巻頭対談
 
「変革する21世紀社会への展望」

 

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
月尾 嘉男

聞き手 岐阜県理事兼(財)岐阜県産業経済研究センター
理事長 渡邊 東

 

渡邊  本日は、 巻頭のインタビューのためにお時間を頂戴し、 ありがとうございます。  今回は 「21世紀社会におけるライフスタイルの変化と交流社会」 をテーマにしておりますが、 ここで言う交流というのは、 いわゆる交流人口、 交流産業で使われている 「交流」 という狭い意味ではございません。 むしろ、 梶原知事が提唱している交流、 連帯、 創造の中の 「交流」 に近い、 少し広い概念で、 ライフスタイルにおける 「交流」 とそれを支える産業について取り上げてみようかと考えています。
 早速ですが、 最初に、 社会が成長時代から成熟時代へと加速度的に変化し、 集中から分散への傾向も見受けられます。 これからの社会について先生は 「拡大文明」 から 「縮小文明」 へとのご提言をなされていますが、 そのことについてお話をうかがえますでしょうか。
 

「縮小文明」 への転換

月尾  数万年という単位と、 数百年という単位で説明したいと思います。 人間が技術を手にしてから数万年ぐらい経過したと考えますと、 これまで人間が手にした技術はほとんど全てが拡大することを目指したものです。
 例えば、 農業は自然の状態よりも人間に役に立つ植物を拡大生産する技術だったし、 車両は人間の足よりも速く移動できるという点で速度を拡大したわけです。 通信という技術は、 人間の聴力よりも遠くから情報を得ることができるという点で拡大だったわけです。
 ところが、20世紀の最後になり、 いろいろな点でその限界が顕著になりはじめたと思います。
 例えば世界全体で魚類がどれだけ獲れたかという統計がありますが、 それによると1990年頃に頂点になって、 それ以降は横這いです。 人口は増えていますから、 人口1人当たりの漁獲量をとりますと、 もう少し前の70年頃から減少しはじめ、 今後は急速に減少していくと予測されます。 この意味は、 狩猟採集文明とか、 狩猟採集経済といわれる体制が、 20世紀の最後に頂点に到達したことを示しています。
 同じように、 世界全体の穀物の生産量が1990年頃に頂点になっています。 これも人口が増えていますから、 1人当たりの収穫量が減っていくということになります。 それから世界の耕地の面積も90年頃に頂点に達して以後は減っていくという状況で、 人類が構築した農耕牧畜文明も限界に達したということです。
 それから石油、 石炭の消費も、 だいたい90年頃から横這いになっています。 これは政治的な思惑もいろいろあるので、 必ずしも需要が減ったかどうかはわかりませんが、 統計上はとにかく石油、 石炭というものの生産も90年頃から横這いです。
 それはどういうことかというと、 産業革命が200年ほど前に世界各地で興って、 それを支えてきたのが石油と石炭というエネルギー資源だったのですが、 それがいまや限界に到達したということです。 今後、 石油は数十年、 石炭は数百年で枯渇すると言われているのですが、 仮に存在しても、 おそらく地球規模の環境問題で使用できなくなる可能性もあるということです。 そうすると人類の3番目の経済システムである工業社会とか工業経済も限界に到達したということだと思います。 このような状況を今後どう展開していくかということを考えなければいけない時代にきているというのが、 長期的な問題だと思います。
 短期的にはどういうことが起こっているかというと、 まず日本などの先進諸国で、 労働力とか人口が限界に到達するということが起こっています。 例えば日本では1995年に15歳から64歳の生産年齢人口が頂点に達して、 それ以後、 毎年数十万人という単位で減っています。 人口も2006年か2007年あたりで頂点に到達して減っていくと予測されています。 それから経済活動も方向転換します。
 例えば戦後の日本ですと、 実質経済成長率が二桁成長という年が長く続きましたが、 1973年の石油ショックの時に成長が低下して、 一時回復したこともありましたが、 バブル経済の崩壊とともに、 また低下して、 現在は国が借金をして公共投資を増大してさえプラスマイナスゼロを維持できるかということになってきました。 今後を考えると、 人口が減っていくということは消費が減っていくということですから、 経済が数パーセントの成長をするということは考えられないということになってきた。 短期的にも、 これまでのように経済成長とか、 生産拡大とか、 人口増大というような、 拡大という概念で社会を維持する仕組みの転換を考えなければいけない時期になってきたと思います。
 

縮小文明のキーワードは 「情報」と「環境」

月尾  それでは、 どのような転換かというと縮小ということになると思うのですが。 縮小というと一般に印象が悪く、 衰退という感じが強いわけですが、 量的には縮小するけれども質的には向上するという新しいパラダイムを、 国家なり、 地域なりが構想する必要があると思います。 その可能性を持っているキーワードが 「情報」 と 「環境」 であり、 このキーワードを基礎に社会を再構築すれば、 量的縮小、 質的向上という方向転換は可能だと思います。
 一例を紹介しますと、 インターネットが普及して、 電子新聞が多数発行されています。 この電子新聞の特徴は、 質的向上という視点からは大幅向上です。 これまでの新聞は1日2回しか配達してくれないとか、 地方では夕刊はほとんど配達されない。 ところが電子新聞ですと、 どのような山奥であっても、 24時間いつでも最新のニュースが手に入るということになりました。 さらに、 岐阜に限らず東京でさえ読むことが困難であったエジプトの新聞とか、 南アメリカの新聞も、 簡単に読めるようになっています。
 情報を入手するという観点からは、 大変な質的向上が図れる。 一方、 エネルギーの視点からも飛躍がある。 1日2回、 家庭に新聞を配達するエネルギーと、 同じだけの情報を電子新聞で配達するためのエネルギーを比較しますと、 おおよそ20分の1です。 これはトータルエネルギーで計算した結果です。 例えば電子新聞であればコンピュータを作るためのエネルギーや、 通信回線を引くためのエネルギーも計算して、 20分の1で済むということです。 それから、 森林資源の保護とか保全が叫ばれていますが、 新聞は日本の場合でいうと、 紙の消費量の約15パーセントを使っていますが、 そのために伐採される森林も減っていくことになる。
 一例ですが、 生活水準を向上させて、 なおかつ、 エネルギー消費とか資源消費という部分での量的な縮小が可能になる実例です。 ですから情報というものを梃子にして、 縮小するという方向の文明を築いていくことが、 先進諸国に課せられた課題だと思います。
 環境という概念はどのような変化をもたらすかを考えてみます。 例えば日本では明治以来、 中央集権という形で同一の生活様式を日本全体に普及させるということを行ってきたわけです。 国の政策でいうと新産業都市とか、 テクノポリスとか、 オフィス・アルカディアとか、 国の政策を地域が下請けとして実行するという仕組みで、 全国均一の政策が実施されてきたわけです。
 ところが、 環境という概念は、 地域ごとに全て違う性質を持ったものです。 北海道の自然とか北海道の生活と、 沖縄の自然や沖縄の生活は全く違う。 それをこれまでは統一していくという方向に動いてきたわけですが、 これからは、 それぞれの地域独自の内容に変えていかないと、 環境は維持できない。
 拡大の方向に指向していた国家とか地域の制度が、 分権という流れと呼応して、 より小さい単位で成立する制度に変わるということにもなると思います。 これも規模は縮小するけれども、 生活はそれぞれの環境に適合した様式になり、 質的向上になると思います。
渡邊  情報は、 非常に大きく、 縮小型の社会に貢献していくというお話がありましたが、 この情報革命自体が人々の仕事の仕方や生活の仕方といったライフスタイル、 さらには、 産業構造や地域構造を変えていく可能性はあるのでしょうか。
 

「情報通信革命」 が産業構造や地域構造を変革させる

月尾  情報革命というのは、 正確には情報通信革命と言うべきだと思います。 すでに昭和30年代に国の白書で情報化社会という言葉が出ているそうですが、 それくらい古い課題です。
 例えばオフィス・オートメーションとかファクトリー・オートメーションというものは昭和40年代には大きな社会的な話題になっていました。 そういうわけで情報が社会を支えるという発想は最新の話題ではないのです。 最新の状況は情報と通信を一体にして利用するということです。
 例えば、 岐阜県は小中学校のコンピュータのインターネット接続率が全国一番で、 高知県と並んで100パーセントです。 一番低いところは10パーセントを切っている状態で、 それくらい差が出ています。
 大事なことは、 これまで文部省と通産省が努力して、 小中学校にコンピュータを配ってきましたが、 数年前から、 特に野田郵政大臣の時代に、 学校のコンピュータをインターネットに接続するという努力をされ、 その野田郵政大臣の出身地である岐阜県は優等生として推進してこられたわけです。 企業で見ても、 アメリカは企業のコンピュータの90パーセント以上がネットワークに接続されていると言われていますし、 日本も50パーセントを突破して、 その比率を高めています。 コンピュータがネットワークに接続されて使われるようになったということが産業構造とか地域構造を変えていく大きな力になると思います。
 コンピュータを相互にネットワークで結ぶと便利なことはたくさんあります。 例えば、 ワードプロセッサで原稿を書いたとします。 ネットワークに接続されていない時代だと、 原稿をプリントアウトしてファクシミリで送ります。 ファクシミリが無い場合には郵送します。 受け取った人は、 その原稿をコンピュータに入力し直して印刷に回すということをしなければならなかったわけです。
 ところが現在は、 コンピュータで原稿を書いたら、 相手の電子郵便のアドレスを付けて送れば一瞬にして届いてしまい、 受け取ったほうはそれを直ちに編集に回すことができますから、 手間は大幅に圧縮されるわけです。 これは確かにすばらしいことですが、 さらに重要なことは、 生活や仕事が便利になるということではなく、 経済の仕組みが一変することです。
 

「情報通信革命」 による 「距離の格差」 の消滅

月尾  1番目の変化は距離の格差が無くなるということです。 これまでも情報通信を使えば遠いところまで通信ができるということだったわけですが、 残念ながら、 遠いところほど料金が高いという仕組みになっていたために距離が経済活動に影響する。 同時に、 使えば使うほど費用がかかるという仕組みでもありました。
 ところが新しい通信回線は世界均一料金で定額料金という方向に向き始めています。 例えばインターネットを使ってメッセージを送るという場合、 隣の机の人にメッセージを送っても、 アメリカの事務所に送っても、 料金は変わらないわけです。 それから10秒間だけ通信をしても、 1時間延々と通信をしても料金は変わらない。
 そうすると、 2点間の距離が遠いとか近いということは、 情報通信を使うという場合に限っては関係ないという社会になります。 岐阜県は埼玉県と比べると東京から遠いというような条件はなくなるということです。 岐阜県は日本のまん真ん中と言っておられるように、 地理的に有利な場所である一方、 北海道とか沖縄にしてみれば、 日本の端にあるということで不利な面があったわけですが、 そういうことも無くなるということです。
 

「情報通信革命」 による 「規模の格差」 の消滅

月尾  2番目は規模による格差も消えていく方向にあると思います。 工業社会では、 同じ物を大量に生産するほど価格も下がって有利でしたので、 膨大な設備投資をできるとか、 多数の社員を雇える会社が有利だったわけです。
 ところが、 情報通信技術を使った新しいビジネスは、 そういう規模が効果を及ぼさないということになりました。 例えばインターネット経由で物を売るということは岐阜県でも様々な方がやっておられると思いますけれど、 せいぜい従業員数人という程度で、 日本中どころか、 世界中を相手に物を売るということが可能になったわけです。
 以前は、 岐阜の名産品を売ろうとしますと、 大手流通業者にお願いしなければいけないということでしたから、 組織の規模も必要であると同時に、 中間の流通段階に利益が取られてしまって儲からないという構造でした。
 ところがインターネットで物を売るということになれば、 生産する企業から直接発送ということが可能で、 従来とは違うビジネスができるようになりました。 そうすると、 地方の不便な場所で小さなビジネスをする資本や人員しかないところでも、 世界規模のビジネスができるというようなことが現実に起こってきたと思います。
 

「情報通信革命」 による 「年齢・性別による格差」 の消滅

月尾  3番目に重要な点は、 年齢とか性別の格差がなくなる社会の出現です。 これまでの物を生産する社会では体力が必要なので、 生産年齢人口と言われる人たちが社会を支えてきたわけですが、 情報社会では、 極端に言えばキーボードをたたければどんなビジネスもできるということになり、 中学生でも発想さえよければビジネスができるし、 高齢の方でも育児で忙しいという女性の方でも仕事ができるということになる。 そう考えていくと、 社会の中にあった距離による格差、 規模による格差、 性別、 年齢による格差というものが、 無くなっていく時代が始まったと思います。
 

地域構造の変革、 場所による有利不利の消滅

月尾  そうなると産業構造や地域構造にどのような変化が発生するかということです。 まず場所による有利不利というものがなくなるので、 これまでビジネスにとって不利だった地域が有利になると同時に、 有利だった地域が不利になるという競争が始まります。
 一例を紹介しますと、 高度情報通信社会で有望だといわれるコールセンターというビジネスがあります。 代表的なものは電話の番号案内とか、 企業が苦情処理をするためのセンターです。 消費者が機械が動かないとか故障したとか連絡してきたときに対応する組織です。 従来は東京とか大阪という大消費地を中心に存在していましたが、 最近は沖縄とか北海道に移りつつあります。
 代表例はNTTの番号案内ですが、 沖縄に主力が移りました。 例えば柳ヶ瀬の飲食店の電話番号を知りたいということで104を回しますと、 沖縄にその電話はつながって、 岐阜県に行ったこともないし、 柳ヶ瀬も知らないというオペレータがコンピュータを操作して電話番号を教えてくれるという仕組みです。 従来、 東京とか大阪に展開していたビジネスが、 地方に移っていく。 ところが最近は沖縄を通り越してオーストラリアまで飛んでいってしまうという企業も出てきました。 国際的に商品を流通させている会社ですと、 苦情は世界から来ますから、 英語も日本語も話せる人が必要になりますが、 オーストラリアのほうがそういう人を安く雇える。 しかもオーストラリアだから不便だということはなく、 通信だけで仕事ができますから、 どこでもいい。 そのようなことになって、 地域構造を反映しない産業立地が進んでいくことになります。
 また、 若い人たちが新しいビジネスを立ち上げて大成功しているという例も多数あります。 世界規模でいうとアマゾン・ドット・コムという、 書籍を世界中に販売する通信販売がブレークしていますが、 この会社の社長は34歳です。 企業を興した時は7年前ですから27歳でした。 現在の株式時価評価総額は240億ドルと言われていますから、 2兆5千億円ぐらいのビジネスを成功させたわけです。 日本でも次々とマザーズやナスダック・ジャパンに上場しているインターネット関連の企業がありますが、 経営者の大半は30代前半です。 「楽天市場」 というインターネット通信販売をしている、 楽天という会社がありますが、 ここの社長も34歳です。
 これまでであれば、 大規模なビジネスを成功させるためには、 零細企業から努力して、 なんとか一代で巨大企業にするというのが普通でしたが、 簡単にスタートして数年で上場して一気に世界規模のビジネスになるということも可能になったわけで、 もはや若いからとか資本がないからということは、 新しい産業を興すことにとって関係がなくなったということだと思います。
 

産業構造の変革、 流通体制の変革

月尾  もうひとつ、 これからの産業構造を変えていく要因は、 中間にあったビジネスとか企業が減少していくことだと思います。 例えば新聞が電子新聞になっていくと、 日本中に新聞を配るために存在している販売店が不要になってしまう。 もちろん既得権益があるので簡単にはなくならないと思いますが、 方向としては販売店の役割は小さくなっていく。 それから商品を流通させる分野でも、 パーソナルコンピュータの分野で大きな変化が起こっています。 昨年、 デルというコンピュータ会社が、 世界最大のパーソナルコンピュータ会社になりましたが、 この会社は100パーセントが通信販売で、 そのうち4割が注文生産です。 インターネットでデルのホームページを呼び出して、 自分で仕様を設定して注文すると、 その情報がマレーシアの工場に流れて生産が始まり、 10日か2週間経つと届けてくれるという仕組みです。
 これまでコンピュータは巨大な会社が生産した製品が問屋に渡され、 小売り屋に渡され、 消費者が買うという構造で、 途中に2段階とか3段階の流通の仕組みが入っていたわけですが、 現在では製造する会社から購入する消費者へダイレクトに流れて行ってしまう。
 社会に存在していた中間ビジネスが縮小の方向に行くと思います。 これは地域にとって有利な面もあるし不利な面もある。 有利な面は、 産地直送ということで、 大幅な利益率で商品を販売することができるようになるということで、 不利な点は全国どこもが対等の競争をできるようになって、 岐阜のように日本の中心だから有利だという点がなくなるということです。
渡邊  ほとんど産業革命のようになるということですね。
月尾  そうだと思います。
渡邊  大企業にしてみると、 むしろ大きなことが有利でなくて、 重荷になることにもなりますね。
月尾  本当にそうです。 1995年から98年の4年間に、 アメリカの情報産業は7倍に成長しました。 一部にはIBMのような会社も入っていますが、 中心はデルとかコンパックとかゲートウェイという、 10年程度の歴史しかないベンチャービジネスです。 それらが一気に7倍に産業規模を拡大したということです。 日本では同じ時期に大変象徴的なことが起こっています。 日本を代表する総合電機メーカーがすべて赤字に転落したことです。 日本を支えてきた巨大企業が悪い方向へ向かっている。 大変象徴的なことです。
渡邊  少し話題を岐阜県に移させていただきまして、 今お話されましたように、 岐阜県は地勢的には日本のまん真ん中に位置していますし、 またこのたび首都機能移転候補地のひとつにもなったわけです。 増大から減少へと社会が変化する、 あるいは変革される中で、 先生の言われる、 人や物を引きつける魅力というものが地域にとってますます重要になってくると思われますが、 そのための地域間競争もより激しくなってくるように思います。 その中で岐阜県が魅力を高めるにはどうしたらいいでしょうか。
 

「魅力」 のポイント・他者の視点で魅力を再発見することと魅力を知らせること

月尾  魅力というのは、 ヒト、 モノ、 カネ、 情報という4つの資源を引きつける力ですが、 ふたつの大事な点があります。 ひとつは、 外部、 もしくは他者の視点で魅力を発見することです。 例えば、 観光で地方へ行った人は地域独特の食事をしたいという希望があります。 ところが地域の人はどういう食事がいいと思っているかというと、 フランス料理がいいとか中華料理がいいということで、 その辺りにいる虫を佃煮にしたようなものは失礼になるという考え方です。
 自分たちの価値観で地域の魅力というものを考えてきたと思いますが、 外から来る人の視点とか、 世界的な視点で魅力になるものは何かと見直すということが必要だと思います。 何気ない歴史的資産や遺跡があったとして、 地元の人は見慣れているから、 大したものだと思わないけれども、 初めてきた人にとっては感動を与えるものかもわからない。 食事にしても、 自然環境にしても、 歴史的遺産にしても、 そのような視点で眺め直すということだと思いますね。
 もうひとつは知らせるということです。 すばらしいものが存在していて、 地域の人も認識していても、 広く社会に知られないということでは交流も始まらないので、 知ってもらうための努力をする。 もちろんインターネットなどでホームページや雑誌などに紹介するということも必要ですが、 いろいろな方法を積み重ねていくことだと思います。
 岐阜県では白川村の合掌造りが世界遺産に登録されました。 最近は観光客が来すぎて迷惑だという話も出ているのですが、 世界遺産のように世界の仕組みや、 日本の仕組みの中で位置づけられれば、 高い発信力を持つと思います。 水も日本百名水に選ばれた水ですというと、 多くの人が注目する。 既存の枠組みを使って情報発信をするというのがひとつの方法です。 もうひとつは口コミだと思います。 多くの人々があそこはよかったと言って、 さらに人に伝えるというのは、 ホームページよりはるかに効果があると思います。
 

「魅力」 の源泉それは3つの情、「事情」、「旅情」、「人情」

月尾  それでは、 魅力の源泉は何かというと、 3つの 「情」 だと思います。 ひとつは事情です。 事情というのは歴史的な蓄積とか文化と言われるものです。 例えば白川村の合掌造りは歴史的な重みがあるからすばらしいと思うわけで、 現代の技術を使って同じものを作っても、 それはたいして価値がないのです。
 今年は関ヶ原の合戦400年記念ということで、 様々な行事が企画されていますが、 400年経った歴史があるということはすばらしいことです。 その理由は他所が真似できないからです。
 2番目は旅情、 自然環境です。 岐阜県には山も川も豊富にあって、 有名な日本ライン下りなどもあるわけですが、 そのような他所にない自然環境も重要な魅力です。
 最後は人情だと思います。 訪ねてきた人々が、 来て良かったと思うようなサービスを提供しないといけない。 景色はすばらしかったけれど、 土産物屋の店員の応対がぞんざいだったとか、 案内所へ行ったら冷淡だったというようなことだと、 二度と来てくれないとか、 悪い評価が伝わってしまう。
 語呂合わせのようですが、 事情、 旅情、 人情という、 コンピュータで発信される情報とは違う情報を多くの人々に伝わるようにするということが重要だと思います。
渡邊  3つの情のうち、 事情や旅情はいずれも歴史であったり、 自然条件であったり、 もともとそこにしかないもののように思いますが、 例えば極端な例として浦安のディズニーランドもちょっと別の角度でいうと3つの情が絡んで人を惹き付け、 呼んでいるような気がするわけですね。 そういう目で見た岐阜の3つの情と言うんですか、 歴史、 文化、 自然、 とはまた違って、 例えば今、 県で推進している情報産業ですとか、 そういったところと重なり合う、 何か新しい、 交流産業と言うようなものもあるのではと思うのですが。
月尾  十分あると思います。 現実にソフトピアジャパンとVRテクノジャパンは核になると思います。 ソフトピアジャパンは情報産業育成という目的もあるけれども、 見学者の数がすごい。 付近にIAMAS (国際情報科学芸術アカデミー) という学校もあって、 全国から多数の学生が通っているところです。 そういう点で新しく作っていくということも可能です。
 しかし、 それも時間が必要だと思います。 ディズニーランドもアメリカで50年近い歴史があるから日本へ持ってきたというのが実情です。 歴史のないものを中途半端に作ってもいけない。 ソフトピアジャパンもVRテクノジャパンも継続していくことで力を持つようにはなる。
渡邊  岐阜県の経済の現状を申し上げますと、 繊維、 窯業・土石、 木工、 などの地場産業は、 今、 バブル後の消費の低迷やNIESからの追い上げで、 かなり苦境に立っております。 それから観光産業も、 長良川河畔のホテルが撤退したり、 鵜飼も年間に10万人程度になったりと元気がありません。 それから商業では老舗の百貨店が閉店するなど暗い状況があるわけですが、 先ほどの大きな産業革命の流れを的確につかんでいけば、 新しい道が開けるのではないかという気もしますが、 県産業の新しい発展の方向についてアドバイスをいただけたらと思うんですが。
 

一品種一生産 (受注生産)、付加価値の高い生産体制へ

月尾  いくつかありますが、 ひとつは一品種一生産です。 拡大する時代の産業は、 製品を大量生産して価格を下げ、 かつ大量流通するという発想でした。 例えば、 岐阜の繊維製品も、 これまでは安物を大量に作ってきました。
 それから窯業も、 一部には人間国宝による製品もありますが、 多治見とか瀬戸は、 どちらかというと安物を大量に作っているということでした。 しかし、 そのような生産は安い人件費で生産する発展途上国の追い上げにはかなわないと思います。
 それでは、 どうするかというと、 高い付加価値を持つ製品に転換するということを考えなければいけない。 ひとつの方法は、 需要に対応して生産するということだと思います。 例えば高山市の郊外の清見村にオーク・ヴィレッジという木工工房があって、 稲本正さんが過去20年間、 木製家具を作っておられる。 あの家具は、 例えばテーブルひとつで100万円とか、 椅子1脚で数十万円という値段ですが、 多数の需要があります。
 その製品はすべて注文生産です。 従来の大量生産方式であれば、 せいぜい数万円の椅子が、 一桁上の値段で売れることになる。 買った人も自分のために作ってくれたということで満足するという、 一種の縮小文明だと思います。 同じ物を大量に作って安くして売るのではなく、 余分なものをいっさい作らないという方式で、 買った人にも精神的な満足があるし、 売ったほうも利益が出るということです。
 一品種一生産は普通の言葉でいうと受注生産ですが、 その方向に転換して高い価値を付けていくということで活路を開くということを検討いただいたらどうかと思います。 陶器でも新しい家に移転する時に、 湯飲みからコーヒーカップからお皿から花瓶から、 全部の食器をデザインするという仕事を請け負われる。 そうすれば普通に並べて売っている食器より原価は高くなるが、 流通経費がかかりませんから安く提供できる。
 これまでの社会では、 情報通信手段が普及していなかったので、 受注が難しかったわけですが、 インターネットを使って、 だれでもどこからでも注文できるという仕組みが機能し始めますと、 不特定多数の方から注文を受けることが可能になります。 そういう情報通信社会の背景を活用すれば、 低迷している製造業も別の方向に転身することが可能になる。
 

文化が経済を牽引する

月尾  もうひとつは、 今後の経済構造の転換につながると思っていますが、 文化が経済を牽引するという理念を指針にされたらどうかと思います。 岐阜県はオリベイズムという名前で推進しておられるので、 釈迦に説法の感じもしますが、 どういうことかというと、 これまでは経済の余剰が文化を創造すると言われていました。
 古田織部は当初は殿様に抱えられ、 生活に困ることなく陶芸や茶道に打ち込めた。 従来の文化というものは金持ちが余ったお金を使って、 芸術家とか文化人を雇って、 その人たちが文化を創るということだったわけです。 西洋の音楽で言えばバッハは教会に雇われていた人ですし、 ヘンデルは貴族に雇われていた人です。
 ところが、 世界全体が均一化してきて所得格差が無くなり、 そういう余裕を持って文化を育てるというようなことはできなくなってきていると思います。 そこで考えるべきことは、 これまで投資をされてきた文化によって新しい経済を作り出すということだと思います。
 例えば、 茶道で茶杓という竹のへらがあります。 デパートで普通に買うと数百円の商品ですが、 ある茶道の家元が自分で作られた茶杓というのがあり、 数百万円するといわれています。 しかも、 お金を積んでも簡単には購入できなくて、 それなりの修行をして認められると売ってもらえるという仕組みです。
 織部の遺産がどの程度あるか知りませんが、 かつての茶人とか、 茶道の名人が使っていたという箱書きがある茶杓も残っているわけですが、 これは1千万円という。 竹の破片みたいなものが1千万円するといわれています。 千利休が使っていたという茶杓は数千万円するらしい。
 どこでそのような差が出てくるかというと、 文化の背景があるかないかだけのことです。 職工が機械で作ると、 せいぜい数百円にしかならないけれども、 様々な文化が付加されるたびに値段が上がっていく。 岐阜というのは、 日本の歴史の中心に位置していた地域で、 東西の交流の中で必ず通過する地点だったからさまざまな文化が埋もれている。 それを新しい経済に付加価値として転嫁するということを考えられるということが重要だと思います。 オリベイズムというのはまさにそういうことを、 知事が中心となって推進しておられるということです。
 陶器にしても木工にしても繊維にしても、 従来のように機能だけを提供しますということで、 発展途上国と過酷な価格競争をするのはやめて、 なんらか文化の背景に裏打ちされたものを作る方向へ行けば、 縮小文明につながっていくと思います。 余分なものを大量に作って、 安く売って、 苦労した割には大した実入りが無いという方向から180度方向転換して、 受注生産によって、 文化の価値を付けるということをされれば、 無駄なものは作らず、 しかも買う人も高い価値を認めて使ってくれるし、 売るほうも従来よりも利益が高い物を作ることができます。
 文化が経済を牽引するということを、 新しい地域の目標にされたら、 低迷している産業分野が転換する可能性はあると思います。
渡邊  文化が経済を牽引するというお話は全ての産業に当てはまるのでしょうが、 特に観光について言いますと、 先生のおっしゃったように岐阜というのは非常に歴史があって、 歴史と文化の豊かさというのがあるように私も感じます。 それを岐阜の方々は、 あまり注目しないで、 気にかけずにおられまして、 むしろ他の県から見ますと、 とてもうらやましいというところがあります。 それをもっと活用しながら観光も考えていったらいいのかなと、 先生のお話を伺いながら感じました。
月尾  外部の目で見た価値を、 地域の人たちも共有するということが重要だと思います。 路傍に転がっていた石に大変な価値があるということを地域の人が認識して、 誇りを持つと言うことが大事だと思います。 旅行していて、 これは何ですかと聞くと、 地域の人もわからないという経験がよくあります。 もし、 この石は千数百年前にどういう事件があって、 私たちの地域の誇りですというような説明を受けると、 大変な発信力になる。 外部から評価されることも大事ですが、 その評価を地域の方々が理解するということも大事だと思います。
 

産業復興の鍵は 「情報通信」 の活用

渡邊  先ほど注文生産のお話があったわけですが、 つい最近まではそういうことはごく一部の金持ちしかできなかったわけですけれども、 こういった情報通信革命のおかげで、 消費者それぞれが結構そういったことができるような環境にもなっています。
 今、 消費者の動向が掴めないと言いますが、 流れは安く手に入る普通のものはできるだけ安く。 それからこだわる物はできるだけこだわって、 そこにはお金をかけるという、 そういう消費者の動きがあるような気がします。 地場産業も、 先生のお話にあったように、 東南アジアと競争する分野でなくて、 こだわりの消費者にうまく対応していくというのができれば新しい道が開けるように思いました。
月尾  どこにどういう需要があるかということを把握するのに、 これまでは費用がかかって簡単にはできなかったのですが、 情報通信手段を駆使すれば、 そういう小さな需要を吸い上げることが簡単にできるようになったと思います。 しかも、 流通経路でかさむ経費が縮小すれば、 これまでよりも安くて高度なサービスを提供することが可能になったわけです。 そこをうまく把握することが重要です。

21世紀の行政の役割と岐阜のひとつの姿

渡邊  これからの産業や地域について、 いろいろと示唆に富むお話をいただきましたが、 その時に行政の役割をどう考えたらよいでしょう。 ひとつは方向性をみんなに示す、 ビジョンの役割というものもあるかもしれません。
 それからもうひとつはインフラと言いますか、 確かに情報通信によって費用は下がり、 時間、 距離、 などの壁を突破したとは言いながら、 インフラ整備によるところが大きいですね。 そういったところで県という行政の範囲で考えた時、 何かいろいろやることが、 あるような気がしますが。
月尾  岐阜県は大変うまくやっておられる地域で、 あえて言うまでもないと思いますが、 1番目は、 時代が急速に変わる時にはボトムアップでは時間がかかって競争に負けると思います。 トップダウンで誰かが旗を振らないといけない。 そういう点で梶原知事は方向を鮮明に県民に示しておられる。 そういうことは今後も大事だと思います。 社会が従来と同じ方向に進んでいくという時には旗を振る必要はなくて、 ボトムアップでよかったが、 場合によっては180度方向転換をする時代にはトップが方向を示す必要がある。
 社会基盤も確かに必要で、 情報通信社会に突入するためには情報通信基盤がいりますが、 これも岐阜県は進んでいます。 例えば、 4年前の12月に、 オープンコンピュータネットワーク (OCN) というNTTのインターネットサービスが始まりました。
 従来、 こういう新しい情報通信サービスは、 東京で始まり、 大阪が続き、 それから政令指定都市に展開して、 地方中核都市へという順序だったわけですが、 OCNが最初にひかれたのは大垣市でした。 それから、 県民情報ネットワークも整備され、 県民が自由に情報通信をできる環境も早々と用意しておられる。
 郵政省が次の時代の通信基盤として、 毎秒ギガビット程度の高速回線を実験的に敷設していますが、 そういうものも率先して誘致しておられる。 それから岐阜県が先進的なのは、 次の世代に新しい社会基盤を使わせるという分野です。 小中学生に一番いい環境を与えている。 これは今後10年とか20年経った時に、 大きな力になると思います。 マルチメディア工房も10カ所ぐらいに作っている。
 そういう施設を県内各所に作られて、 県民が新しい情報環境に接するというサービスもしておられる。 情報通信社会の模範県だと思います。
渡邊  そういう要素がまた時間の経過とともに、 より価値を持っていくでしょうし、 今あること自体も、 さっきおっしゃったように、 客観的な外から見れば非常に高く評価されるものですね。 見学者が相次いでいるというのも、 そういうところだろうと思いますけれど。 そういうものを生かした、 新しい岐阜であり、 文化と言いますか、 新文化というのもかなり可能性としてあるということですか。
月尾  あります。 これまでは古い文化のことばかり言いましたが、 ソフトピアジャパンが新しい文化を作りつつあるし、 VRテクノジャパンは、 東京大学、 慶応大学、 岐阜大学などと県が共同で研究を行い、 日本の先端的な研究者が多く来て研究を始めつつあるので、 次の時代の産業を作り出す背景になると思います。
渡邊  それと情報通信インフラというと、 本当に情報通信の、 コンピュータであり通信回線でありということだけを考えるんですが、 その一方でさっきおっしゃったいろいろな文化的な、 織部の、 あるいは注文家具だとかを、 全国に流通させようとすると、 情報と同時に物流という機能が生じてきますよね。 一方で情報通信革命の裏側ではそういう物流と言うんですか、 従来の流通ではないところで、 すごく大きな革命が今起こっているような気がします。
 そういう視点に立った時に、 やはり岐阜にも大きな全国ネットの物流業者がいらっしゃるし、 そういったことの連携とか、 そういう視点というのもあるのかなと。
月尾  大変重要なご指摘で、 ロジスティックスがなければ新しい社会は運営できませんが、 岐阜は西濃運輸が東名高速道路と名神高速道路のジャンクションの周辺に大規模な物流基地を作っておられ、 配送については有利な状況だと思います。 これまでは岐阜と言っても北の半分が取り残されていましたが、 東海北陸自動車道が整備されていくと、 それが南北を貫いて、 東西の幹線である東名・名神につながります。 こうなれば岐阜の骨格的な部分のロジスティックスはほぼ整備されると思います。
 

中心市街地の活性化の鍵は文化があるかないかで決まる

渡邊  最後に、 特に今象徴される、 商店街の沈滞と言いますか、 これは歴史的な方向として、 そもそも歯止めをかけてももう止まらないのか、 あるいは社会自体がある意味では東京集中ではなくて、 結構分散化してくるような中で、 新しい情報通信革命の社会の中で、 また新しい存在意義を見つけだすのか、 よくわからないところであるわけですが。
月尾  先ほどの文化が経済を牽引するという視点からすると、 現在の商店街には文化がないのです。 岐阜県の地方都市にある商店街は物を売るというだけで終わっている。 その結果、 人々は郊外へ行ってしまう。 もう少しすれば、 通信販売で買うということになってしまう。
 いくつかの地域で成功し始めている中心商店街の再開発は、 空き家になった商店を再度商店にするのではなくて、 その地方ゆかりの作家の博物館にするとか、 その地域が生産している製品の展示場にして、 同時に商品も売るという仕組みにしています。 文化を商店街に持ち込まないと、 単なる機能とか利便を提供するという商店街は不要です。
 滋賀県の長浜は倉庫を博物館や店舗に転換しているし、 小樽も運河沿いの石造りとか煉瓦造りの倉庫を、 地域の文化を紹介しながら商品を販売するという仕掛けになっています。 ガラス屋さんが、 安いガラス製品や土産物を売っていますということであれば再興しない。 過去の蓄積を使いながら成功しているということです。 例えば多治見市の商店街を再興しようと思えば、 地域の文化がそこに集まっているという仕組みを作ることだと思います。
渡邊  確かに物流がどんどん進み、 インターネットが進んでいくと、 買い物という機能の部分であれば、 わざわざどこかへ出かける必要はないわけですから、 商店街にわざわざ行くというのはそこで何か物を買うだけではなくて、 何か楽しみとか文化とかそういうものを得ようということなんでしょうね。
月尾  買うつもりはなくても、 結果として買うという方向だと思います。
渡邊  今日は長時間、 大変ありがとうございました。
 
 
月尾嘉男氏の略歴
 昭和17年 愛知県名古屋市生まれ
 昭和40年 東京大学工学部卒業
 昭和46年 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了
 昭和51年 名古屋大学工学部助教授
 昭和63年 同大学教授
 平成 3年 東京大学工学部教授
 現在、    東京大学大学院新領域創成科学研究科教授


情報誌「岐阜を考える」2000年
岐阜県産業経済研究センター


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