼンテーションが出来ればよそでも可能だと思います。 今、 文部省や教育関係の人たちはそれを模索していると思うのです。 先ほど申し上げた公園の話ではありませんが、 ひとつのモデルをつくっていくことが大事です。 皆、 それをみてなるほどなと感じる。 私は本当の山を知っている最後の人間ではないかと思っているんですよ。 小さい頃、 隣のおじさんに誘われてキノコ狩りに行ったものです。 今は山にはいると10メートル先が見えませんが、 当時はおじさんが200〜300メートル先を行っても姿が見えたのです。 それぐらい山がきれいで、 今でもその印象が残っています。 山ってきれいだな、 日が下までさし込んできれいだなと。 それに加えてちゃんとキノコもあったのです。 それを知っており表現できるのは、 ひょっとしたら私が最後の年代ではないかと思うのです。 公園化というのはそういう意味なのです。 電気にしても発電所そのものをみせるのではなく発電の仕組みそのものをきちんと見せられるようなテーマパーク的なものもつくるべきです。 |
高津 | 牧野さんがおそらく最後の世代なのですよ。 我々は知りませんから。 |
牧野 | 私がこれを強調しないと誰もわからないと思います。 |
高津 | 大先輩がウサギを追いかけていたなんていう、 お話の本当の意味を全然理解出来ないですね、 はずかしくて申し訳ありませんが。 |
牧野 | 我が家の中庭に野ウサギが居たんですよ。 みんなで見ていました。 |
高津 | 我々にはそれが理解出来ないですね。 体験してないことには、 無理かもしれません。 |
牧野 | そういう自然がある場所に子供たちに来てもらい出会いをつくってあげる。 それは感動だと思いますよ。 そうするとこの多自然というものの意味が子供たちにもきちんと伝承され、 育っていく可能性があると思います。 |
高津 | モデルをたくさんつくって体験するというところから始めないと、 都会から自然を眺めているだけの観念論になってしまいますね。 |
牧野 | 誰が言ったのか知りませんが、 それこそ森林浴で終わってしまいます。 |
情報・通信技術の発達によって広がる可能性 | ||
山田 | 私は少し皆さんとは違うなと思っています。 私は自分の意志で選んで東京にいるのですが、 仕事柄、 コンテンツというかソフトウエア分野の人たちとのつきあいが多い。 彼らのような職業は少数ですが、 そこそこはある。 今は東京に住み都心で仕事をしている人が多いですが、 彼らの職業的なスタイルからすると、 東京という環境にいるから想像力がかきたてられるわけではないのです。 週末に仕方なくあちこちへ遠出してひらめいたものがコンテンツとして形となっているのが結構多いのです。 私見ですが、 多自然居住地域こそが先端ビジネスやソフトウエアなどの職業の人たちにとって最も魅力のある地域なのではないでしょうか。 ただ、 今の段階では残念ながら難しい面がある。 インターネットなどが普及しているといっても、 普通はその程度で良いにしても、 我々は膨大な画像を扱いますので、 現実にはとてもインターネットでは送れません。 今の技術進歩のテンポからすれば、 5年か10年後にはテラバイトぐらいのものは平気で送れるようになるでしょう。 そうなればビジネスでも使えるのです。 今ははっきり言って使えない。 またプロバイダーがないようでは話にならないですから。 ふだんは静岡県ぐらいのところに住んで東京に週に2日出て来るという人が私の友人にもいますが、 ビジネスに耐えうる情報インフラが整備された段階では、 私の仮説では東京から300km圏、 片道最大3時間で行けるエリアであれば通常はそこに住み仕事をすることができる。 これは多自然居住地域そのものではないにしても、 それに類似したところに普段は住んで仕事をするわけです。 週に1日か2日は東京に出てくるが、 あくまでもベースキャンプは多自然居住地域であるという仕事のスタイルはかなり可能性があるのではないか。 今申しましたように現時点では難しいです。 概念的にはともかく、 私の実務経験上、 成り立ちません。 しかし、 今の情報化のピッチからみれば10年後にはクリアされるでしょう。 そういう意味で10年後には、 東京と多自然居住地域とがお互いに補完し合う関係になると期待しています。 |
平野 | 今、 不可能だというのは、 送る容量だけの問題ですか。 |
山田 | 容量だけではないです。 |
高津 | 送信コストもあるでしょう。 |
山田 | 主として通信的な話です。 かなり高度な事をやっていますから、 ソフトウエア会社の方は技術者と頻繁に打ち合わせが必要なんですよ。 そういう方は新宿や恵比寿などほとんど東京にいらっしゃる。 だから地方にいてはどうしても不便になるのです。 例えばマイクロソフトの日本法人が長野に行きますということにでもなれば話は違ってくるのでしょうが。 |
高津 | 通信網が進化してくると、 コールセンターが必ずしも東京でなくても良くなるでしょう。 これは現にヨーロッパで既に実践されていることです。 日本においても、 相談に乗ってくれる人が全国どこにいてもフェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションをはかるのと同等な通信環境が整備される時代になるでしょう。 遠からずそうなると思います。。 そういう意味でも先取り精神で、 自然性の豊かなところに秀でた人材を点在させていくというのは面白いかもしれない。 5年、 10年というタームで捉えれば、 決して実現不可能だとは思いません。 電話で問い合わせをするとアイルランドにコールセンターがあってそこで答えているという話をよく聞きます。 日本でも沖縄がそうなり始めている。 決して東京でなくても良いのですよ。 初歩的な道案内から始まった通信環境整備が、 やがて高度な知識を伝達するためのセンター機能が日本全国どこにあっても良いということが起きてくる。 都市計画の網を全部にかけるとか、 自然に触れる実験芸術的なモデルをたくさんつくるとか、 あるいは情報・通信技術の発達により最先端の人材がソーホー的に全国各地の自然豊かな場所に住むとか、 人生に飽き、 生活に飽きて新しい生活を求めるといった漠然とした目的で移り住む等々、 いろいろな可能性があり得るのではないでしょうか。 それに対してきちんとしたシナリオを公的部門が出せるかどうかがカギだと思います。 ひとりひとりが確信を持てるような条件やシナリオの提示ができるかどうか。 もしそれができなければ、 みな不安がって大都市にしがみつくことになってしまうのではないでしょうか。 |
平野 | 少しぐらいの需要では満たしきれないほど多自然居住地域は広いですよね。 たとえそうなったとしても、 今の都市、 地方都市の周辺人口が少し増える程度ですよ。 多自然居住地域の圧倒的大多数は 「見捨てられた土地」 になっていくとは考えられないですか。 |
高津 | 3,200の市町村のうちに、 一地域平均5人としても1万5、 6千人ですがそれで充分だと思います。 1万5、 6千通りの、 1万通り以上の新しい暮らしぶりがつくり出されるという事で当座の展開としてはそれがもし実現出来れば大成功ではないでしょうか。 |
平野 | モデル事業としては成功かも知れませんが……。 |
高津 | 高度成長期における東京への大量の人口移動のような大きなうねりは望むべくもないし、 もうそういう時代ではないのではないでしょうか。 自然と接した多様な生き方、 暮らしぶりではあっても、 しかし一方では非常に高質なものでなければならない。 高度成長期以前の農山村部の暮らしではなく、 先ほど牧野さんが公園化とおっしゃったようなものが実現できないかなと思います。 |
牧野 | 私の分野の話をしますと、 今の芸術家そのものが非常に薄っぺらになっています。 売れるものをつくってしまうというか、 薄っぺらな状態でも評価されてしまうのです。 それは昔が良かったというノスタルジーで申し上げているのではないのです。 現代はコンピューターグラフィックでいろいろなことが出来る時代で、 目新しいものが評価され、 もてはやされる時代ですが、 深い味わいや感動を与えるということでは薄っぺらです。 では薄っぺらではないものがどういうところから生まれるかというと、 自然の中からなんですよ。 |
高津 | 自然を切り取ってくる力がなければ駄目でしょうか。 |
牧野 | 私は単に遊びの芸術学校をつくるのではない。 本物ですよ。 本当の芸術家を育てていこうと思っています。 今こそ、 本物が求めらています。 本物の芸術家を育てるという視点がなければ、 単なる塾のような感覚になってしまう。 そうではないのです。 遊びに見えても根底に非常にしっかりした指導がなければならない。 |
高津 | 本物を見せるのですね。 |
牧野 | そうです。 |
多自然居住地域の「光」と「影」 | ||
平野 | 私が懸念しているのは、 多自然居住地域の光の部分の議論ばかりしていますが、 影の部分のことです。 光だけでなく影の部分は将来的にもあると思うのです。 影を支えていくのは、 やはり現実的には一次産業。 はやりの情報ツールを身につけた田舎暮らしのパターンと少し違うかもしれませんが、 今は田舎暮らしや民俗というものがある意味では復権しつつあるわけですよね。 それを見直そうという人たちの方がマスとしては多いのではないでしょうか。 |
牧野 | 私は田舎暮らしが良いとは思っていません。 あんなに暮らしにくいものはないですよ。 先ほどの欄間の話ではありませんが、 不要なものもある。 もっと機密性に保たれた快適な居住環境をつくるべきです。 都会の人たちは居住環境にギャップを感じてしまうわけですから、 まず住みやすさを問題すべきだ。 田舎風の暮らしをしたいとは私は全く考えませんね。 |
高津 | 昔に回帰するわけではないでしょうね。 |
牧野 | 違います。 |
高津 | 田舎暮らしという現状にそのまま入り込むのではなく、 異なった生活感覚を持つ人たちがそこに入り込むことによって新しい生活スタイル、 田園様式を作り出せるかどうかではないでしょうか。 皆さんの言われた通り、 そうでない数の方が現実は多いかもしれませんが……。 |
内山 | 小都市ぐらいでしたら良いのですが、 農山村までいくとそこに暮らす人たちがその地域の自然とどのように関わるかということが問題になってきます。 新しい人たちが来てくれても、 地域の自然とは全く関わらずに非常に高度なインターネットで仕事をしているとすれば、 農山村の集落形態ではもたないですね。 つまり手をかけた自然の中で生きていく以上は、 来た人も手をかけてくれなければ困りますね。 非常にハイカラな人達が農山村入ってくるという時に、 発想や仕事の面でハイカラなものを持ってくるのはいっこうに構わないのですが、 丸ごとハイカラなのは困ります。 ある部分は自然と関わることを前提に来てもらわないと……。 |
牧野 | 非常に単純な話なのですが、 うちの嫁が毎日のように子供のために洗濯をしなければならないのですよ。 山のことですから急に雨が降ったりするし量も非常に多い。 また雨が降ってきたから今日は洗濯が出来ない、 急に雨が降り出して洗濯物の取り込みに大あわてというのが今までの生活だったわけです。 ところが畑をやりだしてから 「ああやっと雨が降ってくれた。 嬉しい」 というように変わってしまいました。 雨が喜びに変わってしまうのですよ。 これは今まででは考えられないことです。 |
高津 | 雨が降ると畑に行かなくて良いからですか。 |
牧野 | いや、 そうではありません。 以前は洗濯物が乾かないから雨が降ると困っていましたが、 畑をやりだしてからは、 作物が育つための 「恵みの雨」 に変わったということです。 この変わりぶりには私自身びっくりしました。 |
永田 | やはりそれが多自然居住性というものだと思います。 単に多自然のところに居住しているということではなく、 多自然の中でそれを日常とする、 それを実際に手に触れながらやるというところまでいかないとだめですね。 |
高津 | もしかすると、 これからは大都市よりも自然の豊かな地域の変貌の方が大きいかも知れませんね。 |
内山 | 私は、 1年中はおりませんが、 大変多自然な地域に暮らしている人間としては……。 |
高津 | 困りますか。 |
内山 | いえいえ。 上野村の人口1,500人のうち100人は都会出身者ですから、 1割近くです。 それはそれで村の人たちも自分たちと違った発想をする人たちと連携していくことはとても歓迎していますから良いのですが、 多自然に居住している側にとっても、 やはり上手な入り方をして欲しい。 上手な入り方というのは、 上手に受け入れるということと、 どういう人に来てもらうかをこちらで決めるというふたつの意味合いがあるのです。 |
高津 | それは地域ごとにすごく違ってくるから。 |
内山 | 垣根をつくってこういう人はだめだとテストをするつもりはないのですが、 村の集落に入るとはどういうことかを理解して入ってほしいということです。 |
山田 | 先ほど最先端の分野のお話をしましたが、 そこに関わる人はある意味では 「オタク」 的なイメージでみられがちです。 しかし、 私がつきあってきた人たちは意外とそうではなく、 動物好きであったり、 庭いじりなども好きな人が多い。 実は、 そういったの感性があるからコンテンツが出せるのですね。 だから私はインターネットでごそごそやってきた人たちとはつきあいません。 何も出てこないし少し違うと思うのです。 仕事はこなしているのかもしれませんが。 私がつきあってきた人たちは感性豊かですから、 おそらく多自然居住というものもすんなり受け入れるのではないでしょうか。 |
高津 | 最後に問題提起者である平野さん、 総合的に締めて下さい。 |
「人」にこそ発展のカギが! | ||
平野 |
多大な期待があると同時に、 ひょっとしたらそんなに変わらないかも知れないのが多自然居住地域だという気がします。 それほど懐が深い、 資源・空間ではないかなという気が私はしています。 変化のスピードは都市の変化に対して相当のろいのではないかとみていますが、 ただ、 そこには本質的な新しいライフスタイルが発見出来るのかもしれないということで、 注目される度合いはますます高まるのではないかという期待も持っています。 マスコミを含めそういう論調が増えていくのではないか。 いずれにしても地球の裏側から運んだガソリンの値段と 「おいしい水」 のボトルの値段を比べて、 ガソリンの方が安いという経済の実体を目の当たりにした時、 まさしく完成された流通経済の結果だと思う反面、 農林業の不振も含めて来るところまで来てしまったなという気がしています。 私は回帰を否定したくないのですが、 一部回帰して原点にたちかえった形でみんなが自分たちの暮らしを見つめ直すということが、 多自然居住地域を中心に再び始まるし、 そのマスは少しずつ増えていくであろうと確信しています。 今後、 異なった人種が混じり合いながら増加し、 多自然居住地域の湿度がもう少し下がってくるのかなという期待も持っています。 あわせてある意味では元気のなくなりつつあった多自然居住地域が復活するわけですから、 小都市の役割というものも見直されてくる。 これに期待したいと思います。 小都市間、 多自然居住地域間の移動がもう少し楽になれば、 通信網の発達ともあいまって多自然居住地域に光が差し込む率が高くなるでしょうが、 一方では、 何ら工夫のない多自然居住地域は影の部分だけが増してどんどん閉じていくでしょう。 多自然居住地域における地域間の格差が拡大していくとみられます。 その意味では、 多自然居住地域に暮らす人、 あるいは新規参入者といった 「人」 の部分に発展のカギがあるのかも知れません。 |
高津 | 本日は長時間にわたりご協力いただきましてありがとうございました。 |
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