1 科学・情報技術社会

21世紀社会を支える複雑系としてのインターネット


会津 泉
(アジアネットワーク研究所代表)


  21世紀に向かう地球社会にとって、 インターネットは、 少なくともその初期の段階では決定的に重要な役割を果たすと思われる。 コンピュータとコンピュータを結ぶネットワークのネットワーク。 ただそれだけといってしまえばそれまでだが、 インターネットにはこれまでのメディアのすべてを超えて、 一人一人の生活に、 社会に、 経済に、 根元的な変化をもたらしつつある。

インターネットは進化する
  1992年のアメリカ大統領選挙で副大統領候補に指名されたゴア上院議員は、 「情報スーパーハイウェー」 を提唱して選挙戦を有利に進めた。 翌93年1月に発足したクリントン・ゴア新政権は、 2月に 「全米情報インフラ計画=NII」 を発表し、 アメリカに新しい 「デジタル革命旋風」 を起こしつつあった。 その構想の根幹にあったのが、 研究用のネットワークから一般・商用のネットワークへと急速に性格を転換しつつあったインターネットだった。 日本でもこのアメリカの動きに刺激され、 インターネットが急激に注目されるようになった。
  この頃、 インターネット上で自由な情報発信・交換を可能とするワールドワイドウェブ (WWW) という仕組みが開発され、 さらにこれを大幅に使いやすくするパソコン用の 「モザイク」 という閲覧ソフトが発表されたことで、 インターネットは大爆発の前夜を迎えた。 このWWWと閲覧ソフトの組み合わせのおかげで、 インターネットは文字だけでなく、 写真や画像、 音声など、 どんなデータでもホームページによって簡単に受発信できるグローバルなメディアへと、 大きな変身を遂げた。
  私が属している国際大学グローバル・コミュニケーション・センター (グローコム) でインターネット上のホームページを実験的に開設したのが94年の春、 文科系の研究組織としてはまだ珍しい存在だった。 インターネット上で日本の情報通信政策について積極的に情報発信することによって、 グローコムの活動はホワイトハウスの情報政策の担当者たちも含めて国際的によく知られるようになっていった。
  この頃ようやく日本でも商用インターネットの本格的な接続サービスが開始され、 95年から96年にかけて爆発的な普及が始まった。 個人がホームページで情報発信を楽しみ、 企業も当初は及び腰だったが、 やがて自分たちの製品やサービスについての詳しい情報を発信するようになった。 新聞社がニュースを提供し、 オンラインで本やCD、 地方の特産品からパソコンのハードやソフトまでが売られるようになった。 インターネットが一部の人々だけが使う特殊なツールからごく普通の人たちが使う日常の道具へと進化をとげるのに、 わずか数年という異例の速さだった。
  日本だけでなく、 欧米はもちろんアジアの途上国でも、 インターネットは専門家の予想をはるかに超える急激な普及を続け、 文字通り世界を一つに結ぶグローバルなメディアとして大きく発展した。

インターネットの本質とは
  ではインターネットはなぜ世界中にこれほど一気に広まったのか、 ここでその本質についてすこし考えてみたい。

1) ネットワークのネットワーク
  あらためて言うまでもなく、 インターネットは一般の利用者が世界中を対象に自由に情報発信ができるほとんど唯一のメディアだ。 それも低コストで簡単に。 それまでの多くの 「ニューメディア」 は、 表面上は新規技術を利用しているものの、 情報の流れという点では、 専門の資格や資本・設備を持つ限られた人々が発信手段を 「独占」 し、 一般利用者は彼らが提供する情報を対価を払って受け取り利用するという、 マスメディア型の利用に限定され、 情報の流れは一方向に固定されていた。 「言論表現の自由」 も、 実質的には報道機関のものであって、 一般市民のものではなかった。
  パソコン通信でこの図式がはじめて破られたが、 まだ特定のネットワークの会員同士でしかコミュニケーションができないという大きな制約があった。 通信コストや技術の壁が高く、 国境を越えることはなかなかできなかった。
  それが、 インターネットが 「ネットワークのネットワーク」 という仕組みを実現したことで、 世界中の異なるネットワークが相互に、 瞬間的に、 かつ低コストで簡単につながるようになった。 この 「ネットワークのネットワーク」 というコンセプトこそ、 インターネットの本質だ。
  これによって、 情報の受発信コストは一挙に大幅に下がった。 共通の仕組みで隣同士をつなぎさえすれば、 結果的に世界中がつながってしまうからだ。 それぞれのネットワークが、 部分部分の相互接続コストだけを負担すれば、 結果としてグローバルにつながるようになる。 この仕組みによって、 情報の流れはまさに世界中へと一気に範囲が拡大した。 このことの意義は、 いくら強調してもし過ぎることはない。 インターネット上を流通する大量の情報のほとんどは、 通信費さえ負担すればあとは無料で利用できる。 高価な商用データベースサービスを使わなくても、 自分で発信している人間や組織のホームページさえ見つければ、 直接一次情報が入手できる。

2) オープン・ネットワーク 分散と協調
  インターネットは、 もう一つ、 「オープン・ネットワーク」 という重要な本質をもっている。 まず、 コアとなる技術仕様は、 詳細にわたってネットワーク上でだれにでも公開され、 特定メーカーに占有されてはいなかった。 利用にあたって、 特許料やラインセンス料の支払いは不要で、 世界の誰もが容易に利用できる環境が用意された。 これによってIBMや富士通といったメーカーの違い、 あるいは機種や基本ソフトの違いを越えて、 あらゆるコンピュータが簡単に相互接続できるようになった。 今なら当たり前に思うが、 当時としては革命的なことだった。
  いわゆる 「分散ネットワーク」 といって、 特定の組織が中央で一元的に管理する仕組みは極力排除され、 新しい発見はあっという間に広まり、 不具合はみんなが自発的に協力して改良され、 技術進歩のペースは猛烈に速まる仕組みができていった。
  ただ 「分散」 しているだけでなく、 ネットワークを活用することで、 必要な技術情報が瞬時に流通し、 多数の人々が協力して新しい技術の開発にあたる協調的な仕組みができていったことが重要だ。 これも、 技術情報が公開されているオープンなネットワークだからこそ可能となったことだった。 新技術の開発にあたっても、 それをみんなで使える標準にするためには、 オンラインで公開討論のプロセスにかけることが定着している。 そこでは多数決による 「投票」 ではなく、 コンセンサスを得ることが基本である。
  インターネットでは、 金儲けすることよりも、 自分の創造した知的作品がみんなに評価され、 共有されることに、 より大きな価値を見いだすエンジニアがごく当たり前に存在する。 それが、 かえってその作品に新しい経済価値を与え、 大きな儲けとなって戻ってくることも珍しくない。 それがインターネットの<カルチャー>となった。

インターネットはだれのもの?
  こうしてここまでは比較的順調な発展をとげてきたインターネットは、 21世紀を直前に控えた地球社会を、 本格的な情報社会へと誘う水先案内人として、 その意義は世界中が認めるところとなった。 もうゴア副大統領などの政治家が訴えなくても、 情報インフラが重要なことは世界中が認めるようになり、 日本もヨーロッパもアジアの途上国も、 それぞれ情報化の推進に政府や産業界が力を入れるようになった。
  ヤフーやアメリカオンラインといった、 シリコンバレー発のベンチャー企業があっという間にウォール街から資金を集め、 GMやソニー、 松下など、 世界の一流大企業を上回る総資産額を誇るようになった。 若き 「ネティズン」 たちの新鮮な発想が、 新しい文化を生み、 世界を変えようとしている。 新しい富を生もうとしている。
  同時に、 インターネット自身も変わろうとしている。 21世紀ネットワーク社会が到来しようというまさにとば口にあって、 本質的な問いが繰り返し問われている。 それは、 「インターネットはだれのもの?」 という問いである。

「名前」 の仕組みがきっかけに
  この問いのきっかけとなったのは、 インターネット上の 「名前」 の仕組みである。
  インターネットを利用するときには、 電子メールの 「住所」 として、 一定のルールに従った名前を使う。
  たとえば 「izumi@glocom.ac.jp」 というのは、 私が国際大学グローバルコミュニュケーション・センター研究員として使っていた電子メールのアドレスで、 「izumi」 は私の名前、 「glocom」 は職場の略称、 「ac」 は大学 (アカデミック) の略、 「jp」 は日本の略である。 これだけの簡単な仕組みのおかげで、 日本の大学のグローコムのイズミというアドレスは、 世界に一つしか存在せず、 したがって世界中からこのアドレス宛に出される電子メールはすべて私のところに確実に届くのだ。
  私は97年からマレーシアに移り、 新しくアジアネットワーク研究所を始めた。 今は主に 「izumi@anr.org」 というアドレスを使っている。 「anr」 は、 Asia Network Researchの略、 「org」 は非営利組織を意味し、 これを組み合わせた 「anr.org」 という名前は、 米国の担当機関にオンライン照会したところまだ誰も使っていなかったので、 さっそく申請し、 アジアネットワーク研究所がめでたく取得できた (年間35ドルの利用料がかかる)。 インターネットでは、 こうした名前の組合せによるアドレスシステムを 「ドメインネーム・システム」 と呼んでいる。
   「ドメイン」 とは 「領域」 のことで、 通常は 「朝日新聞」、 「国際大学」 といった特定の組織名を表す部分と、 「営利企業」、 「教育機関」、 「政府組織」 といった組織の属性を表す部分、 さらに 「日本」、 「韓国」 といった国などを表す部分が連結されて階層的に構成されている。
  この裏には、 IPアドレスといって、 インターネット上に存在する世界中のすべてのマシンを、 互いに異なる9桁の数字による番地で管理する仕組みが存在している。 ただし普通のユーザーは、 無味乾燥で覚えにくい数字を意識することは不要だ。 インターネット上のドメインネームとIPアドレスの対照表を、 世界統一のデータベースで管理する仕組みが機能しているおかげである。 利用者が特定のドメイン名を指定すると、 インターネット上のこのデータベースが自動的に該当する数字アドレスを探して、 情報を送ってくれる。
  では、 こうした便利な名前の付け方のルールはだれが決め、 だれが管理しているのだろうか。 たとえば朝日新聞のホームページの情報を提供するサーバーは、 米国サンノゼに置かれ、 「www.asahi.com」 がアドレスとなっている。 この 「.com」 (ドットコムと読む) こそ、 「インターネットがだれのもの」 という問いに火をつけた出発点でもある。 最初はもっぱらアメリカの企業のアドレスとして使われていた 「.com」 だが、 これに限って後ろに国名を付けなくてもそのまま通用する便利さから、 国境を越えて世界中で活躍するような企業が、 自社の名前に 「.com」 を付けたアドレスを欲しがるようになった。
  しかし、 世界中に同じ名前はたくさんある。 アサヒといっても、 ビールもあれば、 ガラスもある。 原則として先着順で認めたため、 有名企業の名前をつけた 「.com」 を無名の個人にさきに押さえられて法外な金額で買わざるをえなくなったり、 ハンバーガーのマクドナルド社のように、 「商標権の侵害だ」 として先に取得した個人を訴える訴訟事件も続発した。
  企業のアドレスを示すドメインを 「.com」 に限定するという規則は便宜的に決めたもので、 絶対不変のものではない。 インターネットの草創期からこの名前のシステムをボランティア的に管理してきた南カリフォルニア大学の故ジョン・ポステル氏はそう考え、 この 「ドメインネーム・システム」 を拡張する提案を行った。 1996年のことだった。
  インターネットの関係者が召集され検討した結果、 「.biz」 とか 「.art」 など、 新しいドメイン名を追加する案が考え出され、 正式に提案された。 この新しい提案は、 インターネット協会 (ISOC) が呼びかけて草案をつくり、 国際条約機関であるITU (国際電気通信連合) やWIPO (世界知的所有権機構)、 民間組織であるINTA (国際商標協会) などの代表も検討に加わり、 世界中で侃々諤々の議論をした末にようやく合意が成立したものだった。

新システムはだれが責任をもつのか?
  ところが、 この案をほぼ実施に移そうという段階になって、 米国政府が 「待った」 をかけた。 1997年7月のことである。 実は米国政府は 「学術研究の支援」 という名目で、 この 「ドメインネーム・システム」 を管理する南カリフォルニア大学などと 「研究契約」 を結び、 相応の費用を負担してきたのだった。 したがって、 米国政府にはドメインネームの管理について法的権限があり、 その承諾がなければ勝手に新システムをつくることは認められないというのが主張の根拠だった。 この法律論は強い。 ここで問題になったのが、 まさに 「インターネットはだれのもの」 あるいは、 「インターネットはだれがどう管理し、 責任をもつものか」 という問い、 いわゆる 「インターネット・ガバナンス (統治)」 という問題だった。
  ネットワークのネットワーク、 オープンなネットワークを本質とするインターネットは、 これまで一般社会で通用してきた 「管理」 や 「責任」 という概念で簡単に律することが難しい面をもつ。 利用の広がりは、 文字通りグローバルである。 特定の組織や企業が中央集権的に管理しているわけでは、 まったくない。 地球上の多数の組織が、 多くの場合互いに法的な契約関係は結ばず、 「自発的に」 共通の規則や技術仕様を定め、 利用方法を尊重することで、 電子メールもWWWも、 最近では音声情報も画像情報も、 自由に流通・交換できる仕組みを成立させてきたのだ。
  原則として 「来るもの拒まず」 で、 地球の裏側からのデジタル信号で、 自分の組織に何の関係もない発信者からのものであっても、 宛先が自分のネットワークの利用者であれば、 これを受け取ることが基本である。 「中継」 についても同様だ。 費用の負担原則が明確に存在しているわけではない。 接続するための費用はいわばどんぶり勘定で、 自分が接続する隣のネットワークと応分に負担する、 というのが唯一の確立された原理である。 通過する情報量の多寡で費用負担が決まるというわけでも、 必ずしもない。 あくまで双方の自発的な合意、 包括的な相互協力、 協調が基本原理なのである。
  しかし、 既存の組織、 政府や企業は、 こうした理想主義的な、 ボランティア精神を基本とするインターネットの運用方法をそのまま認めることは難しい。 なにか起きたときの 「責任の追及」 が困難だからだ。 責任の追及ができるためには、 法的な関係が明確になっていることが必要だ。 ところが、 インターネットの場合、 その成立の基本部分からして、 法的関係が明確になっていない。 まして相互接続が何重にも重なり、 間接的に接続されている相手同士には法的契約関係がない。 前述した名前システム、 アドレスシステムにしても、 法的な関係が整備されていないから、 紛争が起きると解決は容易ではない。

多発する紛争
  名前以外でも、 インターネットの爆発的な普及に伴って、 その利用についての様々な形態での紛争が多発するようになってきた。 いくつか実例をあげてみよう。
  世の中で通用している名前を勝手に第三者が使ってしまった。 自分の国の法律では違法となる猥褻な内容の情報でも、 それが合法とされる外国から簡単に入手できる。 特定の個人の名誉を著しく傷つける情報が、 匿名で大量に発信される。 若い女性のプライバシーが、 知らないうちに暴露される。 オンラインのセクハラやストーカーの被害にあう。 女性名を名乗って交際していた相手の自宅を訪ねたら実は男性だったとわかり、 怒って放火した。 オンラインで商品を注文し、 代金を先に送ったのに、 商品が届かず、 取り込み詐欺にあった。 他人のクレジットカード情報をネット上で 「盗聴」 し、 勝手に利用した。 社員が会社の電子メールを私用に使ったのがばれて解雇された。 退職した社員によって機密情報が電子メールで競合企業に流された、 などなど。 いずれもここ数年実際に起きた事件ばかりである。
  こうした紛争を、 だれがどう解決するのか。 オンラインでは相手を特定することが難しい。 既存の裁判、 司法の仕組みだけでは、 簡単には裁けない事件も続発している。 国境を越えた場合が、 そのよい例だ。 インターネットを使えばグローバルなコミュニケーションが一瞬のうちに、 それも個人が多数の人に向けてでも、 容易に成り立つのに、 そのインターネットを律する 「国際法」 は今のところまったく存在していない。
  当事者双方が同じ社会に属していれば、 既存の法的枠組みは、 まだ適用しやすい。 日本のような単一言語、 単一民族が支配的な社会では、 とくにそう思いがちだ。 しかし、 インターネットによって引き起こされる、 国境を越え、 価値観も社会慣習も、 そして法体系もまったく異なる当事者同士の争いは、 どう解決すればよいのか。 そもそも、 どこが法的な責任を所管するのか。 だれが法的に正統な権利と義務を負っているのか。 相手国で行われた行為に国内法を適用することは不可能ではないが、 実際問題としては容易なことではない。 しかし、 この困難で複雑な課題にいやでも立ち向かわなければならないのが、 いままさに始まろうとしているグローバルな情報社会の現実でもある。

グローバルにフェアな方法とは
  ドメインネーム問題一つをとってもそうだが、 ともするとアメリカ主導での解決となりがちだ。 現実問題として、 議論に主体的に参加するのはアメリカ人、 アメリカの企業・組織が圧倒的に多い。 インターネット成立の歴史的経緯、 いまの普及事情などからいって、 どうしても、 そうなりがちなことは否定できない。 これにヨーロッパ諸国も、 アジアのわれわれも、 ときに異議を唱え、 抵抗し、 しかし、 基本的には協調しあって、 ともに難題の解決をめざしてきた。 私自身、 インターネットの業界団体であるアジア太平洋インターネット協会の事務局長として、 あまりに米国一辺倒の解決が提唱されたときには、 問題点を指摘し、 警鐘を鳴らすことを追求してきた。
  たとえばこの新しい組織の 「会費」 をめぐって激しい論争になった。 米国の人は、 単純にコストがかかるのだから、 会費を20ドルでも50ドルでもとるべきだ、 という。 途上国の側に立つわれわれは、 無料にすべきと主張した。 彼らは無料だと組織的な不正が発生しやすいという。 我々は豊かな国からなら、 一人20ドルでも50ドルでも、 不正のコストとしては無視できる金額だと指摘した。 実際に、 途上国でインターネットの管理に携わっている人たちのなかには、 月収が200ドル前後の人も珍しくないのだが、 先進国の人たちはそういう実態を知らず、 「インターネットを使えるのだから、 パソコンも買えるし、 途上国でも中産階級以上に属し20ドルぐらい問題なく払えるはずだ」 という。 それが、 そう簡単なことではなく、 インドネシアや中国、 カンボジアやラオスの人たちは、 国際会議にも参加するのが難しく、 組織にも参加し難いのだと知らずに。 現地の通貨なら物価も安く、 ドルだととんでもなく高いのに。
  こうした議論はほとんどの場合オンライン上で、 インターネットのメーリングリストを利用して行われる。 ということは、 膨大な、 そしてしばしば大変冗長な英語の議論を拾い読みし、 かつ自分の主張を英語で展開しないと、 議論に 「参加」 したことにならない。 存在が認知されないのだ。 私も含めて、 英語を母国語としない人間にとっては、 これはとんでもないハンディである。 国際ビジネスの世界そのものがそうだといってしまえばそれまでだが、 とくにインターネットでは、 これは決定的なハンディとなる。
  こうした、 地球上の異なる現実を踏まえると、 何がグローバルにフェアなのか、 一概に決めることはとても難しい。 だれも正解をもっていないのだ。

免疫系ネットワーク=複雑系としてのインターネット
  最後に、 インターネットのもう一つの特質として、 その技術的な仕組みの基本部分が、 生物の体内における 「免疫系」 の仕組みによく似ていることを指摘しておきたい。 通信を実現する際に、 送る情報をデジタル信号の細かい単位に切り刻み、 その単位毎に 「宛先」 を付けて別々に送る。 この方法を 「パケット通信」 というが、 この方式では、 拠点毎に設置された 「ルーター」 という機器が送られてくる情報をチェックし、 宛先が自分のネットワーク宛なら取り込み、 そうでなければ、 指定された宛先へと 「中継」 していく。 この部分が、 未知の細胞から発せられる情報を識別して、 体内に取り組むか排斥するかを決定する、 免疫の基本機能とよく似ているのだ。
  他にも、 全体を管理する 「中央司令室」 が存在するわけではなく、 部分部分の仕組みがうまく重なることで、 全体の機能がボトムアップで集合的にできていく点も、 免疫系の仕組みと近い。
  インターネットをこうした免疫系としてみれば、 近年流行の用語でいう 「複雑系」 システムそのものであるといえる。 膨大な数の要素が、 ボトムアップで絡み合いつつ、 創発的に 「全体」 をつくりあげる。 インターネットには、 何百万台というコンピュータが直接リアルタイムでつながっている。 その周囲に何千万台というコンピュータが、 間接的に、 電話線を介したり、 LAN (ローカルエリアネットワーク) を介したりしてつながっている。
  全体とは、 「部分」 の単純な総和ではない。 それ以上のなにものか、 である。 最初から 「全体」 を構成する論理や仕組みがトップダウンで存在していたわけではない。 それが複雑系の基本だが、 インターネットもまさにその基本に沿っている。 なお、 インターネットが複雑系であることについて、 詳しくは拙著 『進化するネットワーク』 (NTT出版1994年) を参照いただければ幸いである。

  複雑系について書いた本は何冊もあるが、 なかでも圧倒的な説得力をもって精緻に論じた書が、 私の畏友ケビン・ケリーの書いた 『Out of Control』 (福岡洋一・横山亮訳 『複雑系を超えて』 アスキー出版局・1999年) である。 彼は 「分散システム (群れシステム) の長所と短所」 を、 次のように抽出している。
   「群れシステムの長所
  ●適応できる ●進化できる ●弾力的
  ●限界がない ●新しいものを生み出す
   群れシステムの短所
  ●最適化できない ●コントロールできない
  ●予測できない ●理解できない ●時間がかかる」 (前掲書より)

  これらの特徴の多くは、 インターネットによくあてはまる。 「理解できない」 ということについて、 「非線形のネットワーク・システムは、 まったくの謎でしかない。 自分自身が作り出す矛盾した論理に、 システム全体が呑み込まれてしまうのだ。 AがBの原因となり、 またBがAの原因となる。 (中略) ただし、 システムを理解していようといまいと、 われわれはそれに責任を持たざるを得ない。 だから、 もし理解できるならそれに越したことはないのだが。」 と述べているが、 この 「理解していなくても責任をもたざるをえない」 というのは、 まさにインターネットの関係者が直面している状況である。
  こういう、 いわば人類史的に見てきわめて新しい現象であり、 それだけ理解困難なものとしてのインターネットの世界に、 どうつきあっていけばいいのか。

  かつて、 パソコンの基本となるコンセプトとそれを体現したマシンをつくったアラン・ケイは、 「未来を知るための最適な方法は、 それを自ら作ってみせることだ」 ということを口癖にしていた。 インターネットにも同じことがいえる。 頭のなかであれこれ想像するだけでなく、 実際に形にしてみて、 ネットワークでつないで、 試してみることだ。
  あらためて、 「百聞は一見にしかず」、 インターネットを積極的に利用し、 ホームページで情報発信を行い、 世界中の人とコミュニケーションをすることを通して、 そのあり方を考え、 実践していくことが重要だと強調して筆をおこう。

―― 参考文献 ――

ケビン・ケリー 『複雑系を超えて』 福岡洋一・横山亮訳 アスキー出版局・1999年
拙著 『進化するネットワーク』 NTT出版1994年


■会津 泉 (あいづ・いずみ)
  アジアネットワーク研究所代表、 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター (GLOCOM) 主任研究員、 ハイパーネットワーク社会研究所研究企画部長、 Asia & Pacific
 Internet Association 事務局長。
  1952年仙台市生まれ。
  1986年、 (株) ネットワ−キングデザイン研究所設立、 パソコン通信を中心にネットワークの海外動向、 地域・企業組織における導入・利用等に関する研究、 普及活動に従事する。
  1990年 「ハイパーネットワーク日出会議」 にかかわり、 新しいネットワーク社会のあり方についての研究を開始する。
  1991年、 新設されたGLOCOM (国際大学グロ−バル・コミュニケ−ション・センタ−) 企画室長を兼任。 インターネットを中心に、 日本の情報通信産業の政策研究にかかわり、 各国の情報政策分野の研究者、 政策担当者との交流を深める。
  1993年、 (財) ハイパ−ネットワ−ク社会研究所研究企画部長に就任、 未来のネットワーク社会についての実践と研究活動を推進。 「ハイパーネットワーク別府湾会議 (1992、 94、 95、 97年)」、など、 地域ネットワークを中心に、 インターネットの普及活動に従事。
  1997年4月、 マレーシア (クアラルンプール) に移動し、 アジアネットワーク研究所を設立、 アジアにおけるネットワーク社会についての研究と実践を開始。
  1998年6月アジア太平洋インターネット協会 (APIA) 事務局長を兼任、 現在に至る。
  著書に、 『はじめてのあっぷる』 (共著・小学館1984年)、 『パソコンネットワ−ク革命』 (日本経済新聞社1986年) 『進化するネットワーク』 (NTT出版1994年)、 訳書に 『スカリ−』 (JohnSculley・早川書房1988年)、 『ネットワ−ルド』 (Albert Bressand ・東洋経済新報社1991年) など多数。


情報誌「岐阜を考える」1999年記念号
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