ちょっと派手なタイトルである。しかし東の「江戸八百町」や西の「大阪八百八橋」にくらべれば、真ん中の岐阜県を「百倍」とはささやかなものである。今号は坂口安吾氏の「日本は飛騨から始まったという話」です。

坂口安吾氏の
「日本は飛騨から始まった」という話

匠 照人・文


 

 作家坂口安吾氏は、日本史に深い関心をもち、『安吾史譚』(「オール読物」)などの作品を残している。

 その安吾氏が、「飛騨は日本の古代史では重大きわまる土地であります」と、『安吾新日本地理』(『文芸春秋』)の「飛騨・高山の抹殺」の冒頭に記している。
 安吾氏の飛騨の古代に関する作品は、ほかに『飛騨の顔』(『別冊文芸春秋』)と飛騨の匠をテーマにした、『夜長姫と耳男』(『新潮』)の三編である。

 ところで安吾氏は、もともと日本の正史とされている『古事記』や『日本書紀』(『記・紀』と略す)を信用せず、彼独自の日本史観をもっている。それには二つの理由がある。一つは聖徳太子の系譜や伝記を記した『上宮聖徳法王帝説』(8世紀末に完成)に、『記・紀』には全く記されていない「蘇我天皇」の存在をほのめかした記録があること。もう一つは、本来日本の古代史における大化改新(646年)以前というのは、神々も天皇たちもそんなに多くなく、かつ期間も精々100年ほどのごく短期間だったものを、「両面神話」たとえば景行天皇の子、大碓命(兄)と小碓命(弟・日本武尊)の双子の皇子のように、二人一組によるいろいろな話によって、多くの神々や天皇たちを創作し、「長い長い日本古代史」に仕立てあげられた、というのである。

 そのうえで、安吾氏は「飛騨は日本古代史では重大きわまる土地であります」として、その理由を次のように述べている。

 現天皇家が本当に確立の緒についたとみられる天武持統の両御夫妻帝(天武は天智の弟で、天智の御子大友親王「弘文天皇」を仆して皇位に即き、実質的には現天皇家の第三祖に当られる御方のようです)はヒダとスワの両国に対して特にフシギな処置をほどこしております。スワは信濃の国に属しておりますが、一時分離されてヒダ、スワと二国特別の扱いをうけた。その理由は国史の表面には一度も説かれておりません。特にヒダは古代史上、一度も重大な記事のないところで、昔から鬼と熊の住んでいただけの未開の山奥のようだ。

 ところが国史の表面には一つも重大な記事がないけれども、シサイによむと何もないのがフシギで、いろいろな特殊な処置がある隠されたことをめぐって施されているように推量せざるを得なくなるのです。

 そこで、安吾氏の「ある隠されたこと」の一点とは、飛騨の古代道だという。つまり古代の本当の東山道は美濃から飛騨・信濃を経て夷たちの国ぐにに通じる道だったのが、危険なため、持統朝に新しく木曽道が開かれたというわけである。もう一点は、「千申の乱」である。その理由は、「飛騨国風土記」の逸文に、「飛騨の国はもと美濃国のうちであった」と記されていることに着目して、「紀」に書かれている「美濃」を「飛騨」に置きかえて、つまり飛騨の北側に大友軍、南側に大海人軍を配して、戦局の経緯をみるとよく理解できるというのである。

 すなわち安吾氏は、千申の乱は美濃や近江などで行われたのでなく、本当は飛騨を舞台にして行われたのだと、まことに日本古代史の常識をくつがえす奇想天外な推論をし、このことが日本古代史から「飛騨が抹殺された」重大な事実だというわけである。つまり、安吾流にいえば、「日本は飛騨から始まった」ことになるのである。
 では、飛騨の古代について、安吾氏は一体どう見ていたのか。この疑問について、安吾氏は『飛騨の顔』で、こう答えている。

 ヒダの王様が大和へ進出する前に大和飛鳥に居た王様は物部氏だったろう。これは四国の方から進出してきたもので、追われて後に、また四国の方と、伊豆や東国へと逃げた。そして彼らを追っ払ったヒダ朝廷の庶流が嫡流をヒダまで追い落として亡すと、物部一族をなだめすかして、味方につけ同族の一派、功臣というような国史上の形をつくってやった。

 天武天皇も持統天皇もヒダ王朝出身の皇統に相違ないのですが、嫡流を亡ぼして、故郷のヒダを敵にしたから、しばらくの期間はヒダのタクミたちを召しだしてミヤコづくりの手伝いをやらせるのに差支えがあったように思われます。いろいろと手をつくしてヒダの土民のゴキゲンをとりむすんで、奈良期の終わりごろにはどうやらヒダにも国司を置いて税をとることができるようになった。

 このように、安吾氏独特の日本古代史観から導き出された安吾流飛騨古代史は、さきにあげたように庶流の天皇に飛騨に追い落とされて滅んだ嫡流の最後の王、つまりこの最後の天皇こそ、両面宿儺だと、安吾氏は推定したのだが、彼は最後まで、その正体を特定しなかった・・・。

(次回は、遥かな古代に東海王朝があったか、という話)