6 エネルギー、食糧

土壌資源・食糧問題からみたアルカリ土壌改良


千 小乙     松本 元
(東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程)     (東京大学大学院農学生命科学研究科教授)


1.はじめに
  FAO (国連世界食糧農業機構) の1994年統計によると、 内陸の河川や湖沼の面積を除く地球の内地面積は約130億haであり、 そのうち主食である穀物やいも類を生産する主な農地は13億haとなっている。 したがって、 人類はわずか10%に過ぎない限りある農地面積で約60億人を賄う食糧を生産していることになる。 加えて、 人口増加は今後も予想されるであろうことが国連の人口調査で予測されており、 人類は21世紀の中頃には100億人となり、 今より更に食糧供給をめぐって事態が逼迫するであろうと考えられる。
  このような食糧供給の逼迫性を回避し、 安定な供給態勢を造るためには、 穀物の収量を現在の1.7倍にする必要性があり、 そのための食糧の生産増加に対する具体的な対策が必要である。 すなわち、 現在の主な農地の地力の維持向上を図るとともに、 生産性の低い土壌あるいは問題土壌に対し、 積極的に改良を行い安定な食糧生産のための土壌資源を確保しなければならない。

2. 世界の土壌劣化と塩類土壌の分布
  食糧生産量の差は、 年々の気候変動、 農地土壌の肥沃度及び技術の違いにより生じる。 中でも収穫量に大きな影響を与える要因としては、 過剰な耕作や不適切な土地利用による土壌劣化である。 UNEP (国連環境計画) の調査によると、 自然的または人為的要因によりこれまで20億haに及ぶ面積の土壌劣化が生じており、 さらに今後20年間で、 約1億4千万haもの肥沃な農地が土壌劣化によって失われると予想されている。 これは全世界の現在農地として使われている面積の約10%に相当するものである。 表1は世界の地域別の劣化程度を土壌面積で示したものであるが、 最も高い割合を示すのがヨーロッパである。 これは人口動態の面でも、 購買力の面でも、 食糧供給には取りあえずの問題は少ないと思われる。 食糧問題を考えるうえで、 最大の課題はアフリカ、 アジアの開発途上国における高い人口増加率とそれを支える土壌の肥沃度の低下がもたらす生産性の減退、 食糧生産大国アメリカにおける土壌劣化 (塩類化と侵食)、 ならびに中国及びインドのような人口大国における食糧自給の維持が今後の食糧需要・供給のバランスに対する人類全体の課題となっている。

表1 土壌劣化程度面積 単位:百万ha
地域 程度別劣化面積 劣化面積 陸地面積
軽度 中程度 重度 極度
アフリカ 173.7
35.1%
191.8
38.8%
123.5
25.0%
5.2
1.1%
494.2
100.0%
16.7% 2965.6
アジア 294.5
39.4%
344.3
46.1%
107.6
14.4%
0.5
0.1%
746.9
100.0%
17.5% 4256.0
オセアニア 96.6
93.9%
4.0
3.9%
1.9
1.8%
0.4
9.4%
102.9
100.0%
11.7% 882.2
ヨーロッパ 60.5
27.7%
144.5
66.0%
10.7
4.9%
3.1
1.4%
218.8
100.0%
23.0% 950.5
北アメリカ 18.9
11.9%
112.5
71.1%
26.8
16.9%
0.0
0.0%
158.2
100.0%
7.2% 2190.9
南アメリカ 104.8
43.1%
113.5
46.6%
25.1
10.3%
0.0
0.0%
243.4
100.0%
13.8% 1767.5
世界計 749.0
34.6%
910.6
47.4%
295.6
17.8%
9.2
0.2%
1964.4
100.0%
15.1% 13012.7

(注)
軽度:土地は農業に適しているが、生産力は幾分低下している。
中程度:土地は農業に適しているが、生産力は相当低下している。
重度:土地は農業に適しない。
極度:土地の開墾も回復も不可能である。
(World Atlas of Desertification 1992, UNEP)

  塩類土壌は劣化した土壌の一種類で、 その分布面積は正確に集計することはできないが、 乾燥地または半乾燥地の農耕地に主として分布している。 世界陸地の約三分の一は乾燥地域であるが砂漠のようにきわめて乾燥しているのは高々5%であり、 多くは豊富な日射量に恵まれ、 水さえあれば生産性が期待できる環境にある。 事実、 私たちの食糧のうち、 小麦、 大豆及びトウモロコシは大部分が乾燥地で生産されている。 しかし、 近年に半乾燥地における塩類土壌面積が急速に増加している。 乾燥地または半乾燥地における塩類土壌の生成は、 降水量よりも蒸発散量が凌駕する地域で、 ナトリウム、 カリウム、 カルシウム、 マグネシウムの塩基類の供給量が多く、 大量の灌漑水の利用で地下水位が高くなったところに通常出現する。 地球上の陸地に分布する塩類土壌地帯は恒久的に塩類土壌となっているところと、 季節のある時期に限って出現する地域的に分布するところがあるが、 塩類土壌の乾燥地農耕地土壌での出現は恒常的に存在するというよりも、 遷移的に出現する土壌とみるのが実際的である。 図1は比較的恒常的に存在する世界の塩類土壌の分布を示した。

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3. アルカリ土壌の生成及びCa2+とNa+イオン 置換による土壌改良
 1) アルカリ土壌の生成と性質
  乾燥地域の気温の特徴は日中の気温と夜間の気温との差 (日較差) が30℃以上にもなり、 熱膨張率の異なる鉱物から構成されている岩石はこのような強い物理的風化のもとで、 長い年月の間に土壌が細かな粉体を呈するまでになる。 水の影響をあまり受けることがないこれらの土壌にはアルカリ金属、 アルカリ土類金属族を主体とする塩基類がそのまま遊離の塩類となって土壌に保持されている。 乾燥地あるいは半乾燥地で土壌の表層部位に塩類が集積し、 塩類土壌を生成するようになるのは上記で述べた水収支と土壌中に大量の塩類が存在する状況に加えて、 塩類が水で上層に移動・集積されるためである。 しかし、 この現象は通常、 乾いた乾燥地の水分状態では起こらない。 塩類土壌が土壌表面に生成されるには大量の水が乾燥地に導入されるような人為的または地形的な条件が必要である。 人為的な水の導入はいうまでもなく乾燥地における灌漑を意味し、 地形的な要因としては窪地のような凹面の地形に周囲の地形から雨水、 河川水、 灌漑水が浸透・集水して、 凹地に停滞する場合である。 いずれの場合も下層土のある部分に水が停滞水となって一次地下水を形成し、 その部位から水の毛管上昇によって水溶性塩類が表層土に移動集積し, 土壌表面が塩類化として発達する。
  塩類土壌は塩性土壌 (saline soil)、 アルカリ土壌(alkali soil)、 及びアルカリ−塩性土壌 (alkali−saline soil) に分類される。 塩性土壌は比較的低塩類濃度の水で土壌をリーチング (洗滌) することにより、 土壌中の塩分を除去し土壌の生産力を回復させることが可能である場合が多い。 しかし、 アルカリ土壌はpHが8.5以上を示すだけでなく、 Na層 (natric horizon) と呼ばれる緻密な土層の存在によって透水性が著しく低下し (図2)、 リーチングによる除塩効果はほとんど期待できない。 ここにアルカリ土壌改良の難しい点がある。 このことは塩性土壌は栽培植物がある程度の耐塩性機構を備えていると生育が可能であるのに対して、 アルカリ土壌は土壌構造が劣化しているために耐塩性植物すらも生育できない、 まったくの裸地化した不毛な土壌となる。

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 2) 石膏によるアルカリ土壌の改良と中国での実践的研究
  アルカリ土壌を含む塩類土壌の石膏による改良効果は1970年代に初めて報告されて以来、石膏はアルカリ土壌材として周知の事実となっている。その改良メカニズムとしてはNa層にCaSO4から2価のCa2+イオンを徐々に供給させ、粘土コロイド表面(陰電荷を持つ)に吸着しているNa+イオンをより強い吸着陽電荷を持つCa2+イオンと置換させることにより粘土コロイド同士の拡散・分散を減らし、Na層の存在を改変するものである。石膏によるこのようなCa2+イオンの置換はまた、段階的には土壌中で保水性や排水性、通気性、易耕性が良くなる団粒構造を形成する粘土コロイドを安定させることにより、破壊された団粒構造を徐々に回復させる機能も期待できる(図3)。しかしながら、純粋な石膏はそのコストが高く、広大な面積のアルカリ土壌を農作地として改良するには経済効果が見出されないという理由で普及に適していないことから、石膏による改良はこれまで積極的には行われては来なかった。

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  ところで、 中国は1978年の開放以来、 計画経済から市場経済へと転換した20年間で高度成長を遂げてきた。 中国における産業エネルギーの75%以上は石炭から供給されており、 近年の石炭燃焼量は年間12億トンを超えた。 そのうち65%はボイラー燃焼によるものでその結果、 経済成長により引き起こされた大気汚染の問題が非常に深刻となった。 中国では年間140万人以上が大気汚染による慢性的な呼吸器系障害によって死亡している。 SOxの面から言えば、 中国の石炭中の硫黄 (硫黄含量は0.05〜5.00%) の80%がSO2の形でそのまま大気中に放出されるなど、 これらの大気汚染の問題は酸性雨の原因を引き起こし中国国内の問題だけにとどまらない。 日本に降る酸性雨に含まれる硫黄酸化物の約半分は中国に由来すると言う報告もある。 そこで石炭燃焼で発生する亜硫酸ガスを除去するため、 脱硫剤として石灰 (生石灰) を使い脱硫させその際生成された脱硫石膏をアルカリ土壌改良のため、 改良材として用いる。 これは硫黄酸化物の排出量を削減するとともにアルカリ土壌改良による食糧増産の二つを同時に解決できると言う利点がある。
  1998年、 中国・遼寧省瀋陽ではCaSO4による改良効果を期待した脱硫石膏を用いたアルカリ土壌の改良実験が行われた。 脱硫石膏を施用すことによる土壌の化学性の変化を検討したものが表2である。 その結果、 1.2kg/ (0.5%) の処理によってpHは10.3から8.3まで下がり、 アルカリ土壌生成の原因であるNa+とCO32−の濃度もきわめて減少した。 これはNa層にCaSO4から2価のCa2+イオンを供給させ、 粘土コロイド表面のNa+イオンを置換させることによって、 土壌の透水性及び通気性を回復させ、 塩類の洗滌を促進させる効果があったからと思われる。
  このようなことから、 石炭燃焼から発生する硫黄酸化物から脱硫石膏を製造しそれを用いて中国のアルカリ土壌を耕地へと改良することが可能であれば、 石炭燃焼に基づく硫黄酸化物の排出削減による環境汚染対策と共に、 世界人口の20%以上を占める膨大な中国に置ける食糧生産増大による食糧の自給自足に寄与することと期待される。

表2 脱硫石膏処理(1.2kg/m2)による土壌化学性の変化
    EC 全可溶性塩 CO32- Na+ Ca2+ Mg2+ K+
処理 pH dS/m g/kg cmol(+)/kg cmol(+)/kg cmol(+)/kg cmol(+)/kg cmol(+)/kg
無処理 10.32 0.70 3.53 0.0966 30.39 12.46 2.12 4.21
石膏処理 8.25 1.17 0.64 0.0000 12.37 20.75 2.00 0.13

4. おわりに
  地球上にはさまざまな種類の問題土壌があるが、 アルカリ土壌のように乾燥地または半乾燥地に形成される問題土壌は土壌の理・化学性を改善することによって、 人口爆発と共に21世紀人類の最大課題となる食糧不足に寄与できる可能性を持っている。 石炭燃焼から発生する硫化酸化物で脱硫石膏を製造し、 アルカリ土壌に添加して改良することにより、 不毛地であるアルカリ土壌から安定的に作物栽培を行うことに役立てることがその一つである。

5. 参考文献
  「World Atlas of Desertification」 (UnitedNations Environment Programme, 1992)
  「100億人時代の地球」 (綿抜邦彦編著、 農林統計協会、 1998)
  「土の世界」 (「土の世界」 編集グループ編、 朝倉書店、 1997)
  「地球の土壌劣化に立ち向かう」 (藤川鉄馬著、 大蔵省印刷局、 1997)
  「FAO 2010年の世界農業」 (FAO編、 1995)
  「トリレンマへの挑戦」 (地球問題研究会編、 毎日新聞社、 1983)
  「アジア環境白書1997/98」 (日本環境会議 「アジア環境白書」 編集委員会編、 東洋経済新報社、 1997)
  「土壌圏の化学」 (東京大学農学部編、 朝倉書店、 1997)
  「人口と食糧」 (東京大学農学部編、 朝倉書店、 1998)


■千 小乙 (チョン・ソウル)
1973年 大韓民国ソウル生まれ
1997年 延世大学大学院生物学科専攻、 理学
     修士
現在  東京大学大学院農学生命科学研究科、
     博士課程

■松本 聡 (まつもと・さとし)
1940年 三重県生まれ
1971年 東京大学大学院農学系研究科農芸化
     学専攻博士過程終了、 農学博士
現在  東京大学大学院農学生命科学研究科
     ・教授
主な著書
    『危機の地球環境』 (共著) 岩波書店、 1990
    『土壌圏の科学』 (共著) 朝倉書店、 1997
    『最新土壌学』 (共著) 朝倉書店、 1997


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
岐阜県産業経済研究センター

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